005


僕が床を蹴り疾走するのと同時に、サラも身体を縮め全身をバネのようにして此方へと飛び出してきた。
その距離およそ3メートル。

それを一歩で縮めるという驚異的な身体能力を見せたのと共に彼女は上半身を捻り、此方に肘を叩き込んでくる。
勿論大人しく受ける僕じゃない。

肘を掌で受け止めると、思ったよりも強い衝撃と硬い感触。
肘に鉄板でも仕込む事でダメージを上げているらしい。

一瞬でそれを理解した僕は肘を受け止めたまま膝を叩き込もうとするが、空いている手でうまくいなされてしまう。
しかも僕の膝をいなすのと同時にくるりと空中で回転すると、そのまま踵落としをお見舞いされそうになる。
顔の前で両手を交差してその攻撃を正面から受けとめると、その反動で宙返りをしつつ僕から距離を取ろうとする器用なサラに追い討ちをかけることにした。

僕とサラの戦闘スタイルは似ている、と確信したから。
小柄故に力が弱い、だから手数とスピード、身軽さで相手を翻弄する。
しかし初めての組み手なので、相手に合わせて戦闘スタイルを変える必要は無いと判断してそのまま追撃。

体勢を立て直しきる前に拳と蹴りを連打すれば、多少よろけながらも全て弾かれ、いなされてしまう。
少しずつ下がりながら僕の連打をいなしていたサラは、地面を強く踏みしめたかと思うと僕の拳を横へといなし、そのまま身体を回転させて今度は回転蹴りをお見舞いしてくれる。

少し頭を下げる事でそれを避けると、予想外なことにサラの猛攻はそれだけではなかった。
まるでくるくると回るようにして、時にカポエラのような動きを混ぜながらの連打。
独楽を思わせる見たことの無い動きに若干焦りながらも、その胸にめがけて掌底を放つ。

「甘い、ですっ!」

そこで初めて聞いた、戦闘時のサラの声。
少しだけ上ずっていて、僕と同じように楽しんでいるんだろうなと本能的に悟る。
掌底は拳を軽くいなし身体をそらすことで避けられ、そのまま身体を捻り胸部に膝が叩き込まれそうになる。

彼女の動きには無駄が無い。
攻撃をいなすことでダメージを分散し、その敵の動きを使い遠心力すら利用して攻撃力を高めている。
力の流れを理解し、あらゆる状態から体勢を立て直せる柔軟さがなければできない芸当だ。
つまりサラにとってはその流れるような攻撃を正面から受け止め、動きを止めらるのに弱いんじゃないだろうか。

一瞬でそこまで結論付ければ後は話が早かった。
多少のダメージを覚悟で正面から膝を受け止めると案の定サラの流れは一瞬だけ止まり、そこを逃すことなく腹に向かって膝を叩き込む。

「ぐ……っ!」

膝がモロに入ったせいで、軽いサラは小さな呻き声と共に壁際へと吹っ飛んだ。
が、目を見張っている暇は無い。
なんと空中で体勢を変えると、壁に足をつき、その反動を利用して此方へと飛び込んで来たのだから。
思わず猫かお前は!なんて突っ込みながらも、向けられたサラの掌底を受け止めようとして、その掌が肩をかすった瞬間、それがフェイントだと知る。

「っせい!」

小柄なサラに似合わない男らしい声と共に、思いっきり彼女の膝が自分の腹へと入り込んだ。
腹部に入る鈍い衝撃に、今度は僕が吹っ飛ぶ番だった。
一度地面につき、くるりと回って体勢を立て直す。

「…っ、反則臭いよ、それ」

「身軽なのは自覚していますので、習得しました」

「猫か君は」

「はい、猫の動きを模しております」

会話を入れる事で小休止を計る、流石に腹部がずきずきと痛んだ。
多分、サラも同じだろう。僕と同じように腹に手を添えている。

今までの拳を交差させた時間は、恐らく3分と経っては居ない。
しかもお互いがお互いにそれなりの実力を持っているせいで、今ので格闘技に関してはほぼ互角だとわかってしまった。

「……すげぇ」

「あれ、誰だ?」

「新しく導師守護役になったって言う…」

「師団長と互角かよ…」

周囲の声が煩い。
しかしサラはそれを気にすることなく、此方を見据えていて、まだ続けるつもりなんだなと笑みを浮かべた。
止めようといわれなくて良かった。
ちょっと楽しくなって来たのだ、此処で止められたらたまらない。

「爪、つけなよ」

「宜しいので?」

「僕は譜術も使うからね」

「私も使いますが」

「レベルは一緒だ。後は経験と…技量だろ」

そう言って立ち上がり、胸の前で拳を合わせる。
サラには幼い頃から傭兵として生きてきた矜持があるだろう。
しかし僕にだってあるのだ、たった1年で此処まで上り詰めたのだという、矜持が。

射殺すような視線でサラを見る。
仮面越しではわからないかと思ったが、僕の敵意に気付いたらしく視線をそらすことなく両手を背後に伸ばした。
次の瞬間には、その拳には爪が装備されている。

なるほど、瞬時に装備できるって訳か。普段は上着で隠してるわけだ。
しかし上着の袖が長いので、爪を握っているはずの手が見えない。
袖から直に爪が見えるのは少しばかり異様だ。

「六神将烈風のシンク、本気でいくよ」

「お相手仕ります」

ぴり、とお互いの気配を感じながら構えを取る。

「怪我したく無い奴は離れてなっ!」

「喰らいたくなくば下がりなさい!」

お互い、恐らく鍛錬の手を止めて観戦を決め込み周囲に集っていた団員に声をかけてから飛び出した。
サラは先程よりも更に姿勢を低くしていて、まるで四足の獣のよう。
振り上げられた爪を横に避けながら、地面に手をついて一気に譜陣を展開する。

「喰らいな!」

第三音素を集め、詠唱破棄のアブソリュート。
しかし譜陣が展開した途端、サラは空中へと飛び上がっていて、そこから落下の重力を利用して爪を振り下ろす。
とっさに避ければガィンッという嫌な音が響き、爪が鍛錬場の床を抉っているのが見えた。
…あれ喰らったら死ぬかな。

「堕ちろっ!」

両手で円を描き、僕に続くようにして詠唱破棄をされた譜術。
かき集めた音素とその場に残っていた第三音素を利用、多分それだけじゃないけれど詠唱破棄された上でも遜色ないほどのライトニング。

成る程、うまい。
それを距離を詰める事で避ければ、やはり姿勢を低くしたサラの爪による猛攻。
はっきり言ってコレは慣れない。
自分より身長の低い相手による対人戦の経験は少ないからだ。

足払いをかけられるも、サラの身体に手を突いてから力を込めて飛び上がり、距離を取る。

「大地の咆哮よ、グランドダッシャー!」

「激しき水塊よ、セイントバブル!」

次いで、詠唱短縮した術が炸裂しあう。
お互いに高位譜術の詠唱短縮という全く同じことをする時点で笑えてくるが、笑っている暇など無い。
僕が着地する頃には、サラは既に動いている。

グランドダッシャーによって盛り上がった地面を足場に、セイントバブルの泡に隠れて僕の頭上へ文字通り飛んでいる。
気配だけで解るけれども、まんべんなく広がった泡が全身を弾くためにその場から避けようとして、やめた。
弾ける泡は痛むものの動けないほどではないのだ。
攻撃を喰らったままその場に譜陣を展開、飛び降りてくるサラは僕がセイントバブルを避けることなくその場で譜陣を展開していることに目を見開いていて。

「こいつでどうだ!」

第四音素の塊であるセイントバブルの中で何とかかき集めた第五音素は僅かな上、詠唱破棄したせいで威力は低い。
それでも舞い上がる炎、フレアトーネードの中にサラは飛び込んでくる嵌めになった。

「しま…っ!」

業火と呼ぶには生ぬるいが、それでも焼けど位はするかもしれない。
後悔の声が聞こえた気がしたが、そのまま警戒を緩めることなく舞い上がる炎の中からバックステップで脱出する。
観戦していた団員達のざわめきを無視して炎を見つめていると、その中でガキィン、という刃物同士が弾きあう音がした。

来るか。
そう思って構えれば、炎が消えて煙が上がる中、爪をだらりと下げた状態でずぶぬれになったサラがとことこと歩いてくる。
何で炎の中に居たのに焦げてるんじゃなくて濡れてるのさ?とか、まだ第五音素は残ってるのに何で炎が消えたわけ?とか、疑問はあったがその姿に構えを解く。
サラからは完全に敵意が消えていて、それ以上戦う気が無いのが解ったからだ。

サラは爪を背中に戻すと、胸の前で手を合わせて此方へと頭を下げた。
その姿に、苛っとした。

「私の負けです。手合わせをして頂きありがとう御座いました」

「…………別に。体動かせたからそれでいいよ」

深々と頭を下げるサラに対しそれだけ答えると、観戦していた団員達を見る。
中には拍手をしている阿呆も居る。

コレは半ば八つ当たりだと理解してる。
してるけど、こいつ等は鍛錬をサボって僕たちのやり取りを見ていたのだ、コレくらい許されるだろう。

「いつまで見てんのさ!
全員鍛錬する気が無いなら教団の周りを三週走ってきな!」

ひえええぇええぇぇ!なんて間抜けな悲鳴が上がる。
言われたとおり走りに行くもの、逃げ出すもの、謝ってくるもの。
反応は様々だが、サラはそれを無視して上着を脱いでいた。
服の下が濡れていないということは、あれは防火防水も兼ねていると言う事か。

「シンク様、八つ当たりは褒められた行為ではないかと」

「誰のせいだと思ってるのさ」

「私が本気を出さなかったからでしょう?」

解っているなら口出しするなと睨んでやれば、申し訳ありませんと頭を下げられる。
僕だってわかってるのだ。
このままお互いが本気を出せば、鍛錬場どころか周囲で観戦をしていた団員達までメチャクチャになる。
だから一見決着がついたように見えるあの場で、サラが引いたのだと。

でもそれがムカつくのだ。
どうせなら思い切り負かしたかった。
しかも勝ちを譲られたような気がして、それが余計に苛立たせる。
素直に喜べない。

「シンク様」

「何さ」

「タオルです、汗を拭かれてはいかがでしょう。飲み物もありますよ」

そう言ってタオルを渡される。
首筋に手を当てれば確かにうっすらと汗をかいていたので、素直に受け取って手袋を外して簡単に首筋や腕などの身体を拭いた。
次にコップに入った紅茶を渡されて、アイスだったそれを一気に飲み干す。
思ったよりも喉が渇いていたらしい自分に気付き、おかわりを請求すればすぐに帰って来た。

「全く、鍛錬程度じゃ君の実力は垣間見ることしかできないって訳だ」

「それはシンク様も同じです。
まだまだ何か隠し玉があるように感じられましたし、秘奥義を出してはいませんからお互い様かと」

こんな所で秘奥義が出せるか。
何とか突っ込みを二杯目のアイスティーと共に飲み込み、コップをサラへと突っ返す。
サラはそれをバスケットにしまいこむと、それでは参りましょうか、と上着を横に抱えた。

「は? 何処に行くのさ?」

「元々身体をほぐすために鍛錬場に来られたのでしょう。
早く執務室に帰らなければ書類の山が増えてしまいます」

「……そうだったね、すっかり忘れてたよ」

うん、そういえばそんな名目で鍛錬場に来たんだった。
途中であったこともあってすっかり忘れていた…。
額…ではなく仮面を押さえつつ、ついついため息が漏れてしまう。

仕方が無いので観戦したんだから料金置いてけとでも言わんばかりに、残っていた団員に後片付けを命じてから執務室へと戻ることにした。
やっぱりブーイングが飛んできたが、じゃあ代わりに事務をやれと言ったら皆喜んで片付けに参加したので、団員達の脳筋具合にもう一度ため息が出る。
後ろをとことこと歩いている補佐官はどうも底が知れない。

「君が補佐官をやってる間に遠征に行く時があったら、君が使える譜術の中で一番強い奴見せてくれる?」

「構いませんが、あまり見ていて楽しいものではないかと思います」

「良いんだよ。見たいだけだから」

「畏まりました」

よし、約束は取り付けた。
少しだけ浮上した気分と共に執務室へと戻ったが、扉の前に置かれていた書類のタワーにまた一気にテンションが下がるのだった。




戦闘シーンって難しい。
とりあえず夢主は強いって事で。

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