一件落着@
こみ上げる吐き気を堪えながら身体に響く振動に耐える。
鏡を見なくても解る。私の顔色はこれ以上ない程に悪い。
私を抱き上げるシンクは可能な限り揺れないよう気を付けてくれているのだろうが、船から響く振動は容赦なく私の身体を揺らす。
タラップを抜けて地面の上に降り立った後も、幻聴のように存在しない揺れが続いている錯覚を覚えた。
「出迎えご苦労様です」
少し前を歩いていたイオンの声が聞こえる。
閉じていた目を僅かに開ければ、途端に飛び込んでくるカラフルな音素の濁流にくらりと眩暈。無理だ、立てない。
お姫様抱っこで私を運んでくれているシンクに甘えるように頬ずりをすれば、私にしか聞こえない声でシンクが問いかけてきた。
「辛い?」
こくりと頷けば、もうちょっとで支部に着くからと慰めるように言われた。
支部に着いてもベッドで横になることはできるだろうが、この大量の音素に酔うことは避けられない。
そう思うと何の慰めにもならない気がするが、もう一度頷くだけにとどめる。
「巫女様はご気分が優れないのでしょうか?」
「音素を過剰に感じ取ってしまうせいでどうも体調が……バチカルは音機関が多いですから」
「音素を感じ取ってしまう、ですか?」
「はい。詳しい説明が必要なら後程時間を取りますから、ひとまず休ませてあげたいのですが」
「ああ、これは失礼しました。こちらへどうぞ。バチカル支部にお部屋の準備ができておりますので」
イオンに言われ、出迎えに来ていた教団の人の案内を経てローレライ教団バチカル支部に向かう。
インゴベルト陛下に謁見するためバチカルに足を運んでいるのだが、到着早々私は自力で歩けないほどの体調不良に見舞われていた。
バチカル支部に辿り着いても、案の定体調不良が改善することはない。
ベッドに下ろされてぐったりと全身を投げ出したところで、ため息をついたシンクの指示でベッドに分厚い蚊帳が付けられ始める。
なんだなんだ。やかましいな。ゆっくり休ませてくれよぅ。
そう思ったものの、不意に周辺の音素ががくっと減って視界がクリアになる。
ぱちぱちと瞬きをしたところでシンクが蚊帳の中に入ってくると、気分はどう? と声をかけてくれた。
「楽になった。これ何?」
「君の音素酔いの話を聞きつけたカーティス大佐が、もし辛い時があるようだったらって音素避けの譜陣を送ってくれてね。セフィロトで君の顔を暴いた詫びのつもりなんだと思う。今回君が辛そうだったから、それを布に描いてベッドを覆ったんだ。ま、腐っても天才なだけあるね」
なるほど、ジェイド大佐が。大人の気遣いって凄いな。納得しながら同時にジェイド大佐って腐ってるのかとどうでもいいことを考える。
身体を起こしてベッドの端に腰かけるシンクを見ると、シンクの手が私の仮面を外して頬をなぞった。
「ん。ちょっとは顔色がマシになったね」
「うん。だいぶ楽になった」
「謁見は仮面じゃなくてベールで顔を隠そうか。ベールの内側に仮面に使ってる透視の譜陣と音素避けの譜陣を刺繍させれば動けないなんてことはなくなるはずだ」
「刺繍!? えっ、それ謁見まで間に合うの?」
「間に合わせるさ。外に見えるモノじゃないから見栄えは気にしなくていいし、譜陣が作動すればいいだけなら簡単だろ?」
なんてことないように言うシンクに、私は悲壮な顔を作ってふるふると首を振った。
シンクは刺繍というものを舐め切っている。
「シンク、刺繍って大変なんだよ」
「……縫うだけなのに?」
「一定の幅を、一定の力加減で、一ミリにも満たないものを重ねて描いていくんだよ。すごく根気と集中力がいるの。刺繍で綺麗な模様を描こうと思えばそれだけ経験が必要なんだよ。譜陣なんて精密性が求められるものを大急ぎで縫えだなんて偉い人に言われたら、私なら泣きながら刺繍するね」
「……縫わせる奴には特別手当出しとく」
「そうしてあげて」
私も縫物を教えてもらう際に母に習ったが、最初期に出来上がったものはお世辞にも綺麗とは言えなかった。
力加減が一定ではないせいでボコボコしていたし、幅がまちまちだからうすっぺらいところと盛り上がったところで差がありすぎたことを覚えている。
母の作り上げたものと比べるとその差は一目瞭然で、余りにも酷い出来栄えに思い切りへこんだものだ。
その話をすると、刺繍できるんだ? って聞かれた。ちょっとだけね、と苦笑交じりに答える。
無残な出来栄えが悔しくて、ひたすらちくちく縫い続けていたことがあった。身体が変わったこととブランクがあることを考えると全く同じようにするのは無理だろうが、感覚さえ取り戻せればまた縫えるのではないだろうか。
「縫いものと似たようなものだと思ってた」
「シンクの軍服は繕ったことあったもんね」
「そうだね。普通にちくちくやってたから、そんな難しくないのかと」
「あれは私が経験者だったからできただけだよ。シンクも同じことやれって言われたら多分イライラすると思う」
「イライラするんだ?」
「そうだよ。縫い方一つで出来栄えが変わるからね」
「縫い方? こう、左右にちくちくするだけじゃないの?」
「違うよ。いっぱいある」
シンクとそんな話をしつつ、差し出された水を飲む。音素の減った空間は居心地がいい。バチカルにいる間はもうここから出たくない。
そう零せば、それは流石に無理だと呆れたように言われた。はい、解ってます。
「もう少し天蓋を広げて、食事くらいはこの中で出来るようにするからそれで我慢しな」
「天蓋?」
「そう、天蓋。これ。ベッドを覆う布のこと。知らない?」
「あ、そっか。これが天蓋なんだ」
「なんだと思ってたの?」
「蚊帳」
「何それ?」
「布団の周りに張る虫よけ。蚊帳にしちゃ分厚いなぁと思ってたけど……そっかぁ。このベッド、今は天蓋ベッドになってるのかぁ」
「機能的に言えば間違っちゃいないんだけど、うぅん……」
私にとって天蓋付きのベッドと言えば小さい頃に読んだお姫様の寝ていたベッドだ。
今自分がそのベッドに寝ているのだと思うとちょっとだけ面映ゆい。シンクは何故か隣で頭を抱えていた。
それからシンクは宣言通り天蓋スペースを広げ、中に小さめのテーブルと椅子を運び込んで小さな居住空間を作ってくれた。
流石にトイレや風呂までは無理だが、少しの時間だけだと思えば我慢できる。
謁見の打ち合わせはわざわざイオンとグランツ謡将が足を運んでくれた。謝罪を笑顔で流して貰えて胸を撫でおろす。
そんな私に対して釘をさすように、イオンは響律符を外せない以上仕方のないことだと言った。
「いつ音素意識集合体から接触があるか解りませんから、それを思うと響律符を外すのは悪手でしょうし」
「うっ。やっぱり外しちゃ駄目?」
「外さない方がいいだろうね。音素意識集合体がすることは想像の埒外だ。対処不可能な事態を望んで招き入れるようなことはしたくない」
「シンクの言う通りです。グランコクマの謁見の間での接触はたまたまこちらに都合の良い形で働きましたが、今後も同じように働くと考えるのは余りにも楽観視が過ぎます」
それを言われると何も言い返せない。
もし謁見中に私がまた結晶化するようなことがあったらそれこそ大惨事だ。
結局私はベールを付けて音素酔いを緩和しつつ響律符は着けたまま謁見をすること。
マルクト同様、外殻大地降下作戦に関してはイオン、ローレライ解放に関しては私が担当。
対価を要求されても毅然と突っぱねることなどなどを改めて念を押される。
キムラスカが投げかけて来るであろう問答を予測したカンペなども貰った。ありがたい。丸暗記しよ。
そうして打ち合わせを重ね、マルクトの時よりも念入りに謁見の練習も重ねる。練習で圧迫面接が可愛く見えるレベルで高圧的に言われた時は流石にちょっと怖かった。
超特急で縫い上げてくれたベールも無事届いた。目元しか覆ってくれなかったものの、試しに付けてみれば多少楽にはなったし、自力で動けるようにはなった。それでも体調不良を引き起こすのは否めない。
ただでさえ厳しい状態なのにそこに体調不良が上乗せされるのは余りにも痛い。シンクでなくても頭を抱えたくなるレベルだ。
それでも謁見は必須だし、これ以上音素避けをしたら響律符を付けている意味がなくなるので更なる改善は難しいと言われてしまい、ぐっと文句を呑み込む。
ダアトに帰還するまでの我慢だ。
ダアトに帰ったら美味しいご飯食べに行こうねとシンクに言えば頷いてくれたので、これでモチベーションを維持するしかないだろう。
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