烈風のご褒美


朝日を背中いっぱいに浴びながら体重を預ければ、ぎしりと背もたれが軋む音がした。
座りなれたこの執務机の椅子だが、実に珍しいことに私の目の前に仕事の山はない。
なので私はちょっと考えた後、いつものように私の警護をしてくれているシンクに質問をした。

「ねぇシンク、何か欲しいものはある?」

「は?欲しいもの?」

仮面を外している彼は私の唐突な質問に目をぱちくりさせていたが、実はこれは前々から考えていたことの一つだった。
シンクは非常によくやってくれている。
それこそプライベートな時間も私に注ぎ込むくらい、私を中心に動いてくれている。
私は非常にそれに助けられていて、きっとこれからも事務的にも肉体的にもシンクに助けられていくのだろう。

だから何かしらのご褒美、もといお礼をすべきではないかと思っていたのだ。
以前ボーナスを払うという話も出してみたのだが、別に今でも充分お給料を貰っているからと断られてしまっている。
しかし何をあげれば喜ぶかなんて解らないから、今回の唐突な発言に繋がったのである。

「何でも良いの?」

「うん、何でも良いよ。私に叶えられることなら」

「……じゃあ、一日シオリを独占したい。シオリの時間を、僕にちょうだい?」

「……ん?」

けどさ、その答えは予想してなかったかな。






「はい、あーん」

「……シンク、私自分で食べれるよ?」

「僕に独占させてくれるんでしょ?」

「……あーん」

目の前に差し出されたスプーンに乗ったプリンを、棒読みの台詞と共に口の中に迎え入れる。
ここは執務室ではなく私が与えられている部屋のリビングで、私はシンクの膝の上に乗せられながら先ほどからプリンを食べさせられていた。
こうなった経緯はあまり思い出したくないが、とりあえずシンクの一日私を独占したい、というのが原因だったということだけはここに記しておく。

「美味しい?」

「うん。美味しい」

「じゃあもう一口ね」

「……おままごと?」

「違うよ。シオリの何から何まで全部僕がやってあげたいだけだから」

……それはまた一種の危ない性癖ではないだろうか。
滅多にお目にかかれない幸せそうな笑顔と共に言われた台詞は非常に危ういものであった。
どこで教育方針を間違えたんだろう?これは一度リグレット辺りに相談すべきかもしれない。

全てのプリンを食べ終えた私は、今度はシンクの膝の上に乗せられたまま読書に興じることになった。
シンクもまた私の腹部に腕を回したまま、また別の本を読んでいる。
ただ読書をするだけならばこんなに密着する必要はないと思うのだが、シンクはどうしても私を手放したくないらしい。

「っん、シンク?」

「なに?」

「何で腰撫でるの?」

「撫でたくなったから。柔らかくて気持ち良いし。
というかまた痩せた?前はもう少しウエストあったよね?」

「何で私のウエストをアンタが把握してるの!?」

「当たり前だろ。僕はシオリの守護役なんだから」

……守護役って何だっけ。
最早どこから突っ込んで良いかわからず、守護役の定義について考える。
しかし上機嫌のシンクには何を言っても無駄そうなので、私はため息を飲み込んで思考を放棄することを選んだ。
これはあれだ。お母さんを独占したい幼稚園児みたいなもんだ。多分。

考えることを放棄した私のウエストを撫でていたシンクだったが、僅かに顔を顰めたかと思うと本を放り出して私をソファの上に優しく押し倒す。
そしてその掌が私の腹を撫でたかと思うと、一つ大きなため息をついた。

「確かに激務だけどこれは痩せすぎだよね。これからは晩ご飯にもう少しカロリーの高いもの作るようにしようか」

「え?いいよ。どうせ事務仕事オンリーだし」

「駄目だよ。これから第二次成長期を迎えるっていうのに、ちゃんと育たなかったらどうすんのさ」

「それはまさか胸のことを言っているわけではあるまいな?」

「それも大切だよね。求心力には見た目も影響するわけだし」

久方ぶりに殺意を覚えたものの、あっけらかんと言ったシンクにがくりと力が抜ける。
これでは幼稚園児というより最早おかんである。
シンクは私を腕の中に閉じ込めた後、これからはもうちょっと太るメニューを考えないとね、と言って目を閉じた。

どうやらお昼寝をするらしい。
シオリも少し寝たら?と言われたので、私も素直に目をとじることにした。
お昼寝なんて何日ぶりだろう。地味に幸せである。
シンクの腕の中に閉じ込められ、足を絡められた状態でなければもっと安心できたに違いない。

そうしてお昼寝を堪能した私が目覚めた頃には最早夕方を迎えていて、シンクと共にちょっと高カロリーな夕食を作った後、一人でお風呂に入ってホッと息を吐く。
流石にお風呂まで一緒に入るとまでは言われなかった。言われたら本気でどうしようかと思った。
それでもお風呂から上がった後は、またシンクにお世話される羽目になったが。

「ねぇ、私のお世話するの楽しい?」

「うん」

「どこら辺が?」

「……シオリが僕が居なきゃ生きていけないみたいで」

待って、この子なんか病んでない?
乾かしてもらった髪に櫛を通しながら言われた台詞に私は本気で心配になった。
振り返れば僅かに頬を染め幸せそうな顔をしたシンクが、いとおしそうな目で私の髪をといている。
最後に私にカーディガンを着せた後、横抱きにして私をベッドに運んだシンクは、まるで壊れ物を扱うかのように私の頭を撫でた。

「えっと……シンクの望みって、これでよかったの?」

「うん」

どうやら私がお風呂に入っている間にシンクもシャワーを済ませてきたらしく、スウェットにも似た寝巻きに身を包んだシンクももぞもぞとベッドの中に入ってくる。
何故一緒に入ってくる、とは聞かずとも解る。これもまたお世話の一種なのだろう。
ソファでも一緒に寝たのだから最早抵抗感などなく、私は抵抗することなくシンクの腕の中に閉じ込められた。
シンクの体温と布団の温もりを感じていれば、段々と瞼が落ちてくるのが解る。

「ありがと。今日一日すっごく楽しかった」

「そう。よくわかんないけどシンクが楽しかったなら、まぁ……うん」

でも流石にこの展開は予想外すぎた。
次からは安易に何でもなんていわないようにしよう。
私がそう決めているのを察しているのか居ないのか解らないが、シンクは小さく笑った後に私の掌をとり、指先にキスを一つ落としてきた。
なんだよ、唐突過ぎるだろ。

「もし次があるなら、今度はどこか人が来ない山奥の小屋みたいなところでこうしたい」

「……なんで?」

「そしたらシオリはどこにもいけないでしょ。世界に僕とシオリしか居ないみたいで絶対楽しいと思う」

どこか恍惚とした顔で言われ、私は真剣に彼の矯正コースを考えた方が良いのか悩み始める。
どう考えてもそれは己の上司にする提案ではない。
私は苦虫を噛み潰したような顔をしている自覚があるのだが、シンクは気にも留めずに私の顔にキスの雨を降らせている。

「おやすみシオリ、今日はありがとう」

「……うん、おやすみ」

ぎゅう、と抱きしめられ囁かれた言葉に私も返事をする。
うとうととしてくると今まで考えてたことも全部どうでもよくなってくるから困ったものだ。

そう、例えばこんな風に。


シンクが楽しかったなら、別にいっか。






烈風のご褒美

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