シオンの場合02




 カナコは奇特な女だった。
 同時に、うるさい女だった。

 食事中に肘をつくな。
 相手の気持ちも考えろ。
 自分が言われて嫌なことを言うんじゃない。
 喧嘩するなら外に放り出すぞ。

 小姑っていうのが居たらこんな感じなんだろうと思えるくらい、口うるさい女だった。そして小言を言われてボクが顔を顰める度に、どうしたものかと腕を組んでいる。
 そうして考え込んだ後、カナコは教団はろくな大人が居なかったのね、と呟いた。
 それには心底同意だが、何故そんなことが言いきれるのだろうか。教団についてなんて何も知らないだろうに。
 素直に疑問を口にすれば、三人を見てれば解ると言われた。

「だって三人とも、ちゃんと躾されてないもの」
「ハッ、何それ? 僕等が出来損ないだって言いたいわけ?」

 あっけらかんと言ったカナコにシンクが嘲りの表情を浮かべるが、カナコはそれを気にかけることなくシンクにスプーンの握り方を指摘する。
 シンクは口をへの字にしたまま子供みたいな握り方から脱却するものの、食べる速度が格段に遅くなった。

「私が言いたいのはね、今みたいなことよ」
「今みたいなこと、ですか?」
「そう。大人っていうのは子供を守って、育てて、教育する義務がある。ただご飯をあげて寝床と住処を用意すればいいってだけじゃないの。食事のマナーだったり、道徳や倫理についてだったり、色々教えてあげるのもまた大人の義務なんだよ」

 食事の手を止めて首を傾げるレプリカに対し、カナコはゆっくりと言葉を紡ぐ。
 カナコの言いたいことを察したボクはシンクと同じように口をへの字にして、成る程。確かにそういう意味でならちゃんとした大人というのは教団に居なかったなと思った。
 導師であるボクに対し、子供として接してきた大人など殆ど居ない。教団員がボクに求めたのは、導師であること、この一点のみだったからだ。

「……確かに、そういう意味じゃちゃんとした大人は居なかったね」
「ふん、そんな事言う奴が居たらはっ倒してただろうけどね」
「シンク、肘をつかない」
「…………」
「はっ倒すんじゃなかったのかい?」
「アンタをしてやろうか?」
「イオンも挑発しない、二人とも食事中に喧嘩するんだったら朝ごはん抜きにするわよ」

 流石に朝ごはん抜きは嫌なので口を噤めば、シンクもまた思い切り不機嫌そうな顔でスープを口に運んでいた。
 ボクらが掛け合いをやめたことにホッと胸を撫で下ろしているレプリカを眺めながら、ボクもまたパンをちぎって口に放り込む。
 ほんのりとミルクの風味のする白パンは透明な袋に入っていたお陰で硬くもなく非常に食べやすい。
 一人だけトーストを食べていたカナコはボク等が口をつぐんだことにため息をついてから、コーヒーを一口飲んでから再度口を開いた。

「話を戻すけど、私が言いたいのはそういうこと。貴方達三人を保護して、教育を施すような大人って言うのが居なかったんだなって、それが見れば解るって言いたかったの」
「解るものなんですか?」
「ある程度はね。勿論大きくなってから自分で学ぶ事だって出来るし、外面だけ取り繕う事だってできるでしょう。けどやっぱり小さい頃から教わってきたことって言うのは無意識に出るものだから」

 カナコはそう言って笑った。
 ボク等はカナコの言う外面だけ取り繕うことしか覚えてない子供ということなのだろう。
 でもダアトではそれで特に問題は無かったし、現に導師としての義務は果たせていた。

 そもそも誰かを傷つけようが、ボクの言葉で誰かが傷つこうが、カナコには関係ないのだから別に良いじゃないか。
 それが本音だったが口にすればもっと面倒なことになるのは解っていたから、カフェオレと一緒に喉の奥へとしまい込む。

 益にならない他人の気持ちなんて、どうでもいい。わざわざ気にかけることでもない。
 だというのにカナコは人の心のあり方をいちいち気にする。
 保護してくれるのはありがたいけど、鬱陶しい。そう思ったのが顔に出ていたのだろうか。
 カナコは無言で食事を頬張るボクに対し、また大きなため息を零したのだった。



  * * *



「……」
「……」

 目の前でおどおどするボク。もとい、ボクのレプリカ。鏡を見ているのかと疑いたくなるほどにそっくりなのに、何故こうも違うのか。
 こちらを伺うような視線も、その怯えきった態度も苛々して仕方がない。
 廊下でかち合っただけなのだが、たったそれだけのことでびくびくされるのも気分が悪い。

「邪魔だよ」
「ご、ごめんなさい……」

 だから言外にお前がどけと言えば、しゅんとしたレプリカは狭い廊下の端へと寄った。その脇を通り過ぎて、さっさと目的地である与えられた部屋へと向かう。
 二間続きの部屋を三人で使用しているのだが、シンクはリビングに居たしレプリカはここに居るのだから今は誰も居ない筈だ。
 一人になりたくて部屋へと足を踏み入れたのだが、そこには布団を抱えたカナコが居た。そうだった、この女が居た。

「何してるの」
「布団を干してたの。ふかふかになったよ」

 抱えてた布団を畳の上へとおろしながらカナコは言う。
 そして白い布を取り出すと、その中に布団を入れ込み始めた。

「ふぅん」
「暇なら手伝ってちょうだい」
「は? 何でボクが」
「貴方達が使う布団だから」
「……」

 何で導師であるボクがそんなことしなきゃいけないの。
 そういう意味合いで言ったのに、カナコはそうは取らなかったらしい。

 一人になりたくて部屋に来た筈なのにどうしてこんなことになってるんだ。
 唇を噛んでむすっとしたまま動かないボクを見たカナコは布団を袋に押し込む作業を止め、ボクを見て長く息を吐き、

「もう導師じゃないんだから、自分のことくらい自分でやれるようにならないと」

 はっきりと、そういった。
 途端にボクの心臓がどくりと跳ね、それを堪えるように奥歯を噛み締める。

 もう、導師じゃない。
 今まで頭の片隅では理解していたけれど、直視したくなかった事実を突きつけられ、今度こそ嫌悪に顔が歪んだ。

「簡単に言ってくれるけどね……じゃあ、じゃあボクにどうしろっていうんだ!」
「……どうって?」
「ボクは産まれてすぐ導師になるべく多額の金と引き換えに親から引き離され、ずっとダアトで暮らしてきたんだ! 導師以外の暮らしなんて、生き方なんてボクは知らない、教えられなかった! それなのに預言通りに死んだかと思ったら何でか生き返ってて、アンタはもう導師じゃありませんとか言われて、すぐさまはい解りましたなんて言える筈がないだろ!」
「そう……それもそうね」

 思わず感情的に怒鳴りつけたものの、あっさりと同意されて毒気が抜かれる。
 確かにすぐには受け入れられないだろうねと、頷きながらボクを手招くカナコ。

「じゃあ少しずつ始めましょ。はい、まずは布団にシーツをつけるところから」
「……人の話聞いてた?」
「聞いてたよ? 今すぐ納得して変わっていくのは無理だったとしても、少しずつやってけば良いと思わない?」

 怒りがしゅるしゅるとしぼんでいくのが解った。
 それはこいつには何を言っても無駄だという諦めが三割と、何だこいつ理解できないという感情が六割。残りは……自分でもよく解らない。
 はい、と白い布の塊を渡され、納得いかないながらも畳の上に座ってそれを受け取る。軽い音を立ててジッパーを開き、みようみまねで中に布団を入れ込んでいく。

「あのね、これは私の考えなんだけど、イオンはまだここにきて短いじゃない? イオンがどうすれば良いかなんて解らないし、どれが最善の選択かなんて答えもないけれど、それでも今イオンは自由なんだから、イオンが一番良いと思える答えを探せばいいんじゃないかな?」
「……ボクが探すの?」
「当たり前でしょう、イオンの人生なんだからイオンが探さなきゃ。導師以外でイオンの生き方を探して、それに納得できたらそうなるための努力をしなきゃ」

 相変わらず、女は口うるさい。
 けどそれは預言というものを一切排除した考え方で、ああこれが預言に頼らない人間の思考なんだなと、シーツの中に布団を入れ込みながらぼんやりと思った。
 未来がわからない、それを全て自分で決めなければならないというのがこんなにも不安で頼りないものだとは思わなかった。

「……できるかな」
「大丈夫よ。一人じゃないもの」

 布団を入れ終わったカナコは笑っていたが、ボクの不安が消えることは無かった。

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