34.過去が迫り、今に追いつく



それは唐突でした。
吐血したシオンを見たカナはすぐさまシオンを車に乗せ、何かあったら携帯に連絡するよう言ってからぼく達をおいて車に乗って行ってしまいました。
多分病院に連れて行ったんだろうという話をしていましたが、途方も無い恐怖が背中に圧し掛かっている気分でした。

それは戦闘や死の恐怖とは違います。
ヴァンやモースに支配されていた時には味わったことが無い類のもの。

でも、考えてみれば当たり前のことだったんです。
シオンは確かに一度死んでいますし、14歳に成長しています。
けれど、病が治ったわけではない。

体が成長した事で一時的に小康状態になったものの、時間が経った事で再度病が表面化したのではと言うのが、ぼくとシンクで出した結論でした。
だったら、シオンは死んでしまうのでしょうか。
預言に詠まれたとおり、死に到る病に蝕まれて。

そう思うと、もう一度恐怖が身体を包み込んだんです。
それは、平和で幸福な日常が崩壊することに対する恐怖でした。



「…ご飯、食べようか」

「お腹、空いてないです」

「でも何か食べた方がいい。特にイオンは」

「…ぼくですか?」

「虚弱体質。エネルギーは取れるときにとっておかないと、すぐ倒れるよ」

「……はい」

電力が復旧した後、何と無しにつけたテレビは、言っている意味は解らずとも静寂を阻害してくれました。
シンクもぼくも何を話して良いか解らずに気まずい雰囲気が流れていた中、それは小さな救いだったと思います。

そうしてどれくらいソファに座ってぼうっとしていたのか解りません。
ただ気付けば唇を強く噛んでいて、まるでそれを咎めるようにシンクに食事を取るようにいわれ、食欲が湧かないものの何とか立ち上がります。

シンクがパスタを柔らかく茹でてくれて、簡単な味付けをしてくれたものを何とか平らげた頃、耳に届いたのは車の音。
食器を片付けるのも忘れ、二人そろって玄関へと走ります。
案の定玄関を開ければバッグを持ったカナが立っていて、カナはきょとんとした後にただいまと言いました。

「おかえりなさい。あの…シオンは」

「シオンは念のため入院。でもすぐどうこうなる訳ではなさそうって。
明日検査の結果が出るからまた病院行かないといけないんだけど、二人とも一緒に行く?」

「行く」

「行きますっ」

「そう。二人とも、もうご飯は食べた?」

「あ、はい。シンクがパスタを茹でてくれたので」

「カナの分もあるよ」

「ほんと?助かるわ、ありがとう。お腹空いてたんだよね。

二人とももうご飯食べたなら、今日はもうお風呂に浸かって寝なさい。
明日は午前中に病院行くからね。
どうしても眠れなかったら蜂蜜入りのホットミルク入れてあげるから」

「…はい」

「わかった」

少し疲れた笑顔を見せながら、カナは素直に頷いたぼく達の頭を撫でます。
顔色が少し悪いように見えるのは気のせいでしょうか。
しかしよく伺う前にカナはキッチンへと行ってしまい、入浴剤を使うなら香りの強いものは避けなさいよと言うだけ。

何かあったのかもしれないと思いつつ強く聞く事ははばかられ、結局ぼくとシンクはお風呂に浸かった後そのまま寝室へと向かいました。
未だに湿っている髪をドライヤーで乾かしてから、電気を消してベッドにもぐりこんだ後、案の定眠れずにシンクとこっそり話すことにしました。

「…治るんでしょうか」

「難しいだろうね。実質一回それで死んでるわけだし」

「シオンが血を吐いた時のこと覚えてますか?」

「ん?まぁ、覚えてるよ。……笑ってたね」

「はい」

ぼくが頷けば、部屋に沈黙が落ちます。
自然と脳裏に浮かぶのは、吐血した時のシオンの様子。

数度の咳の後、激しく咽込んだかと思うと湿った音と共に吐き出されたどす黒い血液。
シオンは自分の掌を濡らしたその血を見て、次にぬれた唇を舐めて、全てを悟ったのでしょう。
歪に笑っていました。


「ははっ……やっぱり、きたか」


そう、呟いてました。
シオンの中ではある程度予測がついていたということでしょう。

「やけに冷静でしたね」

「まぁシオンは実際に病に冒されてるからね。そういう意味では冷静でいたのも不思議じゃない。
肺や胸の痛みだって、以前経験しているだろうからね」

「…このまま、死んでしまうんでしょうか」

「その可能性のが高いだろうね」

シンクが言った事で、再度沈黙が落ちます。
それは想像したくないのに嫌がおうにも想像してしまう未来。

そんなぼくの脳裏を掠めたのは、捨てたはずの因習。
こんな時、人は未来を知りたいと思うのだなとぼくは初めて知りました。
口に出すつもりはありませんし、そもそもここには音素がありません。

またシンクも預言に良い感情を持っていない以上、口に出せば不機嫌になるのは目に見えています。
ぼくは預言の存在を頭から振り払い、シオンがよくなりますようにと祈りながら眠ることしかできませんでした。





   □ ■ □ ■





翌日、ぼく達は消毒液の臭いがするクリーム色の壁をした大きな建物に連れて行かれました。
この地域で一番大きな病院で、シオンは昨日ここで検査を受けたそうです。
ぼく達はカナに病室まで案内してもらい、カナはその後お医者様の所に行ってしまいました。
昨日の検査結果を教えてもらうそうで、あとでぼく達にもちゃんと伝えてくれるそうです。

病室にはベッドが六つ並んでいて、その一番奥のベッドにシオンは居ました。
カーテンのかかっているベッドは無く、どうやら同室の人は居ないようです。

「やぁ、来ると思ってたよ」

それは呑気な声でした。
けれどその笑みは、あの家に来たばかりの頃を髣髴させる、諦観を抱き斜に構えた笑みでした。

「豪勢じゃないか、六人部屋を一人で使うなんてさ」

思わず固まってしまったぼくとは真逆に、シンクは気にすることなく鼻で笑いながら手近にあった丸椅子を引き寄せて腰掛けます。

「この髪の色だ、この国じゃ嫌でも目立つからね。
病院からの配慮らしいよ?ま、偶然空いてたからできた芸当だろうけどね」

「へぇ?空気や飛沫感染の病気だからじゃないんだ?」

「シンク!」

「はは、言うね。今のところマスクをつけた看護婦しか見てないけど、ここじゃそれがデフォルトみたいだから肯定材料にはならないかな。
だいたい、空気感染や飛沫感染をする病気ならとっくにお前達もかかってるさ」

「違いない」

シンクがにやりと笑い、シオンも肩をすくめます。
二人そろってひとしきり笑った後、固まっていたぼくを見て二人とも手招きしてくれました。

「来てくれて嬉しいよ。消毒液臭い場所に一晩も閉じ込められて正直参ってたんだ」

今度はいつものシオンでした。
ぼくはホッと息を吐いたあと、ベッドの足元の辺り、白いシーツの上に腰掛けます。
シンクも足を組み、少し意地悪い笑みを浮かべたかと思うとハッと笑いました。

「しかも昨日は検査されまくったんだって?」

「まぁね。訳の解らない機械の前に立たされたり、ろくなことがないよ。
ストレスもたまる」

「だからって八つ当たりしないでくれる?」

「イオンはともかく、シンクは乗ってくれるじゃないか」

「カナもいるだろ」

「あっちのが青い顔してるからね。そんな言い合いなんてできないよ」

「あぁ、やっぱり気のせいじゃなかったか」

「本人は隠してるつもりなんだろうけどね。気を張りすぎてるね、どう見ても」

肩を竦めるシオンと、僅かに瞳を細めるシンク。
やはり昨日カナの顔色が悪そうだと思ったのはぼくの勘違いではなかったようです。
不安な気持ちが顔に出ていたのか、シオンとシンクはぼくの方を見ると会話をとめて困ったように笑いました。

「そんな顔して、不安かい?」

「…はい」

「ボクは大して不安じゃないけどね。昔と違って、今は不思議と穏やかな気分さ」

ふわりと見せた笑みは、自己申告通り穏やかなもの。
ぼくもシンクも黙ってシオンの言葉を聞くしかできません。

ぼくたちは全員、一度死んでいます。
けど前回の死を経たからこそ、思うんです。

「普通の子供みたいに扱ってもらって、シンクやイオンって言う兄弟もできて、家族みんなで暮らす楽しさを知って…」

だから、そんな顔しないで下さい。

「悔いは無いよ。ボクは充分、幸せだった」

そんな穏やかに笑わないで下さい。
お願いですから、死にたくないって、思ってください。


一度死んでるからこそ、生きたいって思ってください。


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