飼育生活02



「……何してんの」

 それからどれくらいその文字と向き合っていただろう。
 気付けば部屋は真っ暗になっていて、弾かれたように振り返った背後には機嫌の悪そうなシンクが立っていた。

「貼り換えとけって言ったよね? そんなこともできな」
「シンク! この文字、これ! これ何!?」

 機嫌が悪そうなシンクの言葉を遮り、私はつかみかからんばかりの勢いでシンクに問いかけた。それだけこの文字は私にとって重要だった。
 シンクは今まで逆らうことの無かった私の突然の奇行に私を殴ることすら忘れているようだ。

 もしかしたら、同郷の人間が居るのかもしれない。
 もしかしたら、帰る手立てだって見つかるかもしれない。

 その一心でシンクに聞いたのだが、落ち着いたシンクは私の頭をはたくと壁に中途半端に張り付いている古い年間予定表を無理矢理剥がしビリビリに破く。
 いけね……忘れてた。

「ダアトのあちこちにある装飾文字だよ。見るの初めて?」
「う、うん」
「何はしゃいでるのか知らないけどさ、晩ご飯は?」
「え? あ……」
「作ってないの?」
「……うん」
「役立たず」

 辛辣な物言いにぐ、と言葉が詰まるが、食事の用意ができていないのは本当なのでかろうじて反論は堪えた。
 またペンッと頭をはたかれ、さっさと作れと言われてキッチンへと向かう。

 冷蔵庫から肉と野菜を取り出し、晩ご飯を作りながらシンクの言葉を反芻する。
 ダアトのあちこちにある装飾文字、ということはまだまだあの文字はある筈だ。それを追っていけば、何か手がかりがあるかもしれない。
 肉に下味をつけ野菜を切って鍋とフライパンへ放り込みつつ考えていたら、そこで一つ問題にぶち当たった。
 …部屋から出られないのに、どうやって文字を探そう?

 ポトフとさいころステーキを作りながら頭を捻る。
 部屋からこっそり抜け出して文字を探す? 不審者と間違えられて捕まるのがオチだろう。
 なんたってここは軍関係者の私室が集まる一角らしいし。

 どちらにしろシンクにバレたら相当酷いことをされるのが目に見えている。
 今のところ全て軽くはたかれたり蹴られたりで済んでいるのが行幸であることは私が一番理解している。それを悪化させるようなことをするのはどうしても避けたかった。
 もし抜け出して探すということを実行する場合、シンクの庇護下から去ることを前提にしなければならないだろう。

 あとは……何があるだろう。素直に話す、とか?
 ……頭がおかしいと判断されたらどうしよう?
 そう思うとそれも賢い選択とは思えない。

 そんな風に悶々と考えているうちに食事を作り終わり、部屋着に着替えたシンクが無言で食事を始める。
 私もその向かい側の席に着いて食事を突付いていたのだが、あの文字のことを考えると中々箸が進まない。

 そうだ、情報が少なすぎるのだ。多少怪しまれても良いから、もう少しシンクから情報を収集すればいい。
 そう思って顔を上げれば目の前にフォークがあって、それに驚いた私は反射的に椅子ごとひっくり返りそうになった。
 フォークが目に刺さらないでよかった……!

「何考え込んでるわけ? 食事の支度もできてなかったし、乖離でも始めてるの?」

 私にフォークを向けていたシンクは嘲笑交じりにそんな事を言ってくる。

「いや……ちょっと気になることがあって。ところで乖離って?」
「僕達の身体は第七音素のみでできてるからオリジナルの体に比べて音素同士の結合が緩いんだよ。その分乖離減少が起こりやすい」
「……簡単に言うと?」
「身体が保てなくって光に溶けて死ぬ」
「!」

 さいころステーキをもぐもぐと食べながらあっけらかんと言われた言葉に、私はフォークを取り落としそうになった。
 思わず身体のあちこちを触ってみたが、今のところその兆候らしいものは無いので胸を撫で下ろす。そして慌てる私に対し、シンクは馬鹿にするように言った。

「僕が無事なんだ。初期に作れらた一番目や二番目ならともかく、性別が違うだけで僕よりもシンクロ率が高い君がそう簡単に乖離するわけないだろ」

 ……シンクロ率とかはよく解らないが、とりあえず口調から馬鹿にされているのは解った。
 これはあれだ。食事の準備ができていなかったことに対する嫌がらせだ。そう理解した私はポトフに入っている野菜を噛み締めつつ、元の話題に戻すことにした。

「……ねぇ、あの装飾文字のことなんだけど」
「あぁ、アレ?」
「うん。あれ読める人ってどれくらい居るの?」
「装飾文字って言ってるだろ。意味なんて無いよ、あんなの」
「……うそぉ!?」

 シンクの言葉に思わず声を上げれば、シンクも私が声を荒げるという珍しい行動を起こしたのに驚いたのか目をぱちくりとさせている。
 シンクはいつもこうだ。驚いたりしても、私みたいに大げさな動きはしない。そう、例えるなら猫みたいな感じ。
 ほら、猫って自動車が来ても目を見開いてピタって動き止めるでしょ? あんな感じ。シンクなら動きを止めるだけじゃなくて車ごと殴りそうだけど。

「何? そんなに気になるわけ?」
「え? あ、うん……できれば他の文字も見てみたいなぁって」
「見て何があるのさ」

 それは、元の世界に戻る手がかりがあるかもしれないから。
 ……言えるか、こんなこと。

 他にどんな言い訳があるかと俯いて考えていると、シンクが身を乗り出しフォークを私の喉に突き刺してきた。
 身体を震わせてシンクを見上げれば、そこに浮かぶのは凶悪な笑み。無言でいたのがいけなかった。そう気付いて後悔してももう遅い。

「逃げるつもりなんだ?」
「……え?」
「そんな事言って、逃げるつもりなんだろ?少し自由にさせてやったせいで付け上がったみたいだね……もっと躾ける必要があるかな?」
「ち、違う!」
「じゃあ言いなよ。逃げるつもりじゃないなら言えるだろ」

 フォークが更に喉に押し付けられる。
 それに危機感を覚えて、他の言い訳が思いつかない私は素直に言うしかないと悟った。

「あ、あれが読めるから! 読めるから、他にどんなことが書いてあるか、知りたいの!」

 なので素直に言えば、シンクは笑みを消して片眉を上げた。そしてフォークを引いたかと思うと、私に向かって投げつける。フォークは綺麗な直線を描いて飛び、私の頬に傷をつけて背後の壁にぶつかった。
 ……フォークって武器になる、らしい。背中に冷や汗が伝うのがわかった。

「下手なウソも大概にしな」
「ウソじゃ、ない……本当に、読めるんだから」
「へぇ?」

 ばくばくと煩い心臓を押さえつつ断言すれば、端から信じるつもりの無いらしいシンク。
 また嘲笑を浮かべて年間表があった場所を指差す。読んでみろと言われていると解釈した私は、素直にその文章を口にした。

「この文字を綴ることに、何か意味があるのだろうか。解らない。解らないが私は思いのままに刻もうと思う。それだけが私がここに居たという証だから。そう、私は確かにここに居たんだ。このオールドラントに……そう、書いてある」
「……適当に言ったんじゃないだろうね?」
「違う!」

 この時になってようやくシンクは私の言葉に信憑性を持ち始めてくれたらしい。
 ヤケになった私は席を立つと、シンクにねだって買ってもらった日々のメニューを書き連ねているノートを持って来た。訝しげな顔をしているシンクにそれを見せる。

 そこに綴られているのは、日本語でかかれた毎日の食事内容。勿論シンクには読めないだろうが、シンクはやっと嘲笑を消してくれた。
 少し考え込んだ後、立ち上がってから予備の仮面とフードつきのマントを投げて寄越す。そしてシンクも仮面を付けて外の廊下へと通ずる扉へと向かった。

「……来な」
「う、うん」

 なので食べかけの夕食もそのままに、私も慌ててマントを羽織りフードを被る。
 そして仮面をつけると、不思議なことに目の部分が掘り込まれていないはずなのに視界が遮られることが無かった。何か譜術が使われているのかもしれない。

 シンクの後を続いて、久しぶりに部屋の外に出る。キョロキョロと周囲を見渡していると頭を小突かれ、連れてこられたのはソファとローテーブルがたくさんある部屋だった。
 数人の神託の盾兵の人達が談笑していたけれど、シンクの姿を見て立ち上がり敬礼をする。シンクはそれを手で制すると、そのまま私を連れて部屋の隅へと歩み寄っていった。

「これは?」

 何でシンク様がここに、なんてひそひそと話している兵士さんたちを余所に、シンクは部屋の隅の下の方に刻まれている文字列を指差した。
 それも間違いなく日本語で、その場にしゃがみ込んで刻まれた文字をなぞる。懐かしさに涙が出そうになるのを堪えつつ、私はその文章を読み上げた。

「この部屋での思い出を、私は生涯忘れることは無いだろう。あの穏やかな時間は、ここに来てからの私の宝物だから。大切な友よ、志を共にした仲間達よ、君達との思い出が私の心の支えだ」

 たった三行の、短い言葉の羅列。けど確かにここには、これを刻んだ人間の想いが綴られていた。
 きっとこれを刻んだ人間にとって、この部屋はたくさんの思い出が詰まっているに違いない。

「……次行くよ」
「へ? えぇ!?」

 私がその言葉に思いを馳せていると、シンクに襟首をつかまれ無理矢理立たされた。そして文句を言う暇もなく、次の部屋へと連行される。
 どうやら談話室だったらしいその部屋には、シンクの奇行にぽかんとする兵士さんたちのみが残されるのだった。

「ここは?」
「ここから全てが始まるのだ。不安がないと言えば嘘になる。しかし全てを成し遂げなければ、その為に私はここにいる。大丈夫だ、私は一人じゃない。共に戦ってくれる仲間が居るのだから……戦争にでも出たのかな?」
「これは?」
「この愛しさをなんと表現しよう。口にすることすらできない、まるで少年時代に戻ってしまったよう。彼女の全てが私の全てを奮い立たせる。叶うのならば、これから先の時間を彼女と過ごしたいと思う……男の人だったんだ」
「こっちは?」
「悲しみが止まらない。大切な友よ、何故先に逝ってしまったのか。私の書く文字を見る度に読めないと笑っていた、それでもこの文字が好きだと言ってくれた強く優しい友人よ。この文字を刻むことが君のはなむけになるだろうか……友達が死んじゃったのかな」

 次々とシンクに連れまわされ、刻まれている文字を読んでいく。その度に少しずつこれを刻んだ人がどんな人なのか、断片的に見えてくる。
 男の人であること、凄く大変なことをしていたこと、誰かを愛していたこと、友を亡くしたこと、この文字を残したのは……日本語を扱える人が他に居なかったから。
 自分がここに居たと遺したいと言う思いから、あちこちに文字を刻んでいたということ。

 日本語の懐かしさに目を細める私は、シンクが唇を引き結んでいることに気付かなかった。
 そして、シンクの雰囲気が段々と剣呑になっていたことも。

 どんな人だったんだろう? どこの人だったんだろう? どうしてここに着たんだろう? 私と同じ境遇だったんだろうか?
 そんな疑問で頭を埋め尽くしていた私は、気付くことができなかった。

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