イオンの場合02




 被験者やシンクとはギグシャクどころかほとんど言葉を交わさないまま、交わしたとしても嫌味か暴言、そんな一日が過ぎました。
 極力お互いに関わらないようにするというのが暗黙の了解になっているような雰囲気で、カナコはそんなぼく等に複雑そうな表情を浮かべてはいたものの仲良くしろとは言いませんでした。

 下着を買ってくると言ったカナコがクルマというものに乗って出かけていった時は驚きました。
 お風呂に入ると良いと言われ、狭いながらも利便性の高い浴室に驚きました。
 食事はあたたかくて美味しくて、キッチンを見ればぼくが今まで見たことのないような造りをしていました。
 被験者がこんな文化は見たことがないと呟いていたのを、ぼくもシンクも否定できませんでした。

 カナコはぼく等に、二間続きの部屋を与えてくれました。
 二段ベッドが二つと机が二つある部屋で、ベッドは乗ればギシギシ言うものの寝る分には何ら問題はなさそうです。
 そうして何と形容してよいか解らない気分のまま一日を終えようとしていたぼくは、キッチンでココアを入れているカナコに遭遇して、何となくそのまま一緒にココアを飲む流れになりました。

「イオンは二人に引け目でも感じてるの?」
「え?」
「ずっとシンクとあっちのイオンに怯えてるからさ。いや、話したくないなら良いんだけど」
「……」

 何と答えてよいか解らず、無言になるぼくにカナコは特に何も言ってきませんでした。
 ただ黙ってぼくを見つめているだけ。

 引け目、というのは少し違う気がします。ぼくはただ、確固たる意思を持つ被験者とシンクが羨ましいと感じていた。
 自分を押し殺すことを当然だと思っていたぼくと違い、あの二人は自分というものを確立していたから。

 かつてシンクが地殻へと身を投げた時、レプリカだから己を殺すことが当たり前だという思考が間違っていたことに気付きました。
 あれ以来自分というものを出しても良いのだと、許された気持ちになって自分を押し殺すことをやめたものの、それでもあの二人を前にするとぼくがいかにちっぽけで弱い存在か見せ付けられているような気がするんです。

 同時に、被験者が居るのであればこんな脆弱なぼくなんて必要ないのではないのかと、そんな思考へと落ちていってしまう。
 いけませんね。ルークのことを卑屈だなんて言えません。ぼくがこんな卑屈な思考回路をしていては、アニスに叱られてしまいます。

「……別にここに居る間はあの二人に何か遠慮したりしなくて良いんだからね?」
「別に、遠慮しているわけではありません」
「そう。いじめられたりしたら言いなさいね」
「はい。お気遣いありがとうございます」

 他人行儀な会話。
 当たり前です。ぼく等を保護してくれたとはいえ、彼女は所詮出会ったばかりの他人なのですから。
 降りてきた沈黙を誤魔化すようにココアを一口飲めば、口内に広がる甘い味。
 そんなぼくを見て何を思ったのか、カナコは一つ息を吐いた後こんなことを言いました。

「イオンは本当に謙虚ね。あの二人にもイオンの謙虚さが欠片でもあれば良かったんだけど」
「……ぼくの謙虚さ、ですか?」
「そうそう。だってあっちのイオンはありがとうの一言もないし、シンクにいたってはふてぶてしくて口も開かないし。その点イオンはちゃんとお礼を言えるでしょう? 偉い偉い」

 そう言って手が伸びてきたかと思うと、ぼくの頭を撫で回します。
 驚いてなすがままになっているぼくの髪をくちゃくちゃにした後、それを直すように髪をすいてくれる細い指。

「あの、ぼく達そんなに違いますか?」
「ん? 違うよ。あっちのイオンとシンクは似てるように見えるけど、やっぱり違う。あっちのイオンの方がずる賢く立ち回るタイプで、シンクは正々堂々と知恵で勝負するタイプ、みたいな? んでもってイオンはそもそもそういう思考が無いタイプ??」
「よく解らないんですが……お話しましたよね? ぼく等は、レプリカと被験者なんです。だから、根本的にはそこまで変わらないと思います」

 そう、変わらない。そして被験者の方が優れている。
 それはぼくにとって当然のことなのですが、何故かカナコには眉を顰められました。

「潜在能力とかが殆ど変わらないって言うのは解るけど、別人なんだから個性があってもおかしくないんじゃない?」
「でもぼくはレプリカなんです。被験者から生み出された……模造品なんです」
「模造品だろうが複製品だろうがイオンはイオンでしょう? あの二人とは違う人生を歩んできた、イオンでしょう?」

 当たり前のように言う彼女の台詞が理解できず戸惑うぼくに、カナコはココアを一口飲んでから飽くまでも私の考えだけれど、と前置きをしてからゆっくりと語ってくれました。

「あのね、例え同じ遺伝子を持って産まれたとしてもよ? 違う人生を歩めば、それは違う人格を形成して違う存在になっていくものだと私は思ってる。 例え元が同じでも育ってきた環境とか、周囲の人間関係とか、そういうのに影響されて人格って言うのは育っていくものだと思ってるから。例えば私に対する印象もそう。イオンが私に持った印象と、シンクが私に持った印象、そしてあっちのイオンが私に持った印象。私という対象は一緒だけれど、覚えた印象は全く同一ではないと思う。それは今まで育ててきた価値観とか、それぞれの性格とかそういうものが複雑に絡み合って導き出したものだから、違っていて当たり前。私の言ってること、わかる?」

 噛み砕いて説明された内容は理解することはできても、受け入れることは容易ではありません。
 彼女の言いたいことは理解しました。けれど違って当たり前だと言われても、ぼくは同じでなければならなかった。
 模倣することがぼくがすべきことだったんです。あの被験者と、同じようにならなければならなかった。

「解ります。けど、ぼくは……レプリカなんです」

 あの旅の間はそんな事考えなくても良かった。けれど今は同じ顔が目の前に現れる度に、そのことを自覚させられるんです。
 被験者の冷たい視線を受ける度に、所詮お前は模造品なんだって言われてる気がするんです。
 ぼくが気付いたことは間違いなんだって、シンクの視線を受ける度に言われてる気がするんです。

 勿論あの二人がそんな事を実際に口にしているわけではありません。
 所詮ぼくの思い込みで、そんな卑屈な思い込みのループから抜け出すべきだと解っています。
 解っているけれど、そんな思考から抜け出せないんです。

「あー、つまりイオンは、自分はあっちのイオンの模造品だって言いたいわけ?」
「……それが、事実ですから」
「んー。そっか。でもね、身体の産まれはそうかもしれないけれど、別にここではあっちのイオンを真似する必要もないし、引け目を感じる必要もないのよ。ここではただのイオンで居て良いの。だって私からすれば同じ顔をした人間が居る、程度の印象しかないもの。被験者だろうがレプリカだろうが関係ない。むしろあっちのイオンより、イオンの方が好ましいとすら思うよ。ちゃんとありがとうって言える、良い子だって思ったからね」

 被験者より好ましいと、信じられない言葉を言われて弾かれたように顔を上げるぼくにカナコは一つ微笑み立ち上がると、ぼくの頭にぽんと手を置いてからそのまま行ってしまいました。
 カップはそのままにしておいてくれれば良いそうです。

 そうして行ってしまった彼女を見送り、ぼくはもう一度言われた言葉を考えながらココアをこくんと一口。
 カナコは被験者よりもぼくの方が好ましいと言いました。きちんとお礼を言えるぼくの方が好ましいと。

 そして脳裏に浮かんだのは、泣き顔で終わってしまっているぼくの導師守護役。
 彼女は以前、自分にとっての"イオン"はぼくだと言ってくれました。それは既に被験者が死亡していて、ぼくしか知らないからこその言葉だと思っていました。
 所詮被験者を知らないからこそ言える言葉なんだと、心のどこかで思っていたんです。
 けどその感情に見ないふりをして、ぼくに対してありのままの感情をぶつけてくれる彼女を、ぼくは好ましいと思っていました。

 けれどカナコはぼくと被験者の存在を目の前にしていながら、ぼくの方が好ましいと口にします。
 多分あの言葉はお世辞や一時の慰めではないだろうというのも解りますし、それがありのままのぼくを、卑屈なっているぼくを見た上での言葉であろうということも解ります。

 でも、そんなの、おかしいじゃないですか。

「……ぼくは、レプリカなのに」

 思わず呟いてからもう一度口に含んだココアはもうぬるくなっていて。
 その中途半端な温度がまるで自分のようだと、どこまでも自嘲的な思考は止まりそうにありませんでした。


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