もしもの話B
「いお、あ」
むすっとしたイオンがやって来た。
けど一人じゃない。いつか見た、そう、ヴァンという人と、シンクという男の子が一緒だった。
ヴァンの後ろに立っていたシンクが指を一本、唇の前で立てる。
自分のことは内緒にしろということか。
イオンはずかずかと部屋の中に入ると、乱暴に椅子に座る。
「お前を出すことになった」
「え」
イオンの言葉に思わず目を見開く。
ヴァンに説明するから座るように言われたが、この小さな家には椅子は二脚しかない。
迷った末にイオンの足元に座ると、少しだけイオンの機嫌が上向いたのか頭を撫でられる。
ヴァンは少し驚きながらも、残された椅子に腰かけた。
以前私が呼びこんだらしい大量の音素は、未だローレライ教団で問題になっているらしい。
イオンを健康にしたというあの大量の音素が、預言を覆したからだそうだ。
健康になったなら良いじゃないかと思うが、預言を尊ぶ人たちにとってどうしても受け入れがたいことらしい。
イオンの死が望まれているようで私はへにゃりと眉尻を下げた。
「お前は預言に詠まれて密かに育てられていた僕の血縁ということにする」
「え」
「先代の導師エベノスが引き取って密かに育てていたけれど、自分の死後はヴァンに託した。死期が近づきそれを知らされた僕は血縁ということもあって積極的に足を運んでいた。そしてお前の祈りで僕の死の預言は覆された。そう話せば預言順守派もお前を簡単に処分するわけにはいかないからね」
「イオン、よくわかんないよ」
「住む場所を移すということだけ解っていればいいよ。他の奴等には会わなくていい」
「導師イオン、そういうわけには参りません。詠師達が彼女に注目しています。どれだけ貴方が囲おうと、嫌でも引きずり出されることになるでしょう」
「これは僕のだ」
「だとしても、です。聡明な貴方ならば解る筈だ。多少見せびらかしておけば手を出しづらいことも」
ヴァンの言葉にイオンが舌打ちをした。つまりヴァンの言う通りということだ。
ヴァンが私を見る。怯えてイオンにくっつく私にヴァンは静かに言う。
「あれ以降特に音素が収束することはないとのことだったが」
「は、はい」
「詠師達は君が特別な存在なのだろうと思っている」
「し、知らない。私、何も知らない」
「だろうな。無害な存在だと知らしめねば、処分されかねないことをよく理解しておけ」
脅すように言われた言葉にぎゅうとイオンの服を握った。
青ざめた私にヴァンがシンクを紹介する。私の護衛らしい。
「君の事情を理解している数少ない人間だ。神託の盾に所属しているため常についているわけではないが、頼りにするといい」
「無視していい。壁の飾りとでも思っておきな」
ど、どっち?
ヴァンとイオンが正反対のことを言うものだから目を白黒させてしまう。
近づいてきたシンクが私の側でしゃがみこんだ。
仮面に隠された目元こそ見えないが、弓なりに歪んだ口元は以前見たものと変わらない。
「ハジメマシテ。シンク。それが僕の名前さ」
「し、しんく」
「お前の名前は?」
「……マユミ」
「そう、マユミっていうんだ」
茶番じみた自己紹介をしていると、イオンに顎を取られて上を向かされる。
不機嫌そうな顔をしたイオンが私を見降ろしていた。
「……誰に名前をつけられた」
「っ、ち、ちが」
「僕の知らないところで誰と会っていた」
「ちが、う。イオン、ちがう。誰にも会ってない。私、この家から出てない……っ」
「なら、その名前は?」
「あったの。前から、あったよ。イオンが知らないだけで、あったんだよ」
「……ふうん。そう」
怯える私に、眉間に皺を寄せたイオンがそれだけ呟いてするりと手が離れていく。
シンクを見ればにやにやと笑っていた。
わざと名乗らせたのだと解って、この子嫌いだと私はイオンにしがみ付いた。
■
夜、人目を避けるように家を出て教団へと移動する。
私物らしい私物は殆ど持ってなかったから、引っ越しは楽だった。
初めてといっていい外の世界はしんとしていて、外に出れた喜びよりも恐怖を助長する。
そうして与えられた部屋はイオンの私室のすぐ側だという。
リビングと寝室が別れた部屋は元々住んでいた小屋よりも広い。
「一応紹介しておくよ。お前の身の回りの世話をさせる」
そう言って紹介されたのはフード付きの服を着て仮面をつけた、性別の解らない人だった。
ゆったりとした服を着ているせいで首元も身体のラインも出ていないのだ。
唯一見える掌はほっそりとしていて中性的で、性別の見当をつけるに至らない。
「お前は自分のことは自分で出来るだろうけど、一応ね。後万が一のことがあった場合、こいつがお前の肉盾になる」
「に、にくたて……」
嫌な響きだ。
頬を引きつらせる私に世話役だという人は小さく会釈してくれた。
なので私もよろしくお願いしますと頭を下げると、イオンから腰を抱かれて引き寄せられる。
「イ、イオン?」
「そいつと話す必要はない」
「でも、挨拶くらい」
「しなくていい。部屋の備品みたいなものなんだから」
これ以上言及したらイオンの機嫌が悪くなる。
そう判断した私は大人しくイオンの言うことに従い頷いた。
イオンは上機嫌に良い子だねと笑って私の額にキスを落とす。
「そう、お前は僕の言うことに従っていればいい」
「……はい」
部屋を移っても、イオンの血縁という設定になっても、私はどこまでもイオンのお人形らしい。
俯く私に続いて部屋の外には護衛が常についていることや、統括役であるシンクも度々顔を出すことが説明される。
大人しく頷く私の頭を撫で、イオンはまた明日と言って部屋を出ていった。
……部屋が近くなるってことは、今まで以上にイオンは足を運んでくるのだろうか。
イオンの背中を見送ってからため息をつく。
そして世話役だという人の存在を思い出し、改めてぺこりと頭を下げれば、あちらも少しためらった後にもう一度会釈してくれた。
なのでちょっとだけ躊躇った後、世話役の人の隣に立って壁に背を付ける。
隣から困惑した空気が伝わってきた。
「これは独り言なんですけど」
ぽつりと零す。
仮面越しにこちらを見られてる気がして、そのまま言葉を続ける。
「一応家事全般とか、問題なくできます。一人でやってきたので。でもそれ以外は右も左も解らなくて、ローレライ教団のことも殆ど知らないので……何かあったら、助けてくれる人がいると嬉しいなあって思ってます」
ちらりと隣を見る。きちんと聞いてくれているようだ。
「あと髪のお手入れも手伝ってくれる人がいると嬉しいなあ」
そう零して壁から離れる。独り言なので返事を期待してはいけない。
けれどこれで問題がなければ、これからも独り言という体で色々伝えていけたらと思う。
■
詠師会という場所に呼ばれた。
怖い顔をしたおじさんとお爺さんばかりで、何もしゃべらなくていいと事前に言われていたこともあってだんまりを貫いた。
私は前導師エベノスによって隠されて育てていたので、そもそも人とのコミュニケーションにも難がある……という設定らしい。
まだ話せるのがヴァンとイオンとシンクだが、一番イオンに懐いている、と説明していた。詠師でもあるヴァンが。
まあ間違ってはいない。実際、睨むようにこちらを見る詠師の人達に私はイオンの陰に隠れて震えることしかできなかったのだから。
そうしてだんまりを決め込んだ詠師会を終えた私は、部屋に戻るためにイオンと一緒に教団内を歩いていた。
イオンを守るために居るのだという、守護役の人達に囲まれながらせっせせっせと足を動かす。
詠師会に出るからと法衣とやらを着せられているのと、少し踵の高い靴に慣れないせいで気を抜くと転びそうになるのだ。
なのにこんな長い距離を歩くなんて久しぶりで私の足は既に疲れを見せ始めていて。
「いった!」
「大丈夫ですか?」
案の定、私は盛大にスッ転ぶ羽目になった。守護役の人達にサッと避けられたのが悲しい。
イオンが慌てて私に駆け寄ってくるけど、余所行き用の猫を被ったイオンはちょっと怖いと思ってしまう。
強かに打ち付けた掌を擦りながら上体を起こして、ふと壁の下の方に書かれていた文字に気付く。
足元付近、半分棚に隠れるようにして書かれている文字は『サザンクロスのケチ!』だ。
「……イオン、サザンクロスって誰? 教団の人?」
「サザンクロス? 創世歴時代の天才である、サザンクロス博士のことですか?」
「そうなの?」
「何故そんな質問を?」
「あそこに書いてあるから。誰かが落書きしたのかなって思って」
解らないことはイオンに聞けばいい。そう教えられ、そうしてきた私は抱いた疑問を素直に口にした。
珍しく答えを断言せずに首を傾げるイオンに壁を指差せば、イオンの顔が強張る。そんな顔をされる理由が解らずに首を傾げ、もう一度壁を見る。
そういえばこっちにも日本語ってあるんだな。知らなかった。今私が話しているのは刷り込みされていたフォニック言語だし。
「……貴方はあれが読めるのですか?」
「? うん」
ざわりと、守護役の子達がざわめく。
イオンの差し出した手に掴まって立ち上がりながら、不審げな目を向けられる理由が解らずイオンの服を掴んでしまう。
「あれは装飾文字と呼ばれています。教団のあちこちにありますが……解読できる人間は、僕が知る限り一人も居ません」
「え……?」
日本語が、装飾文字? 誰も解読できない? どういうこと?
真面目な顔をしたイオンに思わず目を見開いた。
イオンは眉間に皺を寄せて少し考え込んだ後、私の手を取ってまた歩み出す。けれど向かう先は私の部屋でも、イオンの部屋でもなかった。
教団のあちこちにある日本語を見せられ、それを読むように言われたのだ。
どういうことか解らないままイオンに言われるがままに文字を読んでいく。
読んでいく内に解ったのは、この日本語を書いた人が日本人の男の人だったこと。仲間がいたこと。大きな計画を立てていたこと。それからとても愛した人がいたこと。
懐かしさと親近感を感じながら読み進めた後、イオンは私室に戻るのではなく私の部屋へと足を向けた。
守護役の人に扉の外で待っているように言って、私の手を引っ張り部屋へと入る。そして人目がなくなった瞬間、思い切り顔を歪めた。
「前から思ってたけど……お前、一体何者なの?」
「えっ。えっと……」
「お前は前に言ったね。自分の自我はオールドラントじゃないどこかから得たものだって。お前の持つ宗教観や価値観が異質なのは前から解ってたことだった。けれど流石にこうも異常性を見せられちゃ無視できない。どういうことか説明しろ」
イオンに詰め寄られ、壁へと追い詰められる。
険しい目をしたイオンに、私は震えながらきつく手を握り締めた。
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