飼育生活03
「……ここが最後だよ」
途中カンテラを手にしたシンクが最後に連れて来てくれた場所は、ステンドグラス越しの月光が美しい礼拝堂だった。
同時に月光しか光源のない夜の礼拝堂というのはどこか不気味なものがあって、少しだけ怖くもある。
カンテラを片手に歩くシンクにできるだけ寄り添うようにして歩き、連れて来られたのは数段の階段の上にある……なんと表現すべきか、台座のような場所だ。
「ここの下だ」
上に乗せられているランプ達、では無く台座自体に文字があるらしい。なのでその場にしゃがみ込み、シンクに照らしてもらいながら文字に目を走らせる。
今度はどんな言葉が書かれているんだろうと密かに楽しくなっていた私は、今までとは打って変わった文章に少しだけ顔を強張らせた。
「……なんて書いてある?」
いつまでたっても口に出して読まない私を、シンクが促す。
私はごくりと生唾を飲み込み、その文字をそっとなぞった。
「……この下に残すのは、私の生涯全てである。私の軌跡を、研究成果を、思い出を、全てを残そう。いずれ見つかることなく朽ち果てたとしても構わない。もし入室を望むのならば、四十七音の唄を入力せよ」
それは、初めて読み手を意識した文章だった。
今までは本当に想いを綴るだけだったのに、これは明らかに誰かに読まれることを前提として書いている。
心臓が早鐘を打った。この下に、あるのかもしれない。元の世界へ戻るための手がかりが……!
「四十七音の歌……か。文献をひっくり返すしかないな」
高揚していた私はシンクの声にハッとして、まだ下にあるという部屋に行き着く術がないことにようやく気付く。
が、同時に文献をひっくり返すだけではきっと駄目だという思いもよぎった。
だってこれを刻んだ彼はきっと日本人だ。彼が日本の唄を残していたのならばその手がかりもあるかもしれない。
しかし彼は全てをこの下に残したとここに刻んでいるのだから、図書館などに鍵となる唄を残した確率は低いだろう。
それに日本語は装飾文字扱いされている以上、過去に文献があったとしても今残っているかといわれれば難しいに違いない。
ぺたぺたと大理石の床に手を這わせる。低い部分にあった日本語と、地面に座る習慣のある日本。
そうなれば四十七音の唄を入力するための場所も、低いところにある可能性が高い。
「何してるのさ」
「入力する場所を探してるの」
「だからって何で床を探すかな……だいたい探すのは明るくなってから他に人を集めてからでも良いだろ。手がかりは見つけたんだから」
呆れたように言うシンクを無視し、ひたすら地面に手を這わせる。
そして台座と大理石の設置面のところに微妙な凹凸を感じた私はカンテラをひったくり、そこを照らした。
指を引っ掛けるような場所があり、そこに指をかければパカリと開く薄っぺらい大理石の蓋。
「あった……」
そこにあったのは、どう見てもあいうえお表のボタンだった。
シンクはそれを凝視していると、早速試しにボタンを押してみようとする私の手を掴んで止める。
「待ちな」
「っ、何で!?」
「ここは礼拝堂だ。文字を確認するためだけならともかく、本当に地下室があるなら詠師達に許可を取ってから捜査の為に暫く封鎖する必要もある。勝手にやって良いことじゃないんだよ。どうせこの文字を読めるのは君だけなんだ。調査が決定されれば嫌でも呼び出しがかかるんだから、今は待ちな」
切羽詰る私に、シンクは淡々と告げた。
確かに、シンクの言う通りなのだろう。けど気持ちだけが逸る。早く、早く手がかりを探したいと。
私が急いているのが解ったのか、シンクはため息混じりにもう一つ付け加えた。
「それに四十七音の歌に関して、手がかりを探す必要だってあるだろ」
……その通りだ。
私はそこでようやく手を下ろし、シンクも私の腕を離した。渋々蓋を閉めてから立ち上がれば、ステンドグラス越しに感じる淡い月光。
「……どれくらいで、調査できるようになるの?」
「明日閣下に進言する。文字に関しては疑われるだろうけど、君が見つけた入力箇所を見せれば少なくとも仕掛けがあることは納得してくれる筈だ。それから詠師達が重い腰を上げるのにどれくらい時間がかかるかは解らない。その間に四十七音の歌について調べるさ」
つまり、どれくらいかかるか解らないんじゃないか。不満を飲み込み、唇を噛む。
早く早くと気持ちだけが急いて周囲を見ることができなくなっていた私の首に、シンクの指が絡みついてきた。首を絞められると思ったが、指に力が込められることは無い。
なので意図を探るためにシンクを見れば、仮面の下の引き結んだ唇しか見えなかった。
「……シンク?」
「……刷り込みによって与えられた知識は一番目から七番目まで差はない。そして君は酒場という学びからは程遠い場所で生きてきた筈だ。それなのに何故これが読める?」
「……そ、れは」
言いよどめば、指に力が込められる。窒息するほどではないが、僅かに息苦しさを感じる程度。
「料理もそうだ。最初は酒場での経験かと思ったけど、違うよね? 酒場のメニューとは思えないものも君は慣れた手つきで作ってた。それこそ何年も台所に立っている人間みたいにね」
また、指に込められる力。
流石にこれ以上はゴメンだとシンクの腕をつかむものの、私と違って筋肉のついたシンクの腕はびくともしない。
ぎちりとシンクの皮の手袋が軋む。
「君……ほんとに、レプリカなわけ?」
ついに完全に気道が圧迫され、酸素を求めてシンクの腕を叩く。シンクはあっさりと私を解放し、ついでといわんばかりに突き飛ばされる。
尻餅をついた瞬間に仮面が外れ、カランカランと音を立てて床に転がった。
「っは、く……っ、いきなり……」
「おかしいよね……おんなじレプリカのはずなのにさぁ」
尻餅をついた私の上に覆いかぶさってきたシンク。私の両頬を手で挟み、私の顔を凝視してくる。
それだけなのに何故か怖くて、恐怖心から動けなくなってしまう。
シンクは……何かに怒っている。
私はようやくその事実に気付いた。
「おんなじ劣化品の筈なのに、どうしてこんなに違うのかな。目だって、髪だって、顔だって一緒なのに。君も僕と同じ廃棄品の筈なのに。代替品にすらならなかった、粗悪な劣化物の筈なのに……」
どこまでも自分を蔑む言葉を並べ立てるシンク。
それが私をも指す言葉だと解る筈なのに実感が薄いのは、やっぱり日本で育ったという自覚があるからなのだろう。
けどシンクは違う。心の底から自分は失敗作だって信じてるし、事実廃棄された経験がある。
そこから何とか這い上がって、神託の盾に所属して、それこそ並々ならぬ努力をして今の地位に居る筈だ。
だからこそ、貧民街で生活し売り飛ばされそうになっていた私をあざ笑っていた。コイツより自分の方がマシだって言う優越感のようなものを感じたかったのかもしれない。
だとしたらそれは、今のシンクの中では揺らいでるだろう。最初から自我があって、料理ができて、日本語が読める。
劣化している筈なのに、まるでオリジナルのように振舞う私。もしかして私は、シンクのコンプレックスを思い切り突付きまわしていたのかもしれない。
「あ、あの……シンク?」
そこまで考えた私は、シンクの気持ちというものを考えたのは初めてであるということにようやく気付いた。
そう、今まで考えたことなんてなかったのだ。だって身体を寄越せなんていう相手の気持ちなんて考えたくなかったし、そこまで気持ち的に余裕もなかった。
シンクをおずおずと見上げる。仮面の下には、顰められた眉があるのかもしれない。
そう思って恐る恐る手を伸ばしてみれば、予想外に抵抗することなくシンクの仮面を外すことができた。
なんと表現すれば良いのだろう。悔しげで、苦しげで、悲しげなシンクの瞳。
今にも泣き出しそうな顔で、やっぱり私はシンクのコンプレックスを刺激してしまって居たんだなぁって呑気に考える。
「何者なんだよ、アンタ」
「……マユミ。私は、マユミだよ。まだ教えてなかったね、そういえば」
ずっと、名前を呼ばなくても済んでしまう生活だった。シンクだって私を呼ぶときは用件だけ告げていたから、名前を呼ぶ必要なんて無かった。
そう考えるとおかしな話だ。同じ部屋で生活しているのに、ようやく名前を告げるなんて。
「……変な名前」
「変って言うな」
「自分でつけたわけ?」
「違うよ。……前の世界での、名前だよ」
「……前の世界?」
「うん。私にはね、この身体になる前の、もっと違うところで生きていた記憶があるんだよ。だから私はレプリカだけど、そうじゃない記憶があるから、やってこれたの」
ずっとずっと、口にしてはいけないと思っていた私の秘密。厳重に封をしておいた筈なのに、シンクの顔を見ていたら何故かするりと漏れていた。
シンクは目を見開いていたけれど、あざ笑うことも馬鹿にすることもなく、そう、とだけ言って私の手から仮面を奪い立ち上がる。
そして床に転がっていた仮面を拾い上げると、それを私の方へと投げてきた。
「……帰るよ」
「うん」
シンクに言われ、私も立ち上がる。部屋に帰るまで、シンクに言われて元の世界のことをぽつぽつと話した。
凄く平和で、綺麗な国だったこと。軍がなかったこと。もうすぐ就職する予定だったこと。母親に料理の腕を磨くよう仕込まれたこと。
どおりで、って笑うシンクに、美味しかった? って聞けば、食堂の食事よりはマシとだけ言われた。
部屋に着いて、仮面とマントを取る。同じように仮面を取るシンクに信じてくれるのって聞けば、それが本当なら全部説明が付くからって言われた。
どうやら前々から疑われていたらしい。全然気付かなかった。
「つまりあの文字は君が前に居た所の文字なんだね?」
「うん。だから……追っていけば、帰る手がかりが見つかるんじゃないかって思ってた」
「焦るわけだよね。帰りたいの?」
「そりゃ帰りたいよ。預言なんて訳の解らないものもないし、ここみたいに物騒じゃないし」
シンクは私の返答にふーん、とだけ言う。そっけない答えに俯くと、脱いだ軍服を投げつけられた。痛くは無いが、びっくりする。
「洗っといて」
「……解った」
そのまま脱衣所に行ってしまったから、多分シャワーを浴びるんだろう。
その背中を見送ってから、私ものろのろと動き出す。晩ご飯、完全に冷めちゃったな……。
結局全部話したけれど、これから私はどうなるんだろう。その場の勢いで話してしまったけれど、もしかしたらシンクに捨てられるかもしれない。
そうしたらこの小さな箱庭のような場所での、なんだかんだで平穏な生活もおしまいだ。そう思うと少しだけ泣きたくなって……鼻を啜って、歯を噛み締める。
ずっと続くなんて思ってなかったけど、叶うのならばもっと長くこの平穏に浸かって居たかった。
- もどる -