002


自分が47というレベルに辿りつくまで、かなりの苦労を要した。
参謀総長という職に就き、周囲から侮られないようにするためにも文字通り血反吐を吐くような、血の滲むような努力を重ねてきたのだ。
その上正式に士官学校に入れるはずも無く、それらは殆どヴァンの指示の元幾度も死に掛けながら、憎しみだけを糧にのし上がって来たのである。

それなのに目の前の少女は士官学校を卒業したばかりだと言うのに、既に自分と同じレベルだと言うではないか。
自分らしくない素っ頓狂な声を上げてしまったのは、仕方ないと思う。

そしてその驚きの意味を正確に汲み取ったらしいサラスティアことサラは逡巡の後、宜しいでしょうか、と此方に許可を求めてきた。
未だに驚きが引かないまま許可をすると、サラははつらつらと身の上を語り始める。

「ありがとうございます。
自分は士官学校に入学する前、傭兵である両親と共に各地を渡り歩いておりました。
5歳の頃に武器を渡され、時に魔物や盗賊と相対しながら暮らして居たのです。

その後両親が盗賊に毒を漏られて死亡しましたが、運良くダアトの方が私の身の上を案じ拾ってくださり、こうして無事仕官する事が可能となったのです。
私のような下賎な者が崇高な神託の盾騎士団に入隊することは不愉快ではありましょうが、ご理解いただければ幸いです」

「あ、あぁ…それでそんなに強いわけ…理解したよ、うん」

5歳からってどんな親だ、戦闘狂か。
心の中で突っ込みを入れつつ、やはり自分が抱いていた疑問を汲み取ってくれていたサラは、一般的には悲惨といえるであろう過去を無感情に語る。
だが確かに納得できた。

各地を渡り歩いていたのなら世界情勢にはそれなりに敏感であろうし、あらゆる知識と経験を積んでいるのは軍人としてかなりメリットがある。
いきなり響士などという階級を与えられたのも、サラの背景を見越してのことなのだろう。

馬鹿丁寧に自分を卑下する物言いが少しばかり気になるけれど。
傭兵をしていたという点を鑑みて、士官学校では戦闘教育よりも礼儀作法を徹底的に叩き込まれたのかもしれないし。

「よく解った。
これから何をしに?」

「はっ。
何分士官学校を出て日が浅いので、主席総長のご温情により同僚が入隊し新たに導師守護役の席に着くまで、第五師団師団長殿の下で仕事の補佐を行うよう命じられました。
執務室へお邪魔したところ師団長殿は情報部へと向かわれたとお聞きしたため、挨拶のためにそちらに向かうところです」

軍人の鑑と言うような堅苦しい言い回しが幼い声音で語られるのは酷く違和感が合ったが、かといって教本どおりの馬鹿ではなさそうなのでそこはまぁいい。
卒業したての団員は凝り固まっている傾向があるのだが、サラの場合それはないだろう。

だがちょっと待て。
何となく聞いただけだけど、第五師団って何処だっけ、あぁそうだよね、僕の部隊だよねよく考えなくても。

そんなことは聞いていないぞ!!

断りもない勝手な人事と連絡すら寄越さないヴァンに殺意が沸きそうな自分を何とか押さえ、思わず頭痛がしそうな頭に手を当て、深くため息をついてしまう。
しかしサラのにごった瞳は何の感情も映す気配はない。
……僕より虚無的な人間は初めて見たよ、ホント。

「よく解った。じゃあ着いてきな」

「いえ、今から情報部に…」

「僕が第五師団師団長兼参謀総長であるシンクだよ。
わざわざ情報部に行ってとんぼ返りする必要はない」

「失礼いたしました!
お顔を存じ上げないとはいえ、上官に対し無礼な振る舞い、」

「その堅苦しい挨拶もいらない。さっさと来な」

諦めを抱きつつ再度敬礼をして謝罪の言葉を重ねようとするのをぶった切ってから、執務室へと向かうために踵を返す。
というか、無礼を働かれた覚えはない。
サラは徹頭徹尾、軍人としての礼を欠かしてなど居ないのだから。

サラは無言で僕の後に続いてくる。
カツンカツンと無機質な廊下をロウヒールが叩く音がするが、気配は何処までも気薄だ。
恐らく傭兵時代の経験がそうさせているのだろう。
事実、後ろを歩いているサラは一片の隙もない。

「此処だよ。補佐をするって言うなら此処と会議室だけはとりあえず覚えておいて」

「かしこまりました」

「とりあえず、何ができる?」

「一通りの教育は受けております」

「解った、じゃあこっちの書類を分類して振り分けて。できたら寄越して」

少し席を外していただけなのに、執務机の上に乗っていた書類の山は格段に増えていた。
内心げんなりとしつつもそれを渡し、まぁコレくらいできるだろうと丸投げする。
処理をしろといわないのは、いくら戦闘経験があれど仕官上がりであるサラにそこまでの事務能力があるとは思えないからだ。
いきなり回された補佐に、そこまでの期待はしていない。

椅子に座りつつ、指差しで教えたローテーブルの上でサラは言われたとおり黙々と言われた仕事を始める。
分類の仕方を教えなかったのはわざとだったが、此方に問いかけることも無く手早く書類を仕分けていく。

時折そちらに視線だけ投げつけながらも万年筆を動かす手を止めることなく、執務室には沈黙が流れた。
微かに開かれた窓から時折風が入ってくるが、書類を巻き上げるほどではない。
万年筆が書類の上を走る音と、書類を仕分けるための紙の擦れる音だけが執務室を支配していた。
そうしてどれ程の時間が経ったのだろうか。

「師団長」

「何?」

呼ばれて顔を上げれば、いつの間にかサラがローテーブルの前から執務机の前へと移動していた。
その手には先程渡した書類の束。

「お忙しい中失礼いたします。
詳しい指示がありませんでしたので、僭越ながら勝手に振り分けさせていただきました。
上から順に提出期間が近いもの、作戦立案書、決済の必要な報告書、受領サインの要る報告書、サイン不要の報告書です」

そう言って分類別に振り分けられているのであろう書類がドサッと机の上に置かれる。
分類別に纏められた束が交差するようにして積み上げられた書類の厚みは大雑把に見積もって大体20cm。
まさかこれほどの短時間で振り分けてくれるとは思わず、思わず確認するようにペラペラと捲って中身を見る。

確かに、言われたとおりに分けられている。
しかも手早く目を通さなければいけない順番に。
何だコレ。

「……ご苦労様。それじゃお茶でも淹れてくれる?」

「喉が渇かれておりましたか。お気づきできず、申し訳ございません。
すぐに淹れて参ります。お好きな銘柄などは御座いますか?」

「いや、ないよ」

「では、すぐに戻ります」

そう言って背筋をピンと伸ばしたまま、サラは出て行った。

……何だ、アレ。
もしかして役に立つんじゃね?

「……いやいやいや」

一瞬役に立つんじゃないかと思った自分に対し、首を振ってその予想を蹴り上げる。
仕分けができても的確な処理ができるかどうか解らない。
的確な処理ができても、この睡眠時間を削るような書類の猛攻撃に耐えられるかどうか解らない。
下手に期待をして後で失望するのはごめんだ。

かつて補佐をしてくれていた補佐官たちとて、そうだった。
まず団員は総じて事務処理能力が高いとは言えない。
経験の浅い者達は決断力が低く処理ができない、かといって経験を積んだ者ほど僕を見下し、融通の利かない者が多かった。

かといって団員ではない文官を補佐にすえたところで、今度は戦場を知らないから頭でっかち故に頓珍漢な作戦を提案したり、書類の猛攻撃に耐え切れず途中でぶっ倒れる…。

脱落していった補佐官達に学んだのだ。
あまり人に期待を抱くべきではないと。

「師団長、どうかされましたか?」

「あ、いや…なんでもないよ」

いつの間にか遠い目をして現実逃避をしていたらしい僕の目の前に、トレーにティーセットを乗せたサラがそこに居た。
ノックの返事が無かったので勝手に入ったということを謝りながらカップに紅茶を注ぐ姿は、あまり慣れていないように見える。
それでも淹れられた紅茶は充分美味しかったし、喉を潤すどころか心を落ち着けるのに一役買ってくれる。

「あぁ、そういえばその師団長っての止めてくれる?紛らわしいから」

「……では、シンク様と」

そう言うと、逡巡の末サラはそう訂正した。
それ以外に呼び様がないのだろう。
とりあえず呼び方は変えてくれたのでよしとして、今度はサラの能力を見るために簡単な書類を引っ張り出してそれを押し付ける。

魔物討伐作戦の報告書だ。
報告書から作戦の詳細を読み取り、被害総額をまとめたり、参加メンバーの再考案や最低限の休養期間の後に任務に出すか決める人員処理と、作戦に不備があれば見直しをする。
本来ならあの髭、もとい主席総長の仕事である。
傭兵をやっていたのならコレくらいできるだろうと思ったのだが…果たしてどうだろうか?

「うん、じゃあ次はこっちを処理してくれる?そっちの机使って良いから。
できたら見せて」

「畏まりました」

頭を下げて書類を受け取ったサラは、言われたとおりソファに座って報告書に黙々と目を通し始める。
背筋を伸ばし足をそろえて座る姿は教本に出てくる姿のように綺麗だ。

はっきり言おう。
期待してはいけないというストッパーは心の中にある。
あるけれども、もしこの類の(一番数が多く、また報告書が一番長い)書類をサラがさばいてくれるというのなら、僕の仕事は格段と楽になる、という打算があった。

少しは期待したって良いじゃないか。
本来自分がすべき仕事を放棄してる奴らが悪い。
僕は悪くない。

軽く現実逃避をしつつ、神託の盾騎士団の武器の鋳造に関する書類に目を通し、躊躇無く再提出の印を押す。
そうして次々と報告書と嘆願書の山を削っていけば、やがてカリカリと万年筆が紙の上を走る音がし始め、視線だけでサラを見れば予想通り報告書を読み終わり新たな書類を作成し始めていた。
万年筆はよどみなく動き、時折報告書の内容を確認しながらも真っ白だった紙はどんどん文字で埋められていく。

「シンク様」

「早いね。もうできたんだ」

「コレで宜しいでしょうか」

こみ上げる期待を必死に抑えながら、渡された紙の束に目を通す。
十数枚に渡る報告書に先に目を通してから、今度はサラが書いたものに目を通す。
被害総額は問題無い、参加団員の人員処理も文句は無い、その上で作戦の不備を見出し、改善策まで解りやすく書いてある。

しかも改善後の被害総額の予想減少額まで書いてあるとか、こんなに減るなら早く言って欲しかったんだけど。
やだ、何この子、超便利。

一気に世界が開けた気がしたのだが、ここでもまだ油断をしてはいけない。
この補佐官が使えるかどうかきちんと見分けなければ、後でしっぺ返しを喰らうのは自分なのだ。

「このパーティメンバーの変更について何だけど、譜術師を増やして前衛を減らしたのは何で?」

「この地域の魔物は総じて炎属性に弱く、また譜術防御力が低いのが特徴です。
その代わり外皮が硬く物理攻撃が通りにくいため、前衛は後衛を守ることに徹底し、譜術師が攻撃に専念した方が作業効率が良いと判断したためです」

「じゃあその上でデルタ響長を外したのは?」

「彼は貴重な第七譜術師ですが、その分作戦に狩り出される確立も高く、前回も前々回も任務後に与えられる休養期間が短い傾向があります。
その分一度休養を与えるべきかと」

「にしては同じ第七譜術師のスピカ奏長はすぐに次の任務に参加することになってるけど」

「報告書を書いた張本人であるスピカ奏長ですが、彼はまともに仕事をしているとは思えません。
故に体力にはまだまだ余裕があると判断しました」

うん、誤魔化されないな。
この報告書を書いたであろうスピカ奏長は、サボり癖のある団員でちょっとばかり有名だ。
しかし本人が報告書を提出する立場にあるので、それに気付ける人間は少ない。

いっそ作家に転職した方が良いのではないかというほどにうまい具合に自分の行動をぼかし、報告書ではさも自分が働いたように書き上げるのである。
勿論それに騙される人間ばかりではないので、有名になりつつあるのだけれど。

「充分だよ。この手の案件は任せても良さそうだね」

「ありがとう御座います」

「ところでさ」

「はい」

事務仕事に関して期待できるのは充分解った。
奏長を容赦なく次の任務に放り込んだところを見ると、判断力も申し分ない。
コレは是非とも欲しい人材である。
しかし最後の問題がある。

「体力に自信は?」

「……三日徹夜しても倒れない程度には」

充分すぎる。
何この子超便利!




シンクさん感動。
よほど疲れていたのでしょう←

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