暗中模索03



 ケセドニアは砂漠にある町だ。ぱっと見た感じの感想だが、元の世界で言う中東地域に近い文化だと思う。
 砂避けのマントが必須であるこの街はマルクトとキムラスカを繋ぐ商業都市であり、ダアトに莫大な献金をすることにより街として認められているらしい。

 シンクの慟哭の後、ケセドニアへと着いた私はローレライ教団ケセドニア支部にある一室を与えられていた。
 シンクは他の仕事があるらしく部屋には私一人しか居なかったが、ベッドが二つあるところを見るとやっぱり二人で一部屋なのだろう。
 移動の疲れがたまっていた私は少しだけだと自分に言い訳をして、マントを外してベッドへとダイブする。
 そして夢の中へと意識を飛ばしていたのだが、砂漠の夜特有の寒さを感じ自分のくしゃみで目を覚ますというなんとも間抜けな目覚めを体験したのだった。

「ああ、起きたんだ」

 幾度かの瞬きの後、ぼうっとする頭を抱えながら身を起こそうとすると、今まさに私に対し毛布をかけようとしていたシンクとぱちりと目が合った。
 シンクが私を気遣ってくれるなんて……明日は砂漠に雪でも降るのかもしれない。

「さむい」
「当たり前でしょ。さっさと被りな」

 毛布をかけられ、私は素直にそれにくるまる。
 どうやらシンクは仕事から帰ってきたばかりらしく、窓から降り注ぐ月光の下で詰襟を緩めながら水を飲んでいる。

「……お仕事は?」
「終わらせてきた。それよりバチカルに行ってるヴァンに鳩を飛ばしたから、ヴァンがきたらまたザオ遺跡のセフィロトに向かうことになる」
「セフィロトに……」

 また、あの場所に行くのだとシンクは言う。それが仕事である以上、個人の感情でそれを断ることはできないだろう。
 淡々とそのことを告げたシンクは声音とは裏腹に何かを耐えるような表情で私を見ていて、ああ心配をかけているのだなとぼんやりと思った。

 けれどシンクの心配は不要なものだ。
 自分でも不思議なことに、またあの場所へ向かうと聞いてもあの時ほどの絶望は私の身に襲い掛かってこなかった。
 勿論『帰れない』という事実を思い返せば未だに目尻が熱くなり今にも泣きそうになってしまうし、足元から崩れ落ちていきそうな嫌な感覚が湧き出てくる。
 けれど今冷静に考えてみれば、それは本当の絶望には程遠いものではないかと思うのだ。

「じゃあグランツ謡将がケセドニアに来るまで、私達は待機?」
「そうだね」
「じゃあちょっと夜更かししても平気だよね? ねぇシンク、散歩に行こ?」
「……は?」
「散歩。行こ」

 言葉少なにシンクを誘えば彼は目を白黒させていて、私は大して温まっていない毛布を放り出してから代わりに自分が放り出したマントを羽織った。
 ついでにシンクの分のマントと仮面も用意した後、未だなんと言えばいいのか困っているらしいシンクの手を取り、仮面を押し付けてから部屋の外へと歩き出す。勿論、私も仮面をつけるのを忘れない。
 支部の外に出ればぶるりと身震いがしそうなほどの寒さが私の身を包み、なるほど砂漠の夜は冷えるというのは本当だなと長く息を吐きながら一人ごちた。

「ちょっと、どこへ行くのさ」
「散歩なんだから目的地なんてないよ」
「それなら昼間にすればいいじゃないか」
「シンクがイヤなら私一人で行くよ」
「……解ったよ。一緒に行く」

 散歩に難色を示すシンクに、ずるい言い方をする。そこでようやく諦めてくれたらしく、ため息と共に私の手からマントを奪い取り羽織るシンク。
 不承不承とはいえ散歩に付き合ってくれることになったシンクに私は笑みを浮かべ、再度その手をとってから当てもなく歩き始めた。

「寒いねぇ。昼間はあんなに暑かったのに」
「気温差で風邪引いたりしないでよね」
「そうだね。きちんと体調管理しないと」
「そう思うなら何も被らずにベッドで寝るとかこれきりにしてよ」
「解ってる。毛布かけようとしてくれてありがとね」
「どーいたしまして」

 取り留めのないことを話しながら、人の気配のしない道をのんびりと歩く。
 柔らかく降り注ぐ月光は白亜の町並みを青白く染め上げ、時折吹く突風に砂が巻き上げられるのを遠めに見ながらぼんやりと考えるのはやはりザオ遺跡のセフィロトのことと……シンクのことだ。

 事実を捻じ曲げ、私を慰めようとしたシンク。確かに『帰れない』ということは間違いなく悲しいことだ。
 けれど私は今衣食住不自由のない暮らしを手にしていて、私のことをこんなにも心配してくれる人が傍に居る。

 そしてこうしてのんびりと歩きながら次に思い出すのは、シンクと出会う前のあの日々のこと。
 日々の暮らしにも事欠き、満足な食事も綺麗な衣服も手に入らず、手足を伸ばして眠ることもままならなかったあの日々。
 加害者の快楽のためだけに暴力を奮われることもあった。こうして思い返してみて、純潔を保てていたことが奇跡的だと思う。
 それでもただ『死にたくない』という願望の元ひたすらに生にしがみついた先にあったのは、尊厳など存在せず『商品』として扱われる諦観にも似た絶望。
 心が死んでいくというのはあんな時に使う言葉なのだろう。

 意味のない話をしながら、小さなオアシスの前にまで辿り着いた私はそこで一つ息を吐く。
 吐き出された呼気は白く、私はマントで身体を包み込みながら暗い水面を見つめた。

「……ねぇシンク」
「なに」
「……これはきっと絶望なんかじゃない。絶望って言うのは、もっと暗くて淀んでいて、底なし沼みたいなもの。私という『個』が死んでいく、何にも心が動かされないあの日々みたいなことを言うんだと思う。だから『帰れない』のは悲しいけど、やっぱり絶望とは程遠いと思う。だって今の私はご飯は美味しいし、夜は安心して眠れるし、明日のことに困るようなことだってない。何より、私を私として認めてくれる人が居る。確かに私は顔を出すことはできないしこれからもその枷は変わらないだろうけど……それでも、その上で私を『マユミ』だって認めて、接してくれる人が居る。私の尊厳を大切にしてくれる人が居る。それってとても大事なことだと思うんだ」

 無理矢理笑顔を作ってシンクを見る。
 シンクは無言で私を見ていたけど、その唇が僅かに震えているような気がした。

「だから、ありがとう。私を認めてくれて、慰めてくれて、傍に居てくれて、ありがとう。シンクが居なければ全部気づけなかったことだと思う。セフィロトの帰り道でシンクが私を抱きしめてくれなかったら、これが本当の絶望だって思い込んできっと悲劇のヒロインになってた。帰れないってことはやっぱりまだ辛いし悲しいし受け入れたくないけど……でも、もう向き合えるよ。ありがとう。シンクが居てくれて良かった」

 『帰れない』という現実に向き合えることができたのは、シンクのお陰。
 あの時私を抱きしめて叫んでくれたから、嗚呼私は一人じゃないんだと実感することができた。自分を想う人が居てくれるという事実が私を落ち着かせてくれた。
 だからお礼を告げたのに何故かシンクの唇は硬く引き結ばれたかと思うと、まるで何かを堪えるように歯噛みする。
 見れば黒い手袋をつけた掌はきつくきつく握り締められていた、何かに耐えているようなシンクに私は小さく首を傾げることしかできない。

「何で……アンタがお礼を言うのさ。一番辛いのはアンタだろ。前に話してたじゃないか。家族が居るって。友達が居るって……帰りたい、筈だろ」
「あぁ、うん。そうだよ。だからさっきも言ったけど別に辛くないわけでも悲しくないわけでもない。やっぱり帰りたいし、家族や友達には会いたいよ。きっとこれからも泣くことだってあるし、故郷を思うことはとめられないと思う。文化とかもだいぶ違うしね。けど、シンクが居たから私は『帰れない』って現実を受け止めることができた。現実を受け入れられずにひたすらに目をそむけて嘆くだけの馬鹿にならずに済んだんだよ。これって凄く大事なことだと思うの。だから、ありがとう」
「……僕は、君にそんなお礼を言われるほど大層な人間じゃない。あの時だってただ壊れそうな君を見たくなかっただけだ。それだけじゃない。君が帰れないと知って……僕は密かに喜んだんだ。あぁ、それなら僕は君を手放さずに済むんだって、ね!」

 吐き捨てるように言うシンクの唇は笑みの形を浮かべているが、どう見ても自嘲の類のものだ。
 シンクの心の中は、どこまでも薄暗い。周囲に対しても、自分に対しても。

「ははっ、わかるかい? 僕は結局自分のことしか考えてないんだ! 君を案じる振りをしてるだけで、本当は君のことなんてどうでもいいのさ! 僕の都合で君を手元においてる、傍に置くのもエゴでしかない! 今回のことでよく解ったよ……僕は汚い。君はまぶしい。君と違ってこんなにも!! 君にお礼を言って貰える価値なんて僕には存在しないんだ!!」

 段々と声を荒げるシンクが痛々しくて、気づけば私はシンクに向かって抱きついていた。
 私からシンクのことを抱きしめるのってもしかして初めてかなぁなんてどこか頭の片隅で考えながら、この自己嫌悪の塊に近い少年をどうしてやろうか考える。

 きっと私の言葉を聞いていたシンクの心の中はどろどろとした黒いものでいっぱいだったのだろう。そしてそんな自分がきらいでイヤで、憎くて醜くて仕方がなかったに違いない。
 人生経験の少なすぎるシンクは良くも悪くも感情が苛烈で、敏感だ。綺麗なものにも汚いものにも。その抱いている感情は、きっと誰もが一度は抱いたことがあるものだろうに。

「シンクって結構おばかだね。みんな自分のことで精一杯で当たり前だよ。私だって、最初は自分が助かりたくてシンクの元に来たんだよ。忘れたの? でもね、たとえどんな思いが根底にあったとしても私はシンクが私を慰めてくれて嬉しかったんだよ。だからそんな自分を否定しないで欲しい。ううん、たとえ否定したとしても、私はそんなシンクが好きよ。大好き。そんなシンクが傍に居てくれて幸せだし、これからも傍に居てくれると嬉しいな」

 シンクの肩口に顔をうずめて、背中に腕を回してぎゅっと抱きしめる。
 未だ大人とはいえないその身体は細く一見頼りなく見えるが、その腕がとても力強いことを私はよく知っている。

「何で……っ、きみは、そんな……っ」

 微かに震える声が耳に届いたが、私はシンクの背中をぽんぽんとゆるく叩くだけであえて何も言わなかった。
 やがてのろのろとシンクの腕が私の背中に回され、強く強くしがみつかれる。

 耳元で漏れ聞こえる嗚咽は、聞こえないふりをした。


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