不可侵領域07
「シンクはね、自分は私に対して何もしてあげられないって思ってる。イオンみたいに、笑いかけることも、気のきいたプレゼントをあげることもできないって言ってたから。でもね、それは間違いなんだよ」
「間違い、ですか?」
湯気の立つ紅茶のカップをソーサーに置き、私は素顔のままイオンに向かって微笑んだ。
ここはシンクの私室だが、部屋の主であるシンクは仕事に出て行ってしまっている。なので部屋に居るのは私と、客人であるイオンのみ。守護役の子は部屋の外で待っていてくれてるはずだ。
「前に話したでしょ? 私はシンクに救われたの。シンクが居なきゃ、私はきっと死んでた。例え命はあったとしても、心はきっと死んでた」
「言っていましたね。セフィロトで」
「うん。人間の尊厳なんて存在しない生活。清潔なものなんて一つもなくて、優しい言葉を聞くのは非常に稀で、暴力と暴言が当たり前で、日々の暮らしにも事欠いて、常に空腹を抱えながら寒さを誤魔化すために身体を丸めて眠る毎日。挙句の果てには売り渡され、食事すら出来ないまま誰かの所有物になるのを怯える毎日」
「……そんな」
「そんな場所だったの。シンクが救ってくれる前は」
それは、日本に住んでいた私にとって想像もできないことだった。
スイッチを押せば電気がついて、蛇口を捻れば口に出来る水が溢れ出る。飽食の時代と言われ、権利が保障され、清潔なのが当然だった日本。
それを知っているからこそ余計に、貧民街の生活は私の心を殺していった。
けどそれはイオンには言えない。日本での生活は、シンクにしか話せない。言葉を失っているイオンに一つ微笑んでから、クッキーを摘む。
これもまた、シンクに保護されてからようやく口にすることが出来るようになったものの一つだ。
「しかしシンクは貴方を所有物だと言っていませんでしたか?」
「最初はね。そうだった。私の身体を寄越せって言われた。そうすれば衣食住の保証はしてくれるっていうから、私はそれに頷いたの」
「何故そんな真似を……」
「さっきも言ったでしょ? まともな生活がしたかったの。泥水を啜るような生活も、命の危機に震える毎日ももう嫌だったから」
「……そこで、救われたんですね?」
「うん。お風呂に入れさせてもらえて、ご飯もお腹いっぱい食べられて、あったかくして眠れる。それは凄く幸せなことで、シンクがそんな幸せを私にくれたの。だからシンクには感謝してる」
そんな幸せを手にしたあと、今の仕事を始める少し前に荒れるシンクを見て何故か側に居たいと思った。
あの時は何故そんな事を考えたのか解らなかった。でも改めて考えてみたら、合点がいった。私はシンクに感謝していたのだ。だから荒れている彼を放っておけなかったし、側に居たいと思ったのだ。
そしてそれが今に繋がり、今回シンクもまた私のせいで満たされたと言ってくれた。その言葉を受けて、シンクの不安を聞いて、私も改めて自分を見つめなおした結果気付けた幸せ。
今までぼんやりとしていた気持ちにすっぽりと当てはまる言葉を見つけたこの感覚は、きっと味わった人にしか解らないだろう。
これはもう、絆といっても良いんじゃないだろうか?
ちょっと歪な形かもしれないが、私はそう思う。シンクが聞いたら物凄く嫌がりそうだけど。
「僕が、僕が想像していたよりも、二人はずっとずっと過酷な日々を送ってきたんですね」
「そうだね。あんな日々にはもう戻りたくないよ。だから私とシンクのことは、他の人たちには言わないでね。もしばれたらきっともうダアトには居られないから」
「勿論言いません! 僕だってこうしてお話できるようになって嬉しいんです。でも、何故シンクは許可してくれたんでしょうか? 前は僕が貴方に近付くことをあんなに嫌がっていたのに」
「あー……それはまぁ、私とシンクで話し合ってね。うん」
まさか安心させるためにカースロットかけさせました、とは言えないので言葉を濁す。
すると私が言葉を濁したのを見て、何故かイオンは寂しそうに笑った。何故そんな顔をされるのか解らず、思わず首を傾げてイオンを見てしまう。
「どうかした?」
「すみません。二人の間には、どうしても入れそうにないなと思いまして」
「そこはあれだよ。私とシンクの間は不可侵領域なのです。諦めてください」
「ふふ。では僕との間にも不可侵領域を作ってくれますか?」
「うーん、シンクはずかずか入ってきそうな気もするけど」
「誰がずかずか入ってくるって?」
「うぎゃあ! ほんとにずかずか入ってきた!」
ちょっぴりふざけて言ってみたら、話題の人物がノックもせずに入ってきた。
時刻はお昼の少し前。今日はお昼を食べに帰って来ると聞いていないので余計にびっくりしてしまった。
シンクは飛び上がる私を鼻で笑うと、仮面越しにイオンを見る。
「自分の部屋に入ってきて何が悪いっていうのさ。なに?アンタ来てたの?」
「はい。お邪魔してます」
「ふーん。まあいいや。それよりお腹すいた」
「今日お昼食べるって言ってないじゃん」
「今言ったよ」
「屁理屈捏ねるな! お昼休憩何時まで?」
「十三時」
「あ、今日は長いね。じゃあ今から作るから待っててよ。イオンも食べてく?」
「良いんですか? ありがとうございます」
「ちょっと、僕の許可は?」
「二人分も三人分もたいして変わらないでしょー」
どうやら早めに午前の仕事を切り上げてきたらしいシンクのリクエストを受けて、私はお昼ご飯を作りにキッチンへと向かった。
見ればシンクはソファに座って仮面を外していて、あまりイオンのことは気にしていないように見える。
それでもイオンと一緒に居るところに乱入されるとは思わなかったので、これからのことも考えてちらちらとシンクの反応を見つつお昼ごはんを作り始めていたのだが、イオンが空になったカップを持って隣にやってきた。
「ところで先程話してくれたことはもうシンクには伝えたんですか?」
「ううん、まだ。自覚したのはほんとについ最近だし。でもシンクは自信がないみたいだから、これを話せば少しは安心してくれないかなって思ってるから近々話すつもりだよ。ただ改めて言葉にするのはちょっと恥ずかしいなーとは思うんだけどね」
「そうでしたか。でもその気持ちを伝えればきっとシンクは喜んでくれると思いますよ」
「ちょっと。何二人してコソコソ話てんのさ」
「シンクのこと」
「はい、シンクのことです」
「何? 僕の悪口でも言ってるわけ?」
「悪口なんかじゃないもんねー」
「はい。ところでお昼ご飯なんですか?」
「たらこスパゲッティーと春風ドレッシングのサラダと野菜たっぷりのスープに、カットフルーツ入りのヨーグルトとブルスケッタ」
「……がっつりいきますね」
そうかな? この程度の量ならシンクはぺろりと食べてしまうので平均がよく解らない。
しかしまぁ軍人のシンクとイオンが同じ量を食べるとは思わないので、私と同じように少な目で出す方が良いんだろう。
「ねぇ、何話してんの? 本気で僕の悪口言ってない?」
「言ってないってば。それよりブルスケッタに何乗せたい?」
「トマトとフレッシュチーズ、もしくは生ハム」
「生玉ねぎは平気?」
「うん、平気」
後ろからしがみついてきたシンクに聞けば、少し唇を尖らせながらも普通に答えてくれた。なので早めに作るねと言えば、黙って頷くシンクを可愛いとか思ってしまう。
イオンはそんなシンクを見てにこにことしていて、台所に立ちながら幸せだなぁとか阿呆なことを考えてしまった。
「何にやにやしてんのさ気持ち悪い」
「ん? 幸せだなぁって」
「暴言吐かれるのが?」
「なわけあるか!」
きっとシンクはまだイオンに対してわだかまりがある。けれど前のように過剰に反応するほどでもなくなっている。
こんな風に少しずつ歩み寄っていけたら、きっとこれからもっと幸せになれるんじゃないか。
都合の良い考えだって解ってたけど、そんな未来を夢見ながら私は笑った。
どうかこの幸せが少しでも長く続きますように。そしてシンクが少しでも満たされる日々を送れますように、と。
だからそのためにも、イオンの言うとおりシンクにきちんとこの感謝を伝えなければならない。
こんな私が居て満たされたと言ってくれたシンクのためにも。そう思いつつ、私はシンクを振り返る。
「ねぇシンク、伝えたいことがあるんだけれど」
不可侵領域
はい、というわけでコトノハは今回はこれでおしまいです。シンクと夢主が新たなステップに進んだお話でした。
そして予想外に出てきたイオン様の扱いに困った回でもありました……だって設定では出てくる予定なかったんだもんorz
改めて自分を見つめなおし、お互いに対する感情を明確に定めたシンクと夢主。
そしてそれをちゃんと言葉にして相手に伝える二人。それが出来る限り、二人の関係は悪い方向には進まないと思います。
でもちょっともどかしいですね。全然恋仲に発展しない。まあこのもどかしい関係を書くのも楽しいんですけど。
それでは、清花でした。
清花
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