一念発起A
その翌日、てっきりダアトへ戻るものだと思っていた私達は何故かマルクトの町へと出かけることになっていた。
というのも支部の責任者から折角だから観光でもどうかと勧められたのだ。
キムラスカに行くんじゃないの? と首をかしげる私に、シンクがため息交じりに説明してくれる。
要はこの世界のことを少しでも好きになってもらえないかという教団側の試行錯誤の一環らしい。好きになるの、教団じゃなくてもいいんだ。
「まあ、あれだよ」
「うん?」
「夫婦二人で過ごして来いってことだと思えばいい」
「……うん!」
ちょっと複雑そうな顔で笑いながら肩をすくめるシンクに、私は嬉しくなって破顔した。
昨晩の会話から気を使ってくれた故の言葉だと思うが、それでも嬉しかった。
適当な服を選んで髪を結い上げる。
変装する話も出たのだが、私の髪はどう足掻いても隠せないのでそれならたいして変わらないだろうと諦めた。
髪を整えるのを手伝ってくれると言う教団員の申し出は断り、鏡台の前に立ってシンクに手伝ってもらいながら編み込みをしつつポニーテールにする。
寝る時にしてくれる三つ編みはもう慣れたようだが、流石にこれだけ長い髪をポニーテールにするのはシンクも少し苦戦しているようだった。
「シンクはさ、いつも寝る前に髪を梳いて、編んでくれるじゃない?」
「ん? そうだね」
「だからかなぁ。私、シンク以外の人に髪触られるの、あんまり好きじゃないんだ。教団の人に手伝うよって言われても全部断っちゃう。一人だと大変だって解ってるんだけどね」
「……僕以外に触られるの、嫌なんだ?」
「うん……そうだね。嫌だなぁ」
「そっか」
鏡越しに私の髪に櫛を通すシンクが少しだけ微笑んでみるのが見えた。嬉しかったらしい。
シンクが嬉しいなら私も嬉しい。それだけでこれからもシンク以外に髪を触らないでもらおうと決めた。
結局顔は隠してるけど私はちょっとラフな服装に袖を通して、シンクは軍服のままだけど手を繋いでグランコクマの町に繰り出す。
謁見の間よりは少ないけれど、それでも町の中は第四音素で満ちている。可視化できるくらい集まった第四音素が私の周りにふわふわと漂うのはもうシンクも諦めたらしい。
少し呆れられたけどそのまま二人でのんびりと街を歩く。ダアトとも違う異国の街並みはせせらぎが耳に優しい。
周囲からの視線はどうでもいいので無視だ。私の髪が嫌でも目立つのはもうどうしようもないので。
「綺麗だねえ。グランコクマって防衛にも優れてるって習ったけど、水路がそのまま巨大な譜陣になったりしてるのかな?」
「面白い発想だけど、音素の消費がすさまじいことになりそうだね、それ」
「平和な時に音素を貯蓄しておいて、いざという時に使うんじゃダメなの?」
「音素を、貯蓄……?」
考えてみたこともなかった、というようにシンクが不思議そうな声をあげる。
何がそんなにおかしいのか考えて、そもそもプラネットストームという無償で半永続的にエネルギーを供給してくれるシステムがあるオールドラントでは不要な考えであることに気付いた。
日本では電気もガスも水道も使えば使った分だけお金が必要だが、オールドラントはどれだけ音素エネルギーを使おうが代金は必要ないのだ。
「あー、そっか。溜めなくても普段から使えるから溜めておくって発想にならないんだ」
「君のところはそうだった?」
「日常的にエネルギーを送ってくれる施設があったよ。電気っていうんだけどね。使った分だけお金取られるの。でもそれとは別に電気を溜めたものも売られてた。そっちは基本的に使い捨てだったな」
「エネルギーが有料ってこと?」
「そう。オールドラントは全部無料だからすごいよね」
「そもそも無料だって意識もなかったから、君の言葉に驚いてるけどね」
「使いたい放題だもんね、音素。そりゃ感謝もしなくなるか」
先日のお茶会で陛下が言っていたことを思い出しながら、私の周りを浮遊している第四音素をつついてみる。
指先が水に突っ込んだみたいに冷たくなって、夏場は涼しそうだなと暢気なことを考える。
「でもそうか。音素を貯蓄して売るってのは面白いな」
「そう?」
「セフィロトは基本的に教団が管理してるから、セフィロトで音素を貯蓄して、それを支部経由で各町に分配・販売をする。どう?」
「そのためには今使ってる音機関も改造しなきゃいけないんじゃない?」
「確かに。だめだね、現実的じゃない。でも発想は面白いから今度イオンにでも話してやったら? 教団の方針で頭抱えてたし」
「そもそもセフィロトの管理も勝手に教団がやってたことだから、土地の権利を主張されて返せって言われたらおしまいだと思う」
「それもそうだ」
早急に没になった案に二人で笑いながらのんびりと道路を歩く。お互い本気で教団の未来を案じているわけでもない。所詮ただの雑談だ。
おしゃべりしながら大通りを歩いていると、シンクが屋台で飲み物を買ってくれた。冷たいレモネードはダアトでは余り飲まない類のものだ。
「ちょっとあそこで休憩しようか」
「うん」
アイスティーを片手にしたシンクに促されて、庭園のような場所のベンチに腰かける。
ここでも聞こえる水音に本当に町中に水が張り巡らされているのだなと感心してしまう。
「マルクトの街並みは気に入った?」
「うん。観光なんて久しぶりだから楽しいよ」
「住みたい、じゃなくて観光でいいんだ?」
「別に私はシンクが一緒ならどこでもいいかな。あと冬はちょっと寒そう」
「違いない。寒いと仮面が冷えるんだよね」
「あー、それはやだね。ケテルブルクとか最悪じゃない?」
「行きたくないね。間違いなく凍傷になる」
ベンチでも続いた雑談。うんざりとしたシンクの口調に小さく笑って、レモネードに口を付ける。
思っていた以上の甘みの強さにびっくりしたものの、これはこれで美味しい。
「レモネードあまぁい」
「え? そんなに?」
「飲む?」
「ん。あま……」
「アイスティーは?」
「特に砂糖は頼んでないけど、口直しに飲む?」
「ん……甘っ!?」
「は? 加糖なのこれ……あっっっま」
私が差し出したストローをシンクは躊躇うことなく口にして、私もまたシンクから差し出されたストローで遠慮なく紅茶を飲む。
シンクはストレート派なのでてっきりアイスティーも無糖だと思ったのに、思っていた以上の甘さに二人そろって仮面の下で目を白黒させた。
流石にこんなに甘いのはごめんだというシンクとレモネードとアイスティーを交換する。
確かに甘さに驚いたもののそれは無糖だと思っていたからで、私にとってこの程度の甘さは許容範囲内だ。甘いアイスティーだと解った上で飲めば十分美味しい。
「まさか最初から砂糖入りとは……」
「ダアトだとあんまりないよねぇ」
「ダアトだと砂糖もそれなりに値段がするからね……流石はグランコクマ」
「シンクは紅茶も珈琲もストレートが好きだよね」
「ストレートの方が混ぜ物にも気づきやすいってのもあるけど……まあ、君の料理が薄味だからそれで慣れたっていうのもある」
「私が薄味じゃなくて食堂の味が濃い目なんですー。それにちゃんと塩分は強めにしてるでしょ」
「ああ、それは助かってる」
「汗かくならやっぱり塩分は要るよね」
神託の盾騎士団はその名に反してその実態は軍隊だ。そこに所属しているシンクも当然軍人だ。
師団長という地位の高さから普段は書類仕事が多いようだが、それでも日常業務の合間に鍛えていることを知っている。つまり身体が資本。
汗をたくさんかくのに塩分が不足しては脱水症状や熱中症を引き起こしかねないと、その辺りは私も気を使っていた。
「食事といえば、君が作ってくれたスポーツドリンク。あれ神託の盾で正式採用されるってさ。レシピ買ってくれるらしいから、お小遣いくらいにはなるんじゃない?」
「え? そうなの?」
「第五師団で試しに採用したらぶっ倒れる馬鹿が減ったのと、ぶっ倒れた馬鹿に飲ませたら回復が早かったからね。導入に足ると判断された」
「そっか。お小遣い入ったら一緒にご飯でも行く?」
「君が貰うんだ。好きに使えばいい」
「じゃあ一緒にどこか行こ? それとも気軽に外出するのはやっぱり駄目?」
「ったく……護衛は僕が引き受けるってことにすれば出かけられる。安全そうなとこ探しとく」
「ん」
時折ドリンクに口をつけながら話す内容はダアトに居る頃と大して変わらない。
けれどいつもと違う景色と風が、いつもより私を上機嫌にしてくれる。
なんとなしにシンクに手を伸ばせば指先が触れて、そのまま指を絡め合った。
互いに仮面越しに見合って頬を緩ませる。身を寄せてシンクの肩に頬ずりすれば、シンクからも僅かに体重がかけられる。
「……マユミ」
「ん?」
「昨日、聞いてきただろ。何で僕が、君を抱こうと思ったのか」
「え? あ、うん」
それ、外でする話じゃないような。
こっそり視線だけで周囲を探るけど、人気はない。それもそうだ。シンクの方が人の気配には敏いのだ。
周囲に人が居ないと解っていなければ、シンクも外でこんな話をしないだろう。
「僕は、マユミが自分のものだって実感が欲しかった。それが君を抱いた理由さ」
「私は、シンクのものだよ」
「解ってる。君は今でも僕の首輪をつけて、指輪まで嵌めて、僕のものだって目に見える形で証明してくれてる。でも君はもう教団の巫女だ。昔みたいに、部屋から出さずに閉じ込めることなんて出来ない」
「……うん」
「でも……だから、腹立たしい。君は僕のものなのに、どいつもこいつも無遠慮に手を伸ばして、君の祈りを搾取しようとする」
祈りを搾取する、という不愉快そうに口元を歪めたシンクの言葉に私は内心首をかしげた。
言葉の意味は解っても、その本質が解らない。私が祈るのはいつだってシンクのことばかりなのに。
「けど、抱けば女としての君は僕のものだって、そう思ったんだ。実際、ベッドの中ではマユミは僕のものだって実感できた。あの瞬間だけは、君は僕だけのものだ。別に君が愛しいとか、そういう理由は欠片もなかったんだよ」
囁くような言葉は、その弱々しさに反して独占欲にまみれていた。
男は一度抱いた女を自分のものみたいに扱うというのは日本に居た頃も聞いたことがある。
きっとシンクもそういう心情なのだろう、と察することは出来た。
シンクが私を見る。
それでも仮面に遮られた目元は見えない。
その口元が歪に笑う。
「軽蔑した?」
「まさか」
自嘲気味な台詞に対し、私の反論はするりと出てきた。シンクの腕に自分の腕を絡めて、その耳元に唇を寄せた。
内緒話だと察したのだろう。シンクも僅かに身体を傾けてくれる。
「シンクに抱かれている時はね。私も、シンクのものだって実感できるの。だから、好き」
以前一度しまった本音を口にする。
驚いたように私を見るシンクにへらりと笑えば、照れたように唇を引き結んだ。
シンクの手が私の身体に回されて腰を抱き寄せられる。密着するとシンクの体温が軍服越しに伝わってきた。
「僕には……恋とか愛とか、わかんないけどさ」
「うん」
「恋をするなら、君がいい」
「……うん。嬉しい。ありがとぉ」
泣きたいくらい嬉しい言葉だった。
シンクの肩に頬ずりをする。
シンクと夫婦になって良かったと、心の底からそう思えた。
恋なんてしてなくたって、私はこんなにも幸せだ。
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