不可侵領域06



 イオンの話を聞いたシンクは無言になってしまって、結局私達はイオンの過去の話を聞きたいという要望に答えられないままお暇する形になった。
 シンクと共に部屋へと帰還したものの、シンクはずっと無言のまま。今もソファに座って腕を組み考え込んだ状態で動かないでいる。
 あんまり良いこと考えているわけではないだろうなというのは簡単に想像できたので、一人で抱え込んで欲しくないという思いもあり私は紅茶と共にシンクの思考に割り込むことに決めた。
 怒られるかもしれないけど、もう慣れたから気にしない!

「シンク、お茶淹れたよ。お菓子も一緒にあるよ」
「…………」
「あんまり考えすぎると知恵熱出しちゃうよ? それに何か考えるにしろ一旦休憩入れてからの方が良いんじゃないかな? 甘いもの食べて糖分補給すれば脳の回転も、」

 絨毯に膝をつきローテーブルの上に紅茶とクッキーを展開していたのだが、突如シンクが頬に触れてきたために言葉が途切れる。強引な触れ方ではない。むしろ壊れ物を扱うかのような、おっかなびっくりといった触り方だ。
 何か用なのかとシンクを見上げれば、嘴のような仮面がシンクの顔を映すのを阻害する。
 なので手を伸ばして金色の仮面を外せば、こちらをじっと見下ろしているシンクの瞳がそこにあった。何故そんな見られるのか解らず思わずたじろいでしまう私の頬を、シンクの指先が撫でる。

「……シンク?」
「アイツも、空っぽだって言ってた」
「イオンのこと? そう、だね。シンクと同じこと言ってたね」
「……そんな事、知りたくなかった」
「……でも、イオンは知ってほしかった」
「そう。それにアイツは満たされたいって言ってた」
「空っぽだから、中に何かを詰めたいって、そう思ったんだよ」
「だろうね。空っぽにした奴を憎むでもなく、満たされたいと思う。僕から言わせれば恵まれてる証拠だよ」
「シンク……」

 鼻で笑いながら、シンクは絨毯へと膝をついて私と視線の高さを合わせる。そして急に接近してくるシンクに戸惑っている私を気にも留めず、私の胸を押して絨毯の上へと突き倒す。
 痛くはない。室内は毛足の長い絨毯のおかげでふかふかしているし、シンクに無理矢理押し倒されたわけでもない。どちらかというと優しく押し倒された、といった方が正しい。

 だが押し倒されたといっても、何故か危機感は覚えなかった。鼻で笑っていたもののそれが虚勢だということは嫌でも解ったし、今もほら、私の上に馬乗りになりながらもどこか寂しそうな目をしている。
 心臓はドクドクと煩かったけれど、恐怖や羞恥からではなく緊張から来るものだ。シンクは暫く私を見下ろしていて無言を貫いていたために私から声をかけるべきかと思ったが、やがてぽつりと呟いた。

「けど、アンタならきっと満たせるんだろうね」
「……ん?」
「火山に居た時、アンタが側にいるだけで少し落ち着いた。アイツより僕を選んだとき、今まで感じたことの無い感覚を覚えた。アイツにないものを僕が持ってるって指摘された時、何でか凄く苛立った。アイツが満たされたいって言った時に何であんな苛立ったか解った」
「シンク?」
「アイツが羨む部分を僕が持っていたら、遠慮なくアイツを憎めなくなる。だから嫌だったんだ。僕はアイツよりずっとずっと劣化しているから、だからアイツを遠慮なく恨んで、憎んで、罵れる。ある意味僕はそんな自分の環境に甘えてたのさ」

 そう語りながらシンクは私の髪を梳いていた。するすると指通りの良い髪はシンクと同じ緑色。それが視界の端で何度もちらちらと踊るのを見ながら、ぼんやりと思う。
 シンクはまだまだ小さいのに、そんな難しいことを考えていて偉いなぁ、なんて。だって、そんな風に自分の醜い部分ときちんと向き合える人は、きっととても少ないと思う。

「けど今は違う。僕はまだアイツを憎いし、羨んでる。けど同時に、アンタを手にしてる僕をアイツは羨んでることを知らされた」
「……私を?」
「そうだよ。アンタが僕を満たしたんだ。それはくだらない日常とか、まあ食べれる味のする食事とか、こんな失敗作でしかない僕への気遣いとか、そんなどうでも良いことばかりでね」
「ど、どうでもいいって何。私はいつだって、」
「そう、アンタはいつだって僕に構ってばかりだ。何が楽しいのか、理解できないね」

 ……これはもしかして貶されているのだろうか?
 シンクの言い草にちょっぴり泣きそうになった私だったが、シンクの両手が私の頬を包み込んだ事で文句も引っ込む。

「けど、僕は満たされてた。いつの間にか、それに安心して嬉しいって感じてた。あんたのせいで」

 私のお陰ではなく私のせい、らしい。言葉の選び方に物申したいところだが、シンクの掌がするりと頬を撫でて移動していったためにまたもやそれどころではなくなる。
 首の後ろと背中に回される腕、体重をかけられる感覚、首筋にかかる吐息と僅かに触れ合う体温。シンクに抱きしめられたという事実に、私の脳味噌は一気に沸騰してしまった。

「僕を満たせたアンタならきっと、アイツだって満たせる。けど僕はアンタを渡したくないし、手放したくないと思ってる。だけどこんな首輪一つで拘束しておけると思うほど馬鹿でもない。どうしたら君を僕の手元に置けるのか考えたけど、解らないんだ」

 そう言って苦しいくらいに抱きしめられる。
 渡したくないというように、きつくきつく私を抱きしめる。

「シンク……」

 そしてそんなシンクの言葉を聞いて思ったのは、どうしたらこの子を安心させることができるんだろうという疑問だった。
 私は前に、イオンよりもシンクを選ぶと伝えてある。それは身体的な能力による選別ではなく、重ねてきた時間だとか積み上げてきた信頼だとか、そういったイオンと私の間には絶対にないものがシンクと私の間にあるからだ。
 シンクはそれに納得してくれた筈なのに、それでもまだ不安なのだという。

「どうやったら、シンクは安心できる?」

 私はシンクのペットだけれど、絶対的な感情なんてこの世には存在しないと思う。
 いつか私も離れていってしまうかもしれないと、シンクだって解ってるんだろう。だからこそシンクはこうして怯えているんだろう。
 だけど少しでもシンクを安心させてあげたいと思う。そのために、私は何をすれば良いんだろう?

「……僕の側に居るとでもいうつもり?」
「そうだよ。この首輪をつける前から、私はシンクの側にいるって、自分で決めたんだよ。私はシンクのものなんだよ。知らなかった?」
「けどそれだって、」
「解ってる。私の気持ちが変わるのが不安なんでしょう?」
「……そうだよ。僕はアイツみたいに優しくなんてできない。君に気の効いたプレゼントを贈る事だって、あんな風に笑いかける事だってできない失敗作だ。君がアイツの元に行かない、そんな僕の側に居る、なんて自惚れるほど馬鹿じゃない」
「そうだね、シンクは自分に自信がないもんね。でもね、だから聞いてるんだよ。どうやったらシンクは安心できる? 私がそんなシンクの側にいるって言っても、シンクは不安なんでしょう? 私は無愛想で、ご飯を美味しいって言わなくて、洗濯物を投げつけるような、そんなシンクの側に居ることを選んだんだよ。そうやって言葉にしても、首輪をつけても、シンクは不安なんでしょう? だから教えて、シンクはどうやったら安心できる?」

 シンクとしては、お気に入りの玩具を取られる程度の気持ちなのかもしれない。
 その玩具が私であることに抗議したい気持ちは充分あるが、それでもシンクにとっては初めて手に入れることが出来た自分だけの玩具だと思うと迂闊な発言は出来ない。
 虐待されている子供が親が気まぐれに与えた玩具を大切に大切に扱うような、きっとそんな気持ちなんだろう。

 シンクは私の質問に少し考え込んだ後、ゆるゆると手を動かした。
 やがてその手が私の膝頭に触れたかと思うとゆっくりとスカートの中に入り込んでくる。

「え? ちょ、シンク?」
「僕を安心させたいんだろ?」
「そうだけど、何する気……?」
「安心しなよ、痛いのは一瞬だけだから」

 その言葉に自分の血の気が引いていくのが解った。それはもしかしなくとも今から私を陵辱するということではないだろうか。
 流石にそれは受け入れられない、別の方法にしてくれと主張する前にシンクの掌が内腿へと伸びていく。
 そして柔らかな内腿に触れたかと思うと、ズキリとした痛みがシンクの掌が触れているところから響いた。

「い……っ!?」

 途端、体内の音素を狂わされる異様な感覚。シンクが何をしたか嫌でも解ってしまった。カースロットをかけられたのだ。
 ずきずきと痛む足に涙目になりながらもシンクを見れば、シンクは真剣な瞳で私を見ている。

「……君だって、解咒できる。アイツにもね。けど……印をつけたのは、僕だ」

 切ない声だった。だから私はそれに頷くだけにとどめて、黙ってシンクの頭を撫でておく。
 離れていく掌に、陵辱されるわけではないことにホッとしたことはシンクにも内緒だ。

「安心、できた?」
「……少しだけね」

 ほんと、素直じゃないな。
 私の首筋に顔を埋め、またぎゅうっと抱きついてくるシンクにそんな感想を抱く。
 それでもまぁ、シンクが少しでも安心できたのならばよしとしよう。


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