暗中模索05



 ぴりぴりとした空気のまま辿り着いたタタル渓谷。セフィロトに入るためダアト式封咒を何とか解いたシンクは肩で息をしながら顎を伝う汗を乱暴にぬぐった。
 心身の負担が大きいのだろう。かぶりを振ったシンクを、全員で気遣わしそうに見つめる。
 しかし視線を受けたシンクの方は、その視線が鬱陶しいのだといわんばかりに舌打ちを漏らした。触れないほうが良いのだろう。

「さっさと行くよ。ちんたらしてたらシュレーの丘まで回れないからね」
「シンク、無理はしないでね」
「……解ってる」

 私の言葉にシンクは呟くように答え、そのまま全員でセフィロト内部へと足を踏み入れた。内部に居たのは渓谷に居たものとは比べ物にならない強さの魔物だ。
 しかしその妨害をものともせず、全体指揮を取りながら進んでいるシンクは確かに無理をしているようには見えない。
 自分の中できちんと体力の分配などができているのだろう。密かにホッとしながら安全を確保された道を進む。そうして辿り着いたパッセージリングのある広間には、やはり日本語があった。



『ここで一つ定義しておく。ユリアが詠んだ惑星預言は、星の記憶が内包する中で"最も人類が長く存続できる未来"の一つだ。
 空高く伸びる大樹が無数に枝葉を茂らせるように、人間達が歩む未来もまた無限の可能性を秘めている。
 ユリアはその中でも人類が繁栄できる未来を望み、その為の道標として惑星預言を詠んだ。

 しかし覚えておいて欲しい。ユリアの本当の願いは、その先にあるということを。
 惑星預言に詠まれた滅びを回避し、更なる未来を人類が自らの力で掴み取ること。
 未曾有の繁栄など無くても良い。ただつつましく穏やかに、平和に人々が暮らせる未来があれば良いと。

 私が呼ばれたのは"人類を存続させるためでも、人類の未来を保障するため"でもない。
 "人類を含めたオールドラントという惑星そのものの存続のため"である。
 けれど私はユリアと同じ未来を願う。人の身勝手といわれても構わない。
 ただ人々が笑って暮らせる未来があれば、それ以上尊いものなどあろうか。

 そしてその未来が星と共存できるものであれば、音素意識集合体達も人類への協力は惜しまないだろう』



 私が読み上げた内容を、同行していた書記官が記録していく。私の語った内容に、護衛についている人たちがざわついているのが解った。
 彼が残した言葉は皆、現在の教団の言い分とは真逆のものばかり。同時に彼はユリアの願いを尊んでいたことがとてもよく伝わってくる。
 教団の裏切り者だった筈のフランシス・ダアトは誰よりもユリア・ジュエを愛していた。この事実を人々が受け入れるのには、いささか時間が必要であろう。

「……勝手だよね」
「シンク?」

 文字を読み上げた私の横で、腕を組んでいたシンクがポツリと呟いた。

「勝手に預言を詠んで、勝手に望みを託してさ……勝手だよ」
「……まぁ、そう、なのかな?」

「ま、星の記憶に強制力がなさそうってことがわかっただけでも僥倖かな。けど音素意識集合体の名前がまた出てきたことが気になるね。こうして明記されてる以上、どこかで君に接触してくる可能性はある、か」

 勝手だよ、と呟いたシンクはどこか辛そうだった。
 しかしすぐにそんなそぶりなどなかったかのように声音を一変させ、顎に手を当ててなにやらぶつぶつと呟いている。
 気持ちの切り替えができたのだろうかと考えて、仕事に没頭することで自分の負の感情から目を背けているのではないかということに気付いた。

 考えたくないことがあるから、別のことに集中する。
 ある意味常套手段だが、所詮一時しのぎに過ぎないことを経験則から知っている身としてはやはり心配の種にしかならない。
 どうにかして本音を引き出してみるべきか、それとも少し時間を置いて見守るべきか。

 私が悩んでいるうちに、いつの間にか今日はセフィロトを出た後タタル渓谷にて野営をすることが決まっていた。
 シンクの即決だったらしい。こういうときでもシンクはとっても有能で、仕事が早い。たまに年上であるという自信をなくしかけるのはここだけの秘密だ。

 それからセフィロトをでた私たちを迎えたのは夕暮れ時のタタル渓谷だった。何でも小川を越えた少し先に開けた地があるらしく、そこで野営をするのだという。
 ケセドニアが近いため一旦戻ってもいいのだがそれではシュレーの丘に向かうのに行ったり来たりの二度手間になる。
 それに一般人である私の体力がもたないだろうということでの野営らしい。実際セフィロトに潜って出てくるだけでも、たくさん歩いてへとへとな私にとって非常にありがたい提案であった。

「君はここで大人しくしてな。アリエッタ、周囲にオトモダチを展開したら後はマユミの警護について。僕達は簡易ベースキャンプの準備をするから」
「わかった。アリエッタ、警護します」

 まぁ要は体力のない女二人はそこで大人しくしていろということなのだろう。
 確かに(軍人であるアリエッタはともかく度素人の私は)下手に手を出しても邪魔にしかならないので、大人しく隅のほうで小さくなっておくことにする。
 腰掛けるのに手頃な岩があったため、私はそこにアリエッタを手招いて所謂女子トークという奴に花を咲かせることにした。
 シンクのことはひとまず保留だ。夜にでも話す時間を取れるように交渉してみればいい。

「アリエッタ、ちょっとお喋りしない?」
「……じゃあ、ちょっと聞きたいことある、です。良いですか?」
「うん、いいよ」

 ずっとシンクとしか居なかったから、女子トークなんてこの世界来て初めてなんじゃないか。ちょっとだけわくわくしながら隣に腰掛けたアリエッタと何を話そうか考えていた。
 しかしアリエッタはきゅっと唇を引き結んだかと思うと、真剣な顔で私を見つめてくる。あれ、お喋りに花を咲かせる雰囲気ではない。何故だ。

「シンクのこと、教えて欲しい。何でシンクは扉を開けれたの? あれは、イオン様にしかできないはず、です」

 ローズピンクの瞳が私をじっと見つめている。仮面越しに私の瞳を探ろうとしているかのようだ。
 まぁそうだよね。普通気になるよね。女子トークだーなんて考えていた自分がいかに能天気だったか思い知らされた気分だった。
 特にアリエッタは"導師イオン"に執着している節がある。本人から因果を聞いてはいないものの、ここ数日行動を共にしていれば嫌でもそれが理解できたから、この質問もまぁ当然かと思う。

「あー……シンクのことだからなぁ……。アリエッタには悪いけど、私が答えていいことじゃないと思うから、答えられない」

 なので私は素直にそう返した。知らないと誤魔化すでもなく、拒絶するでもなく。
 私が答えられることじゃないから、答えられない。これが正直な気持ちだ。

「じゃあ、マユミは?」
「ん?」
「総長、もう一人扉を開けられる人が居るって言って、マユミを見た。だから、マユミも開けられる、んだよね?」

 こてりと。
 小首を傾げぎゅっといびつなぬいぐるみを抱きしめながらの質問に、今度はそう来たかと頭を抱えたくなった。

「えっと、それはねぇ……うぅん」

 答えに貧する。誰か助けてくれ。
 嘘をつく、という選択肢は初めからなかった。だって初めての、シンクやイオン以外の同世代の、しかも同性の人間なのだ。
 もしかしたら仲良く慣れるかもしれないと密かに思っていたアリエッタに対し嘘をつくことはしたくなかった。
 多分今の私は物凄く挙動不審だろう。あーとかうーとか唸りながら考え込む私を、アリエッタは黙って見つめるだけだ。
 そのローズピンクの瞳は全てを見透かすように私を見つめ、その手が私の仮面へと、

「っ、だめ!」

 考え込む私の仮面をとろうとしたアリエッタ。流石にそれは許容できず、咄嗟に仮面を抑えて岩から飛びのき距離をとる。
 アリエッタの手が追いすがろうと私の方へと伸ばされたが、数度の躊躇いの後、ごめんなさいと小さく呟くのと同時にその手は引っ込められる。その表情は暗い。

 ああ、もしかして。
 もしかしてこの子は。

「……アリエッタ?」
「……もうしない、です。だからあんまり離れないで。警護、できません」
「う、うん」

 今にも泣き出してしまうんじゃないか。うつむいたアリエッタを見てそんな予感を覚えながら、私は恐る恐るもう一度岩へと腰掛けた。
 ぬいぐるみを抱きしめたアリエッタは今度こそ無言になり、気まずい静寂が流れる。他の神託の盾兵の人たちが簡易ベースキャンプを作っているため、声を張り上げているから完全な無音にならないのが救いだ。

「……アリエッタ、色々知ってます。総長とイオン様、アリエッタにいろんなこと教えてくれた」
「え? う、うん」

 突然アリエッタの告白が始まった。
 何これ私素直に聞いとけばいいの?

「服を着ること。髪を梳くこと。文字を書くこと。預言のこと。イオン様のこと。……レプリカのこと」

「アリ、エッタ……?」

 心臓がテンポを早める。
 アリエッタは私を見ない。
 嫌な予感がする。

「アリエッタ、知ってるんです。知らないふり、したかっただけ。だから、だから……」

 ぐず、と鼻をすする。その身体は微かに震えているように見える。
 私はその肩を抱き寄せ、黙って頭を撫でてあげることしかできなかった。


- もどる -



ALICE+