07
「何か問題は出ましたか?」
「今のところは。ただ皆様方何と言うか、時間を持て余している方々も多いと言いますか」
「平和な証拠ではありましょうが……確かに、無為に過ごすことと穏やかに過ごすことは違いますからね。簡易図書館の設立とレクリエーションを企画していますから、そちらで満足してもらうしかありません」
「簡易図書館は解りますが、れくり? なんですか?」
「後ほど詳細を記した企画書をお送りしますから、全職員で検討していただけませんか?」
「解りました。いつもありがとうございます、論師様」
ホスピス『白詰草』
クローバーの名を付けられた施設の状態は試行錯誤ながらも順調といっていいだろう。
入居待ちの待機組まで存在している中、私は施設長との話を切り上げて音叉を模した杖を片手に自室へと戻るために足を進める。
表情筋を駆使して顔面だけは穏やかだが、内心では思いっきり眉間に皺を寄せたい心境だった。
途中出会った詠師にちくりちくりと突付かれ、お返しといわんばかりに私もばっさりと切り捨ててさっさと帰宅……もとい、帰室。
ドアを閉め、鍵を掛けてから私は思いっきりため息をつく。
「お帰り。遅かったね」
「途中嫌味な詠師に会っちゃってね。いい加減疲れたわ」
「はっ。まだアンタに突っかかる奴が居たんだ?」
「突っかかるって言ってももっと稼げ的な意味合いだったけどね…過労死させる気かっつーの」
ソファに思い切り座り込み、部屋に居たらしいシンクと視線を合わせないままの会話。
コーヒーを淹れていたらしい彼は同情してくれたのか、飲もうとしていた分を私の方に寄越してくれた。
ありがたい。が、砂糖とミルクをくれ。味覚まで子供に戻ってるお陰でブラックは苦すぎる。
ずず、と行儀悪くもコーヒーを啜りながら新たにコーヒーを淹れようとしている音を聞く。そもそも彼はいつから私の部屋に居たんだろう。出るときは居なかったのに。
まぁ帰室の際にシンクの気配を感じなかったり、いつの間にか入り込んでいるのはこれが初めてではない。
それに気配を読むとかそういった方面に関してど素人の私が荒事の修練を積んでいるシンクと張り合おうとも思わないから、勝手に入ってくれたって全然構わない。
シンクとて勝手に入室したとしても、最低限のラインは超えないでいてくれているしプライバシーは守ってくれる。それさえ守ってくれるなら別に構わないと思うのだ。
着々と腕を上げているらしいシンクは、性格はともかくいまや立派に私の護衛なわけだし。
「新しいホスピスを追加で二件、第五・第六師団の保険制度の導入に、あとは温泉計画だっけ?」
「それと神託の盾傭兵団も準備段階に入るし、就職斡旋所と看護学校と孤児院の義務教育制度を詠師会に提出して返答待ちかな」
「倒れないでよね。僕の責任になるから」
「解ってる」
シンクの言葉に答えつつソファの背もたれに身体を預け、深く息を吐き出してから目を閉じる。
白詰草が予想以上に反響がよく、此処最近の私は大忙しだ。既に追加で二件、『向日葵』と『秋桜』という名前で新しいホスピスが作られることも決定している。
白詰草の職員から二名選び施設長を任せることも決めてあるし、彼らに面接の仕方や施設長の仕事についてのマニュアルも現在作成中。費用に関しては詠師会から会計が回されてきたのでそちらとも後で話をしなければならないだろう。
ほんとに過労死しそうだな、私。今12歳なのに。
労働基準法なんてないから仕方ないのか、そうかそうなのか。
「ぅー……」
「ほんとに疲れきってるね。ちゃんと寝てる?」
「寝れてるならこんな疲れてないよ」
今日は本当にシンクが同情的だ。そんなに私は疲れているように見えるだろうか。首を動かし、私はそこでやっとシンクの姿を視界に入れた。
キッチンに立ち、コーヒーの入ったマグカップに口をつけようとしていた彼は、私が首ごと振り返ったことに気付いてその動きを止める。
「何?」
「いや、今日のシンクは何か優しいからさ……不気味だなぁと」
「喧嘩売ってる?」
「ンなこたぁアリマセン。私そんなに疲れてるように見える?」
私がコーヒー片手にそう聞けば、シンクはため息をついてコーヒーに口をつけることなくこちらに歩み寄ってくる。
おいなんだその反応。
「アンタさ、自覚ないの? 目つきも悪い、顔色も悪い、もっと言うならため息ばっかりついてるし……同情するなって方が無理だよ」
「そう? でもシンク以外は誰もそんな事言わないもの」
ソファに座っている私の丁度背後に立ち私を見下ろすシンク、見上げる私の顔に触れるのは手袋をつけたシンクの掌。
上下逆さまに視界に映るシンクの顔は少し不機嫌そうで、口は一文字に結ばれている。
「アンタは……シオリは部屋の外じゃずっと笑ってるしね」
「そうだね。でも論師様としてはそれが正しいでしょう?」
「そうかもしれないけど、いつか本当に倒れても知らないよ?」
「そのときは宜しく」
「僕の仕事は護衛であって救護員じゃないんだけどね」
そう言いつつシンクは私の隣に腰を下ろした。二人並んで座り、無言のままコーヒーを飲む。
本来ならこんなことをしている暇は無いし、やらなきゃいけない仕事は山積みなんだけれども、何となくこの無言が心地よかった。
あぁ、現実逃避なのかな、これ。
「ちょっと、シオリ?」
「うん?」
「寝るならベッド行きなよ、此処で寝るな」
「眠くないよ、大丈夫」
「そんなうとうとした顔で言われても説得力ないよ。ほら、目擦ってるし」
「平気、ちょっと気持ちいいだけ」
「どこが」
いかん、静寂が気持ちいいと思っていたらいつの間にか眠気に負けかけていたらしい。人間とは不思議なもので、指摘されて気付くと一気に抗えなくなってしまう。
段々と重くなる瞼を擦ってみるも眠気は飛んでくれず、頭が重く感じてシンクの方にふらりと倒れた。
「ん、眠い」
「だからベッド行けって言ってるんだよ。僕にくっつくな」
「シンクあったかいんだもん……」
「僕は布団じゃない!」
「ちがう、だきまくら」
「余計に悪い!」
取り落としそうになったマグカップを慌てて受け取ったシンクにしがみ付く私。護衛として一番私の傍に居てくれるから、警戒心なんて存在しない。
しがみついたシンクはあたたかくて、細そうに見えるのに案外広い肩幅は安心ができて、力強い腕は私を守ってくれる頼りがいのあるもので。
まぁ要は全幅の信頼を寄せているわけだ。私にしては珍しく。
四六時中傍に居る人間だから疑いだしたらキリがないと言うのもあるのは否定しない。
けれど、それでも"シンクになら裏切られてもいい"と思ったから私はシンクを信用して、こうして安心してしがみ付いているわけで。
「はぁ……しょうがないな」
夢の中に沈みかけた意識の外側で、そんなシンクの声が聞こえた。ことりと小さな音がして、膝裏と背中に手を回されて、浮遊感が身体を包む。
ぼんやりとシンクに抱き上げられていることは理解できても、既に沈みかけている意識では何の意味も成さない。
「……今回だけだからね」
うそつき。そうやっていつも運んでくれてるの、知ってるんだから。
でも口にはしない。口にしたら運んでくれなくなる気がするから。
シンクの体温を感じつつゆらゆらと揺られて、私は安心感に包まれながら完全に夢の中へと旅立ったのだった。
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