015


あの任務から数ヶ月。
ヴァンに口頭で報告したところ、馬鹿にしているのかという目で見られた。
なんなら自分の目で確かめればと言えば、リグレットとサラが任務に行き、リグレットは大怪我をして帰ってきた。

死ななかっただけ凄いと思う。
結局ヴァンの中では制御できる類のものではないと判断されたらしく、敵になるならば容赦はせず、それまでは何も知らせないまま利用するという形で落ち着いた。

僕とサラといえば、表面上は今までどおりだった。
書類と格闘する時もサラはその力を振るってくれたし、訓練所でも何度も組み手をした。
第五師団の連中もサラを相手にして目を輝かせていたし、あらゆる武器に精通するサラに色々と教わっていた。

でも、飽くまでもそれは表面上の話だ。
サラがどう思っているかは解らなかったけれど、僕のほうは何故かサラが気になって仕方が無かった。
縛られて揺れる髪とか、団服の隙間から除く肌とか、厚ぼったい唇とか、アリエッタを見るときだけ緩む隻眼とか、ペンを握るタコのある小さな掌とか。

前みたいに、談笑もする、ふざけもする、仕事もする、おやつも食べる。
けど時折、そうやってサラのことが気になって仕方がない。

それが苛々して、何故かもどかしい。
この感情が何なのか解らないまま、サラは僕の元を離れていった。

だから今の僕は、遠目からしか、見ることができない。
あの成功作である7番目のそばに控える、小さな元補佐官を。

「イオン様、お疲れですか?」

「いえ、大丈夫です」

「ご無理はなさりませんよう。イオン様が倒れられたら、皆が心配します」

「…サラスティアは心配してくれないのですか?」

「勿論、心配致しますよ。ですがそのような心配事になる前にお止めするのが、私の仕事です」

「ふふ、確かに優秀な守護役のおかげでそのようなこともありませんしね。頼りにしています」

「御意に」

微笑む導師、無表情に頭を下げるサラ。
仮面越しにそんな二人を見て、苛立ちが募る。
苛立ちはサラが手元を離れてから、更に強くなった気がする。

「では執務室に戻りましょうか」

「お供いたします」

サラは相変わらず、堅苦しい口調のままだ。
それでも導師からの信頼は、他の守護役よりも厚いらしい。

当たり前だろう。
どんな小さな変化も見逃さないサラは、その態度に反してとても細やかな気遣いができる。
頭の回転も速いし、補佐としての優秀さは身を持って知っている。

……僕が成功作だったら、サラと一緒に居られたのだろうか。
元々手元に回ってきたのは一時的なものだったと理解していても、そんな考えが浮かんでは消える。

奥へと引っ込んでいった二人から目を離し、執務室へと戻る。
相変わらず執務机の上には書類がうずたかく積まれ、睡眠時間を削り、食事を取る間もなくそれと格闘する日々。
休憩を取ることすら間々ならず、コーヒーを飲みながらペンを走らせる。

サラが居ない間、ずっと続けていた日常。
それが今では何か足りない気がして、胸に穴が空いたような感覚が消えない。
僕は空っぽだったはずなのに、いつの間にか何かが詰め込まれていたらしい。

「……サラ」

呼んでも、返事は返ってこない。

唇を噛み、ペンを放り出して書類を丸めて潰す。
仮面を外して机に置き、背もたれに身体を預け空を仰ぎ瞳を閉じて大きく息を吐いた。
ぎしりと椅子が軋む。

「……何なんだよ、一体」

その呟きにも、答えはない。
胸を占める苛立ち、焦燥感、喪失感、悲しみ、切なさ、苦しみ、そして空虚感。
サラが手元を離れてから増したそれ等。
どれだけ考えても答えは出ず、サラが頭から離れなくなってしまう。
集中力が散漫になり、仕事すらはかどらない状況だ。

せめて原因が解れば対処できるものの、ディストの診察では異常無しだった。
心因性のものだとしても、相談できるような相手もいない。
いっそこのまま逃げ出してしまおうかと現実逃避気味な思考が脳裏をよぎり、それをさせるまいというようにノックの音が耳に届いた。
それにもう一度ため息をついてから仮面をつける。

「誰」

「私だ」

「リグレットか。入れば、鍵は開いてるから」

「無用心だな」

「誰が入ってくるって言うのさ」

入室してくるリグレットの言葉に嘲笑混じりに返せば、リグレットは苦笑をもらした。
バインダーを手に持っているところを見ると、書類を渡しに来たわけではないらしい。
何かの作戦の相談だろうかと当たりをつけ、ソファを勧めて自分も立ち上がる。

「それで、用件は?」

「あぁ、導師守護役の件についてな」

「…あぁ、あのコネ軍人ども」

導師守護役と言われ、真っ先にサラを思い出す。
しかしリグレットが言いたいのはそれではないと、すぐに別の心当たりを口にした。
どうやらそれが当たりらしく、リグレットは小さく頷いてソファに座る。

「不敬罪や職務怠慢を理由に放棄しても良いのだが、流石に時間がかかるし抗議を受ける。なので向こうから止めたいと言わせることにした」

「へぇ?どんな目に合わせる気?」

向かいのソファに移動して笑みを浮かべながら腰を下ろす僕に、リグレットはバインダーを寄越した。
それに目を通せば、さらに笑みが深まる。

現在の守護役たちは、リグレットの言葉通り不敬罪や職務怠慢を理由にしょっ引ける馬鹿ばかりだ。
イオンと話す度にしなを作ったり、襲撃犯から我先にと逃げ出したり、根性があってもてんで使えなかったりとはっきり言って足手まといにしかならない。
忠誠心の欠片も無く、それを補うようにサラが導師を気遣っている。

当然、そうすれば導師はサラを重用する。
当たり前の結論なのだが、どうやらプライドだけは高い馬鹿達にはそれが贔屓に見えるらしい。
サラは陰湿な虐めを受けていた。相変わらず無表情だったため、殆ど気付いている人間は居ないが。

だが、この計画ならば守護役たちは泣いて逃げ出すだろうし、サラなら導師を守り抜けるだろう。
少しばかり大胆な計画なので詠師達の承認が得られるか不安はあったが、トリトハイムたちも守護役達に眉を顰めていたので安全性さえ配慮すれば許可を出しそうな気がする。

「お前はどう思う?」

「普通にいけるんじゃない?あの馬鹿どものクレームは散々上がってるしね」

「そんなにか」

「人事部から文句寄越される程度には。モースが通したんだから文句は情報部に回せって言ったら黙ったけど」

「何故人事部から?」

「守護役部隊も神託の盾の一部だからね。というか、本来なら主席総長であるヴァンが受けるクレームなんだけど?」

「閣下はお忙しいのだ」

「はいはい、その台詞は聞き飽きたよ。それで、僕と後は誰の承認が居る?」

「お前を含めて六神将三人分と…後は詠師達だな」

「ならディストとアリエッタだね。コレを実行するならサポート役に丁度良い。ラルゴと燃え滓じゃ駄目だ、ラルゴの部隊は不器用な奴等が多いし、特務師団は下っ端はともかく、師団長が潔癖すぎる」

「やはりそうなるか。では合わせて第二師団と第三師団に協力要請をかけておこう」

「早めに宜しく。その馬鹿共のせいで寄付金減らされたってトリトハイムが嘆いてたから」

バインダーに挟まれた作戦立案書に賛成の意を込めて自分の名前を書き込み、リグレットに渡す。
リグレットも頷きながらそれを受け取ると、そのままソファを立ち上がった。

「あぁ、そういえば。シンク」

「何さ」

「最近上の空であることが多いが、体調でも悪いのか?」

「……ディストの診察では異常なしだってさ」

「そうか。なら構わんが、無理はするなよ。お前に抜けられては困るからな」

そう言ってリグレットは出て行く。
自分の体調の心配をしているわけではなく、仕事が滞るから無理はするなということか。
閉じられる扉を見て内心ため息をつきつつ、ソファの背もたれに身体を預ける。
執務机の椅子と違い、自分の体がずぶずぶと沈んでいくような柔らかなクッションにこのまま眠ってしまいたい衝動に駆られた。

「……守護役試験ね」

先ほどの立案書を思い出しながら、そう呟く。
あの作戦は痛快ではあるもののまた忙しくなりそうだと、ため息を飲み込み仕事を再開するために嫌々立ち上がる。
今はもう、一人でやらなければならないのだから。







閑話に近いお話。短めですね。
リグレットはシンクに優しくないです。閣下至上主義。
リグレットファンの方、すみません。

しかしそろそろ長編に格上げするべきかもしれない。

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