シオンの場合03




 そうして、夜。
 布団はふかふかになったけどやっぱり寝付けなくて、水でも飲もうと布団から起き上がる。
 灯りをつけることなく月明かりのみを頼りに室内を歩き、何となくレプリカ達のベッドを覗き込んでみる。
 二段ベッドの下の段に居たレプリカはすぅすぅと穏やかな寝息を立てていて、全く見知らぬ環境下にいながらよくもまぁこれだけ寝れるものだと感心した。
 もう一人のレプリカはどうかとベッドの上の段を覗いてみれば、予想外にぱちりと目が合って。

「……なんか用?」
「別に。起きてたんだ」
「アンタが近付いてきたから起きたんだよ。用が無いならさっさと消えてくれる?」
「はいはい」

 こちらに関しては、流石は以前神託の盾に居たと言うだけはあった。ボクの気配で目が覚めたらしいシンクは舌打ちを一つした後、そのままもぞもぞとベッドにもぐりこむ。
 どうせシンクも仮眠程度しか取れないのだろうが全くしないよりマシだろうし、ある程度身体を休める事でいつでも動けるようにしているのだろう。

 仮眠とはいえ眠れることを羨ましいと思いつつ、部屋を出てキッチンへと向かう。
 すると途中リビングにはまだ灯りが着いていて、カナコがまだ起きているのかと覗き込めばなにやら紙の束にペンを走らせていた。それと、見慣れない譜業のようなものもある。

「眠れないの?」

 ボクが声をかける前に向こうが気付いたらしく、カナコは紙から顔を上げてボクに声をかけてきた。
 そうだよと言いながら隣に行って譜業をまじまじと見てみるものの、サッパリ意味が解らない。
 これは何かと聞けばパーソナルコンピュータ──通称パソコン──と言うマルチデバイスだと説明された。
 これ一つで文章作成、計算、資料検索、通信などなど、ほぼ何でもできるらしい。
 実に素晴らしい文明の利器だとは思うが、使いこなせなければ意味が無いのでボクにとってはなにやら鈍色をしたわけの解らないものでしかない。

「触ってみる?」
「……いい。変に弄って壊すのも嫌だし」
「そう。ホットミルク飲む?」
「ブランデー垂らしてよ」
「そんなもの無いわよ。日本酒ならあるけど……まあ入れてくるからちょっと待ってなさいな」

 よっこいしょと年寄りくさい声をあげながら立ち上がったカナコは、そのままキッチンへと行ってしまった。
 待っている間床へと座り込み、テーブルの上へと広げられた紙の束へと目をやって適当に捲ってみるものの、読めない文字が大量に記入されていたり精巧な絵が何枚も描かれていたりしたがいかんせん意味が解らない。
 つまりボクにとっては何の価値もないただの紙切れであるということだ。

「……それはボクも一緒か」

 同時に自嘲が浮かび、無意識のうちに唇が孤を描いた。自らをあざ笑う声が耳に届くものの何の感慨も浮かばない。
 導師ですらないボクは今、何の力も持たないただの子供でしかない。
 この紙切れですらカナコの役に立っていると言うのに、ボクは何も出来ないただのお荷物でしかないのだ。

「何が一緒なの?」
「……ミルクは?」
「今レンジで温めてるからもうちょっと待ってね」

 また背後から声をかけられてのろのろと振り返れば、穏やかな表情のままのカナコが一人。
 ……彼女に保護されることしか出来ない無力なボクに、一体どんな価値があるというのだろう?

「ボクは無価値だなって」
「無価値ねぇ。無価値って言うより、クソガキって感じだけど」
「人を悪ガキみたいに言わないでくれる?」
「悪ガキはどちらかと言うとシンクかな」
「あぁ、否定はしないよ」

 お互い笑い合い、むっつりとした顔のシンクを思い浮かべる。
 髪型が違うせいか、それとも体格が違いすぎるせいか、ボクの中でも比較的シンクは別人として捉えることが出来た。
 何より受ける印象が違いすぎるのが一番の原因だろう。それでも飽くまでも"比較的"なので、実際に戸惑うことは多い。

「まぁそれはさておき、イオンは無価値って言うよりは未知って言う方が正しいんじゃない?」
「未知?」
「未鑑定って言うか……まだ価値が定まってない、これから価値が決まるっていうか。イオンは導師を辞めて、まだ何もしてないでしょう? 何をするかも決まってないでしょう? だからイオンの価値はこれから決まるんじゃないのかな。それも全部、イオンの努力次第で」

 またペンを手に取り、紙の束を手に取りながら言うカナコ。その視線は昨晩とは違い紙へと固定されているけれど、今度はボクがカナコを真っ直ぐに見つめていた。
 暫く紙の上にペンを走らせていたカナコだったが、ボクの視線に気付いたらしく顔を上げる。ピーピーとわけのわからない音が響いていたが、気にかける余裕は無かった。

 そしてそんなボクを見て、一体カナコは何を思ったのだろう。
 ふ、と息を漏らしながらもゆるく微笑んだ後、カナコはボクの頭を撫でて囁くように言った。

「……ねぇイオン、ここではただの子供で良いのよ?」

 それは、二度目の衝撃だった。
 一度目は、もう導師じゃないと言われた時だ。

 そう、導師じゃないっていうのはボクはただの子供でしかないということで。
 それは保護されるだけの、非力な存在であることが許されるということで……それは導師であろうとし続けたボクにとって、ありえないことだった。
 だって導師であろうとしなくても、預言を詠まなくて、ただ子供だからというだけで、存在することが許される、なんて。

「悲しいの?」

 気付けば頬に温かいものが伝っていた。カナコの指がそれをぬぐう感触。
 自分が泣いているのだと気付くのにだいぶ時間がかかり、ああそういえば涙とはこういうものだったと思い出す。
 以前泣いたのはいつだっただろう。もう遠い昔のことだった気がする。痛みに反射して生理的に出てくる涙以外、もう長いこと流していなかった。

「違うよ」

 少し気恥ずかしくて、ゆるりと首をふりながら答える。カナコは小さく微笑みながらボクの後頭部に手を添えると、そっと引き寄せてくる。
 その胸元に顔をうずめる形になり、先ほどまでとは違う恥ずかしさを覚えたが、泣き顔を見られるよりはマシだとおとなしく受け入れた。
 そして少しだけ怖かったものの、カナコの体に手を回してきゅっと抱きついてみる。

 ああ、このぬくもりは。

「泣いて良いのよ」

 とん、とん、と一定のリズムを保って背中を叩かれ、ゆるゆると頭を撫でられる。

「……ありがとう」

 少し震えた声で答えれば、カナコは黙ってボクの頭を撫で続けてくれた。
 ボクが眠りに落ちるまで、ずっと。



 その日、ボクは初めて穏やかな眠りというものを知った。



  □ ■ □ ■



「は? 名前を変える?」
「どういう風の吹き回しさ?」
「その、イオンの名前は……」

 翌朝、ぐっすりと眠ることができたボクは、清清しい目覚めというものを初めて体験した。
 今思えばここでは導師ではないのだから命を狙われる心配もないのだ。警戒をしていた自分が馬鹿らしい。

 そんなことを考えつつ、カナコが用意してくれた朝食を食べながらふと思いついた言葉を口にすれば全員目を丸くしてこちらを見ている。
 若干一名、イオンだけが困惑の表情を浮かべていたが。
 が、気にすることなくボクは笑みを浮かべてうなずいた。

「イオンの名前は、そっちのボクにあげる。だからカナコ、ううん、カナ。ボクに名前をつけてよ。そうだな……後悔とか、そんな意味の名前が良いな。もう後悔しないように」
「また難しいことをあっさりと言うわね、アンタ。しかもめっちゃ自虐的」
「カナが言ったんだよ? ここではただの子供で良いんだって。だったらボクは、イオンを捨てて新しいボクになりたい。だから、新しい名前をボクにちょうだい。ああ、もう要らないからお前にあげるって言ってるんじゃないよ? ただボクはもう導師じゃない。新しいボクであることを受け入れて、ただの無力な子供であることを受け入れたんだ。導師なのはお前だ。ボクの跡を継ぎ、生きてきたお前だ。もう譲り渡したものだ。だから要らないって言ってるんだよ。解った?」
「は、はい……」

 饒舌なボクに対し、怯えたような表情から一転して目をぱちくりさせながらうなずいている。
 たぶん、理解が追いついていないだろうがまあいい。これから解りあえば良いのだ。

 理解した。カナが言いたいことを理解した。
 ただの子供であるからこそ、何も力を持たない子供だからこそ、必要だったのだ。

 マナーを習うのも、挨拶をするのも、ちゃんとお礼と謝罪を口にするのも。
 円滑に新たな人間関係を構築するための潤滑油、そしてボクが得て築いたものはすべてボクの力となり、未来を掴むための糧となる。

 そしてそれらは、別個の人間を一つの個として認識し、向き合うところから始まる。だからこそカナはボクに言い続けたんだ。
 そんなことまで考えてなかった可能性だってあるけど、すべてはそこに収束している。
 だからボクは認識を改めるところからはじめなければいけない。イオンもシンクも、ボクじゃない。まったく別の人間だってことに。

「そうだな……じゃあ、シオン、って名前はどう?」
「シオン、シオン……いいね、響きも綺麗だし。シンクとイオンを足して二で割った感じなのも、またいい」
「は? 意味解んないんだけど」
「ぼくとシンクを、ですか?」

 シンクが顔をしかめ、イオンがきょとんとする。
 ボクの変わりざまに付いていけてないようだが、まあそのうち慣れるだろうと気にせずに置いておく。

「うん、だってボクはイオンとシンクはボクの弟だと思うことにしたからね」

 ボクの言葉に今度こそ二人はぽかんとした表情を浮かべた。
 ああ、そっくりだ。けど別人だ。それにくすくすと笑いながら、カナを見る。

 彼女が言ってくれた。ただの子供でも良いんだと。導師じゃなくても良いのだと。ただの子供でもボクの存在を許してくれるのだと。
 それはきっと少しだけ、母親が子供に与える無償の愛に似ていて。

「そんな急に様変わりされると気持ち悪いんだけど」
「この世界に居ていいって言われたからね」

 もちろん期限付きの保護だって解ってる。解ってるけど、許されたことにボクは救われた。
 シンクの胡散臭いものを見るような視線に笑顔で返しながら、まずは何を始めようかなんて。そんなことを考えながら、トーストを口に含む。
 それは、初めて食べる味だった。





紫苑の場合





 日本に来たばかりの、シオンのお話。

 紫苑の花言葉は「追憶」「後悔」ほかにも「君を忘れない」とか「遠方にある人を思う」とか。
 導師であることを産まれた時から強いられていたため、導師でない自分に価値を見出せなかったシオン。
 けど許されたことで吹っ切れました。開き直ったとも言う。


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