イオンの場合03




数日後、与えられたピンクの服に袖を通しながら、ずっと考えているのはカナコの言っていたこと。
突き詰めればそれはぼくと被験者を最初から別人として捉えていたという事だと気付き、それに気付いた時ぼくはどうしようもない驚きを覚えていることに気付きました。

だってアニス達はルークとアッシュをよく間違えていました。
別人だと口では言いながらも、心の奥底では比較しているのも気付いていました。
アッシュならばと、ナタリアがよく口にしていたように。

けれど彼女はぼく等と話しているときに名前を間違えません。
ぼく等を比較することはありますが、優劣はつけません。
ぼくをぼくとして、彼女は扱います。

おかしいと思うのと同時に、彼女はそういう人なんだと思い知りました。
被験者が名前を変えて、イオンをぼくにくれると言い出したんです。
シオンと名乗ることにしたらしい被験者の顔つきは昨日とは違っていて、穏やかな瞳でカナコを見ているのを見て彼女と何かあったのだろうというのがわかりました。

おかしい。おかしいんです。
だってぼくはレプリカの筈なのに。
被験者の名前を譲り受ける、なんて。

上機嫌な被験者に必死に動揺を押し殺しながらも朝食を食べ終えた後、もやもやした気持ちを抱えたまま家の中でぼうっと過ごします。

本当はもっと情報収集をすべきだと解っています。
この保護が一時的なものである以上、いつか放逐されるのですから。
家から出られないという縛りはあるものの、幸い情報収集の手段はいくつか存在することは知っています。

けれど考えるのは被験者とカナコのことばかり。
そして時折ちらつくのは、ピンクの制服を着た人形士である彼女の顔。
えんがわと呼ばれるスペースで膝を抱えて考え込んでいると、洗濯物を取り込んだ後らしいカナコに名前を呼ばれます。
のろのろと振り向けば何故か驚いた顔をされ、洗濯物を両手に抱えたカナコが歩み寄ってきました。

「どうしたの?どこか痛いの?」

「? どこも、痛くありませんが」

「じゃあ、悲しいの?」

「いえ、そんなことは」

「嘘は駄目よ。じゃあどうしてそんな泣きそうな顔してるの」

そう言って頬に触れられたかと思うと目尻を撫でられ、自分の表情が取り繕えていないことにまたもや驚かされました。
昔ならば笑顔を取り繕うのも簡単だったはずなのに。
ぼくはいつの間に、こんなに変わってしまったんでしょうか?

いえ、コレは良いことなのでしょうか?
自分の感情を露わにするということですから、良いことなのかもしれません。
けれどココには被験者が居て、ああ、何が何だか解らなくなってきました。

「ぼく、泣きそうな顔、してますか」

「うん。今すぐにも泣きそうだけど……悲しいなら、何で我慢してるの?」

言われた言葉の意味が、一瞬解りませんでした。

「泣いても、いいんでしょうか」

「ここでは誰も駄目なんて言わないわよ」

「思ったことを、言っても、良いんで、しょうか」

「勿論。ちゃんと聞くから大丈夫」

嗚咽交じりのぼくの言葉に頷かれて、じわりと目頭に涙が溜まる感覚。
目の前に膝をついてぼくを見下ろしているカナコに、恐る恐る手を伸ばせばゆるりと掌を握られ、その温もりを感じた瞬間、もう駄目でした。



ずっと、ずっと、被験者が居るならぼくは要らないんだって思ってたんです。
被験者が死んで、ぼくが導師イオンになってからはそんな気持ちは薄れていたけれど、それでもぼくは被験者の模造品だからこそ必要とされているんだと思ってたんです。
被験者の真似をしなければ、ぼくなんてすぐに捨てられてしまうと思ってたんです。

けどルーク達に出会ってレプリカであるぼくもぼくで居て良いんだと思いました。
それなのにココに来て被験者を目の前にしてまた怖くなったんです。
被験者が居るならぼくは要らないんじゃないかって。今度こそ捨てられるんじゃないかって。
だってぼくは所詮レプリカなんです。模造品なんです。模倣するためだけに、作られた命なんです。



「馬鹿ね、シオンとイオンはどう見たって別人よ。イオンの方が優しくて、可愛いもの。
シオンがいるからイオンは要らない、なんて言わないよ。それならとっくにたたき出してるもの。
イオンはイオンのまま、ココに居て良いの。大丈夫、私がそれを許すから」



泣いて嗚咽交じりに主張するぼくに、カナコは言います。
言いたいことだけを言うぼくの主張は自分で聞いていても支離滅裂なのに、カナコはぼくを抱きしめて、頭を撫でてくれるんです。
だからぼくはそれに甘えて、また自分の中で抱えていた思いを後先考えずにぶちまけました。



シオンという被験者が目の前に居るのに、何でぼくをぼくとして認めるんですか。
被験者が居るのに居て良いなんて言われて、どうして良いか解らないじゃないですか。

だって、だって、アニスだって被験者が目の前に居ないからぼくを認めてくれたんだって思ってたんです。
ルークとアッシュの扱いを見て、そうなんだろうって心のどこかで確信してたんです。

けどそんな事口にしたら嫌われてしまいそうだから言えなくて、ずっとずっと我慢してたんです。
そんな風に自分を誤魔化していたことを、カナコに出会って思い知らされました。
だってカナコは被験者が居ても、ぼくをぼくとして認めてくれたから。
レプリカであるぼくを、被験者より劣っているものとして扱わなかったから。



「許すなんて、口にして、くれる人がいるなんて、思っても、みなかった…っ」

そう口にして、ようやくぼくは自分が抱えていた感情に気付きました。
今まで自分の中で抱えていたぐちゃぐちゃの感情が、言葉になってようやく形になりました。
カナコにぶつけた言葉が、ぼくの抱えていた感情の答えでした。

被験者を目の前にして怖気づいていたぼくを、自分の中に感情を溜め込んでどうしようもなかったぼくを、レプリカであるという劣等感に苛まれていたぼくを、カナコは抱きしめてくれます。
それは今まで感じたことの無い大人の女性のあたたかさで。

「大丈夫。イオンが安心できるまで、言ってあげる。
イオンはイオンのまま、ココに居て良いんだよ。私が許してあげる。
レプリカだからなんて思わなくて良いの」

「こんな、こんな…ひくつな、ぼくでも…?」

「もちろん。それが、イオンなんでしょう?」

洗濯物の山からタオルを取り出し、溢れる涙をやさしく拭われます。
お日様と石鹸の匂いのするタオルは柔らかくて、ぼくが流した涙を次々に吸い取っていきます。

誰かに認められることの嬉しさを、ぼくは改めて感じました。
言葉にして許されることがこんなにも心を軽くすることを、ぼくは知りました。
人の温もりに触れると安心するということを、ぼくは初めて体験しました。

「ここにいても、いいですか」

「居ても良いよ。イオンなら」

腫れているであろうまぶたに一つキスを落とされ、頭を撫でられます。
少しだけ照れ臭くて、また泣きそうになるのをぐっと堪えて笑顔を作ります。
これは我慢したのではなく、泣き顔じゃなくて笑顔を見せたかったからです。

「ありがとう、ございます」

「はい、どういたしまして」

それでも耐え切れずにまた目尻から流れた涙を、カナコが指先で拭ってくれます。

「でもシオンが怖いなら、寝室別にする?」

「……いえ、シオンとも、仲良くできるでしょうか?
名前を改めた彼となら、そう、今なら……仲良くなれるんじゃないかって思うんです。何となく、ですが」

「イオンがそう思うのなら、そうなのかもね。シオンもまた心境に変化があったみたいだし、改めて歩み寄ってみるのも良いかもしれないね」

「……はい。はい!」

泣いて、吐き出して、どこかすっきりしたぼくの言葉にカナコは笑顔で頷いてくれました。
どうやら自分の中に感情を溜め込みすぎちゃいけないようです。

「ふふ。おいで。タオル冷やしてあげる。目真っ赤だよ。ちゃんと冷やさなきゃ」

「あ、その」

「ん?」

ぼくが泣くのも終わったと思ったのでしょう。
ぼくの手を取り、立ち上がろうとしたカナコでしたが、ぼくがカナコの手を握ったまま動かないのを見て腰を中途半端に浮かせた状態でぼくを見下ろします。
少しというか、だいぶ恥ずかしかったのですが、勇気を出してぼくはぎゅっとカナコにしがみつきました。

「もうちょっと、このままで居させてください。駄目、でしょうか?」

「……良いよ」

恐らく今のぼくは瞼だけじゃなくて、顔も真っ赤だと思います。
それでもカナコが良いよと許してくれたから、その温もりに頬擦りをすればまた頭を撫でられる感触。
また服を濡らしてしまうことに少しだけ申し訳なさを思いながらも、カナコの身体の柔らかさを感じつつ胸いっぱいに息を吸い込めばそれは先程嗅いだ香り。

心の底から落ち着かせてくれる。
それは、お日様と石鹸の臭いでした。






癒音の場合





シオンは苛立ちを周囲にぶつけましたが、イオンは自分の中で抱え込んでしまうタイプだと思います。
今回は吐き出してすっきりした模様です。

被験者が居ないからアニスは自分を認めてくれたんだというくだりに関しては、まあそういう考え方もありかなということで。
いや、だってルークとアッシュに自分を重ねてもおかしくないと思うんです。
ルークとアッシュが歩み寄る頃にはイオン居なくなっちゃってるしさ…。

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