018


シェリダン。
わざわざこの街を訪れたのは、アルビオールという空を飛ぶ譜業の開発を導師が視察をするためだ。
役立たずどもの代わりに第五師団員を中心に導師の守護役を組み、視察は特に問題が起きることなく終了した。
問題らしい問題といえば、未完成ながらも大まかに形を成しているアルビオールを見て導師が喜び、興奮したせいでちょっと倒れかけたくらいで。
アンタ体力劣化してるって自覚あるだろ、もうちょっと落ち着けよ!

当初の予定通り一泊してから翌日の船で帰ることになった僕達は、シェリダンにある教団の支部に泊まる事になった。
勿論導師が眠っている間でも警護は続行、24時間体制で行われる。
なので支部に勤めている者達の手も借りて夜間警備を厳重にしていたら、流石に働きすぎだと部下に止められてしまった。

何故ばれたんだろう。仮面をつけてるから目の下の隈は見えないだろうに。
僕がむすっとしているのが解っている筈なのに、部下は代わりにやっておくからと僕をさっさと部屋に押し込めてしまった。

しかし押し込められた以上は仕方ない。ダアトに帰るまでが視察なのだから今のうちに仮眠を取っておこうと僕は着ていた団服を脱ぐ。
硬いベッドに潜り込めば疲れた身体はすぐに惰眠を貪るだろうと思っていたのだが、予想外なことに何故か頭は冴えたまま。
仮眠を取るためにベッドに入ったはずなのに、一向に眠れそうに無かった。

どうやら徹夜続きで頭が馬鹿になって、逆に眠れなくなってしまったらしい。
ためしにブウサギを数えてみたけれど眠気は訪れず、30分ほどベッドの中で寝返りを繰り返したあたりで僕は眠ることを諦めた。
ベッドから起き上がり、団服を羽織ってから仮面をつける。

ホットミルクか何か飲みながらやりかけの仕事をやろう。
事務仕事をしていれば嫌でも眠くなるだろう。最悪眠れなくとも途中甘いものでも摘めれば何とかなる。
そう思案しつつ支部のキッチンを借りるために廊下に出る。
途中僕の姿を見た途端眉間に皺を寄せた部下に会ったが、眠れないからホットミルクを入れに行く最中だと言えば眉間の皺は消えた。

一回寝れば後はぐっすりですよとか言われたけど、眠れないんだから仕方ないじゃないか。
少しだけ警備に着いて確認して、僕はそのまま部下と別れて再度足を運ぶ。
誰も居ないだろうと思っていた深夜のキッチンは、予想とは裏腹にぼんやりと音素灯の光が漏れていた。

「眠れないのですか?」

誰か居るのかと部屋を覗き込んだ途端、そう声をかけられる。
それはずっと聞きたくて、聞きたくなかった声。
サラがミルクを温めながら、視線も寄越さないまま僕に問いかけてきたのだ。

「…まぁね。君は何してるわけ」

早鐘を打つ心臓に気付かないふりをしながら、平静を装ってキッチンへと入る。
ひんやりと底冷えする室内で、解りきった質問であるにも関わらずサラは丁寧に答えてくれた。

「導師がアルビオールに興奮気味で一向に眠ってくださらないので、一旦警備を第五師団の方に任せて蜂蜜入りのホットミルクを作っています」

…何やってんだセブンス。
アンタもっとおとなしい性格じゃなかったっけ?
心の中だけで突っ込みつつ、そう、と僕は短く答えた。

セブンスのためにホットミルクを造っているサラ。
ドロドロとした感情が胸中で渦巻き始める。

新しいカップを取り出したサラは温め終えたらしいミルクに蜂蜜を混ぜ、それを二つのカップに入れてから片方のカップをコチラに寄越してきた。
湯気を立てているカップからはほのかに甘いミルクの香り。

「…何?」

「眠れないのでしょう?作りすぎてしまったので、宜しければどうぞ」

「…そう、なら貰っておくよ」

それが優しい嘘だということは、すぐに解った。
先程まで渦巻いていた黒い感情が消え、ぬるま湯のような気持ちが胸を満たす。
カップに口をつければ甘いミルクの味が口内に広がり、身体の内側から温かさが広がっていく。

「甘いね」

「蜂蜜入りですから。甘すぎませんか?」

「別に。何?導師は甘いのが好きなわけ?」

「はい。結構に甘党ですよ。可愛らしいものです」

そう言って微笑むサラを見て、先程まであった胸の温かさが一気に冷えていくのを感じた。
また湧き出すどす黒い醜い感情。
サラの口からセブンスに対して好意的な言葉を聞くのが嫌だと思っている。
何故は解っている。これは、嫉妬だ。

「…可愛らしい?」

「えぇ。幼い子供そのものですね。勿論幼児と違って知識もありますので、そのまま子ども扱いはできませんが」

そうか、サラはセブンスを子ども扱いしているのか。
そう思うとほの暗い愉悦に自然と口角が上がった。
例えセブンスがサラに惚れようと、サラはセブンスを男として見ていないのだ。
どうして喜ばずに居られよう。

「まぁ確かに子供だろうね。純粋無垢で、穢れを知らない…大事に大事にされてるお人形だ」

「随分嫌味な言い方ですね…」

「僕がセブンスを嫌ってるのは知ってるだろ」

「知ってますよ。ただ以前より棘があるので」

「……なんだっていいだろ」

「そうですね。ただ穢れを知らないわけではないと思いますよ。口にこそしませんが、男女の色事にも興味はあるようですから。あの年頃では当たり前かもしれませんが」

サラの言葉を聞いて、カップを口に運ぼうとしていた手がぴたりと止まる。
そして思い出したのは、サラへ慈愛の篭った視線を注いでいるセブンスの姿。

「…そういった内容も、君が教えてるわけ?」

「おとぎ話に出てくるような王子様とお姫様のレベルですが、恋愛に関しても少し話すことはあります。色事の内容までは流石に話しません。
ただ食いつきはいいので、誰か気になる女の子が居るのか、恋に恋をしているのかもしれません」

まるで子供の成長を見守るような母親のように微笑むサラ。
そこに恋愛感情は無いのだとしても、何故かいらだって仕方が無い。

まだセブンスがサラに恋愛感情を抱いていると決まったわけじゃない。
セブンスがサラを見る視線に熱や慈愛が篭っているように見えるのも、僕が嫉妬しているからそう見えるだけかもしれない。
例え愛情を抱いていたとしても、恋愛じゃなくて親愛だっていう可能性もある。

それが解っていて苛立ちを隠せないのは、僕がサラが欲しくて欲しくて仕方が無いからだ。
そして僕が願って止まないことを、成功作であるセブンスが行っているから。
セブンスが羨ましくて仕方が無いから。

「…シンク様?」

僕が剣呑な雰囲気を纏っているのが解ったのだろう。
サラが少しだけ首を傾げて名前を呼んでくる。
僕はカップをキッチン台の上に置いて、サラとの距離を詰めて頬に手を添える。
サラは何故か抵抗しない。僕が自分を危険な目に合わせると思っていないのか、はたまたいつでも逃げられるという自負か。

キッチン台と僕の間に挟まれる形になったサラは、されるがままにいつものように虚無的な瞳で僕を見上げている。
その瞳は以前より光が燈っているような気がしなくもない。
しかしそんな事はどうでも良かった。
触れた頬は温かく、その柔らかさに蹂躙したいという欲望がわきあがる。

「セブンスと比べれば、僕は思い切り穢れてるんだろうね」

「比べるつもりはありませんが…軍属である以上、穢れずに居るというのは難しいかと」

「それもある。けど、僕が言いたいのはそうじゃない…僕は自分の中に醜い感情があるのを知ってる」

そう言って髪をすいてやれば、さらさらと指通りの良い感触。
久しぶりの感触に、自然と胸が躍った。

「醜い感情……嫉妬ですか」

質問ではなく断定され、僕は口角を上げて笑った。
元々隠すつもりは無かったのだ。ただ初めてのことに戸惑い、感情の対処の仕方が解らなかっただけで。
けど話をして、サラを見て、僕の欲望の矛先が決まった。
こうして目の前に欲望の対象が居る以上、抑えられる自信も抑えるつもりもない。

「そうだよ。僕はセブンスに嫉妬してる」

人の気配が無いことを確認してから仮面を外せば、視界を覆われることなくサラの顔がはっきりと見える。
その顔に動揺は見られないが、僅かに瞳が揺らいでいるように見えるのは僕の願望だろうか。

「逃げないの?」

「…逃げてどうにかなるものでもないでしょう」

「諦めてるわけだ」

「そうとも…言うのでしょうか…」

歯切れの悪い答え。
指先で唇を撫でてやれば、僅かに肩が跳ねる。

そのまま唇を重ねても、サラは逃げることは無かった。
閉じていた唇を舌で割り開き、口内を蹂躙する。
服を捕まれたがそれ以外の抵抗は見せず、舌を絡め取ってやれば逃げることなくされるがままだ。

「ん…っ、ふ……ぁ…っ」

角度を変えて何度も何度も唇を貪れば、嬌声にも似た吐息が漏れる。
その吐息に欲望を煽られるのを感じていると、戦闘では滅多に息切れをしないサラも呼吸を荒くしながら僕の団服をきつく握り締めていた。
微かに震えているのは何故だろうか。
唇を離せばどちらのものとも取れない唾液が銀の糸となって唇を繋ぐ。
その糸が切れる瞬間瞳を見れば、僅かに瞳は潤んでいて…。

渦巻いたどす黒い感情を欲望のままにぶつける僕に、君は何を思ったのだろう。

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