一念発起C
イオンのこと、ずっと凄いなって思ってた。詠師達をまとめて、陛下達とも渡り合えるイオン。
けどそれはイオンが努力してきたからで、努力するきっかけになった私達をイオンはとても大切に思ってくれているのだとようやく理解する。
でもだからこそ悩んでる。たくさん学んできたからこそアニスがしていることは悪いことだと解ってしまって。
感情では見逃してあげたくても、導師としてそれは正しくないと知ってしまった。
このまま見逃し続けた場合、訪れるかもしれない最悪の未来を思い描けるだけの知識を、イオンは得てしまった。
そしてその最悪の未来には私やシンクのことも含まれる。だから、とても悩んでる。
「それで?」
イオンの告白の間、黙々と食事を続けていたシンクが口を開く。
カトラリーを置いて、仮面越しにイオンをまっすぐ見つめる。
「それを僕等に言ってどうするのさ。アニスの暗殺でもしろって?」
「まさか!」
「なら何でわざわざこんな席を設けたわけ? まさか本当にアニスがモースの手先かどうか確認したかっただけ、とでも言うつもり?」
皮肉気に笑うシンクにイオンは俯いたまま答えない。私は無言でスープを啜った。
イオンに悪いから口には出さないが、ぶっちゃけ私はアニスのことなどどうでもいい。生きようが死のうが欠片も興味がない。
けどイオンが迷っているのも解った。私達のことも大切だけど、アニスのことも大切。だからどうしたらいいか結論が出せない。
多分アニスを手放したくないっていう気持ちもあるんだろうな。まだ信じたい気持ちが残ってるみたいだし。
アニスのことはどうでもいいが、イオンのことはそれなりに好きだ。
シンクとは比べぶべくもないが、それでもこの世界で数少ない友人だと思ってる。
だからスプーンを置いて、イオンを呼んだ。
「イオン。イオンも、どうしたらいいか解らないんだね」
「……はい。いえ、解ってはいるんです。アニスを遠ざけるべきだと。彼女は守護役の中でも一番若く、そして未熟です。導師である僕が彼女を重用する理由なんてないんです。明確な悪事の証拠もない現状、罰することは出来なくとも遠ざけることは出来ます。情報漏洩を防ぐためにもそれが最適だと……頭では、解ってるんです」
「でも、イオンはアニスのことが好きだから側に居て欲しいと思ってる」
私の言葉にイオンは目を伏せて小さく頷いた。
頭では解ってるけど感情はついていかない。そんなイオンにシンクがため息をつく。
「あんたの好きにすればいいじゃないか。あんたが導師なんだ。アニスを素性を知ってることをバラして脅すなりなんなりすればいい」
「そんなこと!」
「勉強し直したなら世の中綺麗ごとだけで回ってる訳じゃないことくらい少しは知ったんじゃないの。何もかも丸く収まる方法なんてないんだよ。このままアニスを側に置きたいなら情報漏洩覚悟でそうすればいい。その結果何がどうなろうと呑み込んで、重用し続ければいいだけさ」
「それは……でも、それでマユミが傷つくようなことがあったら、僕は」
「自分で道を選ぶってのはそういうことさ。その結果がどうなろうと受け止めなきゃいけない。それが嫌ならお人形さんに戻ればいい。そうすれば全部誰かのせいにできる」
シンクの言葉にイオンが痛そうな顔をする。
今にも泣き出しそうな顔に、どうにかできないかと私も頭の中をかき混ぜてみるが、シンクの言う通り何もかも丸く収まる方法なんてちっとも浮かんでこない。
縋るようにシンクを見れば嫌そうに口をへの字にされた。シンクはあんまり関わりたくないようだ。
「シンク……」
「……とにかく、自分の中で優先順位を明確にして、それでも迷うならもう少し情報を集めてみるなりなんなりしてみればいいんじゃないの」
「そう……ですね。アニスが何故間諜の真似事をしているのか、もう少し調べてみようと思います。もしかしたら何か理由があるのかもしれませんし」
「ま、どんな情報が出てこようが決めるのはイオンなんだ。最終的に必要なのはあんたの覚悟さ」
「覚悟……」
突き放すような物言いではあったものの、それでもシンクはアドバイスをしてくれた。
イオンはスプーンを握る手に力を込められる。スープの中に沈んだスプーンは水面を揺らすだけで持ち上げられることはない。
「それは、アニスを処罰する覚悟……ということでしょうか」
「違うね。退くか、進むか。部隊を指揮する時、指示する側はいつだって覚悟を求められる。その指示で何が失われて何が守れるのか、瞬時に判断しなくちゃいけない。間違えれば最悪全滅。正しい道を選んでも、犠牲者が出ることだって珍しくない。それと一緒さ。アニスを選んでマユミを切り捨てる。マユミを選んでアニスを切り捨てる。二人とも遠ざけて導師として一人歩む。何ならアニスを懐柔して二重スパイにするとか、まあそんな道もあるかもね? ただどんな道を選ぼうが、得るものと失うものがある。僕が言っている覚悟っていうのはそういうこと」
「それは……つまり、僕にそんなつもりがなくとも、アニスを失ってマユミとこうして話すことも出来なくなる選択肢だってある、ということですか?」
「あるだろうね。だから情報を集めて、優先順位を明確にしろって言ってる」
「それが判断を下すために必要なものなんですね」
「そう。何を選べばどんな未来を手繰り寄せるか、情報はあればあるほど未来の輪郭ははっきりする」
「預言を詠めばいい、とは言わないんですね」
イオンの言葉にシンクの唇が吊り上がった。どう考えてもご機嫌な笑みではない。
けれどイオンは緩やかな微笑を浮かべたままだ。
「そうだね。アンタは導師だ。預言に従うことは何もおかしなことじゃない。好きにすればいい」
「すみません、少し意地悪を言いました。預言脱却を目指しているのに預言に頼ったりしませんよ。やっぱりシンクは預言が嫌いなんですね」
「解ってて言うとは、アンタも良い性格になったね」
「そうじゃないかな、と思ってただけで確信はしていませんでした。折角アドバイスをくれたのに不愉快な思いをさせてしまってすみません」
苦笑するイオンがスプーンを持ち上げた。とっくに冷めてしまったスープを音もなく飲みこむ姿はとても上品だ。
きっとそれもイオンが努力してきた証で、対していつの間にか食事を終えていたシンクは無作法に使い終わったカトラリーをお皿の上に放り投げる。
甲高い音を立てて転がったカトラリーに見向きもせず、テーブルに肘をついたシンクはイオンと真逆でお行儀が悪い。
「アンタがどんな選択をしようが僕の知ったこっちゃないけどさぁ。それでマユミに危害が及ぶようなら僕が動くよ」
「解っています。確かに僕はアニスを手放しがたく思っていますが、マユミを守りたいというのも間違いなく本音なんです。シンクの言う通り、全て丸く収まる方法ないのかもしれません。でも僕は」
「アンタの感情なんてどうでもいいんだよ。マユミは僕のものだ。僕のものを傷つけるなら例えアンタだろうが許さない。アニスが原因でそうなるなら僕はアニスを処分するし、僕にはそれを実現するだけの力がある。それを忘れないでよね」
「……シンクの忠告は、しかと胸に刻みましょう。僕もなるべく早めに結論を出したいと……いえ、アニスの手綱を握れるようになりたいと思います」
「あっそ。好きにすれば。君もぼけっとしてないでさっさと食べる。食べ終わったら部屋に帰るよ」
「うぇ? あ、うん」
シンクの言葉にちょっとときめいていたら矛先がこっちに向けられて慌ててスプーンを動かす。
イオンもまた苦笑気味にゆっくりと食事を再開した。一人さっさと食べ終わったシンクだけが不機嫌そうに鼻を鳴らしている。
結局その後はアニスの名前は一度も出ないまま、あとは毒にも薬にもならない会話をしながら食事を終えた。
私はイオンの気持ちに寄り添うことは出来ても、イオンの答えを出す手伝いをすることはできない。シンクは逆で、アドバイスは出来てもイオンの気持ちに寄り添うことはない。
結局決めるのはイオンだ。今回こうして話したことでイオンが後悔のない選択ができればいいと思う。
「イオンの悩み、解決するといいねえ」
だから部屋に戻ってからそう零せば、シンクは何故かムッとした顔をした。
私の発言が気に入らないらしい。なんで??
「あいつのことなんてどうでもいいよ。君があいつとオトモダチになろうが僕は口を挟むつもりはない。でも僕はあいつが嫌いだ。そりゃ多少は話すようにはなったけど、それでも仲良くしたいとも思わないし、あいつが守護役のことで悩もうが知ったこっちゃないね」
「んふ。シンクはやっぱりイオンのことが嫌いなんだね」
「そうだよ、悪い?」
「ううん。悪くないよ」
前みたいに憎くてたまらないというよりは、本当に単純に嫌いなだけといった雰囲気のシンクにゆるりと首を振る。
イオンの気持ちを知ってからシンクの態度は変わった。私とイオンの関係に口を挟まなくなったし、嫌いだと言いながらも素顔で会話をするようにはなった。
きっとそれはシンクなりの譲歩で、シンクなりにイオンを認めるところが出来たってことだと思う。それはきっと良いことだ。
勿論仲良くしてくれたら嬉しいけど、前みたいに憎むより今の方がずっといい。
「……前から思ってたけど、僕以外どうでもいいって言いながらイオンのことはオトモダチだと思ってるんだよね、マユミは」
「そうだね。オールドラントの人達に興味はないよ。この世界のことなんてどうでもいい。でもイオンのことは友達だと思ってるよ」
「僕よりイオンが大切?」
「まさか」
「じゃあ僕がアニスを殺すって言ったら?」
「イオンが悲しむのは嫌だけど、それだけかなぁ」
「ふぅん? 止めないんだ?」
「シンクが無意味に殺しをするとは思ってないし、それに足る理由があったってことでしょ? じゃあ止めても意味なくない?」
「僕がイオンの嫌がらせにアニスを殺すとは思わないわけ?」
「思わない。そんな私情で大詠師の手駒を処分するほど、シンクは馬鹿じゃないでしょ」
「そう。君はそう考えるんだ」
シンクが私を抱き上げる。
そのまま寝室に向かって歩き出すシンクに、食後の運動と言わんばかりにこの後丸ごと食べられるのを察してちょっと顔が熱くなる。
でも嫌じゃない。
「えっちしたいの?」
「マユミは僕だけのものだって実感できるからね」
「私はシンクのものなのに、まだ不安?」
「二人きりになっても他の男を気にかけるのが不満なだけさ。でも抱かれてる最中はよそ事考えてる余裕もなくなるだろ?」
「もう。シンクが一番なのに」
二人きりの時は自分のことで頭をいっぱいにしていろと遠回しに言われたようでつい口端が上がってしまう。
そしてシンクにこうして独占欲をぶつけられるのが好きなのだ、と今更ながら気付く。
シンクが思うのと同じで、私も二人きりの時は私だけのことを考えてほしいのかもしれない。
ああ、なんて汚い独占欲。やっぱりこれは恋なんかじゃなくて、ただの執着だ。それも多分、手遅れの類の。
仮面を外し、キスをしながらベッドにもつれ込む。
シンクの思惑通り、私の思考からイオンのことはとっくに消え去っていた。
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