008


「にしても、布とはね…宝石とか出すのかと思ってた」

最低限寛げる程度に整えられた室内でベッドに腰掛けつつそういえば、暖炉に火を入れていたサラが背中を向けたまま僕の疑問に答えてくれた。

「此処のような小規模な村では自給自足が基本であり、村で作れないものを手に入れるためには町まで足を運び買い付けをしなければなりません。
中には行商人が立ち寄る村もありますが、それもまれです。

しかし小さな村は金銭的な余裕も無く、また村を出るたびに訓練されていない若者が魔物による被害にも合い、貴重な働き手が潰される。
そうなれば買い付けは必要最低限に絞られるため、村は基本的に余裕がありません。

故に私達にとっては当たり前のものでも、彼らにとっては貴重な資源となるのです。
勿論村によってある程度渡すものは変わりますが…パダミヤ大陸の村には基本的に蚕産業はありませんので、布は貴重品でしょう」

「成る程ね、それで布を賄賂代わりにしたわけだ」

「賄賂だなんて、正当な取引道具ですよ?」

少し楽しそうに言いながら、火の調節をするサラ。
きっと他のどの大陸に出向いても、彼女は必要な取引道具が何か間違えることなく引き当てるのだろう。
足を組んでパチパチと火の爆ぜる音を聞きつつ、暖炉の前から立ち上がり上着をカーペットの上に広げるサラを見る。
村長との取引と良い、小屋の掃除の手際と良い、傭兵として渡り歩いていた時も同じようなことをしていたに違いない。

「何してるのさ」

「はい、寝床を作っています」

「は?」

「シンク様はそちらのベッドをお使いください。私は暖炉の前で眠りますので」

「……あぁ、一個しかないから?」

「はい」

ボロ小屋は狭く、テーブルと椅子が一対とベッドがあるだけで殆どスペースが埋まっている。
テーブルを脇に寄せれば暖炉の前にも寝るスペースができるのだろうが、流石にあまり良い気分ではない。

「傭兵時代はこういう場合どうしてたわけ?」

「一緒のベッドで眠っていました。野営自体は慣れていますが、やはりベッドがある場合は身体を休めるためにもそちらで眠った方が良いので」

じゃあ今夜もそうすれば、と言いかけて慌てて口を噤む。
サラと一緒に寝ろと?僕が?

いやいやいやいや。
軽く頭を振って自分が口にしそうになった言葉を反芻し、否定する。
仮面が外れて顔でも見られたらサラを処分しなければならなくなる。
それはごめんだ。

せめて僕の手元を放れてからにして欲しい。
折角確保できた睡眠時間を自らの手で削るのは勘弁願いたい。

「解った。風邪引かないでよね」

「ありがとうございます。慣れておりますので、問題はないかと」

淡々と告げるその口調に不満の色は見られない。
本気でそう思っているのだろう。
なのでそれ以上気にすることなく、明日の討伐について話し、途中運ばれてきた質素な夕食を食べて、そのまま眠りについた。

……念のため、仮面はつけたままにしておくか。
ごそごそとかび臭い毛布にくるまりながら、暖炉の前で丸くなっているサラを横目にそう考える。
サラが僕の顔を見て驚くところなど想像できなかったが、何が起こるか解らない以上警戒しておくことに越したことはない。

「おやすみなさいませ」

「あぁ、おやすみ」

短い言葉を交わし、同じように毛布に包まったサラを見届けてから自分も目を瞑る。
暖炉の火が爆ぜる音だけを聞きながら、そのままゆっくりと夢の中に落ちていった。





…………そして、突如全身を襲った殺気に反射的に目を開いた。
眠っていたといっても仮眠というわけではない。
安全な場所で身体を休めている以上、熟睡というわけにはいかないがそれなりに寝入っていたはずだが、それでも全身に氷を浴びせられたような玲瓏な殺気に、訓練された身体は強制的に意識を浮上させていた。

慌てて飛び起きようとして、喉元に突きつけられている鋭利な刃に気付き無理矢理身体の動きを止める。
いつの間にか暖炉の火は消え、光源らしい光源といえば窓からもれる月明かりのみだ。

…なんだ、これは。

「…………どういうつもり」

自分に馬乗りになった状態で喉元に刃、もとい双爪の先端を突きつけているサラを見て、そう吐き捨てた。
視線だけでサラの顔を見上げ、違和感に眉を潜める。

呼吸は浅く、脂汗が滲み、目が限界まで開かれているが視線が定まっていない。
どう見ても普通の状態ではない。
だというのに、この状況を反転させるような隙は見つからない。

「……サラ?」

少しでも動けば殺される。
そんな状況下でも思考は鈍ることなく、むしろ強制的に夢から現へと戻されてどんどんとクリアになっていく。
肩で呼吸をしながら爪を突き立てている腕をせき止めるようにもう片方の腕でキツク掴み、全身ががくがくと震えていた。

薬物によるせいか、暗示にでもかかっているか。
そう思うが原因がわからない。
食事に何か盛られていたのなら自分も体調に異変を感じるはずだし、サラが簡単に暗示にかけられるとは思えなかった。

「ちょっと、どうしたのさ…」

段々と呼吸音が大きくなり、迷った挙句そのままサラに手を伸ばす。
途端爪をつけたサラの腕が横薙ぎに振るわれ、結果つけていた仮面が微かな痛みと共に勢いよく弾かれた。

音を立てて転がっていった仮面に内心舌打ちをしつつ、塞がれることのなくなった視界で再度サラを見る。
サラは先程とは違う意味で大きく目を見開いていて、先程まで定まっていなかった視線が段々と落ち着いていく。
そして苦々しく顔を歪めると、大きく爪を振り上げた。

正直、爪をつけた腕が振り上げられた時点で殺されると思った。
明らかに異常な状態でもサラは一片の隙も存在せず、自分の生殺権はサラに握られていたからだ。
結果から言えば、その爪は僕の胸を貫くことも無く、喉を切り裂くことも無かったのだけれど。

空気を切る音と共に、振り上げられた爪はそのまま小屋の床へと叩きつけられた。
鈍い音を立てて爪は床に転がり、いつの間にか息を止めていたらしいサラは四つんばいの状態で荒い呼吸を繰り返している。
今ならサラを逆に押さえつけることも、サラの下から抜け出すことも可能なのだが、今下手に刺激してはまずい気がした。

やがて呼吸音がゆっくりと落ち着いていき、サラは僕の胸のあたりで服を掴んで嗚咽を漏らし始める。
正直胸の辺りで泣かれるとくすぐったいのだが、精神状態の危ういサラを今突付く気はない。
藪を突付いて蛇を出すのはごめんだ。

「ぅ……っく、……ぅ、どう…して……っ」

そんなの知らないよ。
微かに聞こえる、嗚咽混じりの声に心の中で答える。
どうしてなんてこっちが聞きたかった。
こんな状況は短い人生の中でも初めてで、どうして良いかちっとも解らない。

それでも。
それでも何とかサラを落ち着かせなければと、ゆっくりと手を伸ばして…迷った後にそっと頭に触れる。
びくりと震えが伝わったために瞬間的に引っ込めたが、それでも抵抗されなかったのでそのまま再度頭に手を乗せ、拙い手つきながらも頭を撫でてみた。

一度ダアトの町並みで、泣き喚いている子供に対し妙齢の女性が頭を撫でていたのを思い出したのだ。
この場合同じ行為をするのが当てはまるのか解らなかったが、それでも何もしないよりはマシだろうと。

何度も何度も、思ったよりも柔らかい髪を撫でる。
すくようにしてみれば、予想外に指通りが良かった。
それを何度も繰り返して、やがて嗚咽が落ち着いた頃を見計らってもう一度声をかける。

「…さっさと落ち着いてくんない?」

それは泣いている少女にかける言葉ではないと解っていたけれど、それ以外にどんな言葉をかけて良いのか解らなかった。
しかしサラも少しは落ち着いたらしく、僕の服をぎゅっと握り締めながら小さな声で応えてくれた。

「…ずみ、まぜん…っ」

鼻を啜りながら呟く謝罪は普段の堅苦しい口調など欠片も見当たらず、感情の押し込められた少女らしい声音だった。
汚いとは思うものの、口に出すことなく頭を撫で続ける。

「少しは落ち着いた?」

「はい……ご迷惑を、おかけしました…」

今度の声はもう少し落ち着いていた。
握っていた服から手を離し、そのまま袖口で涙を拭っている。
自分の胸元は濡れたせいか冷たくて、不快感に微かに眉を顰めるがサラが気付いた様子はない。

「どういうことか説明してくれる?」

普段とはかけ離れた、のろのろとした動作で上半身を起こしたサラにそう問いかける。
その隻眼は空ろで、僕を見ているはずなのに何も映していない。
何処までも虚無感に包まれた片目は、全てを諦めている瞳だ。
いつ死を選んでもおかしくないその瞳を繋ぎとめているのは一体何なのかと疑問が浮かび、すぐに霧散する。

「……大事な、大事な人が居たんです。私の目の前で消えてしまいましたが、誰よりも大切なその人は、退廃的で、自分を生み出した存在を憎んでいました」

会ったら気が合いそうだな…。
ぽつぽつと語られる人物像にそんな感想を漏らしつつ、未だに馬乗りになったままのサラの言葉に耳を傾ける。
夜の静寂の中にあっても、意識を逸らせば言葉は聞こえそうに無かったから。

「愛してました。それが親愛なのか、恋愛なのかは今でも解りません。
それでも、愛していたんです。誰よりも何よりも、私は私の持てる全てを持って、彼を愛していました。
…いえ、今でも、愛しています」

短く区切った言葉は、何処までも重かった。
狂気すら感じさせるほどの愛情を向けられた彼は、サラの目の前で消えたのだという。
殺されたか、はたまた自殺でもしたか、寿命だったのかもしれない。
抽象的な言葉では判断ができず、ただ震える指先で頬を撫でられる。
空ろだった瞳はいつの間にか悲哀に彩られていて、悲しみに歪む表情は確かに僕を見ている。

いや、僕にその"彼"の面影を追っているのだろう。
僕を見ながら、サラは僕を見ていない。
それに苛立ちを感じ、密かに歯噛みした。

しかしサラの目にはそれは隠されなかったらしい。
微かに苦笑した後、サラは言った。

「こう言えば、シンク様には解るでしょう……彼とは、ザレッホ火山の奥で出会ったんですよ」

その言葉に、僕は目を見開くことしかできなかった。





すみません、なんかこう…小説の雰囲気がシリアスな分、ここで一言ふざけるのにちょっと躊躇ってます←

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