世界嫌悪02



 シンクと引き離され新しい部屋に来て三日経った。
 毎朝やってくる付き人だという彼女たちを追い払うのは最早朝の日課と化している。いらないって言ってんだから来ないで欲しい。
 確かに髪の手入れは大変だけど、親しくもない人に触れてほしくなどない。

 新しい部屋に移らされて一晩経ち少し落ち着いたところで、シンクを解放してくれないなら仕事を放棄することも考えた。
 私自身だって取引の材料になるだろう。シンクが居ないなら教団に未練なんてないし、マルクトやキムラスカに出て行っても問題ない。
 けどイオンから手紙が来て、私は自分を脅しに使うのは踏みとどまった。

 私を利用したい人たちにとってシンクは確かに邪魔者だが、同時に私に対する人質でもあるらしい。
 だから私と引き離すという目的を達成してもすぐに解放せずに確保しているし、人質として価値がある間はある程度は丁寧に扱われる筈だとも。
 ただ事実はどうであれシンクは形式にのっとって捕縛されている。これを打開するにはこちらも形式に則らないといけないので、どうしても時間がかかる。
 今イオンがグランツ謡将と何とかシンクを解放してもらえるよう動いているから、どうか待っていて欲しいと手紙はしめられていた。

 つまり私が勝手に動いちゃだめらしい。
 シンクを解放してくれないなら仕事をしないぞとか、教団から出て行ってやるぞとかは、やらない方がよさそうだ。
 まあ私の元に届けられた法衣とやらには指一本触れてないけどね!

 そんな訳で悶々と引きこもりをしていたら、客の来訪が告げられた。何でもアッシュとアリエッタが来ているらしい。なんで?
 前回大変気まずい別れ方をしたので帰ってもらうことも考えたのだが、少しでも情報が欲しくて私は二人をもてなすことにした。

「その……すまん」
「お邪魔します……」
「……どうぞ」

 お互いギクシャクしながらもソファを勧め、紅茶をふるまう。
 居心地が悪そうなアッシュに一応来訪の理由を聞けば、どうやら二人は私のご機嫌取りのために詠師から派遣されたようだった。
 あっちからすれば一度旅路を共にした同年代、仲も良かろうと判断しての派遣だったのだが、実情はこれである。アリエッタなんてなんも喋らないよ。機嫌を取るどころか気まずいよ。
 どうしていいか解らない沈黙に紅茶に口をつけていたら、アッシュが何か言おうと口をもごもごさせ始めた。

「……シンクのことは、聞いた。大変なことになっているようだな」
「……冤罪だよ」
「そうなのか?」
「そうだよ。確かに私は部屋から出なかったよ。シンクからも、出ないように言われてた。でも……きっとあれで良かったんだと、今では思う」

 私の言葉にアッシュは僅かに首を傾げる。
 私はカップをソーサーに置いて、あの箱庭みたいな小さな世界しかなかった頃を思い出す。

「シンクに保護される前の私は貧民街で生きるのに必死で、それなのに売り飛ばされて、導師と同じ顔なのに身体は女なんて利用価値しかないこの身体がどんな扱いをされるか、ただ怯えて……諦めてた」
「……ああ」
「そんな人間がさ、さあ貴方は解放されましたよ。自由に生きて下さいって言って放り出されて、生きていけると思う? シンクの庇護下に居る時は確かに自由がなかったかもしれないけど、穏やかだった。飢える心配も、不衛生な環境に吐きそうになることも、いつ襲われるんじゃないかって不安で眠れないこともなかった。あの時間があったから、私は回復できたの」
「そうか……あんたがそう言うなら、そうなんだろう」

 あの箱庭みたいな小さな世界で、私はすり減った心は間違いなく癒された。衣食住が保証された安全な生活は、心の余裕を取り戻させてくれた。
 確かにシンクは私を外に出さなかったけれど、それを何も知らない人間にやいのやいのと言われるのは腹が立つ。

「シンクが、お前を生かしたんだな」
「……そうだよ」
「……前に、言っていたな。死にたくないと思うのは、レプリカだろうが被験者だろうが当然の感情だと」
「え? ああ……確かにそんなこと言ったね」
「死にたくなかったアンタに、どんな形であれ手を差し伸べたのがシンクだったのか」
「そうだよ」

 はっきりと、肯定する。私はシンクに救われたのだと。
 多分アッシュやアリエッタはこの後詠師から話を聞かれるだろうから、決してシンクは私を監禁していたわけじゃ……いや、監禁だったな。結果的に私が救われてるだけで。
 でもそこまで肯定してしまうとやっぱりシンクが捕まってしまうので、あくまでも私のケアのためだったと言い張るしかない。

「……すまなかった」
「え?」
「以前、船の上で」
「あ、ああ……えっと、何が?」
「だから! ……あれから色々考えたが、あれは完全に八つ当たりだった……と思う」
「アッシュ……」
「あんたの言う通り、死にたくないと思うことに被験者もレプリカも関係ない。その通りだ、生きてるんだからな。俺も死にたくないから逃げてきた。それなのに必死に生きてるお前たちにあたるのは……違うだろうと、そう思ったんだ」
「……解ってくれたなら、いいよ」
「正直に言えば、俺のレプリカに対する憎しみはまだ、ある。レプリカの自由を俺が奪ったのだというシンクの言葉に思うこともある。だがそれは俺の問題だ。詫びになるか解らんが、今回の件で協力できることがあれば言ってくれ。微力ながら力になろう」
「ありがとう、アッシュ」

 アッシュの真摯な言葉と新しい味方の存在に私はホッと息を吐いた。
 一種の軟禁状態ともいえるこの状況では、どんな相手であれ味方が出来るのは心強い。

「あの! えっと……その」
「アリエッタ?」
「アリエッタも……その、あの。ごめんなさい。アリエッタ、本当のことが知りたくて、酷いこと……しました。シンクも、マユミも、内緒にしてたのに」
「……うん」
「でも、アリエッタ……どうしても知りたかった。アリエッタのイオン様、アニスに取られて変わっちゃった。そう、思ってたから」
「アリエッタ……」
「マユミ、今のイオン様は……アリエッタのイオン様じゃない。総長から聞きました。アリエッタのイオン様は、死んじゃった。居なくなっちゃった」

 アリエッタの質問に私は言葉を詰まらせた。
 眉を寄せて涙をこらえながらぎゅっとぬいぐるみを抱きしめるアリエッタ。
 今にも泣き出しそうな彼女は、親を見失って迷子になった子供みたいだった。

「総長、言ってました。新しいイオン様を、マユミを守って欲しいって。アリエッタのイオン様が残したもの、アリエッタに守って欲しいって。それがイオン様のご意思だって」
「グランツ謡将が?」
「はい……でも、アリエッタ……マユミとシンクが生きるためにつけていた仮面を、勝手に暴きました。それはきっと、縄張りを荒らすくらい、酷いこと。だから……だから、ごめんなさい」

 ゆっくりと桃色の頭が下げられる。
 拙い言葉の謝罪を受け止めた私はソファから立ち上がると、アリエッタの前で膝をついてそっと肩に手を添えた。

「もういいよ、顔を上げてアリエッタ」
「マユミ……」
「アリエッタは、被験者のイオンが大好きだったんだよね。だから必死に考えて、ああなったんだよね?」
「……はい」
「確かに秘密にしてたことを勝手に暴かれるのはすごく嫌だよ。だからもう、しないでね。誰にだって知られたくないことはあるんだから」

 私の言葉にアリエッタはこくんと頷いた。
 ぐずぐずと鼻をすするアリエッタの涙をハンカチで拭う。そのままぎゅっと抱き着かれたから、その背中を撫でてやる。

「うっ、ぅう……っ、ごめんなさい。イオン様、ごめんなさい……っ!」

 多分アリエッタの中でもいろんな感情がぐちゃぐちゃになっているのだろう。イオンへの謝罪を口にしながらアリエッタはわあわあと泣き始めた。最早自分でも何に対して謝っているかなんて解っていないに違いない。
 それでも何かの慰めになるならと痛いくらいにしがみ付いてくるアリエッタの背中を優しく叩く。アッシュの方を見れば、どうしていいか解らず困っているようだった。
 けど大切な人が亡くなっていることを知らなかったアリエッタは、死を悼むことすらできなかったのだ。今は泣かせておいてほしい。

 それからたっぷり泣いてアリエッタは、最終的に泣き疲れてそのまま眠ってしまった。がっしりとしがみ付かれたまますうすう寝息を立てている。
 ただいい加減私も体勢が辛かったので、アッシュに手伝ってもらいながらアリエッタをソファに寝かせる。
 私の代わりにぬいぐるみを腕に抱かせれば、眠っている筈のアリエッタはぎゅうとぬいぐるみを抱きしめた。ライナスの毛布みたいなものなのかな……。

「その、重ね重ねすまない」
「アッシュが謝ることじゃないよ」

 居心地が悪そうに謝るアッシュに苦笑してから私も自分の席に戻る。
 そして完全に冷めてしまった紅茶に口を付けると、同じく冷めた紅茶を飲み干したアッシュがぽつりとつぶやいた。

「レプリカと入れ替わってしまえば、死んだことすら気付いてもらえず、悼むことすらしてもらえないのか……」
「……そうだね。すごく、悲しいことだと思う」
「罪深いな……レプリカ技術というものは」

 多分、思わず漏れた言葉だったのだと思う。ずきりと胸が痛んだところで慌てて配慮の足りない言葉だったと謝罪をされる。
 けどアッシュはかつて自分が居たところにレプリカが居るのだ。そう思って当然だと、私は苦い笑みを零してその謝罪を流した。

 紅茶を淹れなおし、場を切り替える。
 改めて外の様子を聞きたいと言えば、アッシュもまた居住まいを正して静かに頷いた。

 

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