導師守護役の憂鬱


※アニス視点


無理、もう無理。死ぬ。これ絶対死ぬ。今度こそ死ぬ。
ゼェゼェと荒い呼吸を何とか整えるべく深呼吸しようとしたものの、すぐに風切音が聞こえてきたために無理矢理身体を動かしてその場から離脱する。
途端あたしの居た場所に鞭がしなり地面に罅どころか亀裂を作り上げたが、同時に形のいい唇から舌打ちの音が漏れたこともきっちり聞き逃さなかった。

「ローザ副小隊長、舌打ち聞こえてますよ」

「あら、何のことかしら??」

「品の悪さが滲み出てますよっつってんですよ!そんなんだから結婚できなのわああぁあっ!?」

「お黙りっ!」

音素が急速に集まる気配を感じて、あたしが居た場所に詠唱破棄された譜術が炸裂する。
あと一秒でも回避が遅ければ今頃あたしはずたずたに切り刻まれていたに違いない。
やっぱりローザ副小隊長に結婚の話は禁句だなと思いつつ、少しでも身体を回復させるために無理矢理息を宥めて会話に持ち込んだ。

「ていうかぁ、何であたし人形士なのにトクナガ無しで戦わされてるんですかぁ?」

「おかしなこと聞くのねぇ、タトリン奏長。貴方の役職名は?」

「導師守護役…見習い、です」

「その通り。貴方の仕事は導師をお守りすることであり、導師のために戦うことであり、いざという時には導師のために死ぬことよ。
にも関わらず貴方の戦闘手段は人形と譜術のみ。それこそトクナガが無くなったあと、接近戦に持ち込まれたらオシマイ。ジ・エンド。それじゃあ導師守護役はこなせないわ。
だからこうしてナイフでの戦闘術と回避術を貴方の身体に叩き込んでるのよ」

その言葉と同時に今度は投擲用のナイフが飛んでくる。
アタシの少しでも体力を回復したいという目論見は看破されているらしく、途切れることなく飛んでくるナイフに休む暇がない。
ローザ副小隊長の言いたいことは解るしそれが必要なのも痛いほど理解できるが、それ以上に思うことがあった。

「それ、建前ですよね。結局あたしで遊びたいだけでしょっ!」

「その通りよ。さっさと逃げなさい。でないと死ぬわよ」

「そんなドSだから結婚できないんですよ!」

「お黙りっ!」

ああ、もう。
ほんと、見た目だけはS級美人なのに、もったいない。







論師様から副業をしないかと持ちかけられあたしは、その研修のために論師直下情報部第五小隊へと通い始めた。
最初は研修中にも発生するお給料と、その後の副業の金回りのよさに釣られて受けた話だったけど、第五小隊でしごかれ始めた途端あたしはそれを後悔した。

誰だ、あの論師様がおやさしいとか言ったの。
話に聞く限りドSじゃねぇか。つかアタシをここに放り込んでる時点でドSだろ。

そこからは地獄の日々だった。
士官学校時代とは比べ物にならないほど大量の知識を詰め込まれ、要人に対するマナーを徹底的に仕込まれ、あらゆる状況に対応できるようにしごかれる毎日。
ぶっちゃけ普通の守護役の仕事のが楽、超楽ちん。
これマジで研修なの?てことは本番の仕事どんだけハード?って聞きたくなるくらいキツイ。
毎日毎日死を覚悟した。

けどここの人達は更に上を行っていた。
あたしのしごきを担当してくれてる第五小隊副小隊長のローザ・クレインって人は金髪碧眼の超絶美人なんだけど、これがまぁ根っからのドSなんだわ。
私が逃げれば目を光らせ、悲鳴を上げれば極上の微笑みを浮かべ、息も絶え絶えになると色っぽい吐息を漏らす。こうやって聞くと本当に最低だね。

けど見た目が凄い美人で仕事に関しても凄く有能だから、ドSなのを差し引いても部下に慕われてる人でもある。
事実残念なイケメンである小隊長の補佐はこの人にしか出来ないと思う。
それくらい有能で、美人で、あちこちに下僕を持ってて、仕事も速くてめちゃ強いサディストなのだ。ある意味、あたしの憧れかな。

でまぁこの人はさ、あたしがもう無理、死ぬ、あ、これ死んだ。って思うとすかさず治癒術飛ばしてくんの。
体力ギリギリ、虫の息で後一歩で戦闘不能ってとこでかけられるファーストエイド。
まだ動けってか!って何度泣き叫んだことか。でも許してくれないから逃げるしかない。

あ、でも一個だけ良いことがあるとすれば、アタシが毎日ヘロヘロになって帰るからパパとママが心配して、下手に外出して借金してくるの減ってきたことかな。
お陰で今月はちょっぴり多めにへそくりできたし。

あともう一つ。
守護役の仕事してた時、イオン様が凄く怒ってた時があったんだけど、あたしイオン様が何で怒ってるか解らなかったんだよね。
けどここで色々教えてもらううちにそれが解った。
あたし、凄く失礼なことしてて、最低な態度取ってたってこと。
それこそ首を切られてもおかしくなくて、それでも守護役を続けられてるのは単純にアタシがモースのスパイだから切られないだけ。
それくらいイオン様に失礼で、腹立たしい態度をとってたって解ってしまった。

もうへこんだね。
だって出来てると思ってたし、むしろちゃんと敬語使えてるって思ってたもん。
けどところがどっこい、もうあたし何様?って態度とってたわけだ。
これはマジ反省した。それ以来守護役の仕事やる時は気をつけてるんだけど、イオン様がそんなアタシ見てびっくりしてたからこれからもこれを続けなきゃいけないんだと思う。
ちょっと面倒だけど。

「よし、それじゃあ今日はここまで」

「う、うぁー…や、やっと終わったぁー…」

最後にぴしりと鞭で地面を叩いたローザ副小隊長の言葉を聞いて、アタシはその場に座り込んで体中の力を抜いた。
名前を呼ばれたから億劫ながらも顔を上げれば、取り上げられていたトクナガを渡される。
おかえりトクナガ。アンタが居ないとあたしヤバイって最近身に染みてるわ。

「だいぶ様になってきたわね」

「ほんとですかぁー?」

「あとは私の攻撃を全て避けるのではなく弾けるようにしないとだめよ」

「無理無理無理。あたしに死ねってんですか」

「貴方の後ろに導師が居たらどうするの?」

「あー…避けちゃ駄目ですねぇ」

「そういうことよ」

アイスミルクを渡され、一気に飲み干す。
サディストだけど、優しさが無いわけじゃないんだよなー。

「ローザ副小隊長」

「なに?おかわりなら無いわよ」

「え?無いんですか。けちー。じゃなくて、あたし研修合格できますかねぇ?」

というかこれだけしごかれて合格できなきゃストライキ起こしたいくらいなんだけども。
ミルクの入っていたカップを片手にそう聞けば、副小隊長は珍しく言いよどむ。
いつもは凄くはっきり言う人なのに、本当に珍しい。

「そうね……私なら、合格にするわ。むしろ第五小隊の私の班に欲しいくらいよ。
貴方のその表裏の激しい性格も、お金にがめついところもウチの班向けだもの」

「それ褒めてます?」

「勿論褒めてるわ。けど貴方をここに寄越したのは私ではなく論師様なの。
論師様のお考えは私達の想像を遥かに越えていらっしゃるから、私が合格だと思っても論師様は不合格だというかもしれないし、むしろ全く別の判断基準を持っておられるのかもしれない。
私如きにはあのお方の考えを理解することは不可能、だから私が答えを断言することはできないのよ」

「えー。ていうか、ローザ副小隊長がよく何考えてるか解らない人についてってますね?アニスちゃん、そっちのがびっくりかも」

「そうね…それでも間違いなく私を含めた情報部の人間は論師様に救われた。
そして論師様が何か信念を持って動いていらっしゃるのは解る。私はそれに着いていくと決めたから、何があろうと何も言わずに論師様に付き従うわ。それが破滅の道でもね」

「んー…ぶっちゃけて言って良いですか?理解できないです」

「別に理解する必要は無いわ。あくまでも私の考え方だもの。
それにあの方は盲目に付き従うだけの人間は軽蔑してるけど、それが熟考の上での選択ならば尊重してくれるのよ。
それも着いて行こうと思った理由の一つね」

肩を竦めるローザ副小隊長は、それでも笑っていた。
多分それだけ覚悟を決めることがあったんだろうけど、そこまで踏み込んで良いほど仲が良い訳でもないから適当に話を切り上げる。
全身だるいしこのまま寝ちゃいたいけど、そろそろ帰って晩ご飯の支度しなきゃだし。

「でも私には貴方の方が理解できないわ、タトリン奏長」

「ふへ?」

「何故あの両親を支え続けるの?例え肉親であろうと重荷にしかならない存在。
悪いけど、貴方が自分の身を捧げる価値があるようには思えないわ」

蔑むような視線と、吐き捨てるように言われた言葉。
アンタに何が解るって思うのと同時に、ローザ副小隊長がそこまで踏み込んだことを聞いてくることに驚いた。
もっと線引きはきっちりしてる人だと思ったから。

「別に、良いじゃないですか」

「……貴方にはまだまだ未来があるわ。可能性も同じくらいにある。
けどね、あの両親を背負っていたらそれこそ未来も可能性も潰れてしまうわよ」

あ、なるほど。ローザ副小隊長はあたしのことをちょっと心配してくれたわけだ。
そんなにアタシ危うそうに見えるかなー。

「……あたし、パパとママのこと、大好きなんです。
ローザ副小隊長がそこまであたしのこと目をかけてくれたことは嬉しいけど、パパとママを捨てることなんてできない」

「貴方は両親を決して見捨てないのね」

「はい。家族ですから」

「……じゃあ、貴方の両親は貴方のことを見捨てることは無いのかしら?」

パパとママがアタシを見捨てる?
あのお人よし過ぎて、自分から不幸を背負い込んじゃって、それが不幸だなんて思いもしない人が?
それは想像するまでも無く、ありえない未来だ。
ありえなさ過ぎて思わずぷっと噴出してしまう。

「あはは、それこそ無いですよぅ。パパもママもこっちが呆れるくらいお人よしなんですから。
ローザ副小隊長、心配してくれてありがとうございます。あたし、晩ご飯の準備ありますからそろそろ帰りますねー」

「……そう。解ったわ。でも一つ、覚えておきなさい。
情報部はね、貴方みたいな人間の味方で、貴方みたいな人間を歓迎するわ。アニス・タトリン」

「? はい、覚えておきますね。
それじゃあ今日はありがとうございました」

笑顔じゃなくて真剣な顔で言われた台詞にちょっと引っかかりを覚えもしたけど、そのまま修練場を出て一般信者の住まう区画へと走る。
にしてもローザ副小隊長からパパとママの話をされるとは思わなかったな。

でもあんな風に家族以外にも心配してくれる人が居るって言うのはちょっと安心できるものなんだなって思ってしまった。
サディストだけど、やっぱり良い人なんだよな、ローザ副小隊長。

……結婚できないけど。







導師守護役の憂鬱







舞台裏のお話。
アニスは常識人フラグを叩き折らなかったようです。
その代わり別のフラグ立っちゃいました。さて、いつ回収すべきか。


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