不可侵領域01



「……シンク、へたっぴ」
「うるさいなぁ! 文句あるなら自分でやれば良いだろ!」

 鏡越しに見たシンクが顔を真っ赤にしながら私に怒鳴りつける。
 次に一直線に切りそろえるどころかリアス式海岸のごとくがったがたに切りそろえられた髪を一房手に取り、私は思い切りため息をついた。

 教団推薦の方々に日本語を教えつつ、教団内に残されている日本語を読み解く仕事を始めて早一ヶ月。
 相変わらずシンクの部屋で家政婦の真似事をしているものの、この新しい仕事もだいぶ慣れてきた。
 ただ慣れてきたからといって仕事が速くなるわけではない、というのを私は同時に思い知った。

 というのも、教団員の方々に対し教鞭を持つようになってもう一ヶ月も経っているにも関わらず、未だにひらがなカタカナが書けるようになったかな? というレベルなのである。
 特にカタカナ特有の直線的な文字というのに慣れないらしく、非常に苦労している。私ではなく、教団の人々が。

 それと量が多いと泣かれることも多々あるのだが、まだまだ初歩中の初歩である。日本人だと七歳児のレベルである。そう言えば大抵の人は放心する。
 下手をすれば六歳でマスターしている子だって居る。これを言うと泣き崩れる人も出てきそうなので、私は大人しくお口にチャックをしている。

 そんな中、いい加減伸びに伸びた前髪が鬱陶しいということで、いっそのこと髪を切ってもらおうと私はシンクにはさみを渡した。
 シンクは渋々受け入れた。しょうがないじゃないか、他の人に素顔を見せるわけにはいかないのだ。

 まずあの無駄に長かった横髪を切ってもらい、後ろの髪と長さをあわせてもらった。斜めになった。次に長さがばらばらだった後ろ髪を切りそろえてもらった。リアス式海岸になった。
 なので素直に感想を漏らせばシンクが怒った。で、冒頭に戻る。

 しょうがないのですきバサミを手に取り、鏡を見ながら時間をかけて髪に段差をつけていく。最後に髪切りバサミでおかしくない程度に長さを揃えれば完了だ。
 前髪は顎の辺りまで来ているが、その方が結べるし楽だろうとそのままにしておいた。これでだいぶ印象も変わっただろう。

「ふぅ」
「へぇ、少しはまともになったじゃないか。そこ、片付けといてよね」
「そうだね、次からは自分でやることにする」
「悪かったね下手糞で!」
「シンクの髪も切ってあげようか? 前髪目に入るでしょ?」
「いらないよ」

 完全に拗ねてしまったらしいシンクはふん、と鼻を鳴らしたかと思うとむすっとした顔でコーヒーを啜り始めた。
 それを見るとやっぱり前髪が顔にかかっている、どころか顔半分くらい覆っている。

「目悪くなるよ?」
「僕の目が悪くなろうと君には関係ないだろ」
「目つき悪くなるよ?」
「うるさいな、関係ないって言ってるだろ」
「……目悪い人ってさ、目を凝らす時に眉間に皺を寄せるんだよね」
「だから何さ」
「目悪くすると前見かけた赤い髪の特務師団の人みたいに、眉間の皺取れなくなっちゃうよ?」
「…………前髪だけ切って」
「うん、解った」

 二十秒ほど葛藤したあと、すごすごとやってきたシンクの目の前でしゃきんとはさみを鳴らす。
 ああは言ったものの、仮面をつけるときのことを考えると短すぎても妙だしということで適度に短くするだけに留める。
 まあ後ろの髪を持ってこればそれなりにとがった頭になるだろう。

「はい、できた」
「……短っ」
「今が短いんじゃなくて、前が長すぎたの」

 自分の頭に触れながら驚いてるシンクに笑みを零しつつ、切り落とした髪をほうきとちりとりで回収していく。
 物凄く今更だが、緑の髪って本当に珍しいと思う。事実、教団でもあまり見たことがない。

「ねぇ、オールドラントでは緑色の髪って珍しくないの? 教団ではあんまり見かけないよね?」
「そうだね……教団には、もう一人居るよ」
「そうなの? 知り合い?」
「知り合いになんてなりたくもないけどね……そうだね、相手は僕のこと知ってるかもね。ああ、君の事は確実に耳に入ってるんじゃないの?」

 妙に棘のある言い方だった。先ほどまでぷりぷり怒りながらも普通に話してくれていたというのに、今は歪な笑みすら浮かべ、蔑むような視線で空を睨みつけている。

「その人のこと嫌いなの?」
「まだわかんない? 僕と君が失敗作なんだ、成功作が居るのくらい、想像がつくだろ?」
「……あ」

 シンクの言いたい事がようやく解って、私は間抜けな声をあげた。
 私の身体はシンクロ率も身体能力の低下も見られなかったけれど女体化していたために失敗作扱いされた五番目のレプリカの身体だ。
 レプリカというのならば被験者が居て当然。ただし被験者は既に死亡していると聞いている。そして失敗作が居るのならば、成功作が居るのも当然。

 成功作の少年は、七番目の子らしい。
 何でもシンクロ率は問題のない程度で、身体能力に劣化があり虚弱体質であるとかなんとか。
 ただダアト式譜術を使ったり惑星預言を詠んだりしなければ問題なく暮らせるらしく、それで成功作として迎えられたらしい。
 らしいが多いのはあくまでもシンクからの伝聞だからだ。あと未だにシンクロ率とかそこら辺がよく解らないからだ。

「導師かぁ、未だに見たことないんだよね」
「そのうち嫌でも見ることになるさ、君がパッセージリングの耐久年数についての記述を見つけたからね」
「セフィロトに入って事実確認するんだっけ?」
「そ。そのためには入り口のダアト式封咒を解かなきゃならない。セフィロト内に日本語がないか確認するために君も連れて行かれるだろうから、嫌でも顔を合わせることになる」

 つまり私の護衛でもあるシンクも顔を会わせることになる、ということか。
 まだ見ぬ導師に会って不機嫌になるシンクを想像して、私まで渋面を浮かべてしまう。

「……なんでそんな顔するのさ。なに? アンタも導師が憎いの?」
「ううん、そうじゃなくて……シンクが不機嫌になるくらいなら会いたくないし会わなくていいかなぁって」
「……馬鹿じゃないの?」
「えぇ!?」

 素直な感想を漏らしたはずなのに何故か馬鹿呼ばわり。
 しかもまぁ今に始まったことじゃないかとか言いながらさっさと新しいコーヒーを淹れにキッチンに行ってしまう。
 なんだよもう、ホント私に対して言いたい放題だなぁ。

 今度は逆に私がふてくされることになり、喉も渇いたし紅茶でも飲もうとキッチンに行けば何故かシンクの機嫌は直っていた。
 確かに私は馬鹿かもしれないが、シンクもワケが解らないと思う。




   ■ □ ■ □




「貴方が装飾文字の読み手ですね。導師イオンと申します。今日は宜しくお願いします」
「マユミといいます。今日はよろしくおねがいしみゃ……っ」
「だ、大丈夫ですか?」

 舌噛んだ。
 口を押さえて涙目になる私におろおろとする導師。
 背後でシンクが呆れているのが解ったが、口元を抑えている以上言い返すことも出来なかった。
 周囲には他にも神託の盾の主席総長とか、前に見たバラバラのディストとか、偉いであろう人がたくさんいる。
 お陰で緊張して舌を噛んでしまったのだが、しょっぱなからこれで本当に大丈夫なのか私。

「す、すみまてん。だいじょぶれす」

 未だに痛いものの、何とか喋る。無理しないで下さいねって言われたけど、喋って読み上げるのが私の仕事だって覚えてるんだろうか、この人。
 シンクと同じ顔だけれど、シンクでは絶対に出せないであろう柔和な雰囲気と優しげな声音。成功作として迎えられていたらしい七番目の彼を観察しながら礼だけ述べておく。
 ちなみに私は仮面をつけ、念のため防御用にフードつきのローブを羽織り、髪は適当にまとめている。だから導師は私の顔は見えない。私が五番目のレプリカだなんて気付きもしない。

「導師、準備は宜しいですか?」

 主席総長……バン・グランツさんに言われ、こくりと頷いた。今から向かうのはザレッホ火山内部。そこにあるというセフィロトに入り、パッセージリングの調査に向かうのだ。
 セフィロトとパッセージリングの説明は受けている。最初はンな馬鹿なと思ったし、ぶっちゃけ今も半信半疑だ。

 セフィロトという星のツボにパッセージリングという譜業がある。
 そのパッセージリングが発生させているセフィロトツリーというもので、私達が立っている大地を支え宙に浮かせている。

 一体誰が信じるよ、そんな荒唐無稽な話。
 でもそれが事実ならば、非常にまずいことになる。
 というのも私が見つけた雨宮信宏さんもといフランシス・ダアトさんの手記の中に、そのパッセージリングの耐久年数についての記述があったからだ。

 それによるとパッセージリングが作られたのがおおよそ二千年前で、耐久年数もおおよそ二千年……つまり、今現在パッセージリングが耐久年数を迎えている可能性が高いということ。
 私から言わせれば二千年ももつ人工物があるというだけで充分凄いことだと思うのだが、詠師の皆さんからしたら寝耳に水だったらしい。
 嘘だと一蹴するには話が大きすぎたらしく、詠師会で調査を決定し、こうして調査隊が結成されたのである。

 あとなんか教団の成り立ちについてとか、どうしてダアトさんが教団を立ち上げたのかとか、その後のイスパニアとフランクの対応についてとか色々あって教団は阿鼻叫喚の渦に叩き込まれたらしいけど、詳しくは知らない。
 ただ自分達だけが利を得るためにユリアを投獄してダアトさんを悪者に仕立て上げ、歴史を改ざんしたらしいイスパニアとフランクにはぶっちゃけ眉を顰めた。

 余談だが、パニックに陥る詠師達を見てこっそりシンクは良い気味だと笑っていた。
 性格悪いねといったらはたかれたが、これはまあいつものことである。

「流石に……暑いですね」
「シンク、顔色悪いよ。大丈夫?」
「……うるさい」

 火山内部に入り、護衛の人たちに囲まれながらセフィロトの入り口を目指す。
 私の斜め後ろを歩いているシンクを振り返れば、その顔は熱気に包まれている上仮面に隠されている筈なのにそれでも解るほど青白い。

「気分が悪いのか。無理をするくらいならば代わりの護衛を手配するが、どうする?」

 私の言葉でシンクの顔色の悪さに気付いたのだろう。グランツさんがシンクにそういうものの、平気だよと言って私の隣にやってくるシンク。
 やっぱり平気には見えなかったが、グランツさんはそこでそうかと言って引いてしまったためにこのまま奥に進むようだった。

 正直、護衛の人たちはそこまで多くない。というのもパッセージリングのことは基本的に教団の機密扱いらしく、本来導師に着いている筈の導師守護役さえ外されて特務師団の人達が導師の護衛についているからだ。
 だから代わりの護衛というのも、そんな急に用意できるようなものでもないのだろう。グランツさんが直々に指揮を取っているし、今回の編成はかなり無理をしたというのは本当のようだ。

「……辛かったら言ってね?」

シンクの顔を覗きこみつつそう言ったものの、シンクは何も答えてくれなかった。

 そうして辿り着いたセフィロトの入り口。ステンドグラスのように硬質で、明らかに人工物であろう滑らかな扉があった。
 岩の間に埋め込むようにしてあった扉は明らかに異質で、導師がその前に立ち両手を前に差し出す。そして音素が動いたかと思うと、壁は音もなく消失していった。

 驚く私と、顔色を悪くさせながらふらりと傾く導師、そしてそれを支えるグランツさん。
 やはり虚弱体質と言うのは本当のようだと思いつつ、大丈夫ですかと声をかける。

「大丈夫です。すみません、僕の身体はダアト式譜術を使うようにはできていないんです」
「無理はなさらないで下さいね……」
「ありがとうございます。ご心配をおかけしてすみません」

 どこまでも低姿勢で、且つ自分が作り物であるような言い方をする導師に苦笑がもれた。成功作といえど彼はあまり優遇されているようには見えない。
 どちらかと言えば傀儡に近いのだろうなと思いつつ、グランツさんの指示を受けて順番にセフィロトへと足を踏み入れていく。
 セフィロト内部に入るとまるで外が火山であることが嘘のように気温が低くなり、じっとりと身体を濡らしていた汗を拭いながらゆっくりと足を進めていった。

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