幕間.憐憫と身勝手
「で、何の用」
茶会に呼び出されてから数日後、マユミにカースロットをかけてほんの少しの安堵を得た矢先、僕はまた導師イオンに呼び出されていた。
ただし場所は人気のない裏庭で、いつも連れている導師守護役は席を外している。文字通り二人きり。余りにも警戒心が無さすぎると呆れ半分、意図が読めずに警戒が半分。
なのにイオンはいつも通りにこにこしている。それが癪に触ってしまうのは最早反射のようなものだろう。
「こっそり呼び出してすみません。でも大々的に呼び出すのは流石に支障があったので。それに、マユミにも内緒にしたかったんです」
「何の用かって聞いてるんだけど?」
僕と同じように空っぽだと言った導師に対する感情は複雑だ。
今までのように遠慮なく憎むことも出来ない。かといってこの胸の内の嫌悪が消えたわけでもない。
だから腕を組んでため息交じりに言ってやれば、いつも通りの笑顔を浮かべている。
「少し、交渉といいますか」
「交渉?」
「マユミを、僕にくれませんか? 僕の世話役として。雑に扱わないと約束します。誰よりも大切にしますから」
「……は?」
いつも通りの笑顔で吐き出された予想外の言葉に、自分で思っていた以上に低い声が出た。僕からあれを奪う気かと殺気が漏れる。
向こうもそれを予想していたのか、肌を叩く殺気をものともせずに笑みを浮かべたままだ。
「やっぱり駄目でしょうか?」
ほんの少しだけ眉尻を下げる姿は判を押したようなお綺麗な導師様の微苦笑。
こちらが断ると解っていながらのその台詞に沸々と怒りが湧き上がる。
「あれは僕のだ」
「だから交渉してるんじゃないですか。僕にくれませんかって」
「……一応、ぶん殴る前に理由を聞いてやる」
「だって、ずるいじゃないですか。シンクばっかり」
ずるい? 今こいつはずるいと言ったか? 成功作のくせに?
「話したでしょう? 僕も欲しいんです。僕を僕と知った上で認めてくれるヒトが。だから、マユミを僕にくれませんか?」
僅かに小首を傾げながら言われた言葉に、咄嗟に殴りかかろうとした腕を無理矢理押しとどめた。
腹立たしいことこの上ないが、これは同じレプリカでも成功作で、教団の導師だ。僕が殴れば流石に今後に支障がでる。
何とか理性をかき集めて、衝動的に殴り掛かりたくなるのを必死に押しとどめる。
「お断りだね。あれは僕のだ」
「どうしても無理でしょうか?」
「お断りだって言ってるだろ。耳が聞こえてないわけ? 理解者が欲しいならあのお気に入りの導師守護役でも使えば」
「アニスのことですか? 確かにアニスは優しいです。でもそこまで心の内をさらけ出すわけにはいきません。彼女が知っているのは導師の僕ですから。それに僕がレプリカだと知って態度が変わるようだと他の守護役と入れ替えるのも、その……いろいろと面倒で。他の守護役達も、正直媚びを売られても嬉しくないといいますか。仕事をしてほしいだけなんですけど……」
こいつ、思ってたより図太いな。
つらつらと並びたてられた言葉に、ただお綺麗なだけの導師ではなかったのだなと内心独り言つ。
まあ確かに今の導師守護役達は急遽かき集められた烏合の衆なので、被験者に仕えていた生え抜きのエリートと比べれば役立たずではあろう。
かといってアニス・タトリンが優秀かと聞かれれば首を傾げるけど。
「アンタの守護役が役立たずだろうが知ったこっちゃないね。でもマユミは僕のだ。渡す気はない」
「そうですか……解ってはいましたが、残念です」
「話はそれだけ? だったら二度と」
呼び出すな、と言いかけた言葉は導師が肉薄してきたことで途切れる。
虚弱なくせに、それでもダアト式譜術を修めている身体はそれなりに動けるらしい。
腹に叩き込まれそうになった掌底を咄嗟に避けられたのは、正しく今までの訓練のたまものだった。
向こうも僕が避けるのは想定済みだったのだろう、薄い笑みを浮かべたまま、にんまりと目を細めて。
「じゃあ、受けて下さい」
「……なにを」
「八つ当たりです。僕、してみたかったんです。兄弟げんか」
そう言ってまた繰り出される攻撃を身を捩って避ける。
そこでようやくイオンの笑みがただ貼り付けられたものであり、感情を読み取るのに何ら意味を持たないことに気付かされた。
「馬鹿な、ことを!」
「馬鹿で良いです。だって、僕、ぐちゃぐちゃなんです。シンクとマユミを見てからずっと。ねえ、シンク。ずるいって言えば、貴方は怒るでしょう。でも羨ましいんです、貴方が、マユミが、僕は羨ましい……!」
笑みが崩れ、血を吐くような声と共に叩き込まれる蹴りを何とか避ける。
イオンはレプリカだ。だが相手は腐っても導師。その腕は確かで、かといって安易にやり返すわけにもいかない。
だがぐちゃぐちゃなのはこっちも一緒だ。劣等感と同情心と嫉妬心と独占欲と怒りと憐憫で頭がどうにかなりそうだった。
恐らくイオンは最初からこの状況になることを想定していたのだろう。だから守護役に席を外させていたのだと解って、いっそのこと本当に殴り返してやろうかと思ってしまう。
「だったらマユミにでも言えよ! オトモダチなんだろ! 仕方ないから、オトモダチになることくらいっ、認めて、やるよっ!」
「イヤですよ! 格好悪いじゃないですか!」
「知るか!」
攻撃をいなしながら言い返せば至極どうでもいい理由が返される。ちょっと理解できてしまった心情に思わず返事の声に力が入る。
確かにイオンの攻撃は脅威だが、その動きは刷り込みのされたもののトレースだ。動きが読みやすく、攻撃を捌けば捌くほど経験値の足りなさが露呈する。
同時に体力のなさが足を引っ張る。どんどん動きが鈍くなるのにつれて、イオンの表情も余裕がなくなっていく。
「だって、女の子なんですよ! 必死に生きてきた、兄弟で、友達で! それでも、優しくて……っ、こんなっかっこ悪いとこ! 見せたくないじゃっ、ないですかっ!!」
叫びながら伸ばされた腕を掴んで寝技に持ち込む。その細い身体を地面に叩きつけ、馬乗りになって抵抗を封じる。
したたかに背中を打ち付けた痛みに呻きながらもイオンはようやく動きを止めたので、拘束までする必要はないかと密かに息を吐く。
動き回ったからだろう。肩で息をしながら、イオンは顔を隠すように両手で目元を覆った。
「シンクは、ずるいです……」
「……あんた、言いたい放題だね」
「だって、ずるいじゃないですか……っ、マユミもくれない、兄弟げんかもしてくれないっ」
「しただろ」
「全部っ受け流したくせにっ」
「……導師相手に本気で殴り合えるわけないって解ってて言ってる?」
悔しそうに歯噛みするイオンに対して、言い訳じみた言葉になってしまったのは何故なのか。
乱れた呼吸の中に嗚咽が混じっているからか。それともマユミを手元に置いているが故の余裕なのか。
苛立ちを感じているのは確かなのに、自分でも解らない感情にどうしていいか解らなくなる。
試しにイオンの腕をとって顔を覗き込んでみれば涙目でキッと睨みつけられ、痛くも痒くもない上に全く怖くないが、マユミと同じ顔で睨みつけられたことにばつの悪さまで感じてしまう。
「解ってます。解ってます、そんなこと! 僕はどう足掻いても導師イオンで、貴方達と同じところに居られない! 僕の立場は、それを許しません!」
服の袖で乱暴に目元を拭ったイオンが勢いよく身体を起こす。
仮面がぶつかりかけて反射的にのけぞった僕の前で、イオンが涙目になりながら僕を睨み上げた。
「いいです、シンクがマユミを僕にくれないなら、勝手にします」
「はぁ? 勝手にって、何を」
「僕は導師として、マユミを守ります」
「……はぁ?」
意味が解らない。言葉の前後が繋がっていない。
けれどイオンの目はぎらぎらと輝いているように見えるのは、きっと泣いていたからじゃない。
「導師イオンとして僕が僕であるために、被験者と違う僕でも、導師イオンだと認めさせるために。僕は導師として在ります。そのためにも、マユミを守ります」
「……被験者なら絶対にしなかった贔屓をしてやるって?」
「そうです。そのためにも導師として力を付けます。僕はオリジナルじゃない。それでも……導師イオンだから。僕は何も持たない僕のまま、導師イオンとしてヒトに認めさせるしかないんです。そのために、僕は僕のまま僕としてしたいことをします」
マユミに自分の存在価値を押し付けるなとか。マユミを勝手にアイデンティティのよりどころにするなとか。出かけた文句を何とか呑み込む。
また泣き出しそうな、それでいて悔しそうな顔は、いつか鏡でよく見たものととても似ていたからだとか。決してそんな理由ではないけれど。
イオンが俯いて、僕の両肩に手を乗せた。
緑色の髪がその表情を覆い隠す。
「だからシンク、せめて今日のことはマユミに内緒にしてください」
「……かっこ悪いから?」
「はい。兄弟げんかすらしてくれないんですから、それくらい約束してくれませんか」
「既に十分勝手だよ、あんた」
「全部シンクとマユミのせいなので諦めて下さい。僕だって、自分の中にこんな激情があるなんて思ってもみなかった……正直なところ、持て余しています。今も」
「……はあ」
ため息が漏れる。
感情がぐちゃぐちゃで制御できていないのだろう。発芽したばかりの自我に振り回されているのかもしれない。
その感覚は理解できるので、何とか文句を押しとどめる。多分こいつは今、ようやく産声を上げている。
「……わざわざ今日のことを話す理由はないね」
「シンク……」
「あれもうるさいからね。かっこつけたい気持ちも……まあ、解らなくもないし」
多分それはマユミには一生理解できなくて、そして僕はちょっと理解できてしまう感情だ。それは同胞だからじゃなくて、僕等が男で、マユミが女だから。
顔を上げたイオンは何とも情けない顔をしていた。解ってくれたとでも思ったのだろうか? 冗談じゃない。一応釘もさしておく。
「でも勘違いするな。僕はまだあんたが嫌いだ」
「……それで、いいです。構いません。でもマユミのことは守って下さいね。僕の大事な友達で、兄弟なんです」
「あんたに言われるまでもない。あれは僕のだ」
「はい」
かろうじて笑みらしきものを浮かべて、イオンはふらふらと立ち上がった。
差し出された手を払いのけて僕もまた立ち上がる。
「いつか本当に兄弟げんかしてくれませんか?」
「ごめんだね、あんたは満足しても僕に得がない。それとも僕を捕まえてその隙にマユミを手に入れようって腹?」
「まさか。欲しいなら堂々と手に入れます」
「アンタ、性格変わってない……?」
「ふふ、そうかもしれません。色々考えて、頭の中がぐちゃぐちゃになって……僕は代用品じゃないと。声に出せなくても、そう在りたいと思ったから……もしかしたらちょっと壊れちゃったのかもしれません。導師イオンのレプリカ失格ですね」
「あ、そう。勝手にすれば。あんたが駄目でも簡単に次のレプリカと入れ替えとはいかないんだ。手間も金もかかる。ヴァンもモースも多少の誤差は見逃すでしょ」
別に僕からマユミを奪うのでなければどうでもいい。そう思ってひらりと手を振って勝手にしろと言ってやる。
イオンは僕の発言にきょとんとしたかと思うと、またあのお綺麗な笑顔を顔に貼り付けた。
「そうですか? じゃあ一緒に怒られてください」
「は?」
なにが「じゃあ」なんだ。なにが。
接続詞が仕事をしていなくて、思わずイオンを見る。
けれどイオンの顔はすっかり判を押したような笑顔に戻っている。
「アニスって普段は優しいんですけど、怒ると怖いんです」
「だから?」
「服が汚れたのは転んだからって言おうと思ってたんですけど、多少の誤差が見逃されるならシンクと遊んだからって言おうと思います」
「僕を巻き込むな!」
笑顔でのたまうイオンに思わず叫ぶ。
確かに、イオンの白い導師服はいつの間にか思い切り汚れていた。当たり前だ、寝技をかけて無力化したのは僕なのだから。
この言いたいことを好き勝手に言い放ち、マイペース極まるあたりは間違いなくイオンとマユミの共通点と言えるだろう。
ただしこっちは怨むのも馬鹿らしくなるほどの身勝手っぷりだ。
結局僕はイオンに抗えず、揃ってアニスにしこたま怒られた。
ひとまず僕を友人とのたまうのであれば、これからは言いたいことは遠慮なく言わせてもらおうと誓った。
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