渦中之人03
ダアトに帰還後、シンクから報告を受けたグランツ謡将は即刻情報を詠師会で共有したようだ。
詠師達はパッセージリングの寿命そっちのけで世界の最期について唾を飛ばす勢いで怒鳴りあっていたらしい。
外でドアの警護をしていた神託の盾の人達にもその怒鳴り声は聞こえたようで、外殻大地降下作戦について知らなくてもピリついた空気が感染しているようだった。
私は相変わらず日本語教室を開きつつ、地下の資料室で翻訳作業を続けているが、どちらも順調とは言い難い。
ただ知らない単語ばかりなのでしょっちゅうディストのところに聞きに行くのは許して欲しい。だってフォニック言語で書く時のスペルが解んないんだもん……。
日本語教室の方はもっと深刻で、最近ようやくひらがなとカタカナをマスターした人が現れた。表を見ずに一覧表を書けるようになった彼は、自分はやり切ったと言わんばかりにガッツポーズをしていた。
その彼に、おめでとう! じゃあ次は漢字だね! と言えば、そこで彼は力尽きた。力尽きてしまった。別に常用漢字全部覚えろなんて言ってないのに。
もう無理ですと書置きを残して教室に来なくなった彼の処遇は詠師トリトハイムにお任せしたが、罰など受けていないと良いなと思う。
そうして日々を過ごしている内にマルクトとキムラスカから国王様と皇帝様が到着し、日本語教室はお休みに。翻訳作業も一時中断となった。
厳戒態勢が敷かれ、私もなるべく部屋から出ないように言い含められる。逆にシンクは警備関係で随分と忙しそうにしていた。
そりゃそうだ。この世界には国が二つしかなくて、その王様達が一か所に集まっているのだ。この世界にテロリストが居るなら恰好の舞台になる。
なるべくシンクをフォローしつつ大人しくしていた私だったが、漏れ聞いたところによるとどうやら会議は随分と踊っているらしい。
パッセージリングの耐用年数よりも、何故そんな大事なことを認可された宗教団体でしかないローレライ教団が情報を独占してきたのかと非難の目で見られているようだ。
お陰でちくちくやられているローレライ教団は話の主導権を握ろうと必死だという。マルクトもキムラスカも、ローレライ教団は情報だけ寄越してイニシアチブを握らせろと訴えているらしい。
政治の世界なんて私にはよく解らないが、まあそうだろうなとは思う。
大地が宙に浮いてるなんて誰も思わないだろうし、実はこっそり知ってました、管理してました。それがそろそろ限界です。と言われれば私だって眉を顰める。
でもキムラスカは外殻大地が出来る前からあるこの世界の最古の国家なのに、何故フロート計画の情報を残していないのだろう?
こっそりシンクにそれを聞いたら、シンクはあんたも口にしていいことと悪いことが解ってきたみたいだねとため息交じりに言われた。それ答えになってなくない?
まあその答えは禁書として情報が封じられ、歴史の闇に呑まれてしまったからじゃないか、と説明されたけど。
言論の自由が保証された私の国では禁書自体が大変珍しいものであるからして、なるほどそんな理由がと目から鱗だった。
シンクから言わせれば表現の自由が許されてる私の国の方が大変珍しいというか、奇異の目で見られたけれども。
そんな訳で偉い人たちの会議が踊っているのをどこか他人事のように噂で漏れ聞いていた私だったが、何故か会議へと呼び出されることになった。
いや、パッセージリングに残されていた文章を原文で提出して欲しいと言われて写しを提出したが、まさか自分が呼び出されることになるとは思ってもみなかったのだ。
むっつりと不満げな顔をしたシンクに、緊張でカチンコチンになった身体を引っ張るようにして連れていかれる。シンクとしては私を出したくないのだけれど、上からの命令には逆らえなかったらしい。
そうしてやって来たのは、会議室へと相貌を変えた礼拝堂。重厚なドアを潜り抜け、運び込まれたテーブルに着く人たちは皆私にとって雲の上の方々だ。
仮面をしていても緊張していることが丸わかりの私に詠師トリトハイムと導師イオンが労いの言葉をかけ、両陛下にローレライ教団が有する唯一の装飾文字の読み手だと紹介される。
今すぐ後ろで警護についているシンクの背中に隠れたかったし、なんなら平然と陛下たちと話しているイオンに助けを求めたかった。たっけてイオン。
「読み手の育成はしていないのか?」
「育成はしているのですがなにぶん文字が複雑すぎまして。ようやく基本文字を習得した者が数名、といったところでしょうか」
「基本文字が読めれば後は問題なかろう?」
「いえ、どうもフォニック言語や古代イスパニア語とは言語系統が根本から異なるようで、基本文字だけでは装飾文字の解読は不可能だそうです」
気を付けの体勢で固まっていた私の前で王様達と詠師トリトハイムが日本語について話している。
詠師の言葉に王様達は訝し気な顔をしたかと思うと、席を一つ用意されひとまず基本文字を書きだすようにと命じられた。はい、書きます……。
シンクに散々馬鹿呼ばわりされている私だが、流石に疑われていることくらい解る。右手と右足を一緒に出して椅子に座った後、せっせとあいうえお表を書き始めた。
「ほぉ……」
「多いな……」
ひらがなのあいうえお表を書く私の手元を興味深そうにのぞき込む偉い人達。やめてほしい。書いたものならいくらでも提出するから、ちょっと離れていただきたい。
続けてカタカナのあいうえお表を書く。みんなの眉間の皺がどんどん寄っていく。私何も悪いことしてないのに何で。
「か、書けました……!」
震える手で何とか書き出したあいうえお表を差し出せば、皆一様に渋い顔をする。
続けて応用を、と言われた私は赤べこみたいに頷いてから思い出せる漢字をびくびくしながら書き連ねていく。
「待て待て待て、多すぎないか!?」
「いったいいくつあるのだ?」
「マユミ殿、装飾文字の総数はおいくつ程あるのですか?」
「は、はい! 基本のひらがなとカタカナが四十七ずつで、そこに濁音とか、拗音などを足すともう少し増えます。応用編の漢字は私も全部覚えてるか自信がありませんが……確か、千五百、くらい、だったはず……です」
正確な数字を覚えておらず、語尾がしぼんでいく。
千五百という数字に目を丸くする王様達は、偉い人なのに随分と人間らしく見えた。いや、人間なんだけども。
「はぁーー、そりゃ読み手が増えない筈だ。異世界の文字ってのは随分と凝ってるな」
「ふむ。大詠師モースよ。こちらとしては発見したという地下の資料室も確認したいのだが?」
「かしこまりました。詠師トリトハイム、インゴベルト陛下がお望みだ。早急に地下への扉を開けよ」
「解りました。マユミ殿、また入力を頼めますか?」
「は、はひ!」
詠師トリトハイムに頼まれ、会議にあたって戻されていた台座の下の階段をもう一度出現させる。
いろはにほへと、と呟きながら入力する私の手元を偉い人の取り巻きがじっと見つめていた。手元が狂いそうになるのでやめていただきたい。
現れた地下への入り口に感嘆の声が漏れ、マルクトとキムラスカから代表で数人、降りていく。
畳を土足で踏み荒らされるのは嫌だったが、流石にここでそれを声高に訴えられるほど私の肝は太くない。
断腸の思いで諦めていると、案内役を買って出たグランツ謡将が地下室は土足厳禁であることを伝えてくれる。グランツ謡将、マジ良い人。
地下へと潜っていった人たちが戻ってくるまでの間に会議のテーブルの端っこに席を用意され、そこに座らされる。
別にテーブルに着かなくても礼拝堂の隅っこでいいんだけど……あ、無理ですか。そうですか。ごめんなさい。
お茶も用意されたが、到底手を付ける気にはなれなかった。
やがて戻ってきた人たちがやっぱり残された文字を読めなかったことを報告して、再度全員がテーブルにつく。
私もお付きの人達みたいに立ったままじゃ駄目だろうかと思ったが、すぐに始まった話し合いに可能な限り気配を消して身を小さくすることしかできない。
「資料の発見の経緯と、パッセージリングが耐用年数を迎えるまで教団が何らアクションを起こしていない経緯は理解した。その上で、資料が事実であるならば外殻大地を降ろす必要があるというのも認めよう」
「うむ。だが外殻大地の降下など預言に詠まれていないことはもちろんだが、すぐに始められることでもあるまい。そもそも大地の下の世界、魔界は障気が充満し、大地が液状化しているという話ではないか。ただ降ろすだけでは大地は泥の海に沈むのであろう? 導師イオン、この件についてはどのように対応をするつもりだ?」
「はい。今回の件で改めてローレライ教団の有する禁書を紐解いたところ、大地の液状化に関する資料を発見しました。その資料によればプラネットストームは発生させる振動が原因だと」
会議が進み、席には着けど蚊帳の外に置かれた私はようやく肩の力を抜く。
話を聞く限り、どうやら資料の信ぴょう性についても疑われていたのだと解って、まあそりゃそうだよなぁと心の中だけで納得する。
難しい話を右から左に聞き流している内に、各国でも研究者を選出して急ぎ障気と大地の液状化に対する対処法について緊急対策チームを組むことになったらしい。
そちらでも誰が音頭をとるかのパワーゲームが始まって、場違い感がすごい私は早く退出の許可が出ないかなとひたすらに空気に徹することになったのだった。
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