イオンの場合01




 覚えているのは、段々と身体から生気が抜けていくような感覚。
 預言を詠むことによって身体を構築していた第七音素が段々と抜けていくような、そんな感覚。
 それがぼくに対して死をもたらすであろうと解っていながら、ぼくはそれを受け入れていました。

 貴方の笑顔が好きだったんです。貴方に笑って欲しかったんです。
 だってぼくはそれしか知らなくて、それだけがぼくの支えだったから。
 例えぼくに向けられているのが、独りよがりで身勝手な感情だったとしても。



『イオンの場合』



 ありがとう。
 ぼくの、たいせつな――。


 ああ、最後まで言えなかった。
 そんな後悔を胸に目を覚ました瞬間、まず目に入ったのは振り上げられたモップでした。
 疑問を覚える以前に慌てて頭を抱えてしゃがめば、すこーんと軽快な音を立てて誰かがモップで殴られる音。

 わけの解らないままどこか隠れられそうな場所を探し、怒鳴り声をBGMに何とか部屋? の隅っこへと移動します。
 身体を包む快適な温度と湿度に違和感を感じながらもキョロキョロと周囲を見渡せば、見たことのないつくりをした室内に自分と同じ顔が二つ、見知らぬ女性の顔が一つありました。

「大人しくしろこの、クソガキがっ!」
「っ、誰がクソガキだ、この、っ!?」
「うわっ!?」

 同じ顔を持つ彼らには、見覚えがありました。
 一人はぼくの被験者。華麗なモップ捌きからわたわたと逃げ出しながらも、周囲を見渡して現状把握に努めているようです。
 もう一人はシンク。何度も命を狙われた、ぼくと同じレプリカ。なにやら驚いた表情のまま、モップを振り回す女性と格闘しています。

「いきなり何すんのさこの暴力女っ!」
「黙れ不法侵入者! くらえ天誅っ!!」

 モップの柄が流れるように連続してシンクの身体へと叩きつけられます。シンクはそれらを全て避けきって反撃しようとした瞬間、落とされる踵落し。どうやら棒術だけでなく、彼女は体術も使うようです。
 シンクは踵落しを喰らった頭を抱えて蹲り、被験者はそれを見て呆れた表情を浮かべていました。

「さあ観念なさいクソガキども! どこから侵入したか知らないけど、人ん家に勝手に入ったらどうなるか思い知らせてくれるわ!!」

 びしっとモップを構えて言う姿はかっこ良いのですが、いかんせん構えているのがモップなのであまり決まっていません。
 何となくデッキブラシを装備したジェイドを思い出しながらもまず不法侵入を詫びた後、何故自分がここに居るか解らないことを告げれば彼女は訝しげな顔をしながら復活したシンクをもう一発殴っていました。
 ……大丈夫でしょうか、シンク。

「あなた、名前は?」
「その……導師イオンと申します」
「そっちは?」
「イオンだよ。導師イオン」
「アンタは坊主」
「……シンク」
「イオンが二人にシンクが一人。なに? アンタ達全員なんで自分がここに居るのか解らないとでも言うつもり?」

 警戒を露わに言われた台詞に、ぼくは素直に頷きました。
 見れば被験者も緊張した面持ちで頷いており、シンクもまた女性を睨みつけながらもそうだよと頷いています。
 女性は難しい顔でそう、とだけ返事をすると、室内をぐるりと見渡すようにしてぼくたちの顔を順に見た後、暴れないのならばお茶を出してくれると言いました。
 なので恐る恐る立ち上がれば、何故かびしりとモップで指されます。

「の前に。あんた達、全員靴を脱ぎなさい。畳が傷むでしょう」
「は? 靴を?」
「そうよ。さっさと脱ぎなさい。でないともっかい天誅食らわせるわよ」

 それは嫌です。
 見ればモップを構えている彼女も靴を履いておらず、今まで見たことのない床材にそういうものなのかと納得しながら素直に靴を脱ぎます。
 靴を脱いだぼくを見て被験者もまた靴を脱ぎ、最後まで渋っていたシンクは被験者に現状把握が出来ていない以上まずは情報収集をすべきであり、情報を持っていそうな彼女の言うことに逆らうのは賢くないのではないのかと指摘されて渋々靴を脱ぎました。

 そうして別室へと案内されたぼく等は紅茶を出されて落ち着いた後、自然と情報交換をすることになり、それぞれあの部屋に辿り着くまでどうしていたかを話す流れになりました。
 不思議なことに、ぼく等は全員一度死んでいると答えました。

 被験者は教団の隠し部屋で一人ひっそりと病に倒れ。
 シンクは"栄光の大地"でルーク達の前に立ちはだかり死闘の果てに。
 そしてぼくは、ザレッホ火山で秘預言を詠んで。

 カナコと名乗った女性はぼく等の話を馬鹿にすることも、否定することもなく、ただ黙って聞いてくれました。
 ティア達が聞いていればふざけているのかと怒られてしまいそうな話でも、彼女は真剣に聞いてくれました。
 そして全ての話を聞くと、一つ大きな息を吐いた後今度はカナコが口を開きます。

「私はね、二階にある自分の部屋で仕事をしていたの。そしたら突然胸騒ぎに襲われた。普段なら無視するところだけど、無視できない位に強烈な感覚だった。だからこれを持って、あの部屋に行った。そうしたら貴方達がぼうっと突っ立っていたんだけど……とにかく全員、何故自分があそこにいたのかは解らないのね?」

 カナコの言葉に頷けば、カナコは腕を組んで考え込んでしまいました。
 そして難しい顔をしばらく続けたかと思うと、立ち上がって窓にかかっていたカーテンをさっと開けます。
 何をするのかとそれを視線で追っていたぼく等は、窓越しに見える青空に全員で目を見開きました。

「譜石帯が……ないっ!?」
「やっぱりあなた達の知っている空とは違うのね?」
「……はい」
「どういうこと? 譜石帯はどこに居ようと見える筈だ。それなのになんで、」

 愕然とするシンクを見てカナコはもう一度ため息を着いた後、レースのカーテンを締めてからまた席に着きます。
 どうやらカナコはぼく等の話を聞いておかしいと感じていたらしく、今度はこの世界について簡単に教えてくれました。
 そしてぼく等の話を聞いた後、今までぼく等の居た世界と今ここに居る世界は別物であろうということも。

「悪いけど私は預言なんてものも、教団なんてものも知らない。だから貴方達が神託の盾騎士団の一員とか、導師をやっていたなんて言われても何それ? で終わるし、音素とかいうものを使っているとか言われてもそんなものどこにあるの? としか言いようがないの」

 肩を竦めながら言われた後、何かに気付いたらしい被験者が治癒術の詠唱を始めました。
 しかし音素が収束する感覚はなく、それどころかようやく音素の存在が全く感知出来ないことにぼくも気付きます。
 見ればシンクは既に気付いていたのか無言のままカナコを睨みつけていて。

「つまりボク等は異世界に来てしまったのではないかと、そう言いたいわけ?」
「そうよ。この仮説を否定できて、且つまったく別の説を提唱できるなら遠慮なくどうぞ。いくらでも聞くわよ」

 遠まわしに否定材料など存在しないと言われ、考え込んでみるものの他の答えなど出ません。
 未だ信じられない気持ちに包まれているぼく達に、カナコは数日面倒を見てあげるからそれまでにどうするか答えを出せと言い放ちました。
 ただし、面倒を見るのはこの家に居る間だけ。もし家を出て行こうというのであれば、そこからは赤の他人でしかないとも。

「あなた達の居た世界がどうなのかは知らないけれど、この世界は身分証明書が出来るものがないと即座に捕まるわよ。緑の髪なんて珍しいし、おかしな格好してるし? まあ家を出たら十分くらいで捕まれるんじゃない? まあ捕まりたいなら、さっさと出てきなさいな。いっそ捕まった方が公的機関に正式に保護をされるという意味では良いのかもしれないけどね」
「この町はそんなに大きいの?」
「別に大きい町ではないわよ。けど市街まで程よい近さはあるし、大型のショッピングモールも近場にあるからそこそこの人はいるわね」
「つまり……王都にはそこそこ近いって事?」
「オウト? ああ、王都か。王様なんて居ないわよ。うちは民主主義の法治国家だもの。あ、言っとくけどよくあるRPGにあるように町から町に移動するのに魔物が出てきたりとかそういうのはないからね。ずーっと町が続いてるから。まあ間に田んぼ地帯が挟まることはよくあるけど」

 ホウチ国家とはなんでしょうか?
 カナコの言っている意味が解らないぼくを置いて、被験者とカナコは喋り続けます。シンクもまた黙っていますが、理解はできているようです。
 ぼくも言われたことを頭の中で何度か反芻し、わからない単語はとりあえず横に置いておいて何とか理解にこぎつけました。

 そうして大まかなこの国の説明を聞いたあと、ぼく等はカナコの好意に甘えることにしました。
 そうやって、ぼく等の奇妙な共同生活は始まったんです。


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