006


「そういえばさ」

「はい。どうかされましたか?」

時刻は午後三時。いわゆるおやつの時間だが、僕にとっては貴重な休憩時間だ。
僕が甘いものを食べることを第三者が知ると大概驚かれるのだが、そんなことはどうでも良いのでここでは割愛しておこうと思う。

それに僕だって最初から甘味が好きだったわけではない。
事務仕事ばかりしているとどうしても糖分が欲しくなるのだ。
なのでこうして三時のおやつであるドーナツを片手にサラに話しかけている。
ちなみにこだわりは無い。糖分が取れればそれで良い。

「君って詠唱破棄以外に何かしてる?」

2、3日前の鍛錬を思い出しつつ、片付けられたテーブルの上に片肘を突いて聞いてみる。
前々から聞きたいと思っていたのだ。
以前見た詠唱破棄されたライトニングは、僕が使ったアブソリュートの第三音素を再利用していたとはいえ、威力の遜色は見られなかった。

その上気になったのは、堕ちろと言う絶叫と共にサラが両手を大きく回して円を描いたこと。
あの円の中に一瞬譜陣が見えた気がしたのだ。

最初は気のせいかと思ったが、今になって改めて記憶を探っても気のせいとは思えない。
なので聞いてみたのだが、サラはドーナツを片手に小首を傾げ視線を右下へと降ろしている。
少し考えて何か思い当たることがあったのか、サラにしては珍しく恐る恐るといった風に答えを返してきた。

「…詠唱補助のことでしょうか?」

「詠唱補助?聞いたこと無いんだけど」

「詠唱の代わりに鍵となる行動を行うことで詠唱を補助します。つまり詠唱補助」

いや、それくらいは言葉のニュアンスで解る。
僕が知りたいのはその詳細だ。
なので具体例を挙げてみる。

「前の鍛錬でライトニングの時も使ってたよね。アレもそうだろ?」

「はい。あれは大きく円を描く事で、詠唱破棄による譜術の威力低下を防ぎ、また術技の底上げをします」

「……そんなの聞いたこと無いんだけど。何処で覚えたわけ?」

「私が考案しました」

「君がかよ!」

あっさりと言われ、思わず突っ込んでしまった。
サラが来てから僕の一日の突っ込み回数が増えている気がする。
気のせいか。気のせいだと思いたい。

「それってさ、発表すればかなり有名になれると思うんだけど?」

そう、例えば譜術の天才と言われるジェイド・バルフォア博士みたいに。
嫌な人物を思い出しつつそう言ってみる。

譜術の詠唱破棄による威力低下は術師の腕前にもよるが、なんだかんだ良いつつ顕著に現れる。
事実、僕も譜術を詠唱破棄で発動させれば確実に威力は落ちる。

それでも破棄して使用するのは、単純に僕が拳闘士であり、譜術師のように守られながら呑気に詠唱をできる立場ではないからだ。
つまり威力よりもスピードを取ってるわけだけど。

それを簡単な動作で補えるというのなら、是非とも使ってみたい。
というか、軍事採用されてもおかしくないようなものだと思う。

「詠唱補助を行うには現在均一化されている譜術発動の術式を一から組み立てなおさないといけないんです。
複雑なものになりますし、事実傭兵時代に仲間に教えたこともありますが私以外誰にも使用不可能でした」

サラの説明を頭の中で推敲する。
確かに現在の譜術発動の術式は均一化されている。

フォンスロットを開き音素を集め、次に韻を踏んだ詠唱を行う事で音素を術へと変換する術式を組み立て、最後に術名もしくは言語を発する事で音素を術技へと変換し、発動させる。
詠唱破棄はこの詠唱部分を破棄しているわけだが、詠唱補助を行う場合音素を取り込み詠唱する過程に大改造を加えなければいけないということだろう。

成る程、誰にでも使用できるものでは無いということか。
恐らくそれなりの素養とセンス、そして術式をくみ上げる経験がなければ組み立てなおすことすらできなさそうだ。

「それに公表すると面倒が増えそうですし」

……多分こっちが本音だな。
ドーナツを口に運びつつ、案外めんどくさがりな副官だな思いながら口内に広がる甘さを楽しむ。

「まぁ確かに…面倒ごとを持ち込まれるのはごめんだよ」

「充分に理解しております。平穏が一番かと」

「ついでに書類の山が消えればもっと良いよね」

「では消しますか。物理的に」

「やりたいね…でも後でもっと面倒になるから止めてくれる?」

「断言されるということは、以前に試したことがおありですか?」

「昔一度ね。僕だって切れることくらいあるさ」

「今も充分短気に見えますが」

「喧嘩なら買うよ?」

「残念ながら現在品切れです。またのお買い求めをお待ちしております」

「何それ。僕が買いたがってるみたいじゃないか」

「おや、喧嘩と言う名の手合わせをご所望だと思っておりましたが、違いましたか?」

「よく解ってるね。なら次はちゃんと入荷しといてよ」

「では、次の休みまでに入荷しておきましょう」

もぐもぐとドーナツを食べ、それを流し込むように紅茶を飲みつつ軽口を叩く。
僕ってこんなに口軽かったっけ、なんてことは思わなくもない。
それに休憩中限定ではあるものの、サラも饒舌になり解りにくいながらも冗談を言ったりする様になった。
案外楽しいのでコレはコレで良いかと思う。

少し前の自分では想像できなかった事態だ。
自分が軽口を叩くということもそうだが、何より休憩を取れる、ということに。

しかし休憩時間も無限じゃない。
おやつを食べ終えたらまた仕事が待っている。
最後のドーナツの欠片を口に放り込み、飲み込んでから紅茶を飲み干す。

サラを見ればあちらは既に食べ終わっている。
本人曰く、傭兵時代の癖でついつい早食いしてしまうらしい。
どちらにしろ仕事を再開させても良さそうな状況だ。

「さて、そろそろ休憩終了するよ」

「それでは私は食器を片付け、新しい紅茶を淹れてから再開させて頂きます」

「さっさと行って来てよね」

「かしこまりました」

僕の言葉に頭を下げてから、手早く食器を片付け部屋から出て行くサラ。
小間使いのようなことをさせている自覚はあるが、何分手際が良いのでついつい頼ってしまう。
あーもう、ホント守護役部隊から引っ張って来れないかな…。

7番目を守るよりこっちのが重要だろう、と思うのは目の前に置かれている書類に対する苛立ちからか。
机に縛り付けられることに対しては参謀総長になってから慣れたとはいえ、やはり自分は動き回っていることの方が性に合ってる気がする。

ため息をつきつつ、上から順番に書類の山を切り崩していく。
こうなれば山頂から降りる登山家の気分である。
さっさとこの山をクリアしてしまおう。
生憎と経験値は入らないけれど。

「シンク様、宜しいでしょうか」

「構わないよ」

入室を求める声に顔を上げてこたえると、新しい紅茶を淹れたのであろうティーセットを乗せたトレーを片手にサラが入室してきた。
それをローテーブルの上に置いた後、机に向かうのではなくシンクの前へとやってくる。
何のようだと聞く前に、サラは口を開いて用件を伝えた。

「此方に来る最中、謡将閣下から伝言を預かりました。至急執務室へ来るように、とのことです」

成る程。伝言を預かってきたわけか。
解ったと答えるのと共にサラは此処で仕事を続行することを命じる。

全く、仕事を押し付けときながら至急来いだなんて、何考えてんだあの髭。
苛立ち混じりに教団に居るのならば本来の仕事もしてもらおうと、主席総長に提出する書類(約5cm)をまとめる。

書類仕事を任せている以上、あまり面倒なことは押し付けられないだろうと辺りをつけ、すぐに戻るからと言うと、サラが無言で書類の束(厚さは約12cmほど)を僕に差し出してきた。

仮面の奥で少しだけ眉を潜めて纏められた書類をパラパラと捲れば、全て信託の盾騎士団で処理する、つまり主席総長の仕事のものばかり。
僕の考えていることを察していたらしく、サラも与えられた仕事の中から神託の盾騎士団のものに関するものを抜粋したらしい。
サラの差し出したものの方が分厚いのは、単純に彼女の仕事がそちらがメインだからというだけだ。

無言で差し出すサラにニヤリと笑みを浮かべてしまったのは、多分サラも僕と似たような心情をしていると解っているから。
つまり、他人に押し付けてねェでとっとと仕事しろ髭。
書類を髭に突き出すことは八つ当たりでも悪ふざけでもなんでもないのだが、悪戯を仕掛ける共犯者のような気分だ。

「地位に見合った仕事はして貰わないとね」

「義務を果たしてこその権利、です」

「優秀な副官で助かるよ」

「勿体無いお言葉、光栄に存じます」

言葉遊びのようなやり取りをした後それを受け取り、僕を見送るサラの視線を感じながら僕は部屋を出た。
そしてヴァンの部屋に行けば、僕が持ってきた書類に少しだけ頬を引きつらせつつ、座れといわれる前にどかっとソファに座る。
罵詈雑言を飛ばさない分、コレくらいの無礼は許してもらおう。

「それで?僕忙しいんだけど」

「副官をつけただろう。どうだ、アレは」

「とっても優秀だよ、仕事をしないどこかの誰かさん達と違ってね」

笑みを浮かべ、たっぷりと嫌味を練りこみそう言ってやれば、隣に立っていたリグレットが口を開いた。

「閣下はお忙しい方なのだ、口を慎めシンク」

「僕はヴァンのことだなんて一言も言ってないけどね」

鼻で笑ってそう返せばリグレットは眉間に皺を寄せる。
世間一般で言えば美人の部類に入るだろうに、ヴァンに懸想するあまり少しばかり残念な頭になってしまったらしい。
ヴァンはそのやり取りのせいで険悪になった雰囲気を笑みで相殺した後、机の上で肘をつき指を組んでから口を開いた。

「それで、その優秀な補佐官のことだがな」

「アレ期間限定なんだよね?できればこれからも欲しいんだけど」

「流石にそれは無理だ。モースのお陰で導師守護役たちが残念なことになってしまったからな」

仮にも大詠師が配属した新しい導師守護役たちのことを主席総長という地位に就いているヴァンが残念などというのはどうかと思うが、そこは僕も同意なので突っ込まないでおく。
つまり残念な評価を送られるであろう新たな導師守護役たちの尻拭いの役目のために、サラは導師守護役に配属されるということか。

本当に勿体無い。
しかし口には出さず、ヴァンに追従する。

「それもだよ。何とかしてくんない?」

「できうる限り手は打とう。今教団に潰れられては困るからな…そのためにも、彼女達のことについて念入りに…」

「解ってる。情報を集めておけば良いんだろ。特務師団の奴ら使っても良い?」

「構わん。好きに使え」

よし、言質は取った。
名前の通り特殊な任務につくことの多い特務師団の奴らを使えるのならば情報収集速度は圧倒的に上がる。
本来ならばアッシュの部下なのだがアッシュはお飾りに近いし、団員達はヴァンに心酔しているからヴァンの名前を出せば即座に動いてくれるだろう。

「なら纏めてから報告するよ。それで、今回の用件は?それだけ?」

それならさっさと帰りたいんだけど、と暗に匂わせればヴァンの瞳に強い光が宿った。
それも酷く濁った、憎悪の炎を宿しながらも冷静さを失わない瞳だ。

「……お前は、アレをどう思う?」

アレ、つまりサラ。
再度サラの話に戻され疑問が頭を占めるも口には出さず素直に答える。

「さっきも言ったけど、優秀だよ。お陰で睡眠時間が増えた」

「そうではない。アレを引きずり込めると思うか?」

我らの計画に、賛同する人物かどうか否か。
そっちかよ、と思わず漏れそうになった舌打ちをぐっと飲み込む。

「どうだろうね。預言については話したことないから何とも…ただ、腕は惜しい。下手したら僕より強いんじゃない?」

「それ程の腕を持っていると?」

「見た目で判断しない方が良いよ。詠唱補助なんてチート能力持ってるし、頭の回転も良いし、ね」

リグレットが驚いたように目を見開くのを見てからそう伝えると、詠唱補助?と小さく呟かれたがその疑問に答える義務はないので口を噤む。

「確かに腕を見れば問題ないが、アレの気性がな…問題なのだ」

「気性?」

「ふむ、事務仕事ばかりでは気付かないのは無理もないか。血に反応して暴走するのだよ、アレは」





ちょっと仲良くなりました。
譜術に関しては適当です。
長くなったので中途半端だけど此処で切りで。

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