指切拳万01
ゆるゆると意識が浮上する。
今日はシンクは出勤だっけ。朝ごはん作らなくっちゃ。
そう思って重い瞼を持ち上げるも、目に飛び込んできたのは見たことがない天井だった。
……どこ?
「いった!」
慌てて身体を起こそうとして、頭皮を引っ張られる痛みに自然と声が出る。
見れば何故か髪が物凄く伸びており、その髪の上に手をついたまま身体を起こそうとして髪を引っ張ってしまったようだ。
痛む頭を抑えつつ慎重に体を起こす。長く長く伸びた髪は自分のものという実感がなく、手に取ってみれば指通りの良い緑色の波が出来上がっていた。
ほへ、とどこか他人事のように考えながら続けて部屋を見渡す。知らない部屋だった。
緑の温もり溢れる部屋は雰囲気から感じるとるに、ダアトではないと思う。念のため窓の外を見れば譜石帯が見えたのでオールドラントであることは間違いないようだが。
コンコンとノックの音が聞こえた。返事をする間もなくドアが開く。そのことにびくりと肩を跳ねさせたが、入室してきたのはイオンとグランツ謡将、そして何故か注意すべしと言われたジェイド・カーティスだった。
「マユミ……目を覚ましたんですね!」
イオンが私を見て目を丸くしたかと思うと、嬉しそうな声をあげながら私に駆け寄ってくる。
未だベッドの上から降りることもしていなかった私はイオンの言葉から自分はしばらく目を覚まさず、どこか街に運び込まれていたのだと悟った。
もしかしたらジェイド・カーティスが居るのも、私の身体のことを話して診察してもらうためだったのかもしれない。
「イオン様、ご心配をおかけしてしまったようで」
「良いんです。貴方が無事目を覚ましてくれただけで」
「あの、その……イオン様、ここはどこなのでしょうか? 私は何故ベッドで眠っていたんですか?」
「マユミ、貴方覚えてないんですか? まさか記憶が……?」
イオンの言葉に眠る前の記憶を引っ張り出そうと首を傾げる。そうして思い出したのはグランツ謡将とシンクの不穏な会話と、音素意識集合体達に神社よろしくお参りしたことだった。
そうだ。あの時になんか大量の音素を感じて天を仰いで……それから、気絶でもしたのだろうか?
「えっと、野営中のテントで大量の音素を感知したところまでは思い出しました。そのう、私はどれくらい眠っていたのでしょう?」
物凄く髪が伸びてはいるが、まさか数年単位で眠っていたわけではないだろう。
そう思って自分の髪を引っ張りながら聞いてみたのだが、イオン曰く三日ほど目を覚まさなかったと聞いて思っていた以上に気絶していたことを知る。
どうやら音素が降り注いだ後、髪が異様に伸びているのに目覚めない私を見て一番近い町であるセントビナーに移動。
音素を感知して引き返してきたジェイド・カーティスにも事情を説明しつつ、私が目覚めるのを待っていたそうだ。医者に診せても異常なしとしか言われなかった、とも。
「そ、うでしたか。すみません、何やら物凄くご迷惑をおかけしたようで」
つい日本人の癖で頭を下げて謝ってしまう。イオンはいいんですよとはにかんでくれる。
そして話のきりが良いと見たのか、グランツ謡将とジェイドが会話に割り込んできた。
「失礼。本来ならば入室許可を得てから入らなければならないところを勝手に入室してしてしまい申し訳ない。お身体の加減は如何か?」
「グランツ謡将。こちらこそお見苦しい姿で申し訳ありません。えっと、今のところ座って話す分には問題ありません。カーティス大佐も、このような姿で失礼します。何やら大変ご迷惑おかけしたようで」
「いえいえ、貴方が目覚めていないと判断して勝手に入室したのはこちらですから。それから私のことはジェイドと呼んで下さい。ファミリーネームで呼ばれるのは慣れていないもので」
「解りました、ジェイド……様?」
「確かに今の私は皇帝からそれなりの権限を持たされたままですが、ただの軍人です。大佐、で結構ですよ」
ベッドに腰かけたままグランツ謡将とジェイド大佐にも謝った後、寝間着姿であることが急に恥ずかしくなったが、イオンがカーディガンを差し出してくれる。
それを上から羽織ってから、改めて話が聞きたいという二人に私は頷いた。グランツ謡将が椅子を持ってきてくれて、イオンがそれに腰かけたところで早速話が始まる。
「話すのは構わないんですが……ええと、私自身も一体何が起きたのかよく解ってなくて。音素が大量に降り注いでくる感覚は覚えてるんですが……」
「ではその前は一体何をしていましたか?」
「えっと、テントの寝床で手を合わせてました??」
「手を合わせる、ですか? それに何の意味が?」
「え? ああ、そっか。こっちではないのか。えっと、故郷の……異世界の私の故国にあるお祈りの作法、みたいな。こう、へあっ!?」
説明と共に手を合わせて柏手を打つ姿を実演してみせる。
そして手を打ち合わせる音に反応するかのように音素が収束して、思わず声がひっくり返った。
「なになになに!?」
「マユミ!?」
「音素が急速に集まった?」
幸い害はないようで、色とりどりの光がふわふわと私の周りをたゆたい、そのまますぐに消えた。
驚く私を前にジェイド大佐が同じように手を打ってみるが、音素は反応しない。
「私では反応しないようです。古き良き言の葉を知る者である貴方だからこそ、なのかもしれません」
「確かに、私でも反応しないな……マユミ殿、不躾な質問で申し訳ないが、お聞かせ願いたい。一体ユリアとローレライにどのような願いを?」
「へ? え、えーと……その、まず私が祈ったのはユリアとローレライじゃなくて、音譜帯にいる音素意識集合体達です」
「……何故?」
「え? だって音素意識集合体って、自然を司る神様みたいなものかなあって、思った、ので??」
「音素意識集合体が神様……なるほど、異世界人の考え方は実に興味深い。あの壁に刻まれた言葉は同じ価値観を持った同郷の人間が、いずれ音素意識集合体に祈りを捧げることを確信していたからということでしょうか」
ジェイド大佐が何やらメガネのブリッジを上げて仮説を上げているが、果たしてフランシスさんはそんなことを考えていたのだろうか?
まあ困った時の神頼みとか、柏手を打つ仕草とかは間違いなく日本人じゃなければ知らないとも思うけれど。
でもこの世界の人達だってローレライに祈るんだから、別に他の音素意識集合体に祈るのもおかしなことじゃないと思うんだけどな。
「それで、マユミは音素意識集合体達に何を祈ったのですか?」
「あ、ぁあー……ええと、それがですね、イオン様。お祈りに関してはすごく個人的なことでして」
「余り話したくない心情は理解しますが、貴方の立場上秘匿するのは賢明とは言えませんよ」
「うっ」
ジェイド大佐にずばっと隠し立ては許さないと言われて思わず胸を抑える。
なので個人名は伏せさせて欲しいということだけは先に告げて、私は膝の上で両手を握り締めた。なんだか少し恥ずかしい。
うろりと視線を彷徨わせてみるも三人の視線が突き刺さるので、小さく深呼吸をしてからぼそぼそと呟くように答える。
「とある人に、その……。あの人はすごく、苦労してるみたいだから。だから。世界が少しでも、あの人に優しくなりますようにって……お祈り、しました」
「マユミらしい、優しい祈りですね」
誰のことかすぐに解ったらしいイオンがふわりと微笑む。ほらね、すぐバレるって解ってたからイヤだったんだ。
けれど恥ずかしがる私をよそに、グランツ謡将とジェイド大佐は何故か厳しい顔をしていた。なんで? なんかダメだった?
不安になる私の横でイオンが音叉のペンダントにそっと手を添えながら目を伏せる。
「もしかしたら、他者への祈りとその作法。それが音素意識集合体への接触方法だったのかもしれません」
その言葉が予想外だったのだろう。厳しい顔をした二人の視線はイオンへと移る。
私自身はイオンの予想にそんな方法でいいのかと首を傾げる程度で済んだが、予想外のことを言われたとでもいうような反応だった。
「イオン様、何故そのように思ったのかお聞きしても?」
「そうですね。そう思える根拠は何でしょう?」
「お二人ともマユミが訳したの翻訳文は目を通していますか?」
「それはもちろん」
「ええ、全て覚えてますよ」
「フランシスが残した言葉の大半は、ユリアへの愛情が見て取れました。同時に彼女の願いを正しく伝えてほしいとも訴えていたんです。きっと彼もマユミと同じように手を打ち鳴らして祈ったのではないかと、そう思ったんですよ」
「他者への祈り。祈り、ですか。余りにも不確かで不鮮明ですが……音素意識集合体については解っていないことが多い。否定材料がない以上、その仮説も頭の片隅に置いておくべきなのかもしれませんね」
イオンの仮説を聞いて何やら呟いているジェイド大佐の姿は、軍人というよりは研究者のものに見える。
それから三人にはもっと何か、と言われたがこれ以上は逆さに振っても出てこない。お祈りした途端に音素が降ってきてそれからずっと眠っていたのだから。髪についてはこっちが聞きたいくらいだ。
私からこれ以上情報が得られないことを知ると、ひとまずグランツ謡将はダアトへ、ジェイド大佐はグランコクマに連絡をすると言って席を立った。イオンもまた退室してしまうらしい。
なので私がシンクのことについて聞くと、グランツ謡将が小さく笑って部屋に来るように言ってくれるとのこと。ホッと息を吐く。イオンも隣でにこにこしていた。つられて私もにこにこする。
けれどついでに髪を切りたいから鋏が欲しいと言えば、三人から揃って却下された。
何でだ。こんなにも邪魔なのに。私の髪なんだから好きにさせてよ。
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