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報告書を片手に、まずはシンクが呟くように言った。

「律師クレイム・アルスター。屋敷を処分し、ダアト港へと向かう馬車で事故に合い死亡。後始末は彼と生前親しかったらしい大詠師が人を派遣したそうだよ」

続いて頬張っていたマフィンを紅茶で流し込んだフローリアンが手をあげる。

「同じく律師ハルマ・ゲルントン。自宅で死亡を確認しました!
えっと、家族が遺品とか取りにきたそうです。遺産争いが激しくなりそうだな、て先輩がぼやいてました!」

それは無邪気な声だったが、決して悪意を知らない訳ではない。
事実フローリアンは既に人が綺麗な生き物でないことを知っている。
そしてフローリアンの声とは裏腹に、アッシュのどこか緊張した声が堅苦しい言葉を紡ぐ。

「乱心した後、あろうことか論師を襲撃したファーネン男爵に関してですが、論師守護役により捕縛された後、論師襲撃の罪を裁くためキムラスカに護送されました。
が、どうやら悪い水に当たったらしく病に罹ったようでして…キムラスカ側が手を尽くすも復帰までには到らず、そのまま死亡を確認したそうです」

「なるほど、ご苦労様です。"制裁完了"ですね」

報告を終えた三人の顔を見て、にっこりと微笑む。
やっとことが終わったという安堵感が身体を包み、同時に大詠師派が今回の件の後ぴたりと動きを止めたことをシンクが付け足してくれる。

「謡長経由で流した警告が効きましたか」

「みたいだね。ま、でなきゃ警告の意味がないけど」

「何かしたのですか?」

「アッシュ、ここには身内しか居ませんから敬語は要りませんよ」

「そうか?では言葉に甘えよう…で、一体何をしたんだ?」

「すこぅし情報を流した後、怪しい人たちにプレゼントを贈っただけですよ。三人に贈ったものと比べるとランクが落ちてしまったことが心苦しいのですが、気に入っていただけたようですね」

私の言葉に血なまぐさいプレゼントでも想像したのだろう。
アッシュは無言で顔色を悪くした挙句、吐き気を催したらしく口元を手で抑えている。
アッシュの中で私がどういうポジション付けになっているのかちょっと問い詰めたい。
一体私が何を贈ったと思ったのかな?ん?

「しかしファーネン男爵に関しては以外でした。コチラで手を下す手間が省けて何よりです」

「運が悪かったんだろう。船酔いと悪質な水が当たれば脱水症状で死ぬことも珍しくは…」

「アッシュ?まさか貴方は本当に彼が病に倒れたと思ってるんですか?」

未だ悪い顔色のままカップとソーサーを手に取っていたアッシュが、私の言葉を聞いてきょとりとした表情を浮かべる。
珍しい、これは本当に解っていない顔だ。
それとは正反対に訝しげな顔をしていた私は、こういうところはアッシュの美点であり王族に向かないところだよなと内心ため息をついた。

「キムラスカが手を下したに決まってるでしょう。乱心者の貴族、それもダアトの高位の存在を襲撃した人間など、キムラスカの汚点にしかなりませんから」

「な……馬鹿を言うなっ!キムラスカがそんなことっ!」

「しないと言い切れますか?第三王位継承者だったにも関わらず貴方の身体をただの実験体として使っていた、キムラスカが」

私の言葉を聞いていきり立ったアッシュだったが、反論できなかったのかぐっと言葉を詰まらせる。
予想通りの反応にため息をつけば、フローリアンは何故アッシュが驚いたのか解らずにきょとんとしていたし、シンクはやれやれと言わんばかりに肩を竦めていた。
フローリアンですら、キムラスカの上っ面だけの報告の真意を読み取っていたというのに…本当に、この潔癖症だけはどれだけ調教しても直りそうに無い。

「アッシュ、政治は奇麗事だけではできません。幼かった貴方には見えなかった陰の部分と言うのはどこにでもあります。
キムラスカだけでなく、マルクトも然り、勿論ダアトでもです」

「ここでも…?だが俺はそんな事は知らんぞ、一体誰が…」

「アッシュ、貴方は先ほど自分がした報告の内容も忘れてしまったのですか?」

アッシュの反応に今度こそ呆れを多分に含んだため息を吐いてしまう。
アッシュはアッシュでつい先ほど自分がした報告を思い出したらしく、あ、と呟きながら呆然としていた。

「政治とは一種のパワーゲームです。キムラスカは私を襲った無頼漢の息の根を止める事で自分達の対面を守りつつ、私達に向けて始末はしましたよと暗に言ってきたわけです。
勿論キムラスカに責任が無い訳ではありませんが、本人が死亡してしまった上これからのことを考えると、これ以上この件を蒸し返す必要もありません。
いい落としどころだったと思いますよ」

私の言葉にアッシュは言葉を無くしているようで、何度か何か言おうと口を開いたものの、結局言葉が見つからなかったのか何も言うことなくソファへと身を預けた。
アッシュの中でキムラスカという国がどれだけ美化されているかは知らないが、いくらなんでもショックを受けすぎではないだろうか。

「アッシュ、清濁呑みこんでこその政治です。
言い換えるならば、民が汚れないよう為政者が一手に汚れを引き受けているともいえます」

「民が…穢れないよう…」

「そうです。誰かが請け負わなければならない汚れ仕事を、為政者が請け負っている。
そしてそれをいかに民衆に知られずにやっていくかどうかに為政者の腕が問われます。
逆を言うならその二面性をうまく隠している為政者ほど腕が良いということになりますね」

「…清濁呑みこんでとはそういう意味なのか」

「そうです。綺麗なものだけでまつりごとを行うなど無理でしょう。人は悪意のある生き物ですから。悪意に対抗できるのは悪意だけです」

悪意に対抗できるのは悪意だけ。
この言葉にアッシュは更に衝撃を受けたようだった。

勿論、善意を持って悪意を倒す、ということもできるだろう。
ただしそれは相手と対等の立場にあり、且つ同じ土俵に立っている場合のみの話だ。
人生という名のゲーム盤の上では対等且つ同じ土俵の上に立つ場面というのは殆ど無いに等しく、オールドラントでは身分差や階級というものが更にその場面を減らしてしまっている。
ゲームじゃないのだ。同じ戦闘画面に引きずり込んで、なんてやっていられない。

そうなると、一番の対抗手段は悪意あるいわゆる汚い手、という奴になってしまう。
表では笑顔でやり取りをしながら陰で刺客を送りあう、そういう戦い方になってしまう。
アッシュが望んでいるような綺麗なやり取りなど所詮表面上のものでしかない。

「…アッシュ、貴方のその潔癖な部分は普通に生きていく分ならば美点です。
しかしもし貴方が将来、ダアトの高官になりたいと思うのであればそれは弱点になりえます」

「弱点…」

「そうです。そしてそれは貴方に致命的な傷を負わせることになるでしょう。
それは肉体的、精神的のみならず社会的な面も含みます。
もし貴方がその弱点を克服したいと思うのであれば、これからも学び続けることを忘れないで下さい。
そして卑劣、卑怯と呼ばれる手段を見たときに嫌悪感を示すだけでなく、何故そうしたのか、どうしてそうの手段を選んだのか、その結果何が得られるのかということを考え続けてください。
それは必ず貴方の糧になります」

私の言葉にアッシュはこくりと頷いた。
今は実感が湧かないかもしれないが、とりあえず頷いてくれたのでよしとする。

もし。
もしアッシュがキムラスカに帰るときが来たら。
アッシュは断髪する事でキムラスカを捨てたが、万が一帰るときが来たら、きっと役に立つ筈だ。
奇麗事だけしか知らない為政者など、傀儡にしか役立ちやしないのだから。

「ま、だからって汚い手ばっかり使ってる奴もどうかと思うけどね」

真剣な部分は終わりとでも思ったのか、シンクが口を挟んでくる。
フローリアン?相変わらず口にお菓子を詰め込んでおりますが何か。

「そういうものか?」

「やはり民衆へ見せる面というのも大切ですから」

「シオリ見てれば解るだろ?民衆には民衆想いでお綺麗な論師様、大詠師派には身内に手出すと恐ろしい論師っていう二面性をうまーく使い分けてるじゃないか」

「なるほど…」

「シンクもそうだよね!師団の人達にはちっさいけど頼りになる師団長で、シオリには甘えん坊さん!」

「ちょっと、甘えん坊さんって何さ?てゆーかちっさいって言うな!」

納得しているアッシュの横でマフィンを食べ終わったフローリアンの言葉にシンクが反応する。
そうか、フローリアンから見るとシンクはそう見えるのかと私は納得しつつ、マドレーヌへと手を伸ばす。
シンクは小さいといわれるのが不服なようだが、事実騎士団の中ではシンクとフローリアンはかなり小柄な部類に入るから言われてもしょうがないと思う。
シンクたちより小柄、というと導師守護役部隊くらいしか居ないだろう。

「論師」

シンクがフローリアンに文句を言ってるのを横目に、アッシュに呼ばれて私はマドレーヌを飲み込み向き直る。
アッシュは真剣な顔をしていて、私がどうしました?と聞けばアッシュは唇を噛み拳を握り締めながら視線をさ迷わせた。

「…俺は、変われているだろうか」

「人は一朝一夕には変われません。焦りは禁物です」

「…解っている。解ってはいるが…不安になるんだ」

「目に見える結果を出すには年単位がかかる場合もあります。急がば回れ、ですよ。
大丈夫です。私には順調に変わっていっているように見えますよ」

「本当か?」

「えぇ。以前の貴方ならまずはこうして一緒にお茶を飲むこともできなかったでしょうから」

「…………」

代わっているように見える、という私の言葉にパッと顔を明るくしたアッシュだったが、続けた私の言葉に微妙な顔をして口を噤んでしまった。
そこで逆切れしないだけ、やはり成長しているのだろう。
反省できるようになれたならもう大丈夫だ。
ハリセンの出番が少なくなるのはちょっとばかし残念ではあるが。

「少しずつ、やっていきましょう」

「……あぁ」

ぎこちなく頷くアッシュに、私もまた笑顔を見せるのだった。

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