012


「シンク様、起きてください」

夢を見ない浅い眠りの中、そう声をかけられた気がしてゆっくりと瞼を開いた。
そこにはいつもの見慣れたサラが居て、膝をついて此方を見ている。

「……サラ?」

「はい。お休みのところ申し訳ございません。そろそろご起床を願います」

ゆるゆると首を振り、頭上を見上げる。
寝る前に確認した時よりも太陽が傾いていて、恐らく三時間ほど眠ってしまったのだと知った。

ソレを確認した後、サラを見る。
いつも通り、澱んだ隻眼は変わらない。
どうやら戻ったらしい。

「ねぇ、聞きたいんだけど」

「はっ。何でしょうか」

「何処まで覚えてる?」

「何処まで、とは?」

そう言って首を傾げるサラ。
この様子だとあの暴走時の記憶は無さそうだなと思いつつ、それでも確認を取る。

「魔物と戦って、そこから何処まで覚えてる?」

「……秘奥義を繰り出そうとした辺りまでは、何とか」

数度の瞬きの後、少し恥ずかしそうにそう言った。
何が恥ずかしいのかさっぱり解らないが、やはりあの暴走時のことは覚えていないらしい。

「つまり、その後は覚えていないわけだね」

「お恥ずかしながら、その通りです。どうも自分は血の匂いに弱いらしく、酔っ払ったような気分になってしまいまして…いつも記憶を飛ばしてしまうのです」

血の臭いに酔う、嫌な言葉だが予測が当たってしまった。
下手をすればその状態で人を殺しているなど、想像だにしていないのだろう。
世界で一番敵に回したくない幼子かもしれない。

「いつもなんだ?」

「はい…しかし、今回は少し様子が違うような…?」

自信なさげな台詞と共に、こめかみの辺りを指で押さえつつ視線が右下に下げられる。
何か考えているらしいが、何が違うのか僕にはさっぱりだ。

「何が違うのさ?」

「あ、はい。場所を移動してるので。大抵は記憶をなくす前と同じ場所で眠っていて、瞼が腫れて頭が割れるように痛むのです」

「ふぅん…今回はソレが無いと」

「はい。むしろ少しすっきりしています」

「あ、そ。良かったネ。それじゃ、そろそろ動こうか」

「はっ」

何も知らず適当に受け流したふりをしつつ、膝に手をついて立ち上がる。
枝にかけていた上着はとっくに乾いていた。
ソレを羽織り、暫く川沿いに歩いていると村の裏手から少し離れたところに出る。

成る程。水は安定して供給されているわけだと感心しつつ、村長の家に行って討伐したことを報告すれば、村長を含めた村民達に大層驚かれた。
こいつ等、僕らが討伐を成功させてくるなどと微塵も思って居なかったらしい。

中には訝しげな顔をしてくる輩も居たので、(サラのリュックに入っていた)もいできた爪を見せると、顔を青くしながら納得していた。
先端ではなくもいだ方を向けて見せていたのは恐らくわざとだろう。
サラも結構に性格が悪い。

「それじゃあ、確かに討伐依頼は果たしたからね」

「はい、ありがとうございます」

深々と頭を下げる村長にこのまま帰還することを告げると、何故か慌てて引き止められた。
仮面の奥で眉を顰めれば、お礼がしたいのでもう一泊していってくれという。
討伐前はアレだけ渋っていた癖に何を今更と思わなくもないが、無事成功したからだろうか。

「どうする?」

「作戦遂行日数にはまだまだ余裕があります、帰還にかかる時間を鑑みても問題はないかと」

どうしたいかという意味で聞いたのだが、無難な返事が帰って来た。
そういえばサラに預言についてどう思っているか聞いてなかったなと思い出し、いっそ今晩話を聞こうと村長の提案に乗ることにする。

「解った。討伐の疲れを癒すためにも、村長の好意を受け取ろう」

「ありがとうございます…!」

礼を言うのは世話になる此方の筈なのだが、何故か感極まって礼を言われた。
何がしたいんだろう、この男は。

まさか何か裏があるんじゃないだろうなと疑いつつ、再度ボロ屋に案内される。
夕食の時間になったら呼ぶからゆっくり休んでいてくれと言われ、彼等が去ったのを気配で感じながらベッドへと腰を下ろした。

「何アレ、態度変えすぎじゃない?」

「舐められていたんでしょう。シンク様は師団長ですが、子供ですから」

「君も子供だろ」

「はい。ですから子供二人で何ができるのか、子供二人しか寄越さない教団は何を考えているのかと思っていたんでしょう」

そう言われれば何も返せない。
実力も何も知らないくせに勝手なことをと思わなくもないが、サラの言うとおり少なくとも外見年齢はまだまだ子供なので黙っておく。

「ソレが予想外にさっさと討伐してきたから、舐めきってたのも忘れて浮かれてるわけだ」

「珍しい話では無いでしょう」

荷物を整理しながら淡々と言われ、今までのことを思い出す。
確かに他の六神将に比べて、僕は一段と舐められやすかった。

一目で子供と解る体躯に、何の武器も持たないのだから当たり前かもしれないが。
僕以上に舐められやすい外見をしているのはアリエッタだが、彼女は魔物を従えているのでこの場合は除外だ。

「あまり落ち込まれることではないかと。シンク様は有能且つお強いのですから」

「ソレって慰めてる?」

「事実を述べただけです」

小さく笑みを浮かべてそう言われ、初めて目にする微かな微笑みに思わず目を丸くしてしまう。
サラが初めて(勿論あの子供状態は論外として)自分から表情を見せた気がした。
それがよく見なければ解らないほど小さく、口の端を上げるだけの小さな微笑だとしても。

「……君って変わってるよね」

思わずそんな感想を漏らす。

「おや、そうですか?」

「ばれたら捕まるようなことあっさりと喋るし、僕の顔見ても被験者の名前を呼ばないし、見た目子供の癖にやたら強いし、その癖補佐官の仕事はきっちりやるし…いや、仕事してくれるのはありがたいんだけどさ」

「いけませんか?」

「後半二つはともかく、前半二つは異常だろ」

「そうですか?シンク様は私のことを報告しないでしょう?」

「……なんでそう思うのさ」

視線だけで椅子に腰掛けるよう促すと、失礼しますと言ってからサラは椅子に座る。
やはり足はきちんと揃えられ、その膝の上には掌が重ねて置かれている。

「私はシンク様の秘密を一つ、知っています。シンク様も私の秘密を一つ知っています。
コレでフィフティフィフティ、お互いフェアです」

「だから言わないって?」

「はい。お互い何か目的があって教団に籍を置いている身、そして目的が何かは知りませんがシンク様が無意味に教団に籍を置いているとは思いません。
それならば口を噤むのが一番利口で、シンク様がソレを理解できないほど愚かとは思っておりません」

成る程、そこまで予測済みか。
いっそこの話に乗ってみるか?

「確かにね…僕は目的があって教団に籍を置いてる。
君の言うとおり、お互い秘密を抱えていて、且つお互いの力量が同程度なら足を引っ張り合うよりも口を噤むのが得策だ」

「はい。ご理解を頂けて幸いです」

目礼をするサラは僕が口を噤むと確信しているのだろう。
そしてその確信の通り、僕は口を開くつもりもなかった。

サラの両親の死の真相など興味は無いし、わざわざ優秀な補佐官を手放すつもりはさらさらない。
むしろソレを口実に引き込めれば万々歳と言ったところか。
そのために一歩踏み込み、僕は口を開く。

「その上で聞くよ、君は預言をどう思ってる?」

「預言をどう思うか、ですか…その特性からして、便利だとは思います」

「便利、ね。やっぱり預言には従うわけだ」

「そうなるのでしょうか?今まで殆ど詠んでもらった経験が無いので、よく解りません」

「……殆ど詠んでもらった経験がない?」

予想外の言葉に僕がそう問い返すと、サラは小さく頷いた。

「何分各地を巡っておりましたので、預言を詠んでもらう寄付金よりも宿代の方を優先させてましたし…生誕預言も2,3度しか詠んで貰わなかった記憶があります。
傭兵仲間にはいつ死ぬか解らないからこそ預言を詠んでもらうべきだと言う者も居ましたが、預言士は死の預言は詠んでくれないでしょう?

死と隣り合わせの職に就いているというのに、一番知りたいその情報を得られないのであまり意味があるように思えなくて、両親が死んでからは一度も詠んで貰ったことは無いですね」

つまり、サラにとってあってもなくても一緒ということか。
何とも微妙な答えが返って来て、勧誘すべきなのか排除すべきなのか判断に困ってしまう。
従うべきだというのならば排除したし、嫌悪しているのなら勧誘できたのに。

……何も知らせないまま手駒として使うのが一番、か?
そう思案していると、珍しいことにサラから質問が飛んできた。

「シンク様は預言が憎いのですか?」

「……当たり前だろ。預言が無ければ僕は生まれなかった」

「造られたことを恨んでいらっしゃるのですね」

「そうだよ、悪い?預言が無ければ役立たずの失敗作として生きたままザレッホ火山に投げ込まれることもなかった。
生まれた意味を否定されて、代わりにすらなれずに肉の塊として生きることもなかった。
こうして空っぽの状態で捨て駒として使われることもなかったんだ。

……世界を、預言を僕は憎んでるのさ」

自嘲混じりに吐き捨てるように言う。
しかしサラはそんな僕に首を傾げる。

「……空っぽ、ですか?」

「そうだよ、僕は空っぽだ」

「では、その憎しみは何処から湧き出て、何処にあるのですか?」

「は?」

「シンク様は空っぽなのでしょう?なのにシンク様の声は憎しみに満ちています。
その憎しみは何処から生まれ、何処に留め、燃えているのですか?」

屁理屈を捏ねているような言葉だったが、サラの隻眼を見る限り純粋な疑問として口にしているようだ。

この憎しみは何処から産まれ、何処に留め、燃えているのか。
サラの言葉を反芻し、考える。

「僕は空っぽじゃなくて、僕の中には憎しみが詰まってるって言いたいわけ?」

……自分で言っといて何だが、ソレって空っぽより酷くないか?
仮面の下で訝しげな顔をしつつそう問いかけるが、サラは相変わらず首を傾げたままだ。

「いえ、単純に何処にあるのかなと…あと、空っぽなら何か詰めればいいのに、と思いまして」

「……何を?」

「何か、ですかね。被験者だって最初から何もかもを持っている訳ではありませんし」

「それ、僕に対する皮肉?」

「かも、しれません…。
抗うこともできないまま、殺すことだけを強要され詰め込まれる人間も居ますから。
その点……こう言ってはなんですが、シンク様は何を詰め込むか…選べます。

生まれた意味だって、そうです。
最初から生まれた意味は持っている方は…あまり居ないと思います。
持っている人々はそれ故に、人生を制限されているでしょう。

だから人は、生まれた意味ではなく生きていく意味を…探すのだと思います」

サラにしては歯切れの悪い口調だった。
殺すことだけを強要され詰め込まれるというのは恐らく自分のことだろう。
それでも一言一言を噛み砕くようにして言われ、何も言えなくなる。

自分で選べる?
そうだよ、だから僕は憎しみで胸を満たしている。

生まれた意味を持っている人間の方があまり居ない?
そんなこと、言われなくたってとっくに気付いてたさ。

持っているからこそ制限される?
解ってるさ、だから7番目は望む望まないに関わらず導師にされた。
もし僕に適正があったなら、僕の意思など関係なく導師にされていただろう。

それでも、その理論を通すには一つだけ問題があった。

「…普通の人間と、レプリカを一緒にしないでよ」

「私には解らないのですが、レプリカと普通の人間はどう違うのですか?」

「産まれて祝福されるのが被験者で、目的を持って作成されるのがレプリカさ。
生まれからして違うんだよ!」

「…だから、どう違うんです?」

本当に解らないという風に、眉を顰められる。
サラの表情が動くところを一日でこんなにも見られるのは初めてのことだが、そんな事を気にかけてる余裕はなかった。

「違うだろ!君だって望まれて産まれて来た!」

「えぇ、そうです。私は戦うことを望まれて産まれました」

「……え?」

「シンク様は全ての人間が祝福されてるとお思いですか?

娼婦の子は女郎屋に売られるか、人身売買組織に引き取られます。
赤子は高値で売れますから、ソレを目的に子供を産む娼婦も居ます。

傭兵の間では盾になるよう、子供に武器を持たせ幼いうちから戦闘を刷り込みます。
役に立たない子供は文字通り奴隷になるか、捨てられるかの二択です。

商家の子は必ず商家を継がされます、そのために望んだ未来など得られません。
才能がないと解れば穀潰しとして在って無い存在にされるでしょう。

勿論そんな子供ばかりではありません。
大勢の子供は親が子供が欲しいと望み、家を継がせたいと子供を望み、愛の結晶が欲しいと子供を望み、家族の絆を強くしたいと子供を望みます。

しかし、下を見ればキリが無いんですよ。
……その上でもう一度聞きます。

成功作として祝福されるレプリカと、祝福されて産まれる被験者。
目的を持って生み出される被験者と、目的を持って作成されるレプリカ。

どう、違いますか」


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