001


駄目だ、そろそろ胃壁が貫通する。
キリキリと痛む胃に無意味だと解っていても手を当てながら、シンクは胃痛(と頭痛)の種である彼等をどうしてくれようかと考えていた。

いっそ滅ぼすか。ダアトごと。

不穏な考えが脳裏をよぎる。
しかし悲しいことに、ダアトが滅んでも悩みの種は消滅しない。
深々とため息をつき、情報部へと渡すための書類を入れたファイルを片手にとぼとぼと教団の廊下を歩いた。



大詠師という立場にありながらキムラスカに入り浸りダアトに帰ることなど殆ど無いモースのお陰で、ダアトの人事は荒れに荒れていた。
ヴァンの手によっていきなり参謀総長という地位に就任したはいいものの、主にこのヴァンとモースのおかげで寝る間も無いくらい仕事に追われる日々を過ごしている。

あれ、僕何でヴァンの配下に着いたんだっけ?と、疑問を覚えるのはこの短い人生で何度目か。最早数える気も起きない。
少なくとも両手どころか足の指を入れても足りないのだけは明白だ。

そもそも実年齢以前に外見年齢14歳の僕が何でいきなり参謀総長?、という疑問を抱いた時点で固辞しておくべきだったのだ。
だって常識的に考えてそうだろう。
いくら主席総長の推薦があったとはいえ、子供がいきなり要職に就けるはずが無い。

しかし、ダアトではそれがまかり通った。できてしまった。
主な理由は二つ。
ヴァンの暴走を止められる人間が居なかったことと、決定的な人員不足。

本来参謀総長とは決定を下すべきトップのために、情報収集と集まった情報の処理を行う地位のことだ。
なので自分が行うべきは部下達に必要な情報を収集するよう命令を出すことであり、また集まった情報を纏めて取捨選択をした後にトップへと伝えることである。

が。そうは問屋が卸さないのがダアトがダアトたる所以といおうか。
なんせ伝えるべきトップが居ない。
いや、伝えるべきトップは居ても役に立たない、といった方が正しいのか。


主席総長?
今日もバチカルの公爵邸に行くためにお留守だよ。
理由は知ってるけど少しは仕事しろよ、神託の盾のトップなんだぞアンタ。

大詠師?
もう何日も見てないよね。
多分今頃インゴベルトになんか吹き込んでるんじゃない?いつもどおり。

導師?
部下からの報告によるとさっき町に散歩に行ったそうだよ。
そもそも導師って何の役目だっけ?あぁ、お飾りだったねごめんよ7番目。
期待した僕が馬鹿だった。


こうなると、彼等がすべき仕事は全て参謀総長である自分に回ってくる。
なんたって参謀総長、情報は全て自分の下に収束してくるのだから自分が判断を下すしかない。

なので最初は大詠師や導師に渡すべき情報は詠師達に回し、主席総長に回す情報は此方で処理するという形を取っていた。
しかし詠師達は教団の運営という本来の職務がある上殆どがご老体、導師や大詠師の仕事まで手が回らずにどんどん報告書が溜まりに溜まる。

結局詠師達に泣きつかれ、自分が判断できるものは(例えそれが本来大詠師や導師のする仕事であっても)自分が処理してきた。
本来の自分の仕事とヴァンから秘密裏に回された裏の仕事に加え、上記の仕事をやってきたのである。

何故誰も自分が参謀総長になることを反対しなかったのか、実によく解った。
誰もやりたがらなかったのだ。
自分だってこんな状態だと知っていたのなら絶対に断っていた。

それでもまぁ、就いた以上はやるしかない。
自分がやめたらそれこそローレライ教団は立ち行かなくなるのだから。

だから死ぬ気で頑張った。
コレも計画が実行されるまでだと自分に言い聞かせて。
それでもやっぱり、大変なものは大変なわけで。

そう、これだけでも、大変なのだ。
寝る間もないほどに。
普通の教団でも、大変なのだ。
胃薬を常用するほどに。

それなのに、だ!

「何なんだよ! この人事は!」

モース直下の情報部へとファイルを渡しに来ただけだというのに、そこで知り得た(急遽取り入れられたらしい)人事異動を聞いて、ついに堪忍袋の緒が切れた。
ついでに脳味噌の血管も2、3本切れた気がする。

「何でいきなり導師守護役がこんなに入れ替わる予定が入ってるのさ!?
守護役長不在、主戦力であるアリエッタが六神将に異動、導師守護役入れ替え終了って言う混乱極まった状態がやっと落ち着いたところで、何で!」

「落ち着いたからでは?」

「落ち着いたならまずは様子見だろ! てゆーか入れ替わったばっかだろ!
人事異動の前にいい加減守護役長決めるべきだろ!」

不満げな顔であっさりと言い返され、突っ込みながらついつい感情に任せて思い切りテーブルを殴ってしまう。
テーブルが砕けた音がするけれどそれすらも今は聞きたくない。

情報をもたらした情報部の団員は怒鳴り散らす僕に不満げな表情を隠そうともしない。
本当に情報部か、コイツ。

しかし目の前の人間に八つ当たりをしていても始まらない。

導師守護役を入れ替えるのはまぁ、まだ良い。納得していた。
被験体から模造品へと入れ替えた以上、情報漏洩を避けるためにも被験体と親しかった人間を遠ざけるのは納得できるから、忙しくなろうと頑張った。

守護役候補のリストアップも手伝った。
そして彼女達が本決まりしたというのに、この予定のままで行けば仕事に慣れた頃にはまた移動だ。
新たに導師守護役に選抜された少女達のリストにざっと目を通せば、そこに書かれているのはどこぞの貴族の次女だとか豪商の箱入り娘だとか、本当に守護役が務まるか怪しい人物ばかりだ。

弾除けにすらならないんじゃないか。
むしろ怪我させたら親元から抗議文が殺到しそうな気がする。
いや、するだろう、確実に。

導師守護役長が不在ということを利用してモースが配下に命じて勝手に行ったのだろう。
キムラスカに居るからって油断するんじゃなかった。
恐らく金持ちの連中に何かを吹き込んだ上で、金を引き出すか渡した上でこんな人事を通したのだ。

まずい。
物凄くまずい。
何がまずいってもう全てがまずい。

あのリストに書かれた面々では守護役が勤められるとは思えない。
しかしそのせいで導師が傷つけば、その理由がなんであろうと問題になる。

が、かといって守護役達が傷つけば娘に傷を負わせた親元たちが黙っていないだろう。
金持ちというのは総じて位が高く、無駄に煩いのだ。

こっちもやっぱり問題になる、全く持って宜しくない。
なんといってもローレライ教団は宗教自治区なのだ。
自治は寄付金をメインに行われ、恐らくこの守護役の親元たちも今回の件を機に寄付金を増額するなりなんなりしたのは調べなくとも簡単に想像がつく。

しかも寄付金の増減に関する情報は自分の耳に入っていない。
確実にモースの懐へと入れられたのだろう。

最悪のパターンを想像してみる。
もし、守護役が怪我をして親が抗議してきた場合。

その抗議は確実に伝播する。
金持ち達というのは貴族商人問わず横の繋がりを広く持つから、あっという間にオールドラント中に広まるだろう。

例えモースの独断である人事であれ、ローレライ教団及び神託の盾騎士団が受け入れてしまったのは事実。
責任を取らされた挙句、貴族連中からの寄付金が激減するのは想像に難くない。
下手をすればローレライ教団の威光も地に落ち、最悪教団が立ち行かなくなる。

その瞬間をたった三秒で想像できてしまい、キリキリと傷み始めた胃を静かに抑えた。

「これ、何日前に通った?」

「三日ほど前ですが」

それを聞いて挨拶をするのも忘れ、身を翻し廊下を歩く。
つい先ほど想像してしまった未来を実現させないためにも、自分の部下にモースが行った事を調べるよう指示を出さなければならない。

あの預言狂いめ、厄介な爆弾を持ち込んでくれた。
既に導火線に火がついているような気がして、嫌な予感しかしない。

仮面をつけていても苛立っているのが伝わるのか、周囲の人間は僕をことごとく避けていく。
それを横目に見る余裕すらなく、競歩並みのスピードで廊下を歩いていると、曲がり角でピンクの影にぶつかった。
ピンク色の服を着た誰かは小さな悲鳴を上げた後、バランスを崩して尻餅をついた。

邪魔だよ。

怒鳴ろうとして口を開いたが何とか気力でそれを押し込めた自分に、いっそ賞賛を送りたい。
そのピンク色の服はどこからどう見ても導師守護役が着るものだ。
先程想像した未来とリストが頭の中で瞬時に駆け巡り、何とか怒りを押しとどめ声をかける。

「ちょっと、大丈夫?」

機嫌を損ねてはまずいのでそう言ってみるも、耳に届いた自分の声音は不機嫌なのを隠し切れていなかった。
しかし相手はそれに気付いていないのか、はたまた気付かないふりをしてくれたのか、此方を見ると大丈夫ですと言ってすぐと立ち上がった。
そうして立ち上がった少女の自分よりも遥かに低い身長に、ため息をつきたい気持ちをぐっと堪える。

「失礼いたしました。何分距離感が未だに掴めないものでして」

が、予想外なことに丁寧な言葉遣いが返ってきた。
ん?と心の中で疑問が首をもたげる。
もしかしてコレは新たに入った守護役ではなく、元々居た団員かもしれない。

そう思ってよくよく少女を見てみると、まず目に入ったのは童顔の顔に似つかわしくない少し汚れた眼帯。
そして次に目に入ったのはベルトの代わりに腹部に巻かれた黒い上着らしきもので、所々覗く肌は程よく筋肉がついて引き締まっている。

やはり元々居た団員かと判断しかけて、眼帯に覆われていない目が酷く澱んでいることに気付いた。
こんな目をした人間が居たならば、恐らく自分はすぐに気付いていたはずだ。

しかし自分は、こんな目をした少女を知らない。
こんな自分によく似た目をした少女など。

「……別にいいよ。それより見たこと無い顔だけど」

「はっ。先日より新たに神託の盾騎士団導師守護役部隊に入隊いたしました。
サラスティア響士と申します」

ハキハキと所属と階級を名乗り、礼を取る姿はどこをどう見ても軍人のソレ。
自分が言外に込めたどこの誰だという疑問をきちんと汲み取り答えるところを見ると、ただの馬鹿な金持ちの娘にも見えない。

「そう。悪かったね、僕も急いでたんだ」

そう言いつつも少しは使える人材も入ってきてくれたのかと心のどこかで安堵している自分に気付き、ほんの少しだけ泣きそうになった。

この分だと自分の不機嫌な声音にもあえて気付かないふりをしたのだろう。
尻餅をついたのは(自己申告の通り)片目を覆っていて距離感を掴めないのが主な原因だろうし、すぐに体制を立て直して立ち上がったところを見ると筋は良いに違いない。

「いえ、此方こそ申し訳ございませんでした。それでは失礼いたします」

そう言って頭を下げて横を通り過ぎようとするサラスティアを見て、ふと気付いた。

待て、人事が通ってからまだ三日しか立ってない。
少なくとも情報部の人間はそう言っていた。
いくらモースが独断で通したからとはいえ、恐らく殆どの少女達は今から士官学校に入るはず。

だからこそ自分も、少女達が正式に入隊する前に情報を集めようとしていたわけで。
しかし目の前の少女はなんと言った?

先日より新たに入隊した?
しかもいきなり響士?

「ちょっと待ちなよ」

「はい」

疑問を解消すべく制止の声をかけると、サラスティアはくるりと全身で振り返り、胸の前に手を当てる。
それは間違いなく神託の盾騎士団の礼そのもので、それだけでサラスティアがきちんと士官学校を出たというのが解る。

「君、士官学校出たのいつ?」

「一週間ほど前になります」

「クラスは?」

「譜術士です」

「レベルは?」

「卒業時には47と測定されました」

「よんじゅうななぁ!?」

思わず反復してしまった。
だってそうだろう!

「何で士官学校出たばかりの君が、僕と同じレベルなのさ!?」

驚いても、無理は無いだろう。これなら。






見切り発車。
ギャグ目指して一話目で撃沈しました。


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