35.それはきっとパンドラの箱
充分幸せだった、なんて。
何で過去形なんかなぁとか思いながらどうしたもんかとため息をつく。
年齢にそぐわない老獪さは時に諦めを招くが、今回はどうも悪い方向に発揮されてしまったらしい。
先程医者にされた説明を頭の中で反芻しながら、私はカーテンの向こうでぐずりだしたイオンの存在を感じて、私は困っていた。
医者の説明が終わったから足を運んだものの、どうも声をかけづらい雰囲気で……というかまず、シオンが死ぬって確定してる空気からしてどうしたものか困っている。
「…誰か居る?」
そんな中、シンクの少し警戒を含んだ声が耳に届いた。
イオンの鼻を啜る音も聞こえ、これは良いチャンスだと私もひょっこり顔を出す。
案の定涙目になっているイオンが居て、私はイオンの頭をするりと撫でてからお話聞いてきたよと三人に声をかけた。
「どうだった?ボクあとどれくらい生きられるって?」
「ちゃんと治療すれば80年は生きられると思うわよ。日本は医療機関発達してるから」
無駄に穏やかな目をしているシオンにそう返せば、珍しく三人が三人揃ってきょとんとした表情を浮かべる。
それを見て私は今度こそ大きなため息をつき、イオンの隣に腰をかけた。
「別に治療できる範囲内だそうよ。むしろ兆候だってあったでしょうに、何でここまで放っておいたんですかって怒られたわ」
「……なお、るの?」
「うん。投薬で治るってさ。ちょっと副作用あるらしいけど」
「でも、預言じゃ不治の病だって…」
「そもそもオールドラントの医療技術と日本の医療技術は違うと思うわよ。
日本は医療が発展してて、そのお陰で長寿大国でもあるんだから」
そう、そもそも地力が違うのだ。
こう言っては悪いが、話を聞く限りオールドラントよりも日本のほうが遥かに文明的は発展している。
それは技術的なものだけでなく、医療に関しても言えること。
つまりオールドラントでは不治の病でも、日本では投薬で治る病となりえるのだ。
私の説明にシオンは唇を戦慄かせた後、その頬に一筋の涙を流す。
本人は何故自分が涙を流したか解らないようであれ?と首を傾げつつ涙を拭っていたが、耐え切れなかったらしいイオンにしがみ付かれてそれすらもできなくなった。
シンクもまた、抱きつきはしないものの笑顔を浮かべてそれを見ている。
「…ボク、死ななくて良いの?」
「そうよ」
「…生きてて、いいの?」
「もちろん」
「……そっかぁ」
今度は、気の抜けたような笑顔だった。
しがみ付いているイオンの服を掴みながら、泣きながら笑っていた。
大丈夫だよって、やっと通じた気がした。
それからひとしきり話した後、念のためもう一泊して明日には退院とのことだったので私とイオンとシンクは一度帰ることになった。
着替えは持ってきてあったし、私の仕事もある。
暇つぶしにでもやっておけと漢字ドリルを置いておき、未だに鼻を啜っているイオンの手を引いて、私達は病室をあとにした。
「あら、カナコちゃんお久しぶり」
そして二人とよかったねなんて話しながらエレベーターを待っていたら、久しぶりに会った看護婦に声をかけられ曖昧な笑顔を作る。
内心舌打ちをしたのは否定しない。
シンクとイオンからのこの人は誰?っていう視線が突き刺さってちょっと痛い。
「お久しぶりです」
「今日はどうしたの?その子達は?」
「親戚の子を引き取ったんですけど、そのうちの一人がちょっと体調を崩しちゃったので」
「あぁ、そうだったの」
「まあ明日退院するんですけどね」
「じゃあ弟君たちとは違うのね、良かったわねぇ」
その無神経な発言に、正直イラっとした。いや、それ以上の黒い感情がこみ上げてきた。
それでももう、感情的に拳を握り締める年でもなければ怒鳴り散らすほど分別が無いわけでもない。
そうなんですよ、それじゃあ失礼しますと強引に会話を切り上げ、丁度よく来たエレベーターに乗り込めばシンクとイオンも慌てて私の後に続いてくる。
二人のどういうことだという視線がやっぱり痛かった。
「……弟、居たの?しかも複数」
「……まぁね」
「……その、今は別々に暮らされてるんですか?」
「……死んだのよ」
「……そう」
「……だから、シンクたちの服もすぐに用意できたのよ。あの子達の服、捨てれなかったからとっておいたのが役立ったの」
「……あ、そうだったんですね」
イオンが納得した言葉を皮切りに、沈黙が落ちる。
そう、イオンが今裾を引っ張っているパーカーだって元々はあの子達のものだ。
エレベーターが降下していく音だけが響き、そうしているうちに1階に辿り着く。
ぽぉん、という軽い音と共に扉が開き、無言のまま駐車場へと向かう。
このまま沈黙が続くかと思ったが、私が運転席へと乗り込みイオンたちが後部座席に腰を落ち着けたあと、シンクがその沈黙を破った。
「…ねぇ」
「なに?」
「何で弟が居たこと黙ってたの?」
「…別に、黙ってたわけじゃないのよ」
「でも、あえて口に出さなかった。違う?」
「まぁ、それは否定しないわ」
エンジンをかけ、車を発進させる。
ミラーでシンクの顔をちらりと見てから、駐車場を出て車道を走る。
「今思えば確かにおかしかったよね。
僕達が一緒に暮らしても手狭に感じないくらいの家に一人で暮らしてて、僕達の服をすぐに用意できて、僕達が使ってるベッドだって最初から置いてあった。
あのベッドも弟達が使ってたってことでしょ?」
「…そうね」
「家具の類もそうだ。椅子だって僕達が使う分も揃ってたし、冷蔵庫もファミリー向けの大きなタイプだった。
食器だってそれなりの数が揃ってたし……なんだ、こうやって思うと結構おかしいとこあったね。便利だから大して気にしてなかったけど」
「……そうだね」
私の言葉にシンクは何か言おうとして、やめる。
何を言おうとしたのかは気になったが、それきり口を噤んでしまったので聞き出すことは叶わなかった。
まったく、あの看護婦は余計なことをしてくれた。
病棟が違うから顔見知りと会うことは無いと思っていたのが甘かった。
まさかあんな屈託無く話しかけられるとは思いもしなかった。
だが知られてしまったものはしょうがないし、私があんな風に親しい人の事実を突きつけられたらどういうことだと聞きたくなる。
「……知りたい?」
だからそう聞けば二人とも弾かれたように顔を上げていて……聞きたいけど、怖くて聞けない。そんなところかなとあたりをつける。
けれど二人とも無言のまま俯いてしまって。
「知りたいなら、シオンが帰って来たら話してあげる」
そう言えば、二人は逡巡の後こくりと頷いた。
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