暗中模索01



 さくさく、くつくつ、とんとん、かちゃかちゃ。
 野菜を切る音。鍋が似る音。そして軽い足音を立てて移動しながら、食器を運ぶ音。

 キッチンに満ちる音は、世界が変わっても変わらない音だ。食事を用意する度に母の指導を思い出し、昔を懐かしむ自分が居る。
 だからと言って今の生活が嫌と言うわけではない。むしろ心に余裕ができて昔を懐かしむことができると言ったほうが正しいだろう。
 以前ならば懐かしむというよりも、羨み渇望すると言った方が正しかっただろうから。
 あ、食器足りないかも。

「おいシンク、お前まさか装飾文字の読み手に家事を丸投げしてるんじゃねぇだろうな?」
「だから何さ、本人がやるって言ってんだからやらせれば良いだろ」
「詠師達にばれたら非難轟々、です」
「へぇ、アリエッタでもそんな難しい言葉知ってたんだ?」

 赤い髪の特務師団の人と、第三師団を率いているという小さくて可愛らしい女の子。名前を、アッシュとアリエッタというらしい。
 どうもこの世界ではファミリーネームがないことはそこまで珍しいことではないらしく、普通に受け入れられている。
 それにしてもシンクはこの二人になんかきつくないか。階級的にはシンクのほうが上らしいので、敬語もなしに話しているのを見れば仲が良いといえるのかもしれないが。
 でもアリエッタがぷんぷん怒っているのを見ると、あまりそうは見えないというのが実情であった。

「できたよ。今日はタルタルソースをかけた鮭のムニエルに、生ハムを添えたポテトサラダ、それと野菜たっぷりのポトフ。これはアリエッタさんが持ってきてくれたお肉をブロック状にして入れてみたら良い出汁が出て美味しくできたんだ。デザートはアッシュさんがくれたフルーツをカットしてヨーグルトに入れたのを冷やしてあるから、食べる頃には良い具合に冷えてると思う。ドリンクは自家製野菜ジュースを。林檎なんかも追加してフルーティで飲みやすい味になってるから一緒に飲んでね」

 三人が待っていたテーブルに、出来上がった料理を次々に運んでいく。アリエッタとアッシュがごくりと音を鳴らしながらつばを飲み込んだのが解った。
 お客様がくると聞いて久々に腕によりをかけて作った料理だ。楽しみにしてもらえれば、作り手冥利に尽きるというもの。
 最後に下町で買ってきたパンが入ったバスケットをテーブルの上に置き、私たちの昼食は完成した。

「さあ、どうぞ召し上がれ」

 私も同じテーブルに着くようシンクから指示されていたので、席についてからそう告げる。その言葉を聞いたアッシュさんとアリエッタさんはおずおずとポトフに手を伸ばして口をつけた。
 そして一瞬驚いた顔をしたかと思うと、すぐさま他の料理にも手をつけ始める。
 がつがつと、というほどではないが食事に夢中になる二人を見て、パンをちぎっていた手を止めしばし呆然と見てしまうほどであった。

「お、おい、おいしいぃ〜」

 感極まったというように、口いっぱいにポトフの野菜をほおばりながらアリエッタさんが言う。
 もっきゅもっきゅと食事を取る姿は彼女が小柄なこともあり、どこか小動物……具体的に言うとリスやハムスターの類を連想させた。

「確かにうまいな。これだけいいものが食えりゃそりゃ食堂には来なくなるわけだ」
「まぁ食堂のまずい飯よりましだよね」
「ましってレベルじゃないと思うが……」

 丁寧にムニエルを切り分けながら口に運ぶアッシュさんはシンクの発言を聞いた後私にちらりと視線だけを寄越し、しかし何も言うことなくムニエルを頬張り味わっている。
 普段シンクが美味しいともなんとも言わない人間なので、二人が美味しいと言ってくれたことに喜んでいる私はアッシュさんが飲み込んだ言葉に関しては何も聞かないことにした。
 というかアリエッタさんのあの蕩けるような顔で食事をする顔を見ただけでなんとなく報われた気がしたのだ。気持ち的にも満足感を得た私はポテトサラダを頬張りながらそういえば、と口を開く。

「突然の来客でびっくりしたんだけど、二人とも何の用だったの? 私が一緒でも平気? 仕事のこととか話すんだったら、ご飯の後は席を外すけど」

 私がそう言った途端、アッシュさんが口に飲みかけの野菜ジュースを咽させた。アリエッタさんもムニエルを飲み込んだ後、無言でシンクを見つめている。
 しかしシンクはその視線を綺麗に無視し、黙って生ハムを咀嚼していた。

「おま、シンク! 事前に訪問は告げてあった筈なのに何で知らせてないんだ!」
「もしかしてご飯の準備してなくて、アリエッタたちの分は急いで追加したの……?」
「? うん、そうだよ?」
「シンク……お前亭主関白にも程があるだろ」
「亭主じゃないから。というか、間に合ったんだからいいじゃん」

 しらっと言い切るシンクに二人から冷たい視線が注がれた。が、シンクはそんな視線などものともせずに黙って野菜ジュースを飲んでいる。
 シンクのこの態度については今更なので、私は苦笑を漏らすだけにとどめて改めて二人に来訪の目的を確認した。
 アッシュさんはシンクを複雑そうな顔で見つめた後、何かを諦めたようにため息をついてからナイフとフォークを置いて説明してくれる。

「次のセフィロト探索任務にはヴァンの代わりに俺とアリエッタの第三師団が着任するからな、その挨拶と顔見世だ。というのもセフィロトの耐久年数が限界を迎えている以上、大地を魔界に下ろす必要があるが流石にキムラスカやマルクトに無断で大地をおろすわけにはいかないからな。二カ国に事情説明と降下に関する通達をする必要があるんだが、主席総長であり詠師でもあるヴァンはそちらの準備で手一杯でとてもセフィロト探索まで付き合えそうにない」
「そこで、アリエッタたちの出番。総長の代わりに貴方とイオン様を守ります。ただ次のセフィロトはケセドニアよりも更に奥、砂漠の真ん中にあるので自己紹介をしている余裕はないです。移動も、アリエッタがお友達に頼みます」
「つまり魔物に乗っての移動ってこと。僕達は慣れてるから良いけど、あんたと導師には負担が大きい。だから覚悟してもらうために、こうして事前に説明する時間を設けてるってわけ。ま、導師様が同行する以上そこまでキツイスケジュールにはならないと思うけどね」
「いや、事前説明をしていなかった時点で時間を設けているとは言い切れないと思うんだが」
「今こうして説明してるんだから別にいいだろ。まとめて説明したほうが時間も短縮されるし。あとはアンタが唯一の読み手であることを鑑みて、詠師達なりに気を使ってるんじゃない? 幹部格に顔を覚えさせるって意味もあるんだろうけどさ」

 アッシュさんからの説明をアリエッタさんとシンクが補足してくれたかと思うと、早々に食べ終わったシンクがナイフとフォークを置く。
 デザートを食べるか聞いたら頷いた上に珈琲もとのことだったので、私は食事を中断してシンクの珈琲とデザートを用意するために席を立った。
 それを見てアッシュさんとアリエッタさんはまたシンクに白い目を向けていたが。

「最早扱いがメイドだな。給料を払ったほうがいいんじゃないか?」
「そのうち出て行かれて、苦労するのはシンク、です」
「確かにな。熟年離婚をした後、今まで嫁に家事を任せっぱなしだった男は大層苦労するそうだ。逆に嫁は太く逞しく暮らすと聞く」
「あのさ、いい加減夫婦に例えるのやめてくれない?」
「なら、番ですか?」
「ライガか」
「おい、人間ですらなくなったぞ」

 やはり年が近いせいもあってか、いつもより軽口も叩いている。そんな三人に微笑ましいものを感じながら、私はデザートを用意し珈琲を淹れた。
 すぐに珈琲の良い香りが鼻腔を擽り、食べ終わったらしいアッシュさんがちらりと視線を寄越したのでマグカップを二つとデザートを三人分。それとアリエッタさんに何も飲み物がないというのもあれなので紅茶も一式用意してテーブルへと戻る。

「ふふ、私が好きでしてることだから。それよりもデザートをどうぞ。あとアッシュさんは良かったら珈琲も。アリエッタさんもよければ紅茶をどうぞ」

 飲み物とデザートを振る舞い、再度席について食事を再開する。私だけ食事が遅いことは勘弁してもらおう。給仕をやりながらだとどうしてもこうなるのだ。
 この後食後の飲み物とデザートをお腹に収めた二人は、現在決定している簡単なスケジュールを教えてくれた後、最後に呼び捨てで構わないとだけ告げてそのまま午後の仕事へと向かっていった
 仮面をつけてはいるものの、年のころは近いと悟ってくれたのだろう。とても気さくに話してくれて、近い年代の知人ができるのは私としても嬉しいものだ。

 ただシンク含め私の知人は皆階級が高い気がする。実際アッシュは響士で、アリエッタは奏手だそうだ。私の知る言葉で言うなら少佐と大尉にあたる。年齢の割にはかなり高い。
 私自身は仮面をつけているので少々怪しさはあるものの、日本語が読めるだけの平々凡々の人間、のつもりだ。
 実は導師イオンのレプリカで中身は異世界人というのは、ばれなければ問題ないと思う。前半はともかく、後半は自分から口にしなければばれる可能性はほぼないわけだし。

「次のセフィロトは砂漠、かぁ。ねぇ、何がいるかな? マントとお水くらいしか思いつかないや」
「日焼け止めがあれば十分だよ。マントなんかの装備品は神託の盾から支給されるからね。怪我もアリエッタが第七音素士だから治してもらえるだろうし、後は着替えとか細々した私物くらいじゃない?」
「怪我するの前提なの?」
「一日魔物に乗りっぱなしだからね。慣れてないとお尻の皮が剥けたりするのさ。あとはマントを羽織っていても細かい砂塵や日焼けで肌が傷つくんだよ。ま、実際体験してみるといいさ」
「えぇええぇ、そんなの体験したくない……」

 うなだれる私にシンクが笑い、私はやがて体験するであろう砂漠までの道のりに今からうんざりするのだった。

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