51.5


※シンク視点

シオリが初めてディフェンスからオフェンスへと回った今回の事件も収束を迎え、オリジナルもベルケントへと追いやった事で僕等はまた日常を取り戻していた。
退路を塞ぎ、獲物を捕らえるための罠を張る論師の戦い方はまるで蜘蛛のようだと揶揄されていたが、そもそもシオリはそういった方面以外でも用意周到なのだ。
戦い方だけでなく、シオリという人間の生き方自体が用意周到且つ大胆で突拍子も無いのだからその評価は間違っていると言える。
あと何だか最近ゴタゴタとしていることが日常になりつつあるような気がしなくもないが、適度な緊張感が延々と続く日常というのは流石に遠慮したい。

まあこうして僕達は平和を勝ち取った訳だが、最近のシオリは何故かぼうっとしている時間が増えたようだった。
もう懸念するものも無いのに何故?と首を傾げていたのだが、間違いなくぼうっとする時間は増えている。
このままでは仕事に支障をきたすと判断した僕は、直球でシオリへと訊ねることにした。

「ねぇ、最近ぼうっとしてること多いけど…どうしたの?」

休憩中、ソファに座ってずず、とコーヒーを啜っているシオリに直接問いかければ、少しだけ目を見開かれる。
自覚が無かったのか、はたまた指摘されるとは思わなかった、といったところだろうか。
シオリの隣に座り、顔を覗き込めば何故か視線をそらされた。
顔を覗きこむことは今までも多々あったけれどそんな反応は初めてで……視線を反らされるって言うのは結構傷つくらしい。僕は知りたくも無かったことを一つ知った。
こういうことを知っていくうちに人間は大人になるんだろう、多分。

「言いたくないなら無理に聞かないけど」

ちょっぴり傷ついた自分を横に置いておいてそう付け加えればそうじゃないのよ、と苦笑が帰って来た。
少し困ったような顔で背もたれに背を預けたシオリが深々とため息をつく。

「自分の中で処理すべき感情だと思ってたし、処理できるつもりだったんだけど…シンクが指摘してくるくらい抱え込んじゃってるなら吐き出したほうが良いんだろうし」

「…よくわかんないけど、僕が聞いて良いなら聞くよ?」

「…今回の件、発端は私のミスで、そのせいでイオンの命が危うくなった」

「そうだね」

どうやら語ってくれるらしいので、僕もコーヒーの入ったマグカップを片手にシオリの話を聞く体勢に入る。
正直、オリジナルの命が狙われようと何だろうとどうでも良かったしそんなに気にしなくても良いのに、というのが僕の本音だったがあえて口を噤んでおいて先を促す。

「私、怒ったよね」

「うん、怒ったね」

「殺せと、そう言った」

「うん、言ったね」

「今回の騒動の原因である律師達とイオンの命を比べた時、私はイオンを取った。
多分似たようなことがあってもやっぱりイオンの命をとるだろうし、イオンじゃなくても身内を守るためならきっと何度でも同じ選択をすると思う」

「そうだね、君はそういう人間だ」

話の先が見えず、とりあえず同意だけしておく。
きっと僕が窮地に陥った時、シオリはありとあらゆる手を使って僕を救おうとしてくれるだろう。
ソレこそ汚いといえる手段すら迷うことなく使い、例えそれで自分の身が危うくなっても致命的で無ければ躊躇うことすらない。
それがシオリという存在だと、僕が一番よく知っている。

「けど、他の人からすればその逆もまたありえる。所詮全ては私の主観でしかない」

伏せた瞳を縁取る睫毛を微かに震わせながら、シオリはため息混じりに呟くように言った。
言いたいことの真意が見えず、ただマグカップを強く握り締めているシオリを見る。

「イオンの命も、律師達の命も、感情移入をしなければ同じ重さの命だった。
背負う覚悟はできてた。例え間接的であろうと、殺せと命じたならば私もまた罪を背負うものだと、ソレは理解していた」

「…重い?」

「きっと重いんだろうなぁって、思ってた」

僕の質問に答えたのは、どこか泣きそうな声だった。
シオリの顔を見れば悲しいけど泣くほどでもないというか、そんな顔で笑っていた。
だからカップを置いてシオリを真っ直ぐ見つめれば、やっぱり小さく苦笑される。

「おかしいよね。実感が無いんだ。私は命を奪ったのに。もっと重いものだと思ってたのに…私が殺したって言う、実感が湧かないの。
もっと罪悪感とかに苛まれると思ってたのにそんなこともなくて。

それどころか私は大切なものを守るためならまた躊躇うことなく殺せと命令できるなんて、そんな残酷な選択を何度でもできると思うなんて……人としておかしくない?なんて、思っちゃったんだ。

けど安心してる自分も居たの。ここで足踏みしてる暇なんて無い。
だから"良かった、これで迷うことなくまた前に進める"って安心してる。
それでまた自分って最低だなって…思っちゃって…」

色んな感情がぐちゃぐちゃなんだろう。
泣きたいんだか笑いたいんだか解らないごっちゃになった何とも言えない表情のままシオリは言う。
けどその黒い瞳に涙が溜まっているとか、そういうことは一切ない。
一切無い筈なのに何故か、泣きそうだと、僕は思ってしまった。

「こんな私のこと嫌いになる…?」

今度は逆に僕が顔を覗きこまれる番だった。
どこか試すような響きがあったのは、きっと気のせいじゃないだろう。
もしここで僕が怯えるような仕草をしたり、嫌悪感を露わにしていたらシオリは徐々に僕を遠ざけていったに違いない。
そんな確信を抱きながら、同時に僕が抱いたのは……安堵と、優越感だった。

シオリは僕にだけそんな複雑な感情を吐露してくれる。
僕にのみそんな顔を見せて、僕だからこそ弱音を吐いてくれた。
それが溜まらなく嬉しくて、安心と優越感を僕に与えたんだ。

「嫌いになるどころか普通に受け入れちゃってる僕も、どこかおかしいのかもしれない。
けど僕がおかしくたってシオリは僕を嫌いになったりしないだろ?」

「そうね、それがシンクだから」

「僕だってそうさ。それがシオリなら嫌いになったりしないよ」

僕の言葉に安心したのかは解らないけど、シオリはようやく苦笑でも悲しみが混じったものでもない、いつもの笑顔を見せてくれた。
僕の言葉で少しでも安心してくれたなら、それ以上の事は無いと思う。
けど僕はシオリほど弁が立つわけでもないし、人の機微に敏いわけでもない。
だからシオリが僕を安心させるためにやってくれるように、シオリを抱き寄せて胸元に耳を傾けさせる。
そして背中をゆったりとしたリズムで叩きながら、僕はまた言葉を重ねた。

「それにさ、実感が湧かないって言うのはある意味当たり前だと思うんだよね。
シオリは僕らみたいに直接手を下す訳じゃないし、実際死んだところを見た訳でもない。
報告なんて所詮情報だし、突き詰めちゃえば只の文字でしかないんだし」

「それは…そうかもしれないけど」

「それに命に優先順位をつけるのだって当たり前のことさ。僕は何よりも誰よりもシオリを優先する。
それは僕の個人的感情も含まれてるし、僕が師団長で論師守護役である以上当然のことだ。

シオリとの違いはさ、それに疑問を持ったことが無いってことかな。
僕達にとって命に優先順位があるのは当たり前で、顔も知らない、交流も無い、はたまた敵だった奴の死なんて気にかけることも無い。
シオリは凄く平和な世界から着たから命も元は平等なんだとか考えちゃうのかもしれないけど、ここでは優劣がついて当たり前なんだよ。
そういう側面だってあるんだから…だから、一人であんまり抱え込んじゃ駄目だよ」

「シンク…」

シオリに名前を呼ばれたけど、強く抱きしめる事で返事をしたことにしておく。
ありがとうっていうか細い声には、あえて返事をしないでおく。
シオリが僕の胸元で頬擦りをしたことに関しては、ドキドキしたけど気付かないふりだ。

「…変なとこまで気を使いすぎなんだよ。もっと気楽に行けば?」

「うん、そうだね。ちょっと考え方を変えてみるよ」

そう言って笑うシオリ。
これで少しでもシオリの心のつかえが取れたなら良いんだけど、なんて思いながら、僕はシオリの髪をすく。
僕らのやり取りなど露知らず、髪はいつものように僕の指の間をすり抜けて行った。


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