飼育生活06
どん、と壁に打ち付けられる拳。部屋に着いた途端、私はシンクに壁際まで追い詰められていた。
壁ドンですよ、壁ドン。怖いよ、怖すぎるよ。こんなので喜ぶ乙女なんているのか。いるなら代わってくれ。喜んで交代するよ、私。
「同情のつもり?」
「……何が?」
「僕の元に居るって言ったことだよ。それとも何? 本気で殴られたいわけ?」
いつもより低い声で話すシンクが歪に笑い、壁がみしりと音を立てた。ちらりと視線だけで壁を確認すれば、罅が入っているのが解る。
いくら教団が古い建物とはいえ、壁に罅が入るってどんだけだ。恐ろしいことこの上ない。
「そんなつもりじゃ、ないよ。一人きりって心細かったし、それにシンクが私を拾ってくれなきゃこうはならなかったんだから、恩を感じてるのも事実だよ……?」
そう言えばシンクの唇が引き結ばれる。そして舌打ちをしたかと思うと、首に手がかけられた。
また首を絞められるのだろうか。そう思うと自然と身体が竦む。
窒息は苦しいから嫌いだ。好きな人もあんまり居ないと思うけど。
「ご、ごめん……っ」
「何で謝るわけ?」
「……そ、れは」
「中身の無い謝罪っていうのはね、相手の怒りを煽るだけなんだよ」
怒りを含んだシンクの声が響き、首にかけられたシンクの手に力が込められる。
気道が圧迫され、息苦しさに呻き声がもれた。シンクの腕を握って抵抗してみるも、やっぱり手は離れそうに無い。
「だ、って……わ、たし……っ」
「だって、何?」
どうにかそれだけを零せば、力が緩められて酸素を求めて咽こむ。
シンクの仮面へと手を伸ばせば拒否されることはなく、仮面を外せば怒りに染まった素顔が露わになった。
私と同じ顔。今はシンクと私は同じ遺伝子を持っているのだから当たり前だ。
けど中身は全然違う。それも、当たり前だ。私はシンクじゃないし、シンクも私じゃない。
「……私、シンクを傷つけてたんだよね?」
「君が僕を傷つけるだって? ハッ、馬鹿言わないでくれる? 君に傷つけられるほどやわじゃないよ」
「でも……シンクは私が劣化してて、何の力も持たない自分以下の哀れなレプリカだと思ってた。けど私には過去があって、確固たる自我を築いてて……日本語を読み解くっていう、他の人ができないことができるって最近知って。自分より下だと思ってた存在が予想外に価値を見出されて、シンクは傷ついてたんじゃないの?」
そう言えば、シンクがもう一度壁を殴った。鈍い音が顔の隣で響き、反射的に悲鳴を上げる。図星を突きすぎたかと思ってももう遅い。
でもちゃんと言葉にしないと伝わらないのだ。思うだけじゃ伝わらない。想いは言葉にしないと意味がない。
怒っているシンクは怖いけど、それを我慢してでも私は伝えなきゃいけないと思う。
「余裕じゃないか、五番目……それで、今度は君が僕を哀れむ番ってワケ?」
「ち、違うよ……だから、謝りたかったの。傷つけてごめん、って」
「だから、何? 謝ったから何? 僕が許すとでも?」
「……そ、うだね。許せないと、思う。シンクのコンプレックスをぐさぐさ突付きまわしてたわけだし」
「言うじゃないか。やっぱ殺されたいの?」
不用意な言葉で怒りを煽ってしまったと気付いても既に時遅し、拳を握って威嚇してくるシンクにサァッと自分の血の気が引く音を聞く。
ヤバイ、伝えたいとは思ってはいたが今は猛烈に逃げたい。
「で、でも! シンクの側に居たいって思ったんだよ! 同情とか、哀れみとかじゃなくて!ただ……シンクを一人にしたくないって……側に居たいって……。そりゃ、それが私のただのエゴだって解ってる。解ってるけど……シンクに、一人で居て欲しくないんだよ……」
しゅるしゅると語尾がしぼんでいく。勢いで言ったものの、口に出せば出すほどただの私のエゴだと思った。
やはりこれは哀れみなのだろうか?
シンクは拳を握ったまま無感情な瞳で私を見下ろしていて、私はそんなシンクを恐る恐る見ている。
「で? 側に居て、何するわけ?」
「……えっと、ご飯作ったり、部屋掃除したり、とか?」
「ただの家政婦じゃないか」
「え、え? 駄目?」
今まで通りじゃいけなのだろうか。
ため息をつくシンクに私が内心慌てていると、シンクはくるりと背を向けてさっさと奥の部屋へと行ってしまった。
……放置プレイ? ここで放置プレイなの?
しばらく壁際で呆然としていたのだが、慌ててシンクを追いかけて見ればシンクは私を一瞥した後手を伸ばしてくる。
何でしょうか。
「仮面、さっさと返してくれない?」
「あ……う、うん」
持っているのも忘れていたシンクの仮面。それを手渡し、棚を漁っているシンクを無言で見つめる。
何を話して良いのか解らなくてそうしていたのだが、シンクは舌打ちをしたかと思うと何やら首輪のようなものを取り出して歩み寄ってきた。
そしてその首輪を私の首にがしょんとはめる。
……え?
「自分からペットで居たいって言うなんて、君も随分と変わった感性の持ち主だよね?」
にっこりと笑顔で言われ、私は付けられた首輪に触れながら混乱の渦に叩き込まれた。
待て、どうしてそうなった。私はそんな事一言も言ってない。
「そ、そんな事言ってな……」
「家政婦でもない。側に居るだけならただのペットだろ」
「え? あれ? そうなの……か?」
疑問符を飛ばしている私に嘲笑を浮かべた後、シンクは仮面をつけなおしてから廊下に繋がるドアへと向かう。
「何ボケッとしてんのさ。さっさと行くよ」
「え? え? どこに?」
「決まってるだろ。君の服を買いに行くんだよ。それともその格好でずっとうろつくつもり? やめてよね。保護者である僕が君にろくな服を買い与えていないみたいじゃないか」
事実買い与えてないじゃないか。喉元までせりあがってきた文句を飲み込み、私はシンクの後に続く。
遅まきながらもシンクが側に居てくれることを許してくれたらしいっていうのが解って、私は何だか嬉しくなった。いや、首輪が嬉しいわけじゃないけど。
「ねぇ、何で首輪なんて持ってたの?」
「あぁ、それ?元々懲罰房行きの師団兵に着けるんだよ。コイツは馬鹿やりましたって証だね」
「え……じゃあ私もそう見られるの?」
「君は団兵じゃないし、今度ペットショップに行ってもっと別の首輪買ってあげるよ。ペットの世話をするのも主人の務めだしね」
「動物用じゃなくてチョーカーみたいなのが良い。他の教団員の人たちに変な目で見られるもの」
「見られれば?」
「……シンクにそういう趣味があるって思われるよ?」
「ちょっと、僕を巻き込まないでくれる?」
「理不尽!?」
私が喚けばシンクはニヤリと笑った。
いつもの雰囲気になったことに心の奥底でホッとしつつ、チャリチャリと首元から聞こえる金属音に少しだけ違和感を覚える。
それでも気に止めることなくダアトの街へと繰り出し、私はシンクに服を買ってもらった。高い服を買ってもらうのはやっぱり気が引けたので、安いシンプルなものばかりだったが。
それに私には服よりも欲しいものがあった。新しいノートと、料理の本だ。この世界独特の料理が無いかずっと気になっていたから、与えてもらえるならばそっちの方が嬉しい。
新しいノートは日記帳にするつもりだ。フランシス・ダアトだった雨宮信宏さんのように、私もこの世界で起きたことを書き記そうと思ったのだ。
あと、なんだかんだ言いつつチョーカーも買ってくれた。黒い皮に緑の宝石がぶら下がっている奴。
宝石の色がシンクの瞳みたいだと思ったことは内緒だ。だってきっと口にしたら君も同じだろうって言われるのは解ってたから。
多分、このチョーカーをつけてる間は、シンクはそばに居ることを許してくれる。
そう思うとチョーカーをつけるのも嫌じゃなくて、むしろちょっとだけ頬が緩みそうになる。
こうして、私とシンクの飼育生活は続行が決定された。
後日シンクの足元に座り込み本を読んでいた私を見た詠師に多大な誤解を受けることになるのだが、今の私には知る由もない。
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