不可侵領域05
ピンクの制服を纏った導師守護役の子達が、テーブルのセットをした後一礼をして退室していく。
ちょっと待って私も一緒に行っても良いかなと願望が口に出そうになったのを何とか堪えた。
そして恐る恐る隣に座るシンクの顔を覗きこめば、への字に固定された口だけが仮面の下から覗いている。
しかも導師を前にしながら腕を組み足を組むふてぶてしい態度に、何故か私の方が申し訳なく感じて身を縮ませてしまう。
「さて、本日は招待を受けてくださりありがとうございます」
しかしイオンはそんなシンクに頓着することなく、テーブルを挟んで向かい側に座った状態で私の方を見ながら笑顔でそう告げた。
それはシンクの不機嫌具合に気付いていないのか。それとも気付いていても無視してるのかどっちだ。
「教団に所属する人間が導師の招待を断れるわけないだろ」
多分私に言われた言葉であろうに、何故かシンクが応える。その声の刺々しさは元々イオンと同じ声質を持っているとは思えないほどで、いたたまれなさを感じた私は今すぐおいとましたくなった。
すみません、ちょっと彼と話し合ってからもう一回出直しますからもう帰っちゃ駄目ですか。脳内でイオンにへこへこ頭を下げて現実逃避をする。
「すみません。そうだとは思っていましたが、どうしてもお話がしたくてご招待させて頂きました。そうしないと、シンクは僕と話してくれないでしょう?」
「当たり前だろ。さっさと用件言ってくれる?」
「では、お言葉に甘えまして。あなた方の、これまでのお話を聞きたくて」
イオンが悲しげに微笑み、シンクが口を引き結ぶ。予想外の言葉に私もまた戸惑いを隠せなかった。
当たり前だろう。私もシンクも、決して平凡と呼べるような道のりは歩んでいない。
今に到るまでにそれなりに辛酸を舐めてきたし、今もまた正体を知られてはならず、顔も見られてはならないと制限の多い生活を送っている。
二人で居るときだけなのだ、笑って過ごせるのは。
「何でそれを聞くのか、理由を聞いても良いかな?」
話す方も聞く方も楽しい話にはならない。
そしてそんなこと容易に想像できる事なのに、わざわざ私達を呼び出してまで聞こうとするなんて何か理由があるんだろう。
そう思った私はマナー的には良くないだろうと思いながらも、イオンの要求にこたえることなく質問で返す。
イオンは私の質問にきゅっと唇を噛んでから俯いたかと思うと、静かに紅茶のカップへと手を伸ばした。
湯気の立つ紅茶が注がれたカップに包み込むように両手を添えたものの、口元まで持って行こうとはしない。
イオンはその状態で、カップを見下ろし私達から視線を反らしたままこう答えた。
「こんなことを言うのはあなた方に対して失礼かもしれませんが……羨ましかったんです」
途端、隣に座っていたシンクの怒気が一気に高まったのが解った。反射的にシンクの膝に手を乗せれば、シンクを見ればやっぱり口をへの字にしたままこちらを見ている。
多分仮面が無ければ何故とめるのかと私を責めるような視線がそこにあったのだろう。なのでまずは話を聞いてみようという意味を込めて首をふって応えたのだが、シンクはため息をついてから舌打ちをしつつも怒りは引っ込めてくれた。
シンクが落ち着いたのを確認してからイオンを見れば、やっぱり悲しそうに微笑んでいる。
「すみません。やっぱりシンクを怒らせちゃいましたね」
「僕が怒るって解っていながら言ったわけ?」
「……お二人のことを考えれば、普通の生活を送って神託の盾に所属しているわけではないことは解ります。恐らく辛い目にもあったのだろうと。それを羨ましいなどと言えば、気分を悪くするだろうとは思っていました」
「でも、それを踏まえた上でも……羨ましいと思った、てこと?」
私の質問にイオンは眉尻を下げたまま小さく頷く。
シンクは無言でイオンを見ていて、先を促されていると解釈したらしいイオンはそのまま言葉を続けることを選んだ。
「顔を隠すなどの制限はありますが、シンクはシンクとして、マユミはマユミとしての人生を歩んでいるでしょう? 被験者と同じように、努力と言う過程を経て今と言う時間をつかみとっています。それに気付いた時、僕の中に今までなかった感情が生まれました。この感情は何だろうと考えて、けれど導師イオンとしてそんな感情を持つことは許されないと思いました。そしてつい最近、ようやくそれが羨望だと気付いたんです。導師イオン以外の人生を掴むことが出来たお二人への、羨望だと。僕のように決められたレールの上を歩いているわけではないお二人が、自由を持っているお二人が……羨ましいのだと、気付きました」
「傲慢だね。そんなの成功作であるアンタだからこそ言えることさ。僕達がどれだけ辛酸を舐めたか知らないからこそ、言える言葉だ」
「はい。そうかもしれません。でもシンク、貴方だって知らないでしょう?」
今にも泣きそうなくらい悲しそうな顔をしていたイオンが、ようやく顔を上げる。
イオンは真っ直ぐにシンクを見る。
「僕は導師イオンです。ですが同時に、僕はイオンではありません。所詮は代替品です。本物じゃない。しかしみんな僕をイオンと呼びます。導師と呼びます。見知らぬ人にお久しぶりですと笑い、意味を理解しきれないまま経典を読み聞かせ、お礼を言われるんです。意味も解らないまま言われるがままに言っているだけの僕に。僕は……模倣しているだけなのに」
空虚な声が、無音の室内に落ちる。
「誰も僕を見てくれないんです。皆が見ているのは、前の僕なんです。被験者の方なんです。僕が偽者だって気付きもしないまま、皆イオン様って呼ぶんです。それは僕じゃない、僕はイオンじゃない偽者だって叫びだしそうになったこともありました。今の僕を見て欲しくて。模倣することしか出来ない今の僕は何も無い、空っぽの人間ですが……それでも良いから、今の僕を見て欲しかった」
虚ろな目が虚空をなぞり、私達に固定される。
「ちょっと前までなら、僕がレプリカである以上それも当たり前のことだと、何の疑問も持つことなく現状を受け止めていました。けれど同じレプリカである筈のあなた方は、自分の名前を持ち自分の仕事を全うしている。同じレプリカの筈なのに、僕と違ってちゃんと個を認められています。それに気付いてからはもう駄目でした。羨ましくて仕方がなくて、僕じゃない僕を演じ続けるたびに空っぽになっていく感覚に陥るんです。それがどれだけ羨ましいか……シンクには、解らないでしょう?」
切ない声だった。泣きそうな声だった。同時に隣のシンクが戸惑っているのが解った。
自分のことを空っぽだと称したイオンに戸惑っているのだろう。シンクだって以前、同じようなことを言っていたから。
それにしてもどんな皮肉なのだろうか。
成功作として迎えられたイオンは個を確立することが出来ない現状を嘆き、己を作り上げ表現することが出来ない様を空っぽと称した。
失敗作として捨てられたシンクは誰も自分を認めず求めない世界を嫌い、その原因となった預言を憎みながらも何も与えられない己を空っぽと称した。
お互いがお互いを羨み、ないものねだりを繰り返している様は赤の他人から見たらある意味滑稽でもあるのかもしれない。
「……解りたくもないね。解んないのはアンタもだろ。少しの差で失敗作認定されて、生きながらザレッホ火山に投げ捨てられ、気まぐれに拾われたかと思えば死んだ方がマシだと思うくらいの訓練を受けさせられてさ。何度死に掛けたか、何度死んだ方がマシだと思ったか、何度こんな愚かしい生を与える元凶になった預言と言う存在を憎んだか! わからないだろうと言うなら、アンタだって解んないだろう!」
話しているうちにヒートアップしていったらしいシンクの言葉にイオンは穏やかに微笑む。
「はい。だから僕は解りたいんです」
「……は?」
「シンクがどんな思いをしてきたか、どんな体験をしてきたか、解りたいんです。そして叶うならば僕がどんな思いをしてきたか、どんな体験をしてきたか、知って欲しいんです。それはシンクのものに比べればきっと薄っぺらで情けないくらいに小さなことでしょうが、それでもそれが僕なんです。僕と言う存在を、誰かに知って欲しいんです」
「イオン……」
「けれど僕をレプリカであると知りながらも個を認めてくれそうなヒトが居ないんです。だから、シンク達を呼んだんです。この気持ちをなんと表現するのが的確のなのかは解りませんが……そう……満たされたいと、思ってしまったんです」
イオンが必死に言葉を重ねる。そこには目に見えない焦りが確かにあった。
シンクは何と言って良いのかわからないのか、何か言おうとして結局口を噤んでいた。怒りと同時に困惑も覚えていそうだった。
ヒートアップしていく二人についていけず、いつの間にか傍観者と言う立場になっていた私は、黙ってそれを見ていた。
多分それは、感情を知らない子供が精一杯手を伸ばした結果なんだろうな、なんて。柄にもなく、そんな事をぼんやりと思った。
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