シンクの場合01
どうせ、すぐいなくなるくせに。
どうせ、すぐ離れていくくせに。
どうせ、口だけのくせに。
どうせ、■してなんてくれないくせに。
『シンクの場合』
被験者と七番目が、あの女に懐いた。
一体何をどうしたのかは知らないが、被験者などは毛を逆立てた猫のように警戒していたのに今はその雰囲気が消えている。
老獪さは相変わらずあるものの、笑顔からも険が消えどこか安らいでいるように見えた。
朝食の際に被験者の柔らかい笑顔を見た時は、天変地異の前触れかと思ってしまったほど驚いたものだ。
「……ねぇ」
「ん? なあに?」
「あの二人に何したの」
だから夕食を作るためにキッチンに立っていたカナコにストレートに聞いてみれば、カナコはとんとんとんとリズミカルに音を立てながら包丁で何かを切り続けている。
そしてその手を止めたかと思うと、僕を振り返って静かに手招いた。
手招かれた通り隣に立ってみれば、カナコは一つ微笑んでからまた包丁を動かし始める。
「あの二人は、年齢に見合わないくらい大きなものを抱えてた。それを吐き出すのを手伝っただけよ」
「何それ。抽象的過ぎて訳が解らないんだけど」
「でもプライバシーってものがあるからねぇ」
「同じ部屋にぶちこんでおいてプライバシーもくそもないと思うんだけど?」
「あはは、間違いない」
からころと笑いながら包丁を動かし続けるのはある意味とても器用である。
ねぎを全て切り終わったカナコは沸騰しかけた湯にそれを流し入れ、どちらにせよ私はちょっとお手伝いをしただけだよと言って僕の頭を撫でた。うざい。
ああ、そうだ。コイツのこういうところが嫌いだ。
どうせ手放すくせに。追い出すくせに。
まるで僕等を愛するみたいに触れて、愛でて。
気付けばその手を思い切り振り払っていた。
ぱちんと肌と肌がぶつかる音がしたから結構痛かっただろうに、カナコはきょとんとした間抜け面で僕を見ている。
「さわんないで」
「あー……触られるのは嫌い?」
「嫌いだね。どうせ追い出すくせに、なれなれしくしないでよ」
「そっか、ごめんよ」
苦笑しながら謝罪を口にする。
そう、今は僕を受け入れてくれてるけれど、今は僕達をこうして受け止めてくれているけれど、どうせこの女は僕達を追い出すんだ。
だから触れないで。愛でないで。笑わないで。
一時的にだって、優しくなんかしないで。
手に入らないものを、与えないで。
「……アンタは残酷だ」
「ん?」
「どうせ捨てるくせに、優しくするんだから」
自分でも驚くくらいに低い声が出た。
カナコを睨みつけている僕の瞳は、きっとほの暗い色をしているのだろう。
僅かに目を見開いて驚いているカナコは少し困った顔をしたかと思うと、やっぱり苦笑を浮かべている。
「……うん、ごめんね」
謝るってことは捨てるのを肯定してるってことで。
ほら、やっぱり僕等を捨てるんだ。
そのくせ被験者や七番目にだって優しくするんだから、やっぱりこの女は残酷だ。
「最低」
「うん、そうだね……最低だね、私」
そう、最低なんだよ、あんたは。
だから、そんな申し訳無さそうな顔しないでよ。
泣きそうな顔で笑わないでよ。
そんな繊細な表情をする奴なんて今までいなかった。
僕等に向き合ってくれる人なんて今までいなかった。
どうせ手放すくらいなら、あんたもそんな今までの人たちと同じであって欲しかった。
初めて僕等と向き合ってくれた人は、最初から数日で別れることが決まっていた、なんて。
皮肉すぎるじゃないか、そんなの。
それともやっぱりカミサマは僕達のことが嫌いで、僕達が死んだ後も更に苦しめようとしてカナコの元に僕達を連れてきたんだろうか。
まぁカミサマなんて信じちゃいないけども。
ほんと、嫌になる。
今までそんな奴なんて居なかったから、すぐに解ってしまった自分が嫌になる。
被験者も七番目も気付いてなかったみたいだけど、僕はすぐに解ってしまった。
コイツは凄く優しい目で僕等を見る。
きっと愛されるってこんな感じなんだろうなって、一目で解ってしまうくらいに。
あの二人が気付かなかったのは、きっと気付いていないだけで色んな愛を貰ってきたから。
僕だけが気付いたのは……今まで僕が誰からも愛されていなかったから。
「捨てるなら、優しくしないで」
どうせ失う愛情なんて、要らない。欲しくない。
後で辛くなるのは自分なんだから。
■ □ ■ □
「捨てられるくらいならば最初から手を伸ばさないというのは自己防衛の一種だ。でもそれってどういう意味か解ってる?」
僕の行く手を遮り、くすくすと笑いながら心底愉しそうに僕を見る被験者。
どうやら先日でのキッチンでの会話を聞かれていたらしい。
舌打ちを漏らし無視しようと背中を向けたのだが、被験者は容赦なく言葉を投げかけてくる。
「シンク、お前は愛されることを渇望してるってことさ。いや、正確に言うならば……君は許容されることを望んでる。他人による存在の許容にレーゾンデートルを預けるのはある意味レプリカの特徴でもあるのかな?」
「煩いよ被験者。さっきから訳の解らないことをべらべらと」
「あはは、図星を指されて怒っちゃった? でもシンク、お前がいけないんだよ? お前がしてることはただの八つ当たりさ。自分が欲しいものをくれないからってカナに当り散らすなよ。それとも、一度食べたら味が忘れられなくなるのが怖いのかい? まぁ否定はしないけどね。カナがボクらに向けるあれは母性愛に近い。知ってる? 世界で一番純粋な愛情、俗に言う無償の愛って言うのに一番近いのは母性愛なんだってさ。だから、」
そこで被験者は言葉を途切れさせた。
いや、言葉を発することができなくなったというほうが正しいか。
被験者の右隣すれすれに叩き込まれた僕の蹴りが言葉を奪ったのだ。
ぎらついた目をしている自覚はあった。けれどそれほどに、被験者の言葉が不愉快だった。
口を閉じつつも微動だにせず、怯える姿も見せない被験者が余計に僕の苛立ちを増長させる。
少しは怯えればいいのに。そうすれば僕だって笑ってやれるのに。
ああ、そう言えば被験者はダアト式譜術が使えるんだったか。
つまらない。
つまらない。つまらない。つまらない。
「ボクとイオンがカナの愛情を受け取ったのがそんなに不愉快? 自分は受け取れないから?」
「さっきから耳障りな妄想を垂れ流すアンタが悪いんだろ」
「お前の覚悟が足りないのが悪いんだろ」
「はァ?」
表情をなくした被験者が僕の胸倉を掴む。不愉快だ。何で被験者にこんな絡まれなくちゃいけないんだ。
思い切り睨みつけるも、被験者はただただ無表情に、いや、どこか怒りを滲ませた瞳で僕を睥睨している。
やめろ。そんな瞳で僕を見るな。
「ボク達は子供であることを許容されなかった。だからお前がそこまで捻くれるのも、方法を知らないのも仕方ないと思う。その原因の一端にボクがあることも自覚してる。だからこうしてお前に手をかけてるんだからね。けどね、あんまりぐずつかれるとやっぱり苛立つんだよ。子供の癇癪に付き合うのはアリエッタだけで十分さ。それ以外の奴に起こされても不快でしかない」
「わけの、わからないことを……っ!」
「カナは手を差し伸べてくれるよ。お前にもね。失うのが怖いからって振り払うのはお前が臆病だからだ。本当に欲しいなら手を伸ばせ。捨てないでほしいってみっともなく縋ればいい。それすらもせずに駄々を捏ねてカナに当り散らすなって言ってるんだよ」
「知った風な口をきくな!」
「いや、もっとたちが悪いかな? 心の奥底で言い訳してるんだろ? イオンやボクとは違う、自分は失敗作だからってさ。ここではお前が失敗作だろうと、ボクが被験者だろうと、イオンが成功作だろうとなあんにも関係が無いってのに」
パタパタと足音がする。
けれど怒りで真っ赤に染まった視界ではそれの正体を知ることはできなくて、気付けば被験者の胸倉を掴み返していた。
近づいてきた顔は鏡で見慣れた、けれど僕のものではない顔。そこに手加減も無くこぶしを叩き込もうと腕を振り上げる。
けれどその拳は後十センチというところで腕を捕まれて止められる。
女とは思えない力で僕の手首をぎりりと握るのは、今しがた話題になってたカナコ張本人で。
「喧嘩すんなって私は言ったよな?」
そう言ったカナコはまるで何かの冗談のように軽々と、その場で僕を思い切り投げたのだった。
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