もしもの話@
逃げなくちゃ、と思った。
気付けば知らない場所に居た。周りに居る緑色の頭の子供たちは何故かぼうっとしていて反応がない。
意味が解らないなりに大人しく耳を澄ませて情報収集していたら、なんとこの子達を廃棄するという。
そして私も、廃棄される側らしい。ということも察せられた。
意味が解らなかった。
でも私の髪はいつの間にか緑色になっていたし、肌は異様に白かった。
足は筋肉が落ちていて、成長期前のように胸もぺったんこになっている。
何もかもがどういうことなのか解らないまま。それでも殺されるのはごめんだと、人気がなくなったのを見計らってその場から逃げ出した。
けれどペタペタと素足で知らない建物を出口を求めて探していた私は、どうやら運が無かったらしい。
やっぱり緑色の髪をした、けれどあの子達よりもずっと自我がありそうな男の子に私は見つかってしまった。
「驚いたな。レプリカが逃げ出してるよ、ヴァン」
「これは確かに驚きですね。刷り込みをしたレプリカは自我が薄いものですが……」
興味深そうにこちらを見てくる緑色の髪の少年と、目を丸くするマロンペーストの髪の屈強な男性。
どちらも見慣れない服装だが、捕まると碌な目に合わなさそうなのは察せられる。
咄嗟に踵を返して走り出したところで、足に何かが引っかかって思い切り転んでしまった。
見れば男の子が持っていた杖に引っかかったらしい。恐らく私に向かって、男の子が投げたのだろう。
「へえ」
「あ……い、いや」
近寄ってくる男の子が怖くて再度駆けだそうとする。
けれどそれよりも早く背中を踏まれて、立ち上がるのに失敗した私はしたたかに顎を打ち付けるはめになった。
「ぁぐっ」
「ねえ、もしかしてコイツ女?」
「となると五番目のレプリカでしょう。シンクロ率は高かったものの性別が反転してしまった個体です」
髪を引っ張られ、痛みに喘ぐ。
無理矢理顔を上げさせられたかと思うと、嗜虐的な笑みを浮かべた男の子と目が合った。
涙目になりながらも睨みつければ、更に笑みが深まる。サドッ気があるのかもしれない。
「はは、反抗的な目してる。どう考えても自我があるでしょ、これ」
「うあっ」
髪を離され、背中を強く踏まれた。肺を圧迫されているせいで苦しくてたまらない。
何とか逃げ出そうと藻掻くが、抑えつけてくる足はどんどん体重をかけられる。
意識が飛びかけたところで足が離れ、いきなり飛び込んできた酸素に溺れて思い切り咽こんでしまう。
「ふぅん……ねえ、ヴァン。これで遊ぼうと思うんだけど、適当な部屋ある?」
「ほどほどでお願いします。先日も体調を崩されたばかりでしょう?」
「うるさいな、別にいいだろ。どうせ死ぬんだ。それなら死ぬまで好きにするさ」
「解りました。イオン様の御心のままに」
私を無視して勝手に話が進んで、ヴァンと呼ばれた男に人が私の腕を掴んで無理矢理立たせて来る。
引きずるようにして連れ込まれた空き室。
堅いベッドに放り投げられ、ヴァンという人は出ていき男の子だけ残る。
舌なめずりをする彼がたまらなく恐ろしかった。
「い、イヤ……来ないで」
「いいね、その怯えた顔」
「やだ、あ!」
「ははっ」
逃げ出そうとしても無駄だった。
痛みと恐怖の中で、私の純潔は汚された。
■
「起きろ」
「ん……っ、痛っ」
「僕が起きろって言ってるんだからさっさと起きろ」
「あう……」
頭を殴られて目が覚める。
重い身体を何とか動かせば、半端に服を着たイオンが伸びをしているところだった。
イオンは……私の被験者は、何が楽しいのか私を飼うことにしたらしい。
私は小さな家に閉じ込められ、時折訪れる彼の相手をさせられていた。
魔物避けのされたこの家を出れば、私はあっという間に魔物の餌になると言われている。
碌な服さえ与えられていない状態では、脱出など夢のまた夢だった。
私はレプリカ、という存在らしい。
イオンの情報を元に第七音素のみで作られた人工生命体なのだという。
それからここはオールドラントという世界で、その中でもローレライ教団という宗教施設の近くにあるらしい。
イオンはその宗教のドウシサマだそうだ。
こんな子供をトップに据えてるなんて、そのローレライ教団とやらは碌な宗教じゃないに違いない。
「お腹空いた。ご飯作って」
「……わかった」
イオンは我儘な子供だった。
大きな半そでシャツを一枚着ただけの私に好き勝手命令する。
殴って起こしてご飯を作らせる。夜の相手もさせられる。
けれどよく解らない子供でもあった。
一方的に愚痴をまくし立てて喋るだけの日もあれば、何も言わずにただ痛いくらいに私にしがみついているだけの日もあった。
この部屋ではイオンは暴君だ。けれど教団では優しいドウシサマをやっているらしい。
自分を偽るストレスを渡しにぶつけているのかもしれない。ぶつけられるこっちはたまったものじゃないけど。
手早く食事を作り、イオンはそれをつまらなそうに食べる。
空になった食器を片付けている内にイオンの姿は消えていた。
またふらりと来るのだろう。
■
「る、るー、るるるる、る、るるるー、る、るるる、る」
ベッドヘッドに身体を預けながら、窓から見える月を眺めて昔好きだった歌を口ずさむ。隣では散々欲を吐き出したイオンが小さく寝息を立てていた。
イオンは抵抗さえしなければ暴力は振るわない。
最近は夜の相手も慣れてきた。こんな小さな体でもしっかり受け止められるのだから、人の身体ってのは不思議なものだ。
もしかしたらレプリカが特別製なのかもしれないけど。
「る、るーるるる、る、るるるーるる、るる、る」
小声で歌を口ずさむ。起きたらうるさいって怒られるかもしれない。
けれど疲れている筈の身体はちっとも眠気が来なくて、夜の静寂が寂しくて自分の歌声で誤魔化している。
犬の吠える声とか。車が走る音とか。機械の駆動音とか。
昔は夜中でもどこかしらから聞こえてきた音がここでは一つも存在しない。
しんとした夜は少し怖い。だから小さな、小さな小さな声で口ずさんでいた。
目を瞑ればそれだけで元の世界に居られるような、そんな錯覚を覚えた。
「……聞いたことのない旋律だ。お前が考えたの?」
声がして、ハッと目を開ける。見ればイオンが目を覚ましていた。
うるさいと怒られるかと思ったけれど、イオンは一つあくびをしてから私の身体に腕を回してしがみついてくる。
私の足を勝手に枕にして、うつらうつらとしているようだった。
質問をしておきながら、答えを期待しているわけではないらしい。
「続き」
「……え?」
「続き、歌って」
まさかそんなことを言われるとは思わなかったけれど、怒られなかったのならいい。
私がまた小さく口ずさめば、イオンは目を閉じる。
子守歌が欲しかったのだろうか。
子供みたいなことをする。
そう思って、子供なんだと気付いた。
ただ中身がとても歪なだけで。
恐る恐る頭を撫でてみる。
まだ眠ってないだろうに、イオンは私に怒ることはなかった。
■
「お前はさ、預言のこと、どう思う?」
ふらりとやってきたイオンからそう聞かれて、私は首を傾げた。
預言。星の記憶。それは刷り込みされた知識で知っている。
ローレライ教団が管理するもの。イオンが導師になった理由。それはイオンが教えてくれたこと。
つまり、星の行く末を描くレールみたいなものだろう。
「……道?」
「道。道か。そうだね、間違ってない。僕等が歩むべき道。僕等の導となるべきもの。そして僕等の行く末を決めるもの。確かに、道だね」
私の答えはイオンのお気に召すものだったらしい。
にこりと笑ったイオンは一人で納得していたけれど、その笑顔はどう見ても作り物だ。
「じゃあお前は、その道から外れることが出来るかい?」
「しちゃ駄目なの?」
「駄目だよ」
「どうして?」
「いけないことだからさ」
「……わかんない」
「ふ、ふふ。そうだね。そうだろうさ」
「道は人が作るものじゃないの?」
私の質問にイオンはぴたりと笑うのをやめて真顔になる。
そして椅子に座ると無言で私を手招いた。
機嫌を損ねたのだろうか。びくびくしながら近づくと、足元に座れと言うように床を指差される。
大人しく従えば、何故か珍しく……本当に珍しく、頭を撫でられた。
「馬鹿だ馬鹿だと思ってたけど、お前は本当に馬鹿だね」
「……?」
何故貶されながら頭を撫でられているのだろうか?
「道を作るのは人じゃない。星だよ。預言は星の記憶なんだから。ローレライが居る限り、誰も逃れられやしないんだ」
「ローレライ……第七音素の音素意識集合体のこと?」
「そう。覚えてたんだ。かつて聖女ユリア・ジュエと契約を交わして預言をもたらした。教団が崇めるべき存在だよ」
「神様みたいなもの?」
「そうだよ」
「……イオンはローレライが嫌いなの?」
「よく解ってるじゃないか」
「じゃあ……他の意識集合体を崇めればいいんじゃない? イオンがドウシサマなんでしょ?」
「……お前は本当に馬鹿だねえ」
何故だ。
音を司る音素意識集合体が神様なら、他の音素を司る音素意識集合体も神様で良いだろうに。
■
「お前はさ、神様っていると思う?」
また私を足元に置きながら、イオンはそんなことを聞いてくる。
「ローレライ教団にとっては、ローレライが神様なんでしょう?」
「そうだよ。でもお前は信じてないだろ?」
「うん」
「じゃあお前に神様は居ないのって聞いてるの」
イオンの言葉に私はむんと考えた。
この世界の宗教観は、正直なところよく解らない。預言を尊いものとするのも、それをもたらすローレライを崇めるのも。
ユリアを崇めるのは少しだけ理解できる。歴史に残る聖人は時が経つほど美化されるものだから。
でも確かにイオンの言う通り、理解できない宗教の神様を居るというのは違うと思う。
ならやっぱり私が信じる神様は、元の世界の価値観に準じたものになるのだろう。
「居ると思う」
だから素直にそう考えれば、何故かイオンは嗜虐的な笑みを浮かべた。
その笑みを見るのは久しぶりだなあと思いながらイオンを見上げる。
最近は夜の相手をする回数も減ってきた。殴られる回数も減ってきた。
ただこうして問答する時間は増えた。この笑みは私に嫌なことを言う時の笑みだ。
「じゃあお前の神様は、どうしてお前を助けてくれないんだろうね?」
「どういうこと?」
「神様なら助けてくれるだろう?」
「どうして神様が人間を助けなきゃいけないの? 人間のことは人間がするべきだよ」
ああ、そうか。イオンは神様なんて居ないって言いたいんだな。
助けてくれる存在なんて居やしないんだって言いたいんだ。
そう察しながらもそう返せば、イオンは笑みを消した。
思った通りの反応じゃなかったからだろう。
「じゃあお前の言う神様って……何?」
「世界を作って、ただそこに在るもの。私達は神様から世界で生きるという恩恵を貰ってるんだから、それ以上求めたら駄目だよ。それはただの我儘だもん」
「……そう。お前はそう考えるんだ」
「うん」
「不思議だ。お前の自我は……どこから来たんだろう」
「……多分、オールドラントじゃないどこか」
「そうか。うん。きっとそうなんだろうね」
イオンの質問にドキリとしたけれど、当たらずとも遠からずの言葉を返せばそれ以上の追及はされなかった。
■
「お前の神様は、人を助けてくれないんだろう?」
「たまに助けてくれるよ」
「そうなの?」
「うん。たまに。でも人が望んだ形じゃない時もあるから、お祈りする時も気を付けないといけない」
「例えば?」
「……仕事を辞めたいですってお祈りしたら、大怪我を負って仕事ができなくなったりとか」
「……なるほど」
椅子に座ったイオンに聞かれて素直に答えれば、イオンは目を丸くしながら納得していた。
イオンが訪れる頻度が着々と減っている。
最初は顔を合わせる数が少なくなったことに安堵していたけど、最近は少し怖い。
イオンが消えてしまうのではないかと、そんな馬鹿みたいなことを考える。
正直、暴力がなくなって絆されている自覚があった。
「あと願いを叶えてもらったらちゃんとお返しをしないといけない」
「随分と俗な神様だね」
「でもお礼をするのは大事だよ?」
「まあ……そうだね」
「お礼を言うのなんてただなんだから、いっぱい言った方が良いと思う」
「例えば?」
「今日も一日何事もなく過ごせたこととか。自分の糧になる全部の命に対してとか。大切な人が健やかにあることとか」
「……お前は一日中感謝して生きてるの?」
「ルーチンになっちゃえば面倒じゃないよ」
いただきますも、ごちそうさまも。おはようございますも。おやすみなさいも。
全部全部、元をたどればそれは感謝だと私は思ってる。
家事を終えた私は自分からイオンの足元に腰を下ろした。最近ここが定位置になっているのだ。
殴られることもなくなったし、たまに頭を撫でられると少しだけ嬉しい。
イオンを見上げれば、緑色の瞳が揺れているように見えた。
「じゃあ……たくさん感謝したら、お前の神様は僕を助けてくれると思うかい?」
「イオンは助けてほしいの?」
「そうだね。世界が僕に優しくないから」
「じゃあ私もお祈りしてあげる」
「お祈りする時は気を付けなきゃいけないんじゃないの?」
「多分大丈夫。きっと。メイビー」
「なにそれ」
ふっ、と笑みを零しながらイオンが私の頭を撫でた。
だからその場で柏手を打って、神様にお祈りをする。
イオンはローレライが嫌いみたいだから、他の音素集合体にお祈りしておこう。
「シャドウ。ノーム。シルフ。ウンディーネ。イフリート。レム」
「音素意識集合体に祈るんだ?」
「どうか世界がイオンに優しくなりますように」
「ふふ、確かにその言い方なら大丈夫そうだ」
一礼して、もう一度柏手を打つ。
まあ気休めにもならないが、イオンの機嫌がいいなら良しとしよう。
そう思ったのに、ふと頭上に気配を感じて顔を上げた。
天井よりもはるか向こう。空の上から何かが降ってくる。
イオンも感じたのか、目を見開いて天井を見上げていた。
「……嘘だろ」
呟いたイオンが私の手を取る。
けれどイオンに引っ張られるより早く、降り注いだ大量の光が私達を包み込んだ。
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