01-3
「なぁ、セキニンって何だ?」
「責任、かぁ。また難しいことを覚えてきたね」
「家庭教師が言ってたんだよ。今のオレじゃセキニンをおうことができないだろうって」
「責任の意味は聞いた?」
「きいた。けどそんなこともわからないのかって」
「自分の職務の意味わかってんのかその教師は……うーん…責任って言うのは、自分が原因です、自分が全てを受け止めますってことかな」
「全て?ぜんぶ?」
「そうだよ。起きたこと、あったこと、人の命や、その人の未来。ルークが責任を負うってことは、全部をルークが受け止めることになる。誰かに何かあったり、あったことや起きたことは全部ルークのせいになる」
「何で?オレがやったんじゃねぇんだろ?」
「でも責任を負うって言うのはそういうことなんだよ。その人の全てを背負うってことだから」
「……そんなのせおいたくねぇ」
「そうだね。責任ってのは軽々しく負うものじゃない。けどルークは貴族だから、大きくなったら責任が嫌でもついてくる。だから今のうちからたくさんのことを学んで、覚えなきゃいけないんだ」
「でもベンキョウつまんねぇ」
「あはは。でもルークは良い服を着て、良いものを食べて、働かずに生きてる。何でだと思う?」
「子供だから」
「それは少し違うかな。世の中には子供でも働いてる子はいっぱいいるから」
「……じゃあ、キゾクだから?」
「そう。貴族は領民を守らなきゃいけない。
しかもルークは王族だから、国と民両方を守らなきゃいけないし、責任をとらなきゃいけない。
だから貴族や王族は勉強しなきゃいけないし、子供のうちからたくさん勉強する。
責任を取れるように、たくさんの人の笑顔を守れるようにね」
「オレが守るのか?」
「そう、ルークが守るんだよ。ルークにできるかな?」
「……わかんねぇ」
「今はそれで良いよ。少しずつ、少しずつ解っていけば良い。それが大人になるってことだと私は思うよ」
しとしとと、雨が降り続いている。
眠ってはルークに起こされ、食事をしてまた眠る。
幾度繰り返したかわからず、数えるだけの思考もとうに無い。
体中が痛み、此処に来てから何日経っているのかすら解らなかった。
私の頭がぼんやりとしていく度にルークの顔が泣きそうになっていくのが嫌だった。
どうしようもないんだよと言えばイヤイヤと顔をふられた。
そろそろ死ぬかな。
私がそんな諦観を覚えたのも、無理は無いと思う。
そんな中、前触れも無く彼等は現れた。
「ルーク、その子供から離れなさい」
「っ……ち、父上」
いつものようにルークが訪れてはいたものの、既に私は食事を取ることすらままならなくなっていた。
せめて水をと水筒を取り出すルークに突如掛けられたのは酷く無機質な声。
心配するでもなく、呆れるでもなく、何の感慨も覚えないその声にルークの身体がぴくりと跳ねたのが解った。
クリムゾン・ヘァツォーク・フォン・ファブレ公爵。
そして彼等を取り囲む、白光騎士団たちと傘を差すメイドが数名。
突如現れた乱入者達に、ルークは完全に怯えていた。
「お前の様子がおかしいと報告は受けていたが…まさか鼠を飼っていたとは」
「カナはネズミじゃねぇっ!人間だっ!」
「侵入者という意味だ馬鹿者。そんなことすら解らないのか」
呆れたようにため息をつく公爵に、ルークは悔しげに唇を噛む。
俯いた表情は眉間に皺が寄っていて、被験者みたいになっちゃうぞと言いかけた言葉をぐっと飲み込んだ。
「最も、死に掛けているようだが…ルーク、此方に着なさい」
「イヤだっ!」
「我侭を言うでない。手間を掛けさせるな」
「ッ…カナにひどいことするんだろ!?イヤだ!はなれない!」
そう言ってルークは私に抱き着いてきた。ぎゅうっと力を込めて抱きしめられる。
しかしその身体は小さく震えていて、ルークが勇気を振り絞って私を庇ってくれているのが理解できた。
私はその頭をゆるく撫でてやることしかできない。
体中が痛かった。頭がぼうっとして、眩暈が酷い。
気を抜けば寝てしまいそうだった。
今寝てしまえば、二度と目覚めないだろう。
そんな確信が、何故かあった。
それでも、公爵の言葉にふつふつと怒りが湧き出す。
「貴族の屋敷に侵入した時点で首を跳ねられるのは当たり前のことだ。だだを捏ねるなルーク」
「イヤだ!カナは悪いやつじゃない!」
「……ハァ。良いように手駒にされおって…愚か者め」
重苦しいため息と共に吐き出された言葉に、私の怒りは確実に蓄積されていく。
どこまでもルークを軽んじ、ルークを思わない言葉に怒りが膨らんでいく。
あれ?おかしいな、私死にかけてるはずなのに、何でこんなに怒れるんだろう?
「カナはやさしくしてくれたんだ!
わからないことも、教えてくれた!オレをバカにしたりしない!
父上みたいにオレをどうでもいいって思ったりしてない!!」
「それがお前を引き込む罠で無いと何故断言できるのだ。
簡単に丸め込まれおって…」
ばかばかしいといわんばかりの口調。
そこが私の限界だった。
多分、熱が出ているせいで怒りの臨界点が低くなっていたのと、近づいてくる死の足音に自棄になっていたのだろう。
ぶふっ、と。
年頃の娘がするには相応しくない、笑いが漏れてしまった。
怒りというのは耐え切れなくと笑いに代わるらしいと、私はこのとき初めて知った。
「……カナ?」
「ごめ……っ、ぶは、笑えちゃって…っ!」
私が笑い出したことにルークはきょとんとした顔を向けていて、公爵なんかは訝しげな顔を此方に向けている。
周囲にいる白光騎士団やメイド達も戸惑っているようだ。
「な、なんかオレおかしいこと言ったか?」
「違う違う、おかしいのはルークのパパ」
「へ?父上?」
「そうそう」
笑いを堪えながら言えば、ルークは訳が解らないという顔で此方を見ていた。
ただ何人かの騎士団兵は主が侮辱されたのが許せなかったか、怒りを覚えたのだろう。
カチャリと小さく鎧の鳴る音がした。
「頭がおかしいようだな…」
「それは自己紹介ですか?」
眩暈がする中笑みを浮かべながら言ってやれば、貴様ッ!と騎士団の一人が憤る。
しかしながら私も引く気はない。
私だって怒ってるのだ。
そりゃあもう、盛大に。
が、目の前のパパさんは何故私が怒っているのか、心底理解できていないらしい。
だから私は最後の優しさと、ルークのために説明をしてあげることにした。
たぶん、仏心というやつだ。
「貴方は息子の信頼を得る努力をしなかった。貴方は息子を知ろうとしなかった。
いや、それどころか貴方は息子を見ようとすらしなかった。
子供がそれに何も思わないとでも?解らないとでも?
子供は敏いですよ。知識が無いからこそ、自らに向けられる悪意や好意に敏感だ。
例え言葉の意味が解らなくても、自分のことを言っている、馬鹿にされていると解るようにね。
それで?簡単に丸め込まれおって?でしたっけ?
貴方がルークをきちんと見て、向き合って、話していればそんな事無かったでしょう。
えぇ、断言できますとも。
自分が信頼を得る努力を怠り、知ろうとすることをせず、視線すら向けなかったことを棚に上げて、よくもそんなことが言えますね?
はっきりいいましょうか?
貴方がやっているのは立派な、精神的な虐待ですよ、公爵様?
ルークを蔑ろにするのもいい加減にしろよ。
自分の選択から逃げるな、あんたが選んだ道だろう!
親であることより公人である事を選んだのはあんた自身だろうが!
だったら目反らしてんじゃねぇよ、せめて真っ直ぐ向き合ってやることがアンタにできることじゃねぇのかよっ!!」
説明していくうちに最早敬語を使うのすら億劫になって、最後は感情のままに叫んだ。
はっきり言って邪魔されずに最後まで言えたのは、ルークが私にしがみつき、公爵や騎士団たちが呆気に取られていたお陰だと思う。
そして私の言っている意味が解ったのだろう。
微かに目を見開いた公爵は何故それを、とか呟いているけれど、久々に長々と話したせいで私は思い切り咽ていた。
ルークが背中をさすってくれるものの、喉がひりひりと痛い。
くらりと揺れて暗転しそうな視界を、頭を振る事で何とか堪える。
「それすらできないというのなら…貴方に、父親を名乗る資格は無い」
かすれる喉のおかげでもう怒鳴ることすら叶わず、必死に言葉を搾り出す。
話の展開についていけずおろおろとしているルークの頭をそっと撫で、安心させるように微笑めばルークはぽかんと口を開けていた。
騎士団たちも最早敵意を向けてきてはいない。
それどころか困ったように公爵へと視線を向けている。
多分、言っていることの意味は解らずとも理解したのだ。
私が何に怒っているのかを。
しかし視線の先にいる公爵は苦虫を噛み潰したような渋面を浮かべるだけで、何も言おうとしない。
ただ黙って私を見ていた。
けど私はもう言いたいことは言ったし、後は首を跳ねられるのが先か、意識を飛ばすのが先かと言う状態だ。
だからその視線を無視して、もう一度ルークの頭を撫でる。
「ルーク…ゆっくりでいい、少しだけでもいいから、言ってごらん?
父上に言いたいこと、あるんでしょう?」
「カナ…」
「大丈夫、ここにいるから」
「でも、カナ、が…」
「良いから」
私を心配するルークにほら、と促せば、ルークは言葉を詰まらせて公爵を見た。
騎士団たちも黙ってその様子を見守っていて、公爵も口を真一文字に結んだままルークへと視線を移す。
その瞳に怯えるようにルークは視線をさ迷わせたものの、はっと何かに気付いたように目を見開くと、震える唇を噛み締めてぎゅっと目を瞑った。
「ルーク、何か言いたい事があるなら言いなさい」
無言に堪えられなくなったのか、口を噤んだままのルークに対して公爵が先を促した。
待ってやるってこともできないのか貴様はと思ったが、ルークが手を握ってきたので私も握り返してやる。
ゆっくりと目を開いたルークと視線が絡み合い、私は小さく頷くことで応えた。
「……父上、父上がオレのこときらいなのは、わかってます」
私の手を握り締めたまま、ルークが公爵へと顔を向ける。
「カナはオレの話をたくさん聞いてくれた。
それから少しずつ、オレにいろんなことを教えてくれた。
カラダがつらいはずなのに、オレのしんぱいをしてくれた。
好意ってきっと、こういうこと言うんでしょう?」
「……それがどうした」
「オレはもう、父上に何ももとめません。
なんで父上はオレがきらいなのかとか、どうしてオレを見てくれないのかとか、いっぱい考えた。
けど、父上がオレのこときらいなら、もういい。それでいい。
だから…だから、カナのことをゆるしてほしい」
……うん?
なんか話の先行きがおかしくなってきたぞ。
何で私?お家のことじゃないの?
そう思うもののルークは凄く真剣に話していて、二重の意味で突っ込める状態ではなかった。
眩暈が酷くなり、最早痛みも感じなくなりつつある。
「本気か」
「……カナが言ってた。
この家は父上のものだって。
だからセキニンは、父上がおわなくちゃいけないんだって。
セキニンって、ぜんぶ受けとめることだって、ぜんぶせおうことだって。
オレはカナにそう教わった。
だからこんなこと言うのは、おかしいってことだってわかってます。
でも、父上。
カナのことは、オレができるかぎりセキニンをとります。
だから…カナをゆるしてほしい」
拙い敬語で何とか言葉を手繰り寄せて、少しずつ少しずつ言葉を重ねる。
握られた掌は雨のせいなのか、それとも緊張のせいなのかとても冷たい。
重い沈黙がその場を満たした。
自分の荒い息遣いと雨音がやけに耳に届く。
公爵はじっとルークを見据えた後、最後に私を見て重々しく唇を開いた。
「……良かろう。お前がどう責任を取るのか、見せてもらおうか」
暗転していく意識の中、最後に響いたのは予想外のクリムゾンの了承だった。
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