25.それは無力感に襲われた朝のこと



※シオン視点

「は?カナが起きてない?」

それはある目覚めたての朝のこと。
凶悪な目覚まし時計によってたたき起こされたボクは寝癖を直す時間すら与えられることもなく、イオンとシンクにそんな事を言われた。
二人とも困った顔でボクを見ていて、どうしたものかと悩んでいたようだ。

ボクらが起きてすぐ朝ごはんが食べられるのはカナがご飯を作ってくれているお陰だ。
カナが目覚めていないらしいという事実にボクも眉を潜めた。

「それじゃ朝ごはんにありつけないじゃないか」

「……言うに事欠いてそれですか?」

「冗談だよイオン」

ボクのジョークにイオンが綺麗な笑顔を見せて、ドスの効いた声で拳を握った。
なのですぐさま発言を翻し、ベッドから出て廊下を歩く。二人もぞろぞろとボクの後をついてきた。
カナは仕事道具一式やら何やらがあるのと家主特権ということで、3人で二部屋使っているボク達と違い一部屋丸ごと私室としている。
なので部屋に行ってノックをしてみたのだが、返事は一向に聞こえなかった。

「……まだ寝てるのかな?」

「ただの寝坊なら良いんですけど…」

「よくないよ。僕お腹空いた」

「シンクは自分で料理できるじゃないですか」

「まぁそうだけどさ…」

二人の会話を横目にドアノブを捻ってみる。
ガチャリという音と共に特に抵抗無くドアが開かれ、途端に二人がぎょっとした顔でボクを見てきた。
何その顔。

「シオン!」

「女性の部屋ですよ?勝手に入っちゃ駄目ですよ!」

声を潜めた二人に怒られる。
一体この二人は何のためにボクを起こしたんだろう?

「じゃあどうするの?このままカナが起きるまで待つ?」

「それは…」

言いよどむイオン。
カナは心配だけど女性の部屋に勝手に入るのは抵抗がある、ってところかな?
その気持ちは解らないでもないが、いつまでも廊下で3人で額をつき合わせていてもしょうがない。

「ただの寝坊だったらそのままこっそり出てけば良いだろ?」

「そう、なんでしょうか…」

「バレなきゃ良いんだよ、ばれなきゃ」

「それ犯罪者の心理だよね」

「良いから良いから」

突っ込むシンクの言葉を流し、なるべく音を立てないようにゆっくりとドアを開ける。
シンプルな木目調の家具と目に優しい色合いで纏められた部屋は女性の部屋ということを如実にあらわしていた。
散らばっているデザイン画や布地を踏まないよう気をつけつつ、足音を立てないよう部屋に入る。
なんだかんだ言いつつ、シンクとイオンも着いてきているようだ。

部屋の隅に置いてあるベッドの上では布団がこんもりと膨らんでいて、僅かに上下に動いている。
やはり寝坊か、珍しいこともあるものだと思いながら近づいてみれば、玉のような汗を額に浮かべながら頬を真っ赤にして眠っているカナがそこに居た。
どう見ても、発熱している。

「……イオン」

「はい」

「氷を袋に入れて、タオルでくるんで持ってきて。シンクは朝食と一緒に消化に良いもの作ってくれる?」

試しに額に手を当ててみる。
それだけでかなり熱が高いことが解って、思わず舌打したい気分にかられた。
ボクの指示を聞いてカナが発熱していることを察した二人は一瞬だけ目を見開いた後、準備するために慌てて部屋を出ていく。
バタバタと部屋を出て行った二人を見送ってから、さてどうしたものかと考える。

この場合薬を飲ませて安静にしているだけで良いのだろうか。
いや、そもそもどの薬を飲ませて良いか解らない。薬箱の場所だって知らない。

それとも病院に連れて行くべきか?
どうやって?背負って?病院の場所も知らないのに?

日本に来て多少の時間が経ち、少しは日本に慣れてきたつもりだった。
ところがどうだ。
カナが熱を出してしまっただけで、その考えがいかに間違っていたか思い知らされる。
今までいかにカナに頼り、そしてカナに庇護されてきたかを突きつけられた気分だった。

「あの、シオン…」

「持ってきてくれた?」

「はい」

「ありがとう」

タオルに包まれた氷袋を、そっとカナの額に乗せる。
それでもカナは目覚めることなく眠り続けていて、発熱で大分体力を奪われているのだと一目で見て取れた。

「……カナの携帯、そこら辺に無い?」

「え?あ、はい…えっと、あります。机の上」

イオンの言葉を聞いてから、ボクは立ち上がった。
今ボク達三人だけでは、現状打破は無理だ。
そう結論付けたボクはカナに心の中で謝りながら机の上にあった携帯電話を手に取る。
パスワードがかけられていないのは知っている。
カナがいつもやっているように画面に指を滑らせ、見知った名を探す。

「シオン、何を…」

「…薬を飲ませようにも、何をどれだけ飲ませて良いか解らない。
医者を呼ぼうにも、どこに病院があるかもわからない。
ボク達だけでカナの面倒を見るには限界がある」

「それは…そう、ですけど…一体何を」

「だったら救援を呼ぶか、指示を仰ぐしかないだろ?」

足立という文字を見つけ、そのまま電話のマークをタップする。
カナと彼以外に、ボク等はこの世界に知り合いらしい知り合いが居ない。
助力を請えるかはともかくとして、彼に相談するしかなかった。
コール音が鳴り始め、不安げな顔をしているイオンを横目に携帯電話を耳に当てた。

「イオン、一応薬箱が無いか探してみてくれる?」

「あ、はい。解りました」

パタパタと足音を響かせ出て行くイオンを見送っていると、コール音がプツリと切れもしもし、と耳元から声が聞こえる。
この電話という機器には未だに慣れないが、そんな事を言っている場合でもないだろう。

「すみません、アダチさんですか?」

『あれ?カナコちゃんの携帯だよね?』

「はい、訳あってちょっと拝借してます。シオンです。朝早くにすみません」

『いやいや、構わないよ。どうかしたのかい?』

「実はカナが熱を出してしまって…」

『カナコちゃんが?珍しいこともあるもんだね…熱は何度ある?もしかしてインフルエンザ?』

「すみません、インフルエンザって何ですか?」

『え?わかんない?もしかして熱計ってない?』

「薬箱の場所すら解らないんです。医者に診せたくても病院の場所も解りませんし」

『あー…まだそこまで教わってないのか』

「はい。ボク達では看病することもままならないので、お手数をおかけしますがアダチさんに指示を出していただければと」

『成る程ね。解った、仕事切り上げてそっち向かうから、ちょっと待っててくれるかな。
朝ごはんはもう食べた?』

「シンクが作ってくれてます」

『そっか。じゃあ1時間くらいでそっち行くから。今どうしてる?』

「寝てますよ。一応頭に氷袋当てて、ご飯ができたら食べてもらえればと思ってるんですけど」

『じゃあそうしておいてくれるかな。その後俺が病院連れてくから。一応三人とも出かける準備だけしておいて』

「解りました。お願いします」

ぷつん、と電話が切れ、無機質な音が耳に届く。
一つ息を吐いてから携帯電話を元あった場所に戻し、カナへと視線を移す。
カナは先程と変わることなく寝息を立てていて、一向に起きる気配は無い。

音を立てないよう気をつけながら部屋を出て、キッチンへと向かう。
ボクが現れたことで薬箱を探すイオンとおかゆを作っているシンクが作業の手を止めた。
なのでアダチに連絡を取り、彼が着てくれることになったということを説明すれば二人はあからさまにホッとした顔をする。
ボク達はこんなにもカナに頼っていたんだなと思うと、柄にも無く凹みたい気分になった。

「一時間くらいで来てくれるってさ。一応ボク達も出かける準備はしておいてって」

「じゃあ朝ごはんだけでも食べなきゃね…簡単に作るから待ってて」

「うん、宜しく。あとイオン、そこは普段使わない鍋を入れてるだけってカナが言ってたから、薬箱は無いと思うよ」

「そ、そうなんですか…?」

というか、普通そんな高いところに薬箱は入れないと思う。
取り出した鍋を再度しまっていくイオンを見ながら、ボクも別の場所を探してみる。
普通の家というものを知らないボク等三人では、普通ならここらへんにあるだろう、というのが解らない。
それがまた一段とボク達の気分を陰鬱にさせていて、何か話す気にもなれず鍋のくつくつと煮える音だけが響く。

それからいつもより簡素で豪快な味付けの朝食を食べ終えたあと、出かける準備をするまでボク等は無言だった。
アダチが来るまで、ひたすら無力感に襲われ続ける一時間だった。
ボク等は結局、何も変わっちゃ居ないのかもしれない。


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