渦中之人05



 壁に残された文字。かつての同胞が刻んだ過去の記録。
 背中を押され、文字列を眺める。そこに書かれている文字は、懐かしい日本語。

 これを、声に出して読んでいいのだろうか。
 ……本当に?

 イオンとグランツ謡将の方を伺いながら、声に出すことを躊躇う私にカーティス大佐が声を上げる。

「読んで下さい。まさか読めないとでも?」
「それとも、何か読めない事情でもあるのか?」

 ファブレ公爵にも言われてしまえば、読まないという選択肢は消える。
 私はイオンとグランツ謡将と頷いたのを確認して、ごくりと生唾を飲み込み息を吸い込んだ。



『死の預言を隠そうという動きがあるらしい。これを読む日本人、顔も知らぬ君に私は警告を残す。
 最早預言はただの道具から逸脱した。退化した文明に耐え切れぬ人々は預言を拠所とし、教団はそれに驕り肥大しつつある。
 僅か数年でこれだ。数十年、数百年後はもっと酷くなってるのが目に見えてしまうが故の、警告である。

 真偽は解らないが、第七譜石を隠そうという話も出ていると聞く。あれは人類の滅亡が詠まれた石だ。必ず残さねばならない。
 預言とは天啓ではない、ユリアの預言は確定された未来でもない。ユリアの願いを歪めようとするなど、私は許せない。
 故にいずれ訪れるであろう崩落を防ぐため、ここに記す。

 パッセージリングを操作するためには三つの封咒がある。

 一つはセフィロトへの侵入を防ぐためのダアト式封咒。
 導師が受け継ぐダアト式譜術が必要だ。導師の存在を決して絶やすな。

 二つ目はパッセージリングの操作を封じるユリア式封咒。
 これはユリアの血を持つ者が近寄るだけでいい。ユリアの血族を決して絶やすな。

 三つ目はパッセージリングの一括操作を封じるアルバート式封咒。
 音素意識集合体の協力を得ろ。君が『古き良き言の葉を知る者』ならば可能な筈だ。
 ただしこれに関しては非常時のことを考え、ホドとアクゼリュスのパッセージリングが停止した場合にも解咒されるよう設定しておく。

 一応理由も刻んでおこうか。
 ホドとアクゼリュスが崩落している時点で、人類は滅亡へのカウントダウンを着々と進めているということだからだ。
 急ぎ回避しろ。警告を人類へと発布しろ。それが無理ならばどうか、君の愛する人との時間を大切にして欲しい。

 勝手な願いだと解っている。それでもここに希う。
 未来を、つなげてくれ』



 緊張からか、かたかたと震える手を抑え込むように胸元で握り締める。
 厳かな雰囲気が漂うセフィロト内部で、静寂が満ちた。

「人類の滅亡が詠まれた石……ですか」

 口を開いたのはカーティス大佐だった。メガネのブリッジを上げて一呼吸置いたあと、彼はイオンとグランツ謡将に向き直る。

「教団はこのことを知っていたのですか? 知っていて、秘匿していたと?」
「私としてもお聞かせ願いたい。教団は預言通りに人類は滅ぶべきだというのか、否か」
「いいえ。そもそも第七譜石は今なお発見されていません。こうして第七譜石の断片を知ることができたのも、初めてのことです」

 マルクトとキムラスカの代表からの責めるような言葉に、イオンは杖を握り締めながら答える。その声は硬く、顔色は紙のように白い。
 イオンを庇うようにグランツ謡将も口を開いた。

「第六譜石には未曾有の繁栄が詠まれています。それを目指すことは預言をもたらす教団として何らおかしなことではないでしょう」
「未曾有の繁栄。未曾有の繁栄ね……個人的な心情を吐露させてもらえるのであれば、その先に滅亡があるのならばそんなものは不要と言ってしまいたいところですが」
「一個人としての感想になるが、カーティス大佐の意見にはおおむね同意する。それと、三つの封咒についてもお聞きしたい」
「そうですね。セフィロトへの侵入を防ぐダアト式封咒は先ほど拝見しました。パッセージリングの操作を封じるユリア式封咒、というのは」

 カーティス大佐の視線がグランツ謡将へと向けられる。
 謡将はその視線を受け、厳かに頷いた。

「真偽は不明ですが、私の家はユリアの直系だと言われています。先ほどユリア式封咒が反応したのを見ても、事実なのでしょう」
「他にご家族は?」
「妹が一人。他は全て死に絶えました。ホドの崩落によって」
「ホドか……」
「確か、ホドにもセフィロトが一つありましたね」
「直系が守っていた、ということか」
「そしてパッセージリングの一括操作を封じる、アルバート式封咒……」

 カーティス大佐の言葉を皮切りに、全員の視線が私に突き刺さった。
 びくりと震える私に向かってファブレ公爵が問いかける。

「古き良き言の葉を知る者。音素意識集合体の協力を得ることは出来るのか?」
「……わ、解りません」
「本当に? あなたが読み上げたんでしょう。音素意識集合体の協力を得ろと」
「し、知らない。本当に知らないんです……っ。私は書かれた文字を読んだだけで、どうやって接触して良いのかもわからないんです」

 赤い瞳に射抜かれて、思わず一歩後ずさる。ふるふると首を振っても、猜疑の目は容赦なく突き刺さった。
 そんな私を庇うようにシンクが一歩前に出た。その腕で私を庇い、背中で私を隠してくれる。

「失礼いたします。発言の許可をいただけますか」
「許可します」

 真っ先にイオンが許可して、訝しげな顔をしたファブレ公爵、そしてカーティス大佐も続けて許可を出す。
 シンクは全員から許可を得てから、私の境遇について話し始めた。

「恐れながら申し上げます。マユミが異世界人であることは既にご存じかと思われますが、装飾文字の読み手であるマユミは、私が保護するまでダアトの貧民街で貧困に喘いでいました」
「異世界からの来訪者を、教団で保護したのではないのですか?」
「いいえ。突如異世界から放り出された彼女は当然教団のことなど知りえない。路頭に迷い、日々の暮らしにも事欠くありさまだったそうです」
「なんと……」
「保護の経緯は?」
「雇い主に人身売買組織へ売り飛ばされたところを神託の盾が摘発しました。そこで帰る場所などないという彼女を私が個人的に保護し、その後装飾文字の解読が可能と発覚。正式に教団で保護され、現在に至ります」
「なるほどなるほど。それで?」
「仮にも音素意識集合体の協力があるのであれば、そのような苦難に身を浸す理由はないのではないでしょうか」
「……確かに、そうかもしれんが」
「特異な能力故、周囲から狙われないようひた隠しにしてきた……という可能性はありますよねえ。実際隠してるじゃないですか。ほら、その仮面の奥、とか。 例えばですが……瞳は人体のフォンスロットの一つです。そこに音素意識集合体により与えられた印がある……なんて可能性はいかがです?」

 シンクの言葉にも疑いの目は揺らがない。細められた赤い瞳は私から外れず、秘密を暴こうとでもするかのように鋭い。
 怯える私に隠し立ては許さないと視線だけで告げている。シンクの背に隠れてもなお、カーティス大佐の言葉にその仮面を取れという空気が私を苛んだ。

「待ってください!」

 それを止めたのはイオンだった。
 視線を遮るようにシンクごと私を背に庇い、ジェイドと相対する。

「彼女の仮面は決してそのような理由ではありません。僕は彼女の素顔を見たことがありますが、印などありませんでした!」
「導師イオン、なら何故彼女は仮面を? 彼女は古き良き言の葉を知る者として顔を隠さなければならない理由がある。違いますか?」

 追及の手を緩めないカーティス大佐に、イオンが俯く。
 そして私の方を振り返ると、シンクの肩越しにゆるりと笑みを浮かべた。

「マユミ、貴方のことは教団が守ります。ですから、余計な疑いを避けるためにも仮面を取っていただけますか?」
「……でも」
「大丈夫。その顔をしているのは、貴方のせいではありません。貴方が素顔を晒すことで不利益をもたらすことは僕が許しません」

 白い顔をしながらも、イオンは断言する。ちらりとシンクを見れば、彼もまた唇を引き結んだ末に小さく頷いた。
 私はシンクの背から出て、恐る恐る仮面をとる。晒された私の素顔に全員が息を呑んだ。

「……確かに、素顔を晒したままでは余計な混乱を招くでしょうね」
「導師イオン、これは一体どういうことか?」
「正確なことは解りません。ですが彼女の居た世界には音素も預言もなかったと聞いています。しかし彼女は今音素が使えます。これは推測ですが、異世界より呼び出す際に身体を適応させるため、僕の姿を模したのではないかと」
「ふむ。異世界より呼び出すにあたって、預言士の最高位である導師を模った、と。なるほど。預言を覆して欲しいと願い呼び出されるのであれば、預言と親和性の高い導師の姿を模すのは納得は出来ますな」

 導師イオンとそっくりの顔をした私に全員が刮目し、イオンの言葉にファブレ公爵が理解を示した。
 私が不安からシンクの服の裾を掴めば、シンクは戦慄く唇を噛み締めながら私の手を取りきつく握りしめる。
 そんな中、カーティス大佐が私の方に歩み寄ってくる。肩を跳ねさせる私を庇うようにシンクが一歩前に出る。
 シンクの肩越しに見る赤い瞳は、もう先ほどのような猜疑にまみれてはいない。けれど探るような視線は未だ継続している。

「その顔をしているというだけで随分と苦労をしたのでしょう。私の軽率な発言でご不快な思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした」
「あ……いえ、その」
「そんなに怯えないでください。取って食べたりしませんよ。ちなみに導師はああ仰っていますが、元の世界ではもっと違う姿をしていたということで間違いありませんか?」
「は、はい。黒髪黒目、でした。私の故郷はみんな、そうです」
「そうでしたか。失礼いたしました」

 じっくりと私の姿を検分した後、にこやかな顔でカーティス大佐はくるりと背を向けて公爵たちの元へと戻る。
 私を背に庇ったまま、シンクが小さく舌打ちを漏らした。

「バルフォア博士め、気付いたな……」

 私にしか聞こえなかったその言葉に、私は強張った顔を戻すことが出来なかった。


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