003
「シンク様」
「じゃあ次はコレ」
「その前に此方の案件なのですが、どう見ても改ざんの後が」
「どれ?あぁ、あの樽ね。いつものことだから修正しといて」
「あとシンク様の給与が横流しされそうになっておりますが」
「後で本人をぶん殴っておくから別に置いといて」
「畏まりました」
何処をどう見ても突っ込みどころ満載の書類と僕の台詞に何も言及することなく、サラは深々と頭を下げて次の書類の束(約30cm)を受け取る。
新たに執務机を部屋に運び込ませたため、現在サラはそちらで書類を捌いている。
黙々と机に向かう僕達の間には余分な会話は存在しなかったけれど、それでも睡眠時間が格段と増えたことに関して僕の心の中は喜びでいっぱいだ。
この人事を通してくれたヴァンに対して初めて感謝の念を抱いてもいいくらいには。
問題らしい問題といえば、サラは期間限定の補佐官であるということだ。
7番目のレプリカである導師イオンの傍には現在(多分モースの回し者であろう)一人しか導師守護役がついていない。
他の守護役たちはどうも近づけないようにされているようだ。
(コレだけでもありえない事例なのだが、何分ダアトの人事は馬鹿者達のお陰で荒れきっているせいで諦めている)
サラは爆弾、もとい新しい導師守護役たちが編入するのに合わせる為に僕の手元に居るだけで、彼女達の簡単な士官教育が終わり次第、サラもそちらに行ってしまうだろう。
惜しい。手放すにはこの有能さは惜しすぎる。
何とか手元に残す術は無いものか。
「お疲れですか?」
「……そうだね、少し身体を動かしたいよ」
万年筆を握る手の動きが止まり、いつの間にか腕を組んでいた僕に対してサラはそう問いかけてきた。
流石に君を手元に残す方法を考えていたなどと言えるはずもなく、誤魔化すように言うとサラは少しだけ小首をかしげ右斜め下を向いた。
相変わらず無表情ではあるものの、それが悩んでいる時の彼女の癖だとこの短い付き合いで知った。
「では、鍛錬場へと行かれますか?私で宜しければお相手をさせて頂きます」
……ふむ。
仕事はサラのお陰でいつもの倍のスピードで進んでいるし、それ位やる余裕はある。
誤魔化すために言ったものの、ずっと座りっぱなしで身体が凝り固まっているのも事実。
何よりサラの実力も気になる。
「……でも君、譜術師って言ってなかった?」
「入学時の測定で譜術師としての素養が高かったため教団内でのクラスは譜術師ですが、傭兵時代は前衛を勤めておりました。
シンク様のお相手が勤まるかどうかは解りませんが、今でも鍛錬は欠かしておりません」
成る程。それならちょっと期待できるかもしれない。
はっきり言って他の団員達では物足りないと感じていたの今日この頃、もし対等に戦えるというのならストレス発散にちょうど良いだろう。
「じゃあ行こうか。君の実力も見てみたいし。
僕はコレを詠師達に渡してから行くから、君は先に行ってスペースを確保しておいて」
「宜しければ私が持っていきますが」
「コレは僕じゃないと印が貰えないんだよ」
「それは失礼いたしました。出すぎた真似をしてしまい、申し訳ございません。
それではお言葉どおり先に向かい、準備をさせて頂きます」
そう言ってサラは書きかけの書類を裏返し、その上に文鎮を置いてから立ち上がる。
僕も渡さなければいけない(本来なら大詠師の仕事である)書類の束を持って、詠師達に認可を貰いに行くために立ち上がった。
執務室にきっちり鍵をかけた後(だってこれ以上紙の山を増やされるのはごめんだ)、途中までは方向が同じなのでサラは僕の後に続いて歩く。
すると、廊下の向こう側からピンクの頭が駆け寄ってくるが解った。
あれは……アリエッタか。
「……サラ!」
アリエッタのほうが先に此方の存在に気付いていたらしく、歪な人形をキツク抱きしめたまま僕たちの方に走り寄って来る。
何事かと思えばアリエッタの用件は暫定補佐官であるサラにあるらしかった。
「アリエッタ…どうしたんです?」
「サラ…やっぱり、怪我…っ」
「アリエッタが気にすることじゃないです。私が好きでしたことなんですよ?」
「でも…っ、でも…っ」
目いっぱいに涙を浮かべるアリエッタの頭をそっと撫でるサラ。
完全に蚊帳の外状態である僕は、仮面の下で静かに目を見張っていた。
アリエッタが此処まで人に懐くのも珍しいし、サラも口元には微笑みが浮かんでいる。
珍しい。
「アリエッタ。私は後悔してないです。だから泣かないで下さい」
「ちゃんと…ちゃんと、治る、ですか?」
「はい、治るです。ですから治った後、良かったらまた森に行きませんか?」
「! 行く、行きたい、です!」
「じゃあもう泣かないで下さい。アリエッタが悲しいと私も悲しいです」
「はい…泣かない、です。
森に行く時は、またお弁当…作ってくれる、ですか?」
「はい。アリエッタの好きなお肉も、たくさん入れるです」
目の前で繰り広げられるたどたどしい会話は、何となく違和感がある。
何だろう、と考えて、すぐにサラの敬語がおかしいのだと気付いた。
まるでアリエッタに合わせるように、堅苦しい言い回しを止めて不自然だが解りやすい敬語を使っている。
サラの幼い声音によく似合っていて、そのおかげですぐに気づけなかったのだけれど。
そこでようやくシンクに気付いたらしいアリエッタは、シンクに向き直ると少しだけ首を傾げた。
ていうか気付くの遅くない?
どんだけサラしか見えてないんだよ。
「何で…シンクと、サラ…一緒?」
「サラが僕の補佐官だから」
「でもサラ…導師守護役の服、着てます」
「他の同期メンバーが入るまで、少しの間シンク様の下に着いてるんです」
「サラ…過労死、しないでください、ね? 気をつけて」
「そう思うならあんたもちゃんと報告書の提出期限守ってくれる!?」
サラに対するアリエッタのフォロー?に、思わず突っ込んでしまう。
しかしサラは気にすることなく大丈夫と笑みを浮かべるだけだ。
「ていうか…君たちがそんなに仲が良いなんて、何か以外なんだけど」
僕がそう口にすると、アリエッタは少し考えた後、人形で口元を隠したままぽつりと言葉を零した。
「サラは、アリエッタのこと…人の形をした魔物って、言いました」
どんなだ。
いや、アリエッタの過去を考えれば間違っちゃ居ないけれど、それって凄く失礼じゃないか?
しかしその予想に反し、アリエッタはほんのりと頬をピンクに染めている。
「嬉しかった、です」
嬉しかったのか!
最早何処から突っ込んで良いか解らず、米神に指を当ててため息をつくことしかできない。
が、アリエッタの眉尻は下がり、また瞳に涙を溜め始める。
「でも…アリエッタのせいで…アリエッタと仲良くしたから…サラが、怪我を…っ」
「もう痛くないから大丈夫です」
「…あぁ、そういうこと」
再度泣きそうになるアリエッタを慰めるサラ。
アリエッタと仲良くしたから、サラが怪我をした。
それだけで何が起こったか大体解ってしまうのが嫌になる。
アリエッタは魔物と意思疎通が可能な特殊な存在だ。
人は異分子を排除しようとする、故にアリエッタは一部の人間達に蛇蝎の如く嫌われている。
多分そんな奴等からしたらサラもアリエッタの同類なのだろう。
集団真理に酔った馬鹿な教団員達に攻撃をされる二人の姿を、簡単に想像できた。
「でも君が怪我を負わされるってあんま想像つかないんだけど…レベル的に考えても君より強い団員って少ないよね?」
「はい、私が攻撃を受けた対象はフレスベルクですので。対人戦では入学以降、一度も怪我を負ってはおりません」
「…アリエッタの友達の?」
「フレスベルク…人間に怪我をさせると、処分されちゃう、から…サラは、怒ったフレスベルクから、人間を守ったんです…っ」
そういうことか。
再度納得しつつ、サラの片目を覆う眼帯を見る。
多分怪我って言うのはコレ。
本人は大丈夫といってはいるものの、目は弱点の一つだ。
失明か、良くて視力ががた落ちしているのは間違いない。
口に出さないのはアリエッタのため。
普段の態度と180度違うほどに、アリエッタにベタ甘だ。
今だって再度なきそうになったアリエッタを笑顔で慰めてるし。
しかしいつまで経っても終わりそうに無いし、僕が巻き込まれるいわれも無いのでさっさとこの場を去ることにする。
「まぁ本人が大丈夫って言ってるなら大丈夫なんじゃないの。
それじゃあ僕は先に行くからね」
「畏まりました。
アリエッタ、私ももう行くから。またね?」
「はい、また…です」
暗に遅れても良いと言ったつもりだったのだが、サラは職務を全うするつもりらしい。
アリエッタに別れを告げてから先に行こうとした僕の後をついてくる。
「私事で足を止めさせてしまい、申し訳ありませんでした」
「別に良いよ。君が来てから仕事に余裕もできたしね」
「ありがとうございます」
先程とは打って変わった、無機質な声音。
きっとアリエッタに向けていた微笑みも消えていて、あの無表情に戻っているだろう。
「アリエッタに言わないの?
どんな攻撃を受けたにしろ、目をやられたならどうなるかくらい解ってるんでしょ」
「あれはアリエッタを守るためでした。
そのことに後悔はしておりません」
つまり、アリエッタを傷つけるようなことは言うつもりは無いと。
あ、そう。と短く返事を返してからT字路に出る。
詠師達に会いに行くなら右だし、鍛錬場に行くなら左だ。
「それじゃ、準備しといてよね」
「畏まりました」
背中を向けた僕に対し頭を下げているのを気配だけで感じながら、僕はさっさと詠師の元へ足を運ぶ。
サラがアリエッタを大事にしようが、僕には何の影響も無い。
つまりどうでもいい。
さっさと認可を貰って、久しぶりに暴れよう。
それだけを考え、少しだけ歩く速度を速めるのだった。
アリエッタと仲良しです。
シンクはまだ興味なし。
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