不可侵領域03



「随分と楽しそうだったじゃないか」

 セフィロト内で一泊した翌日。
 教団への帰り道、イオンには聞こえないくらいの小声でシンクにそう声をかけられて、私は一瞬何を言われているのか解らなかった。
 しかしその声の刺々しさからすぐにイオンのことを指しているのだと解り、イオンとの会話を思い返しながらそうかなぁ? と首を傾げる。

「友達になっただけだよ」
「友達ね……ふぅん?」
「シンクは嫌?」
「別に。君がアイツと仲良くなろうが僕には関係ないね」
「……シンクが嫌なら、仲良くしないよ」
「は? 何それ。同情?」
「違うよ。シンクの方が大切だから、だよ」

 大真面目に言ったのに、シンクは少しの沈黙の後、馬鹿じゃないの? としか答えてくれなかった。
 何故だろう。私が真面目に話すときは必ず同じ台詞を聞いてる気がする。
 でも声から刺々しさはなくなったから、嫌な気分ではなかったのだろうと思いたい。

 そうやってシンクと話していたのだが、出口が近付くに連れてシンクは口を開かなくなっていった。
 セフィロトを抜け、肺を焼くような熱気の満ちる空間に辿り着けば服はすぐに汗まみれでベタベタになってしまい、服の襟元を広げながら水分を取る。
 火山に足を踏み入れてからシンクはまた真っ青になっていて、私が水筒を差し出しても無言で首をふるだけだ。

「マユミ! こっちに来ませんか?」

 そんな中、暑いながらもそれなりに元気なイオンに呼ばれた私は少しだけ迷う。
 先ほどシンクは私とイオンが仲良くしようが関係ない。馬鹿じゃないのかと言ったが、それでも今のシンクを放置するのはやはり気が引けた。
 行きの時は気にかけていてくれたグランツさんも今はシンクのほうを見ようとしないし、今放り出してしまえばシンクは何をするか解らない気がした。
 いや、私の方が守られる立場なんだけどさ。

 そうして迷っているのを察したのだろう。イオンはきょとんとした顔で即決しない私を不思議そうに見ている。
 それと同時に別方向から腕を捕まれ、反射的に掴まれたほうを見れば、青い顔をしたままのシンクが私の腕を取っていた。

「……行くな、ここにいろ」

 それは微かな声だったと思う。
 事実なんで聞き取れたか自分でも不思議なくらいだったが、それでも確かにシンクは私に対してそう言った。
 仮面をつけているせいでどんな顔で言ったかなんて解りやしない。けど私は迷うことなくそれに頷くと、離れていったシンクと手を繋ぎながらイオンに向かって断りを入れる。

 周囲からは導師の誘いを断るとは何事かと視線を向けられたが、全員シンクの顔色の悪さを見て納得したようで、イオンもまたシンクを見て私が断ったことに納得してくれたようだった。
 それどころか同行していた治癒術師を呼ぼうとしてくれたほどだ。最も、それに関してはシンクの方からそっけなく断っていたが。

 そうして教団に帰還した私達だったが、やっぱりシンクのことを気にしていたのだろう。報告はしておいてくれるというグランツさんの申し出に甘えて、私とシンクは部屋へと直帰することになった。
 イオンとお別れをした後、二人で軍関係者の私室が集まる一角へと向かう。部屋に戻る頃にはシンクの顔色だって戻っていたけれどやっぱり心配だった。

「シンク、ほら、お水飲んで。たくさん汗かいただろうから、水分取らないと」
「……」
「シンク?」
「聞こえるとは……思わなかった」

 突然ぽつりと言われた言葉に私は首を傾げる。火口で、導師に呼ばれたとき、とぽつぽつと補足されて、ようやく腕を捕まれた時の話だと気付いた。
 あれは私も不思議だった。あんなにか細い声だったのに、どうして聞こえたんだろうって。

「そうだね、シンクの声だったからかな? 私もびっくりしたんだけどね」

 氷の入ったグラスに水を注ぎながら答えれば、シンクは顔を上げる。
 そして私が差し出したグラスをのろのろとした動作で受け取ったかと思うと、一気にそれを煽る。
 おお、男前だねシンク。でもそんな一気飲みして大丈夫なのか、おなか壊さないと良いんだけど。

「アンタは、導師より僕をとる」

 グラスの中身を一気に煽り、空になったグラスを片手にまるで確かめるように呟くシンク。
 私はそれにそうだねと頷いた後、シンクの手からグラスを取ってもう一度水を注いだ。
 シンクはそれを受け取った後、ソファの手すりの部分に腰掛けて私をじっと見る。

「何で?」
「何でって……言ったでしょ? シンクの方が大切だから、だよ」
「だから、何で?」
「そりゃ……シンクの方が一緒に居る時間が長いし、それにシンクには恩があるから」
「……でも能力はアイツの方が上だ。虚弱体質でもない分、ある意味アンタの方が上かもしれないけど」

 あくまでも数値で物事を測ろうとするシンクに思わずため息が漏れた。
 それがシンクという存在を形成する上で非常に大きな意味を持っていると解ってるけれど、私が言いたいのはそういうことではないのだ。
 どうすれば伝わるものかと、私はあまり動きのよろしくない脳味噌をこねくり回して言葉を探す。

「そんなの関係ないよ。何て言ったら良いかな……シンクがシンクだから、シンクが私との間に作り上げた関係そのものが大切だから、かな。シンクは確かに導師にはなれないけど、けど逆だってそうなんだよ。導師もシンクにはなれない。イオンは決してシンクにはなれない。例え今からシンクとイオンが入れ替わったとしてもだよ? それは私と一緒に暮らしたシンクじゃない。だから私はきっとこの部屋を出て行くし、イオンになったシンクと仲良くしたいと思う。シンクがシンクになって今まで積み上げてきたものの結果が大切なんだよっていえば解る?」
「……導師は、僕にはなれない」
「そうだよ。だってシンクが今の強さを身に付けたのは、シンクが血の滲むような努力をしてきたからでしょう?」

 私の言葉にシンクは俯き、黒い手袋のした掌をぎゅっと握り締める。その手袋の中にある手は、導師のものとは比べ物にならないことを知っている。
 その指は細いのに荒れていて、潰れたタコのたくさんある拳闘士の掌なのだ。水の入ったボトルをテーブルに置き、握り締められた掌をそっと包み込む。
 私の手もまた、綺麗とはいえない。ペンダコがあって水仕事のせいで荒れているから、イオンのような綺麗な掌になんかなれっこない。

「そんなシンクが、大切なんだよ。解った?」
「…………ばかじゃないの」
「もう、またそれだ」

 いつもの台詞は、力なく呟かれた。けど悪態というには覇気がなさすぎて、明らかに照れ隠しだと解ってしまう。
 だから手袋を嵌めた掌から手を離し、仮面を取り外せばそこには頬を僅かに赤らめてそっぽを向いてるシンクの顔。
 シンクは仮面を手に微笑んでいる私を見た後、同じように私の仮面も外してしまう。

「君は……僕の側にいるって言った」
「そうだね」
「やっぱり、ばかだよ」
「なら馬鹿で良いよ」
「君が、ばかでよかった」

 失礼なことを言いながら私の腰に手を回してきたかと思うと、私の肩へと額を押し付けてくる。
 体重をかけられて一瞬揺らぎそうになったものの、私はシンクを受け止めてから背中を撫でた。
 素直じゃないんだからと言えば髪に指を絡められ、僅かに引っ張られる。

「ちょっ、いたたたっ」
「訂正。ちょっとは馬鹿なとこ治しな」
「即座に前言撤回!?」

 私が驚けばシンクはくすくすと笑い出す。
 お互いがお互いの仮面を片手に、こんな風に気安くじゃれあえるようになったのは本当に進歩だと思う。

 だというのにシンクは笑いを止めたかと思うと、強引に私の腰に引き寄せ、突然首輪代わりにつけている私のチョーカーを指で引っ掛けてくる。
 そして私の背後を睨みつけ、カランという音の後に浮かべたのは歪な笑み。嫌な予感が湧き上がり、首だけで背後を振り返ればそこには呆然としたイオンがいた。
 その足元には音叉の杖と小さな袋が落ちていて、先ほどの乾いた音は杖を取り落とした音だとわかる。

「導師様が不法侵入とは、世も末だね」
「す、みません……ノック、したんですけど……返事が無くて。中で、倒れていたりしたらと……」

 火口にいたときとは逆に、今度はイオンの顔が青くなる番だった。
 イオンの方を振り返ろうとした私をシンクが抱き寄せ、チョーカーを引っ張って私の動きを封じる。
 私の扱いにイオンが息を呑んだかと思うと、ドアの外から間延びした声が聞こえた。

「イオンさまぁー? どうかされましたー?」
「っ! 大丈夫です、何でもありません。それより少し二人と話したいので、アニスは外で待っていてくれませんか?」
「えぇー? でもぉー」
「大丈夫ですよ。マユミは教団公認の唯一の読み手で、シンク謡士は第五師団師団長です。話が終わったらすぐに戻りますので、お願いしますね」

 パタン、とドアを閉めたイオンは顔色こそ悪かったものの、今度は唇を引き結んでいる。
 そして杖と一緒に子袋も拾い上げ、袋を縛っている赤いリボンが少しずれているのを直してから私達の方へと向き直った。

「突然すみませんでした。今回の件でマユミにはお世話になりましたし、お友達になってくれたのだからそのお礼にと思って足を運んだのですが……驚きました」
「だろうね。廃棄された筈の失敗作が二体も生き残ってたんだ。意外だったかい? 七番目」

 嫌みったらしいシンクの口調にイオンは唇を引き結んだまま答えない。
 あの子袋の中身がお礼なのだろう。私はもう一度イオンの方に向き直ろうとして、何とか成功したもののまた腹部にシンクの腕が絡みつく。
 チョーカーと首の間にはシンクの指が引っ掛けられたままで、少し引っ張られるだけで首が絞まって苦しい。

「……シンク、マユミを放してください」
「ヤダね。コレは僕のだ」
「いくら僕達がレプリカでも、所有物扱いされるのはおかしいのでは?」
「おかしくなんかないね。僕がマユミを養い保護する代わりに、マユミは僕の所有物になる。詠み手として教団に所属する前に僕とマユミが交わした契約だ。レプリカかどうかなんて関係ない、僕とマユミの契約なんだからアンタに口出しする権利は無い。そして僕の所有物を僕がどうしようと、アンタには関係ない。違う?」

 背後から抱きしめられ、肩口に口付けられる。それがイオンに対するあてつけであるということは嫌でも解った。
 イオンは段々と険しい顔つきになっていったかと思うと、関係ありますよとはっきりと断言する。優越感に浸っていた筈のシンクの機嫌が悪くなるのが解った。

「マユミは僕と友達になってくれると言いました。友達が苦しんでいるのを見過ごす義理はありません」
「だったらアンタが出て行けば解決だ。そもそも僕はアンタを招いてない。さっさと出てけよ。ドアの外で守護役が待ってるんだろ」
「言った筈です。僕はマユミにお礼をしに来たんです。だからシンク、マユミを放して下さい」
「言っただろ、イヤだね。マユミをどう扱おうと僕の勝手だ。例え成功作であるアンタでも口出しできる領域じゃないんだよ。マユミと先に出会ったのはあんたじゃなくて僕で、マユミは成功作であるアンタじゃなく、こういう扱いをされるって解った上で僕を選んでここに居るんだからね」

 嘲りを含んだ口調でそう言って、シンクは私の首筋に噛みついた。
 それは間違いなく先ほどの私の言葉を踏襲しているが故に反論も出来ず、ただ黙って腹部に回されているシンクの腕に自分の手を重ねることしかできなかった。


- もどる -



ALICE+