指切拳万02


「シンク」
「……起きたんだ」
「うん。ちょっと立って歩いてみたけど平気だったよ。あ、部屋からは出てないからね。扉のところに見張りの人居るし」
「見張りじゃなくて君の護衛だよ。あと一人だからって気抜きすぎ。仮面付けな」
「うっ、シンクだから良いかなって」
「僕はね。でもここはダアトじゃないんだ。気を抜きすぎると足元掬われるよ」
「はあい……」

 グランツ謡将はすぐに伝言してくれたらしく、三人が去ってからすぐにシンクはやってきた。私はベッドに腰かけたまま入室してきたシンクにぱっと顔を明るくする。
 ベッドの端に腰かけたシンクに早速お叱りを受けたが、私の髪を一房手に取って指先に絡め始める。ちょっとだけくすぐったい。

「君、三日も寝てたんだよ」
「聞いた聞いた。びっくりした」
「びっくりしたのはこっちの台詞だから。他の兵士に護衛任せてちょっと席を外してた間にあんなことが起きた僕の気持ち解る? どんだけ焦ったと思ってんのさ」
「う、ごめん……心配かけたみたいで」

 反射的に謝ったが、シンクは何故か俯いてしまった。
 そして私の髪を離し、消え入りそうな声でこう零した。

「消えるかと思ったんだ……」
「え?」
「僕がテントに飛び込んだ時、君は音素の濁流の中で手を合わせて天を仰いだ姿勢で固まってた」

 想像してみる。
 それはちょっと……怖いかもしれない。

「身体が淡い光に包まれて、それが音素乖離を起こしかけてるみたいで……あのまま消えるんじゃないかって」

 そこまで言ったところでシンクの唇が戦慄き、伸びてきた手がぎゅっと私の身体を抱きしめる。どうやらちょっとどころではなく、だいぶ怖い思いをさせてしまったらしい。
 きつくきつく抱きしめられて、シンクがか細く震えていることにようやく気付いた。

「マユミは僕のものの筈だろ。なのに最近勝手にしすぎなんだよ」
「え!? えっと、ごめん」
「謝るな。どうにもできないくせに」
「え、えぇえ? えっと、それは……はい。でも好きでこうなってるわけじゃ」
「そんなこと僕だって解ってるさ。でも……でも、君は僕を置いていくんだろ」

 そんなつもりはないと私は首を振った。シンクの背中に手を回してぎゅっと抱きしめ返す。
 同時に顔を見て話したいと思ったけど、シンクは私の骨が軋むくらいに抱きしめてきて離れそうにない。
 息苦しさを覚えながらも、私の肩に顔を埋めたシンクは吐き捨てるように吠えた。

「マユミは、僕のものなのに……っ、どいつもこいつもっ」
「シン、ク……ッ、苦しい……っ」
「僕がどれだけ抗おうとも、君は僕から離れてくんだ。その内教団に大事に大事に囲われて身動きも取れなくなる……っ」
「そんなの、わたしだって、やだよ……シンク、くるし、から、ちょっと緩めて……っぁ」

 首を絞められるのとはまた違う苦しさに嗚咽が漏れたところでようやく力が緩められ、ほうと息を吐く。苦しくはあったが、それだけ不安だったのだなぁと思うと咎める気は起きなかった。
 だから力が緩められても離れることなくシンクの背中をぽんぽんと叩いていると、シンクの身体がのっそりと離れていく。
 相変わらず、仮面に遮られた表情は見えない。けれど私を見ていることくらい解る。黒手袋のされた指先の背がそっと私の頬を撫でた。

「世界が憎いんだ」
「……知ってる」
「勝手に産み落として、勝手に捨てて、ようやく手に入れた君すら奪ってく。マユミは僕のものなのに」

 頬に触れるシンクの手に私の掌を重ねて頬ずりをする。静かな声は今にも泣きそうで、どんな言葉も届かない気がして胸が詰まる。
 私が政治の世界に巻き込まれてぎゃあぎゃあ喚いていた頃から、シンクはこんな気持ちを抱えていたのかもしれない。
 シンクはたった二年しか生きていないのに、私よりもこの世界のことをずっと知っていて、賢いから。私が奪われる未来というのも、その頃から想定していたのかもしれない。

「行かないよ」
「無理だよ」
「私、シンクの側に居るよ」
「嘘つき」
「じゃあ、一緒にダアト出ちゃう?」

 私の言葉にシンクが息を呑んだ。
 シンクの意表を突けたようで自然と頬が緩む。

「シンク、預言嫌いでしょ」
「……気付いてたんだ」
「一緒に暮らしてたんだもん。そりゃ解るよ」
「マユミは?」
「私? そもそも詠んで貰ったことないからなぁ。あ、でも仮面をつけてる時に預言だからって言うとみんな納得してくれるから、らくちんだったかな」
「ふっ。仮にも教団に属する人間の言う台詞じゃないよ、それ」
「教団に所属したのは成り行きだし、別にユリアもローレライも信奉してないから……生きていけるなら、別にダアトに拘る必要はないかな。いっそのこと導師の顔なんて一生見ることのなさそうな山の奥で二人で暮らす?」
「それも……良いかもしれないね」

 頬ずりしていたシンクの手がするりと抜ける。
 そしてその唇が皮肉気に笑った。

「世界中の人間が血眼になって君を探すだろうね。そして僕は君をかどわかした犯罪者として討伐され、君は教団に連れ戻されるわけだ」
「シンク……」
「所詮夢物語さ。逃亡生活なんて長続きするわけないだろ。現実なんてそんなもんだよ」
「でも」
「解ってる。君はそれくらい、僕の側に居たいと思ってくれてる。それが解らないほど馬鹿じゃない」
「ん……」
「でも、現実問題君の重要度はどんどん上がってる。二か国の要人にも顔が知られたも同然だし、音素意識集合体からも接触があった。今の君は導師みたいに常に護衛がついて然るべきの人間なんだよ。僕一人じゃ全然足りない」
「でも、でも……私、シンクと離れるのヤだよ。部屋がダメって言うなら、シンクも一緒に引っ越すんじゃダメ? 付き人は断ればいいし……」
「無理だろうね。君は一種の要人になった。これからは相応の礼儀だって求められるようになる。それなのに年頃の男女が同棲するなんて、教団の倫理はどうなってるんだって言われるのがオチさ」
「年頃の男女って、私達まだ対外的には十三? でしょ? 子供じゃない」

 私の反論にシンクは一瞬だけ言葉を詰まらせた。
 けれどすぐに何か納得したようで、ああと頷いて教えてくれる。

「君の居た世界ではそうだったかもしれないけど、オールドラントじゃ充分大人だよ。貴族ならともかく、平民は十三なら嫁いでる女だっているし、子供だって作れる年じゃないか」
「は……?」

 今度は私が言葉を詰まらせる番だった。
 脳裏によぎるのは若い女性の妊娠による体の負荷とか、未成年淫行とか、若者の倫理観の崩壊とか、昔ニュースで見たような文字列だ。
 けれど確かに中学時代恋人とそういうことをしていたという友達は居たし、そもそも日本だって平均寿命が低かった昔は結婚も出産も早かった。
 それを思えば経済的に恵まれている貴族位の人達ならともかくとして、農村部の人達ならばこの年ごろから嫁いでいてもおかしくはない。

 それに日本人に比べてこの世界の人達は発育がいい。元の世界でもアジア人よりも欧米人の方が出産の負担が少ないと聞いたこともある。
 そういう意味でも若い人の出産は日本人より負担が少ないのかも……違うそうじゃない。

「えっ、ちょ、えっ。つまり、私とシンクって、そういう関係に見られてる、ってこと……?」
「そうだよ。なに、本気で気付いてなかったの? 君とよく話す詠師トリトハイムとかはまあ、君の保護者と被保護者って言葉に納得してるかもしれないけど、大多数の教団員は多分そう思ってるよ」
「えっ、えぇえ? ちょ、ちょっと待って、えぇええぇ!?」
「……そんなに嫌なら、」
「ちがっ、いや、そうじゃなくて! 嫌なんじゃなくて、驚いてるだけで! 余りにも想定外だったから、えぇええ……? 十三って私の国だとまだ結婚できる年じゃないんだよ……?」
「結婚に年齢制限でもあんの?」
「法律で、駄目って、決まってる……」
「それが当たり前なら……まあ驚くか。ちなみに何歳からならいいわけ?」
「十六……でも十六歳って大半の子がまだ学校通ってるし、十代で妊娠出産なんて私の周りじゃ居なかったし……」
「そりゃ驚くわけだ」

 シンクはため息交じりに納得したが、私はまだ驚きが抜けてなかった。
 貧民街の不衛生具合にだいぶショックを受けたことを思い出す。それと同じくらい、私は今異世界ショックを受けている。
 けれどシンクは私のショックをさらりと流して話を進めてしまう。待って、私まだ付いていけてない。

「ま、そういう理由もあるから一緒に住むのはもう無理だと思うよ」
「ファンタジー……」
「頭大丈夫?」
「あんまだいじょばない……」

 私の反応にシンクがまたため息をついた。顔を上げれば仮面をつけていても解るほど呆れているシンクがいる。
 そのシンクとそういう関係だと思われていると思うと、自然と頬に熱が集まって俯いてしまう。いや、実際はそんな関係ではないと私が一番よく解ってるんだけど。
 いや、でもそれならいっそのこと……。

「なら、いっそのこと本当にしちゃダメかな?」
「は?」
「シンク、家族になろうよ」

 私の言葉に、シンクはぽかんと口を開けた。

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