19.世界はまだまだ広かった



※イオン視点

現在、ぼく達はカナの働く会社に来ています。
長方形の箱のような建物、そこの二階にあるのがカナの会社だそうです。
そこは家とは違ってどこか無機質な印象を与える空間でしたが、そこで働いているというスーツを着た従業員の方々は快くぼく達を迎え入れてくれました。

「この子達が社長の養子ですか?」

「可愛いですね!こんにちは、名前は?」

「あ、イオン、です」

「イオン君?やだ、名前も可愛い!」

「こらこらこら、困ってるでしょうが。たかるんじゃない、つか仕事に戻れ!」

「えー、社長ってばずるーい」

「そうですよー、こんな若いツバメ三人も抱えてるなんて!」

「若いツバメってなんですか?」

「子供に変な単語覚えさせるんじゃねえええぇええ!!」

カナの怒声が響き、仕事に戻りまーすと楽しそうに笑いながら社員さんたちが散って行きます。
アットホームな会社だねというシオンの台詞にカナは乾いた笑いを漏らすだけにとどめます。
結局若いツバメの意味は教えてもらえませんでした。どういう意味なんでしょう?
社員さんたちが仕事に戻ったのを見届けてから、カナは大きくため息をつきます。

「さてと、此処が私の会社よ。正確に言うと、両親から受け継いだ会社。従業員の皆は先代から勤めてくれてる人が多数、ある程度実績を積んだら独り立ちする人も居るわね」

「独り立ち?」

「そう、デザイナーとしてだったり、まぁ色々ね。ウチの会社が何を作ってるかは話したっけ?」

「服を作ってるんでしょ?」

「そう、メインは婦人だけどたまに子供服も手がけることもある。そこら辺はお得意さんたちとの兼ね合いもあるけど…まぁ女性用の衣服を取り扱っていると思ってくれれば間違いないよ」

カナが歩き出したので、ぼく達もその後に続きます。
隣の部屋には本棚がたくさんあり、その中の一冊を引き抜いたカナはそれを開いてぼく達に見せてくれました。
そこには実際の衣装の写真がずらりと並んでいます。

「こんな感じ」

「ほんとに服作ってるんだね」

「何だと思ってたの?」

「……なんだろ?」

「おい」

シンクの発言にカナが突っ込みます。
小首を傾げるシンクは本当に何を思っていたんでしょうか?不思議です。
シオンはそれを見てくすくすと笑っていて、ぼくも釣られて微笑んでしまいます。

「どう?少しは参考になった?」

「はい。わざわざ見せてくださってありがとうございます」

「どう致しまして。少し仕事していくから、悪いけど適当に時間潰しててくれる?
続きはそれが終わったらね。
此処の青いファイルなら見てくれても良いけど、他に何か読みたかったり触りたい時は必ず声をかけてね。
独断で変な所を触らないように」

カナの言葉に頷いて、ぼく達はカナの仕事が終わるまで思い思いに過ごすことになりました。

そもそもカナの会社にこうして着ているのは、シオンの発言が発端でした。
カナの会社を見てみたい、日本の世間一般で言う会社とはどんな所なのか知りたい、という。
カナは最初渋っていましたが、最終的に社員さんたちが良いと言ったら会社見学に行ってもいいと言ってくれて、社員さんたちが先程のように歓迎してくれたので三人でカナの会社にお邪魔する形になったのです。

車で10分ほど走った先に会社はあり、それが冒頭に繋がるのですが…もっとこう、雑多なイメージがあったので少しだけ驚きました。
会社というのはオールドラントよりもずっと洗練され、そして静かな空間でした。

「オールドラントの会社とは随分形が違うね」

「だね。アスターの家みたいなのを想像してたけど、全然違うし」

「どっちかって言うと事務所に近い気がするよ。ほら、人事部の」

「あぁ、確かに。ファイルが多いせいだろうね」

カナの言った青いファイルを取って見てみれば、シンクとシオンがそんな会話をしています。
ファイルを捲ってみれば次々に現れるカラフルな衣服達。
これらが全てこの会社の人たちが作っていると思うと、とてもすごいことに思えるから不思議です。

「話には聞いていましたが…実際にこうして見てみるとまた違った感じがしますね」

「…そうだね。明確な文化の差、というのを改めて突きつけられた気分だよ」

「平和だからこその文化だよね。恐らく魔物が跋扈し、小競り合いが耐えないオールドラントじゃ此処までの発達は無理だと思うね」

シオンとシンクの意見に、ぼくは頷くことしかできませんでした。
オールドラントと違い過ぎる文化は、時折ぼく達にこういった何とも言いがたい雰囲気をもたらすことがあります。

平和を当たり前とする日本では様々な分野で目覚しい発達を見せています。
それはぼく等が得ることのできなかった、手を伸ばしても届かなかった領域。
二人はそれを見せつけられると痛ましい顔をすることがあるのですが、ぼくの心の中にあるのはもっと別の感情で…。

「叶うのなら、ぼくは少しでも日本のことを知りたいと思います。
どうして日本に来たのかはぼくにも解りません。解りませんが、これはある意味チャンスだと思うんです。
与えられたチャンスを、ぼくは逃したくない、そう思うんです。いえ、そう思えるように、なりました」

「イオン…」

初めて吐露した、ぼくの感情。
シオンとシンクはぼくの言葉に驚いているようでした。

ぼくは二人と違って、あの旅以外は殆どダアトですごしてきました。
だから二人と違って、まだまだ世界を知りません。
あの旅で知ったことなど、二人に比べればきっと極僅かなもの。
でも、だからこそぼくはいろんなことを知りたいと思える。
そしてこの感情は、間違っていないと思えるんです。

「…ま、確かにね、知識は無駄にならないってカナも言ってたし?」

息を吐いたシンクが肩をすくめてそう言いました。
シオンも頬を緩め、そうだねと同意してくれます。
二人の同意にコチラまで嬉しくなってしまって、思わずぼくまで微笑んでしまいます。

「それじゃあ、ボクもイオンみたいに知識に貪欲になろうかな。イオン、さっきから何を見てるの?」

「あ、はい。色んな服があってみているだけでも楽しいので」

「へぇ?どんなの?」

シオンとシンクも歩み寄ってきて、ぼくが持っていたファイルを覗き込んできます。
写真に収められているのは花柄の服で、スカートが綺麗なドレープを描いているワンピースでした。
隣にはその色違いの写真も載っていて、デザイナーの名前やよく解らない文字が細々と記入されています。

「これは…布の名称かな?読み方は…綿、だよね?」

「ぽりえすてる、って何?」

「春をイメージ、って書いてありますね。ちゃんと服一着一着にモチーフがあるんでしょうか」

三人でファイルを覗き込み、お互い疑問を出し合います。
後でカナに聞けば解るでしょうから、今のうちに纏められるだけ疑問を纏めておくべきだというシオンに従い解らない単語を片っ端から拾い上げつつページを捲ります。
特にカタカナで書かれた単語は意味が解らないモノが多く感じました。
ウールやコットンは解るんですが、シンクの言ったポリエステルやレーヨン、アクリルなどはさっぱりです。

そうして全員でファイルを覗き込んでいたのですが、シンクが顔を上げてそれも中断されました。
何事かとぼくやシオンも顔を上げれば、突然部屋のドアが勢いよく開きます。
身体を跳ねさせるぼく、顔を顰めるシオン、そしてぼく達を背中に庇うシンク。
突然現れたのは、ラフな格好をした長い髪を一つに縛り眼鏡をかけたおじさんでした。
おじさんはドアを開けた体制のまま、まじまじとぼく達を見ています。

「…すみませんが、どちら様でしょうか?」

おじさんが一つも声をあげないのに堪えられなかったのか、シオンが笑顔を浮かべて問いかけます。
しかしおじさんは答えてくれること無く、ぷるぷると震え始めました。

「あ、あの…?」

「アンタなんなのさ」

ぼくやシンクが声をかけると、おじさんはハッとしてぼく達に歩み寄ってきます。
その目はらんらんと輝いていて、少し息が荒いように見えるのは気のせいでしょうか。
魔物と相対した時とはまた別の、初めて感じる恐怖心に思わず一歩後ずさってしまいます。

「…君達、名前は?」

シンクの前に立ち、おじさんはぼそりと呟きます。

「…え、と…イオン、といいます」

「シオンです」

「……シンク」

おじさんは眼鏡のツルを上へと押し上げ、再度まじまじとぼく達を見下ろします。
そしてくるりと振り返ったかと思うと…。

「カナコちゃあああぁああん!ちょっと、アンタいつの間にこんな可愛い子達でハーレム作ったの!!
何で教えてくれなかったのよおお!!」

そう、叫びながら部屋から出て行ってしまいました。
やかましい!というカナの声と同時に鈍い音がして、おじさんの叫び声もそこで途切れます。
ぼく達は素早すぎるおじさんの反応についていけず、開きっぱなしのドアをぽかんと見つめることしかできませんでした。

「…平和だと頭に春がきてる人間も増えるのかな」

シオンの呟きがやけに大きく響いた気がしました。
ルーク、世の中には色んな人が居ました…ちょっとだけへこたれそうです。


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