不可侵領域04



「ばか」
「……」
「ばかばかばかばかっ! シンクのばかーっ!!」
「うるさいなぁ」
「シンクのせいでしょーっ!」

 突然のイオンの来訪、そしてイオンとシンクの睨みあい。シンクに拘束され間に挟まれることになった私は、イオンに頼みこんで何とか引いてもらった。
 イオンがいる限りシンクは私を拘束し続けるだろうと、そう言って。事実、イオンが苦々しい顔をしながらも子袋を置いて渋々と出て行った後、シンクはアッサリと私を解放した。

「何が不満なわけ? 君が言ったんじゃないか。僕のほうが大切だって」
「だからってシンクがイオンに優越感を抱くための道具にされて嬉しいわけないでしょ!?」
「はっ! 僕が僕の所有物をどうしようが勝手だろ」
「所有物だって反抗する権利くらいありますーっ!」
「ないから所有物って言うんだよ。馬鹿じゃないの?」

 優越感を抱くための道具。シンクがその言葉を否定しなかったことにズキンと胸が痛んだ。
 それでもそれに気付かないふりをして、シンクを視界から締め出した後、イオンが置いていった子袋を拾い上げようとしたのだが、何故かシンクに取り上げられる。

「ちょっ、返してよ! 私が貰ったんだよ!?」

 手を伸ばして奪い返そうとするが、シンクにとめられてそれも叶わない。
 おかしい、同じレプリカの筈なのにこのリーチの差は何だ。男女差か?
 身長はそれほど変わらないのに腕の長さはシンクの方が上とはこれいかに。

「何コレ」
「それを今から見ようと思ってたのに! かーえーしー、うきゃぁ!?」
「猿みたいな声だったね」

 シンクに全体重をかけつつ手を伸ばしていたのだが、シンクが一歩引いた事で私は思い切りすっ転んだ。
 鼻で笑われ、床にぶつけてずきずきと痛む鼻と額を押さえながら勝手に子袋を開けるシンクを睨む。
 シンクは中に入っていたらしいキャンディを一つ取り出したかと思うと、摘み上げてまじまじと見た。

「飴?」
「あ、メジノーレのキャンディ!」
「は?」

 シンクが訝しげな顔をした隙に、子袋を何とか取り返す。
 中にはまだキャンディが数粒入っていて、それを確認した私はホッと息を吐いた。途端、シンクに思い切り圧し掛かられ、ぐぇっと蛙が潰れたような声をあげてしまう。
 よろめきながらも何とか倒れるのだけは避けた。全体重かけられるのって辛い。シンクは筋肉が着いてるから余計に重いのだ。

「なにさ、メジノーレって」
「甘美に、って意味の古代イスパニア語でね」
「それくらい解るよ」
「てか重いよ、どいて」
「ヤダね」
「もう。最近市街に出来たお菓子屋さんだよ。安くて美味しいって評判なんだー」

 そう説明しながら子袋のリボンを結び直してポケットに入れる。このキャンディは食後に貰うのだ。今食べたらシンクに邪魔されそうだし。
 そう決めつつシンクを振り返る。ソコには不機嫌そうなシンクの顔があって、私はため息をついた後もう一度どいてくれと頼んだ。

「イオンにお礼のお手紙書くんだから、早くどいてよ」
「……友達になったからって、そこまでする?」
「お礼は大事だよ。それに友達になったけどやっぱりそこまで仲良くなれそうにないからごめんねってちゃんと伝えなきゃいけないもん」

 そう言えばシンクが目をぱちくりさせていた。どういうこと? と聞かれたのでそのままだよと答えて前を向きつつ、はよどけと言えば今度はどいてくれた。
 やっと肩が軽くなったと、私は腕を何度か回してから便箋を探し始める。

「シンクは、私はイオンと仲良くして欲しくないんでしょ?」
「……そうだよ。なんか文句ある?」
「あるけどまぁ今回はそれは横に置いておくとして、私は前にシンクの方が大切だって言ったし、シンクが不機嫌になるくらいならイオンに会わなくても良いとも言った。折角仲良くなれたのに残念だなともちょっとは思うけど、やっぱり前に言った通り私はシンクを優先するよ。だから、もう仲良く出来ないってお礼と一緒に伝えるの」
「……僕に対する同情じゃ、ないんだよね?」
「違うって言ってるでしょ? それに、シンクにさっきみたいに扱われるの、嫌だもん。それくらいならイオンと友達にならなくていい。さっきみたいなシンク、もう見たくないし」

 そう言えばシンクの動きがぴたりと止まった。猫か。
 しかし何故フリーズするのかと内心首を傾げた私は便箋を探す手を止め、シンクをまじまじと見る。
 しかしシンクは暫く私を凝視した後、何故か馬鹿じゃないの? というだけだった。私が馬鹿なのは最早シンクの中では決定らしい。

「そんなに……嫌だった?」
「うん、嫌だった。シンクのものになるって決めたのは私だし、出て行かずにシンクと一緒にいるって決めたのも私だから結局は我が侭なのかもしれないけど……あんな扱いは嫌」

 はっきりキッパリ言い切れば、か細い声でゴメンと言われる。
 シンクが謝るなんて珍しいなと思いつつ、もうしないでくれればいいよと言えばこくりと頷かれた。

「……どうしたの? 素直すぎてちょっと気持ち悪いんだけど」
「気持ち悪いって……殴るよ?」
「暴力反対!」
「はァ……ちょっと調子に乗って導師を挑発したけど……君が導師よりも僕を大切にしてくれるって言うなら……別にもういい」

 くるりと背を向けて言われた台詞は、シンクなりの精一杯の誠意という奴なのだろう。というか結構ストレートな言葉にこっちまで何故か照れてきてしまう。今まであまり優しくされたことがないからというのもあり、余計に。
でもこうして直に対面してみてよく解った。シンクのイオンに対する負の感情っていうのは、深くて、暗い。

 それは言葉にするには複雑すぎるけれど、マイナスの感情であることには間違いない。
 自分より上の存在。誰もが認める成功作。自分がなれなかった自分。認められたかった自分の具現化した存在。
 思いつく限り言葉を並べてみるけれど、これだけではきっと足りないほどシンクはイオンを憎み、妬み、羨んでいる。

 なりたかった自分。なれなかった自分。選ばれなかった自分。
 自我も産まれないうちに赤の他人に価値を決めつけられ、区別された。
 そこにあったのは、ほんの少しの差の筈なのに。

 シンクはそこにある羨望とか渇望とか、嫉妬とか憎悪とか憤怒なんかをぐちゃぐちゃにして歪めてしまっている。
 私は私というものを形作る過去を持っているから良い。けどシンクはそのほんの少しの差のせいで、拒絶から始まる人生を送ることを余儀なくされている。

 何故だろうか。
 選んだのはイオンじゃない。
 認めたのはイオンじゃない。
 作ったのはイオンじゃない。

 失敗認定したのもイオンじゃない。
 廃棄したのもイオンじゃない。
 拒絶したのだって、イオンじゃない。

 それなのにシンクの負の感情は全てイオンに向けられている。
 勿論、というのもおかしいかもしれないが、他の人たち、普通の被験者達に対してだってシンクは辛辣だ。
 けどイオンへの歪んだ感情は、被験者達とは比べ物にならないくらいで……。

「何ぼうっと突っ立ってんのさ」

 いつの間にか唇を噛んで立ち尽くしていた私に、シンクが声をかけてきた。暴言気味なのはもうデフォルトというか、諦めているためにそこまで気にしていない。
 どうしたのって聞けばお腹が空いたって言うから、何食べたいって聞けば何でも良いと返ってきた。本当にシンクは美味しいともうんとも言わない。これだけはイラっと来る。

「ねぇシンク」
「なに」
「……イオンは嫌い?」
「あぁ、嫌いだね」
「シンクを選ばなかったのも、失敗作って決めたのも、廃棄したのも、イオンじゃないのに?」
「嫌いだよ。大嫌いだ。なに? アンタ喧嘩売ってんの?」
「違うよ。……やっぱりシンクは、イオンが羨ましいのかなぁって」

 最後まで言う前に、蹴りが飛んできた。避けることすら出来なかった私の横で風切り恩がしたかと思うと、ゆっくりと足が下ろされる。
 シンクが凍てついた瞳で私を見ていて、その唇は完全にへの字を描いている。

「僕が、誰を、羨んでるって?」
「え、あ、いや、その、なんでもな、」
「誰を羨んでるって思ったのさ? ほら、怒らないから言ってみなよ」
「…………シンクが、イオンを」

 怒りを滲ませた歪な笑顔で問い詰められ、怒らないからという言葉を信じて口にすれば、今度は拳が飛んでくる。
 頬を掠めた拳は再度私の耳に風切り音を響かせ、私の背中に冷や汗を流させた。

「お、おお、怒らないって、言ったのに……っ!」
「怒ってないさ。ムカついてるだけで」
「一緒だよ! それ一緒だよ!」
「うるさいなぁ、元はと言えば君がいきなりおかしなことを言い出すから悪いんだろ」

 私の胸倉を掴み、眉間に皺を寄せたシンクが地を這うような声で言う。
 軽く持ち上げられた事で息苦しさを感じてシンクの腕を掴むが、筋肉の着いた腕はびくともしない。

「シンク……っ、苦しい……ッ」
「そうだよ……僕は導師を羨んでる。僕らの中でもアイツは唯一の成功作として迎えられ、ああして導師と認められて生きているんだからね……。けどね、所詮それだけさ! アイツは被験者を模倣するだけの人形でしかない! あははっ、例え成功作だろうとレプリカである以上、被験者みたいになれる筈がなかったんだ!」

 哄笑したシンクは私の服から手を離し、思い切り突き飛ばす。
 受身なんて取れるはずも無い私は尻餅をつき、咽こみ涙目になりながらもシンクを見上げた。
 また怒るかな、なんて思いながらも私はシンクに反論する。

「……でも、シンクは導師としてじゃなく、シンクとして生きてる。シンクがシンクとして生きるっていうのは、きっと被験者と何も変わらない……被験者が持ってる、自由って奴なんじゃないの? それは、導師として生きることを強要されたイオンがどんなに望んでも手に入らないものだ」

 そう言えばシンクは瞬きも忘れて私を見下ろしていた。そして目を細めた後、周囲にざわめく音素の気配。
 まさか蹴りや拳じゃなく譜術で来るのかと私がキョロキョロと周囲を見渡していると、音素は何も形作ることなく落ち着いていった。
 恐る恐るシンクを見渡せば、目を細めたまま私を見下ろしている。

「……シンク?」
「……馬鹿なこと言ってないで、さっさとご飯作ってよね」

 伺うように名前を呼べば、そう言ってシンクはさっさと行ってしまった。そして取り残される私。
 怒るどころか呆れさせてしまったのだろうかと自己嫌悪に浸りつつ、キッチンへと向かう。

 そうして夕食を作ってシンクと食べた後、私はイオンにキャンディのお礼とこれからはもう仲良く出来ない旨を手紙に書いた。
 シンクに渡せば導師守護役の人たちに取り次いでくれるというので渡しておき、イオンとの仲はこれで終わる筈だった。

 だから、まさかイオンからシンク込みでお茶会に呼ばれたりするなど、予想だにしていなかったのだ。

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