シオンの場合01



……誰だ、コイツ。

鏡の中、冷めた瞳でコチラを睨みつけている緑色の髪と瞳をした自分とよく似た少年を見る。
そして一拍遅れて、それが自分の顔だと気付く。
違和感が拭えず、思わず舌打ちを漏らせば鏡の中のボクも同じように顔を歪めて舌打ちをした。

「ったく、なんだって言うんだ」

「それはこっちの台詞よ。こんな夜中に何してんの」

思わず漏らした愚痴に予想外の返事が返ってきて、振り返ればこの家の主である女が一人。

「寝れなくて」

「そう。じゃあホットミルクいれてあげるから、おいで」

コイツはボクを子ども扱いする、奇特な女だ。





『シオンの場合』





ボクは確かに、一度死んだ。
病に倒れ、死にたくないとひたすらに願いながら、それでも諦めを抱いてボクは死んだ。
あの最期の瞬間を、肺が焼けるような熱を、喉を競り上がる鉄錆の味を、薄れていく意識を覚えている。
その筈なのに、目が覚めたらボクは見知らぬ家に居た。

知らない家、知らない人間、知らない空、知らない世界。
目が覚めたボクは家主である女にモップでボコボコにされそうになりながらも何とか落ち着いて話をするところまで漕ぎ付け、ここがオールドラントでないということを納得させられた。

だってこの世界には教団がないんだ。
空を覆っていた譜石帯だって無いし、音素だって無い。
つまり預言が無い。

最初に浮かんだのは歓喜だったが、すぐにそれだけでは済まないことに気付いた。
だってボクの導師と言う立場は預言があり、教団があるからこそ磐石である地位だ。
しかし預言が無いというならばボクはただの無力な子供であり、後ろ盾も何も無い非力な存在でしかない。

しかし日々の暮らしすら事欠く現状に青ざめていたボクと、ボクと同じように突如現れたらしいボクのレプリカ二匹を、この奇特な女は一時的に保護してくれた。
一時的という条件付ではあるが数日の生活の保障を得られたことにホッとしたことは否定しない。
右も左も解らない状態なのだから、例えどれだけの期間であろうと保障が得られることはありがたいことには違いないからだ。
だからせめて保護されている間にあらゆる情報を収集しようと思ったのだが、ボクの予想以上にこの世界はオールドラントと違いすぎたことに頭を抱えたのが今日のこと。

そして気付いた、身体の異変。
ボクは死んだ。12歳で死んだ。預言通りに死んだ。

けれどどうだ。
ボクのレプリカ二匹もやはり一度死んで目覚めたらここに来て居たらしいが、二匹とも14歳で解離したのだという。
おかしなことにボクの身長は14歳だったこいつ等とほぼ変わらず、また顔つきや腕の長さ、掌の大きさ、肩幅の広さなどなどボクが知るものよりも明らかに成長している。
それがボクに強烈な違和感を与えているのだが、今のところこの奇特な女はボクが違和感を覚えていることに気付いていないようだった。

「はい、ホットミルク。熱いから気をつけてね」

「ん」

「何かしてもらった時はありがとう、でしょう?」

「……ありがと」

「はい、どういたしまして」

ホント、いちいちうるさい女。
心の中だけで毒づきつつ、それでも信者達を相手にするよりはマシかと思い直す。

リビングでソファに座ってホットミルクに口をつけていると、女―確かカナコとかいう名前だったはず―は床に座り込み、見慣れない箱から次々に服を引っ張り出しては広げては畳んでという作業を始めた。
どうやらボクが鏡を見ている間にもやっていたらしく、カナコの周りにはいくつか畳まれた服のタワーができている。

「……ねぇ、ソレ何?」

「これ?三人に着せる服を選んでるの。やっぱり小さいものもあるし、それに季節に合う服を選ばないといけないしね」

そう言いながら箱の中からいくつかの服を手にとり広げて状態を見てはまた畳んでいる。
手馴れた様子だなぁと思いながら、恐らくボクらに渡されるであろう服を見た。

「そのピンクのはやめてよね」

「どうして?可愛いのに」

「ボク男なんだけど?」

「男がピンクを着ちゃいけないなんて決まりはないよ?」

「だからって着ると思ってるの?」

「イオンなら着てくれるでしょう」

「……」

悲しいかな、アッサリと言ったカナコに対し、ボクは反論する言葉を持たなかった。
ボクの後に導師をしていた七番目のレプリカはどうも押しに弱く、おっとりとしている。
男らしさというものをどこかに捨ててきたらしいアイツならば、特に気にすることなくそのピンク色の服だって袖を通すだろう。
アレがボクの後を継ぎ、導師イオンとはああいう存在なのだと世界に認知されたのだと思うと少しむしゃくしゃした。

「ああ、そうだ。それよりそのイオンってのやめてくれない?ややこしいからさ」

「じゃあどっちかが改名してよ」

「じゃあアイツに適当に名前付けてやってよ」

「は?あっちのイオンが名前変えるのは決定事項なの?」

「当たり前だろ。それは元々ボクの名前なんだからね。死んだからアレに譲ったけど、今は生きてるんだからボクが名乗るのが通りだろ」

ボク等が一度死を迎えてからここに落ちてきたことは話してある。
だからそう言えば何故かカナコは顔を顰めていて、そして大きなため息をついた。
ため息をつかれる理由が解らず、思わずボクまで眉を顰めてしまう。

「あのねぇイオン、あっちのイオンは貴方の所有物じゃないのよ?
ちゃんと話し合って決めるべきじゃないの?」

「大雑把に話しただろ。アレはボクのレプリカで、ボクがオリジナルで、イオンの名前は元々ボクの物なんだよ。
ボクのレプリカなんだからボクに従うのは当然だし、元はボクのなんだからボクが名乗って当然だろ」

ホットミルクを一口飲んでそう言えばカナコはまたため息をつく。
そして服を一部の服を箱の中に戻してから、わざわざボクの隣へとやってきた。
オールドラントに居た頃には殆ど向けられなかった。ボクを真っ直ぐ見てくる視線に少しだけ戸惑う。

「あのね、例えあっちのイオンがレプリカでイオンがオリジナルだろうと、二人はどう見ても別人格を持つ別人なんだよ。
それなのにそれを無視して勝手に決め付けちゃ駄目。
ちゃんとあっちのイオンにだって人格があるんだから、きちんと尊重してあげなきゃ。

むしろ話を聞く限り、イオンはあっちのイオンの意思を無視して色々押し付けてきたんでしょう?
ちゃんとソレを引き受けてくれたことにお礼を言って、同時にイオンから自由な未来って物を奪ってしまったことを謝らなきゃいけないんじゃないの?」

予想外のことを言われ、ボクは思い切り面食らった。
かろうじて成功作だったアレに、何故ボクが礼を言い謝らなければならないのか。
むしろボクが選ばなきゃアイツだって廃棄行きだったんだから、感謝して欲しいくらいだっていうのに。

「でもアイツはボクの代わりで、元々ボクがイオンだったんだよ?」

「でもイオンは全部イオンにあげたんでしょう?
勝手に産み出して、勝手に押し付けて、いきなり返せって言うのってどうなの?
イオンは、あっちのイオンの気持ちを考えて言ってる?」

更に予想外なことを言われて、今度こそボクは思いきり眉を顰めた。
あっちのイオンの、七番目のレプリカの気持ちなんて考えたことがあるはずが無い。
アレはボクの代わりになるための人形でしかない。人形の気持ちなんて、考える筈も無いだろう。
だから正直にそう言えば、カナコもボクと同じように眉を顰める。
夜中にお互いに眉を顰めあって、一体何をしてるんだ、ボク達は。

「イオンにちゃんと感情があるように、あっちのイオンにだってちゃんと感情がある。
確かにちょっと産まれは違うかもしれないけれど、それでも別個の人格を持った存在であることには変わりはないんだから。

少しは相手の気持ちを考えられる人間になりなさいな。
教団でそういうこと言われなかったの?」

「導師にそんな事言う奴が居る筈が無いじゃん」

「そう……つまり教団は教団員としては良くても、大人としては駄目駄目な大人しか居なかったのね」

ふぅ、と一つため息をついてカナコは立ち上がった。
呑み終わったら置いておいて良いから早く寝なさいねとボクに言ってから、取り出した服のタワーを持って行ってしまう。

ボクはカナコの言っている意味が解らず暫く呆然としていたが、考えても仕方が無いのでぬるくなったホットミルクを飲み干してさっさとベッドに入ることにした。
どうせ浅くしか寝れないのだ。多少遅くても問題ないだろうと、そう思いながら。


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