010
※魔物相手の戦闘、流血、暴力表現があります。
苦手な方は回れ右!
明朝。
浅い眠りから目を覚ました僕は仮面を着けるのも馬鹿らしくなって素顔で朝食を食べた。
昨夜のことなど無かったように振舞うサラの胸中を察することもできず、少ない荷物を片付け仮面をつけて小屋を出る。
そのまま村長の家に行って村長に村人達が全員居る事を確認。
自分達が帰還するまで決して山に入らないよう釘を刺し、更に自分達が一週間経っても返ってこなかった場合は再度教団に出向くよう伝えた。
ちなみに何故二人しか居ないんだというその場にいた村民の不満の声もあがったが、サラが回し蹴りでかかしを五メートルほど吹っ飛ばしたため村民達は揃って口をつぐんだ。
実力を知らない以上不満を抱くのも仕方ないが、わざわざ案山子を吹っ飛ばす必要があったのかどうかは口には出さないけれど疑問だ。
まぁ、口を噤ませるのに手っ取り早くはあるけれど。
呆れ故に出そうになるため息をぐっと堪え、そのまま背を向けて山の中へと向かう。
獣道しか存在しない山中は膝まで草が覆っていて、歩きにくいことこの上なかった。
しかしサラはソレを諸共せず、草を掻き分けて魔物たちの足跡を追う。
「居る?」
「この様子なら今日中に発見できるかと」
短く問いかければ既に上着を着込んだサラが答えた。
ボタンで止められた襟を限界まで上げているため、口元は見えないが声ははっきりと聞こえる。
「第三音素と第五音素が弱点だったよね」
「恐らく、ですが。念のため別の音素も使って弱点を探る必要もあるかと」
「そこまでする必要ある?」
「突然変異の場合、変異ゆえに元来の音素に対する耐性を持ち、逆に第六音素が苦手となるパターンが数度ありましたので」
足跡を辿るために先を歩きながら言われた言葉に、ふぅんと短く返す。
生憎と僕は第六音素を使用する譜術は得意ではないから、その場合は彼女に任せるしかないだろう。
「なら僕が前衛で、まずは君は譜術で弱点を探って」
「畏まりました。ある程度動きを把握した後、前衛に参加させて頂きます」
そう言って歩くスピードを落とし僕の背後へと移動する。
そのまま真っ直ぐです、と言われ言われたとおりに足を運ぶ。
やがて木が鬱蒼とし始め、木の葉が遮って木漏れ日が殆ど差さなくなったあたりから周囲に魔物の気配がし始めた。
「縄張りに入ったかな」
「はい、囲まれてますね…戦闘に良さそうな場所を探しましょうか」
「だね。開けたところがあると良いんだけど」
突き刺すような敵意を無視しながらそんな事を話していると、岩の壁が眼前を塞ぐ。
どうやら崖下に出たらしい。
サラは迷わず次は右だと言い、そちらに魔物の巣があるのだと付け足す。
「そろそろかな」
「はい。幸い草の背も低くなってきましたし、壁を背にすれば少しは有利になるかと」
そうサラが言った瞬間、まるで見計らったように四足の狼にも似た魔物が此方に向かって飛び出してきた。
解りきっていた襲撃に動揺など誘えるはずも無く、あばらに踵を打ち込んで岩壁へと叩きつける。
あばらが折れ肉を殴打する感触に何の感情も抱かないまま、次々に茂みから現れる群れに歪な笑みを浮かべた。
本来の目的を忘れるわけにはいかないと思うが、自分に注がれる殺気に肌が粟立つ。
「グミは持ってるね」
「回復はお任せを」
囲まれた状態で短い受け答えをした後、敵を屠るために地面を蹴った。
襲い掛かってくる爪と牙を避けながら、的確に拳と膝を叩き込んでいく。
「堕ちろっ!」
ライトニングが発動し、一匹が雷に打たれて嫌な匂いと共に黒焦げになったのを横目に魔物の後頭部に踵を落とす。
相変わらず詠唱補助は大活躍をしているらしい。
壁を背にしたサラを背後に殆ど動くことなく身体を動かす。
はっきり言って、いくら群れを成しているとはいえ魔物達は弱かった。
恐らく僕一人でも足りるくらいに。
「業火よ、焼き尽くせ!」
それでも手を抜かないのは慢心が死をおびき寄せると知っているからか。
刃が擦れあう甲高い金属音が連続して二回聞こえたかと思うと、詠唱破棄されたにも関わらず急速に第五音素が収束してイグニートプリズンが発動する。
複数体の魔物が業火に焼けて黒焦げになり、数が減らされてできた余裕に僕も譜術を使うことにした。
やはり第三音素と第五音素に弱いという確認はとれたので、自分が使うのはそれ以外の属性だ。
「大地の咆哮よ…グランドダッシャー!」
第二音素を集め、術式を発動させる。
魔物達を巻き込んで勢いよく地面が盛り上がったが、やはり詠唱を短縮しているせいでサラの使用する譜術より弱い。
その事に舌打ちをしようとした瞬間、背後からサラの声が響いた。
「上ですっ!」
その言葉に反射的にその場から離れ、視線だけで上を見る。
サラの予測どおり、ライガクイーンに匹敵する体躯を持った…今まで相手をしていた狼のような魔物と酷使しつつも、決定的に違う魔物が崖から飛び降りてきていた。
いつの間にか爪を装備していたサラも先程居た場所から移動していて、僕の背後でいつでも動ける体勢をとっている。
着地した魔物を見て、構えを取る。
極彩色の長毛は堅そうで、爪は鋭く、口内に収まりきらない犬歯は血と唾液に濡れている。
鋭い視線は敵意と殺気を撒き散らしていて、さぁ目の前の敵を屠らんと前足で地面をかいた。
「……いくよ」
「はっ」
短いサラの返事に地面を蹴り、前足を振り上げた魔物と命の奪い合いを始める。
しかし魔物の毛は予想通り硬く、僕の拳や蹴りとは相性が悪いのが伺えた。
こういった敵にはラルゴが一番適しているのだが、そうも言っては居られない。
「喰らいなぁっ!」
自らを飲み込もうとしてくる牙を避け、タービュランスを発動させるが、かすり傷を作った程度であまりダメージを受けたようには見られない。
バックステップをしながら舌打ちをすると、背後で第一音素が集まるのを感じる。
「響き渡れ!ブラッティハウリング!」
闇を彩る毒々しい色が魔物を飲み込み、低い唸り声が耳に届いた。
タービュランスよりはダメージを与えているらしい。
そして与えられる、更なる追撃。
「眠りなさい!フリジットコフィン!」
FOF変化を利用し第四音素が固まった清純なる氷塊が魔物を襲う。
もう自分はいらないんじゃないかと思ったが、少しでもダメージを与えるために魔物の瞳を狙って踵落としを喰らわせた。
外皮よりも圧倒的に柔らかいものを押しつぶす感触を感じながらも、そのまま連撃を喰らわせる。
このまま血を見ずに終わりそうだなと頭の片隅で思いつつ、再度背後で収束を始める音素達。
「光の鉄槌!リミテッド!」
聖なる鉄槌が降り注ぎ、最早反撃も不可能になった魔物の身体を貫いた。
一番苦しんでいる様子を見ると、コレが弱点らしい。
「大地の咆哮!グランドダッシャー!」
大地が盛り上がり、魔物を吹き飛ばした。
詠唱短縮+詠唱補助という反則技を連続で使ってTPは大丈夫なのかと逆に心配になる。
呻き声を上げながら吹き飛ばされる魔物は既に虫の息かもしれないが、それでも息の根を止めるまで連撃を止めるわけにはいかない。
「こいつでどうだ!」
連発される譜術にむしろ近寄ったら邪魔なんじゃないかと感じたため、フレアトーネードを発動させて魔物を業火で包む。
炎に包まれた魔物は断末魔にも似た咆哮で大気を震わせていて、終わりが近いことを知る。
やがて炎が消え、第五音素が霧散すると極彩色の毛を赤色に染めた魔物が残る。
アレだけ連続で譜術を叩き込んだのに未だに立っていられる時点で、この魔物の体力がとんでもないことを示している。
ただ、相手が悪かったのだ。
魔物は数度ふらつき、そのまま倒れるかと思った。
が、上空から今相対している魔物よりも少しだけ小さく…それでも普通の魔物よりも圧倒的に大きな体躯をもった魔物が、唸り声を上げて飛び降りてくる。
突如現れた気配に反射的に上を見上げるが、ソレがまずかった。
「シンク様っ!」
珍しく切羽詰ったようなサラの声に疑問を持つ頃には、自分の身体は吹っ飛んでいた。
HPを限界まで削られた魔物が力を振り絞り、前足を横薙ぎにして自分を吹き飛ばしたのだと気付いた頃には岩壁に叩きつけられていて、全身を鈍い痛みが襲う。
まだ動ける力があったのかと、どこか冷静な自分がそんな事を思っていた。
頬を生ぬるいものが伝い、頭から血を流しているのだと判断するも全身が酷く痛んで動けそうにない。
どうやらあの魔物は予想以上に力が強かったのと、叩きつけられたのがまずかったらしい。
「ぁああああぁああぁっ!!」
サラの絶叫が聞こえた。
悲鳴かと思ったが、どうやら違う。
そう判断したのは飛び出したサラが瀕死の魔物の背中の左部分に爪を突き立てているのが視界の端に見えたから。
恐らく、そこは心臓。
魔物は断末魔の悲鳴を上げる暇すら与えられず、大量の血を吐き出してその場に倒れた。
数度の痙攣の後、爪を引き抜けば部位からまるで噴水のように血が撒き散らされる。
むせ返る血の香りに本能的に死を連想した。
しかし此処で死ぬわけにはいかない。
こんな任務で消えるだなんて冗談じゃない。
痛む腕を何とか動かし、道具袋を漁る。
その間にも新たに現れた魔物とサラが爪を交差させているため、回復術は期待できない。
早く自分も参戦しなければと思う反面、多少体力を回復させすぐ動ける状態にした後サラの戦闘を観戦するべきかもしれないと思う。
鼻腔を突く鉄錆の香りは、ヴァンの情報によればサラを狂わせるに充分な量だ。
アップルグミを口に含み、仮面越しに爪を横薙ぎに振るうサラを見る。
できうる限り姿勢を低くし、爪を振り回して無言で戦う姿はまるで獣のようで、一瞬魔物と魔物が戦っているような錯覚に陥ってしまう。
「こ、の…ぉっ!」
グミによって回復していく体力を感じながら、聞いたことのない恐ろしく低いサラの声に違和感を感じた。
コレが暴走した状態なのだろうか?
サラの使う鋭利な爪は突き刺すにも削るのにも切り裂くのにも使える、いくら魔物の毛が堅いとはいえ拳を使う僕と違って相性も悪くないのだろう。
事実、戦い始めてまだ数分しか経っていないのに、爪を弾かせ幾度も魔物の外皮を切り裂いているおかげで魔物の毛はところどころ紅に染まっていた。
魔物は呼吸を荒くして咆哮を響かせる。
再び大気が震えた瞬間、息を乱れさせたサラがオーバーリミッツを発動させた。
「殺すっ!」
限界まで殺気を込めた言葉と共に、決して短いとは言えない距離を一歩で詰める。
鍛錬場で見せたあの動きだ。
「愚者の爪は肉を貫き骨を絶つ、この爪を前にして全ては抗う術は無し、お前の命は私が貰う!」
絶叫にも似た言葉と共に、鋭い爪が幾重にも傷をつけていく。
その動きは早すぎて最早魔物の目で追うことはできないらしく、魔物は彼女の宣言どおり舞うように振り下ろされる双爪に抗う術はない。
サラの秘奥義である双爪連撃覇は最後に爪を突きたて、引き抜く事で終わりを告げた。
勢いよくあふれ出した血がサラの上着を赤く染め、サラはソレを避けることなく乱れた呼吸のまま返り血を浴びている。
魔物は大きく痙攣をしたあと、だらりと舌を出したまま力尽きた。
……たった一人で、倒してしまった。
戦闘、最初から僕は要らなかったんじゃないか?
なんて思っていると、のろのろとした動作で隻眼の瞳が此方へ向けられた。
仮面越しではあるが目が合い、その瞳にぞくりと悪寒が走る。
ヤバイ。
何がヤバイかは解らないけど、本能的に解る。
今の彼女は、ヤバイ。
「…………サラ?」
「…………………」
無言のままゆっくりと、此方に歩いてくる。
昨夜感じたものなど生ぬるく感じてしまうほどの殺気。
血溜まりの中を歩くたび、ぴちゃ、と嫌な音が立つ。
だらりと下げられた爪は真っ赤に染まり、日の光を浴びててらてらと生生しく光っている。
乱れた髪の隙間から覗く瞳はどう見ても正気ではない。
「はっ…そういえば、全員殺すまで止まらないんだったね…っ!」
回復しきっていない身体を何とか起こし、自分を奮い立たせるようにそう叱咤して構えを取った。
今の自分が笑んでいるのは、精一杯の虚勢だろう。
殺されるくらいなら、例えサラであろうと殺す。
そう意思表示をしたつもりだったが、今の彼女に何処まで通じるのか。
サラは僕の構えを見て、まるでからくり人形のようにかくりと首をかしげた。
真っ赤に濡れた頬から顎を伝い、一滴の血が零れ落ちて地面を濡らす。
泣いてるように、見えた。
「……殺す、の?」
「君が僕を殺すなら、僕は君を殺す」
「ど、して?」
「まだ消えるつもりはないからさ」
たどたどしく幼い口調は、どこか泣きそうだった。
自分の心臓が煩いほどに鼓動を早めているのは、真っ赤に染まった彼女と相対しているからか、それとも目の前の少女が場違いなほどに悲哀に満ちているからか。
解らなかった。
何故彼女が泣きそうなのか。
こんなにも悲しそうなのか。
血によって暴走するのではなかったのか。
しかし此処が分かれ目だと、本能的に感じていた。
この問いかけを一つでも間違えれば、あの爪は容赦なく振り下ろされるだろう。
サラは正気を保っていない瞳で、僕をまじまじと見た。
普段のサラとはまるで別人だ。
二重人格といわれたほうが納得できるほどに。
「……捨てるの?」
「……捨てない」
少し迷って、そう答える。
ソレを聞いたサラはぱちくりと目を瞬かせたあと、爪をつけたまま此方に歩み寄ってきた。
拳を振り上げるか迷っている僕に抱きつくと、そのまま強い力で抱きしめてくる。
あばらが折れるとは言わないが、爪をつけたまま抱きしめられるのは正直言って恐怖しかない。
「……うそつき」
とても小さな声でそう言った少女は、見間違いでも何もなく、確かに泣いていた。
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